第4話
「なっ――」
悠は振り返り、その異様を目で確認する。
まず、隕石でも降ってきたかのような巨大な音が鳴った。
次に、音のした方向から火柱が上がった。立ち並ぶビル群とほとんど高さを同じくする規模の火柱だ。仮に本物の隕石が降ってきてもこうはならないだろう。
轟然と燃える炎が放つ光と熱――夜を吹き飛ばすような明るさと、触れれば焼け死ぬと直感せざるをえない脅威は、悠の意識を攫った。
その注目のまま、火柱の中から一人の男が出てくる。
「――転移したら空の上、とか聞いてねえぞ。ああ? サクリファイスよぉ」
まるで雄獅子の鬣のような、黄金色の髪を持つ少年だった。
おそらく同年代。悠が言えた柄ではないが、目つきが悪く見るからにチンピラといった風貌の男だ。しかし着衣はきちっとしていて、暗色系のシャツにネクタイ、ズボン、フードの付いた赤のローブと、どれも皺なく着こなしている。
「おっと。言葉遣い、言葉遣い……探しましたよサクリファイスさん。まさか単身で隣界に転移してしまうとは。我々を困らせるのもほどほどにしてください」
男が急に敬語を使いだし、悠は軽く混乱する。
ただ一つ明確なのは――男がこちらに向けているのは、敵意であるという事実だ。
「サクリファイスっていうのは、おまえの名前か?」
「はい、なのです……」
悠の背後、サクリファイスと呼ばれた銀髪の少女は声を震わせて答えた。
図らずとも間に入る形になってしまった悠に、男は睨みを利かせながら言う。
「隣界人の方ですか? 私はレオ・ニードハルドと申します。以後お見知りおきを」
「ざけんな放火犯。いくらフィッシュポットでも火遊びが許されると思うなよ」
「ああ? なんだこのクソ野郎。口の利き方がなってねえぞ、このタコが!」
レオと名乗った男は態度を一変、街のチンピラそのものな言葉遣いで悠を威嚇する。
「あ、いけね……失礼しました。争う気はまだございません。そちらのサクリファイスさんを引き渡していただけないでしょうか?」
と思いきや、今度は上品な言葉遣いに直してそう要求してきた。
(……言動から察するに、乱暴な言葉遣いを直そうと努力中のチンピラってのが正解か)
どんなチンピラだそれは、と悠は彼に対する不審感を強める。
なんにせよ、レオの要求はサクリファイスの身柄とわかった。後ろの彼女の怯えた様子も事実を裏付けている。誰の目から見ても明らかな、追う者と追われる者の関係だった。
(となれば、問題はどちらに正当性があるのか、だが)
両者の事情は未だ窺い知れないが、先の火柱――街への放火という一点だけで、悠が眼光を向けるべき相手は決まっていた。
「別に俺自身、正義の使者ってわけじゃねえけどよ。余所者は見逃すなって言われてるんだ。能力持ちは特にな。テメェ、S2シティの人間じゃねえだろ?」
「ええ。この街にはたった今訪れたばかりで……街? 街なのですか、ここは? 変わった建築物が多いようですが。それに人の気配もない」
「ここはそういう区画なんだよ」
「そうですか。まあ興味もありません。とにかく、そちらのサクリファイスを」
「素性も明かさねえくせに一方的に要求できる立場だと思ってんのか」
「うるさいですね。名前なら名乗っただろうが耳付いてんのかクソが。あー、つーか面倒くせえ!」
レオは苛立ちのままに喚き散らし、こちらに向けてくる敵意を強固なものにした。
そして次の瞬間、
「――〈イフリート〉!」
レオが何者かの名前を口にし、彼の傍らに魔人が出現する。
紅蓮のような肌の色と、屈強な肉体。
衣服のように身に纏うのは、燃え盛る炎。
身長はレオの身の丈を優に超え、三メートルはある。
ゆえに悠が初見で抱いた印象は、魔人。
そうとしか形容できないような大男が、いきなりレオの隣に現れたのだ。
さらに――現れたのはその魔人だけではない。
(なんだ……あれは?)
彼の胸の前あたり、空中に四角い枠のようなものも出現している。
複数の文字列やアイコン、円グラフのようなものが並ぶそれは、SF映画や未来予想図でよく見る空中ディスプレイのようでもあった。ここS2シティでも、普及しているとまでは言わないが一部で実用化はされている。
悠がそれら二つの変化に注目する最中、背後のサクリファイスは声を振り絞る。
「っ! やめるのですレオ! 彼は関係ないのです!」
「ああ!? 誰に指図してんだ裏切り者が! どうせ守護魔術はまだ生きてんだろ? だったらオメーごと燃やしたって問題ねえよなあ!?」
サクリファイスの制止にも耳を貸さず、レオは眼前の空中ディスプレイに指をやる。
現代人がダブレットPCをそうするように、なにか操作をしているように見えた。
その所作とほぼ同時に、傍らの魔人が両腕を動かす。
掌を前方、悠とサクリファイスのほうに向け、身に纏う炎がそこに収束していった。
(これは――)
それら一連の動作を目で追いながら、悠は次に取るべき行動を決定する。
後ろを振り返って駆け出し、サクリファイスを乱暴に抱えて真横に跳んだ――ちょうどレオと魔人の正面、射線から外れる位置まで。
「〈焼き尽くせ炎砲(エム・ファルク)〉!」
レオの発声。少し遅れて、魔人の両掌に集まった炎が前方に向けて放たれた。
直線状に放射された炎は先ほどまで悠たちが立っていた場所を通過し、アスファルトを焼く。
回避に成功した悠はそれを真横で見ながら、不快な熱波に顔を顰めた。
「火炎放射器、どころかビームだな。なにをどうすりゃ炎をあんなに収束できんだ」
「よ、避けた……!? あなたは魔術を知っているのですか?」
「知らん。だがなにが来るかは予想できた。それより走れるか?」
「えっ?」
「抱えて走ったほうがよさそうだな」
「ああ!? なんで焼けてねえ! オメーいったい――」
攻撃を回避されたレオが驚愕しているが、悠は構わずサクリファイスを抱えて走り出した。肩に担ぐ形での乱暴な抱え方だったが、四の五の言ってはいられない。
「軽すぎるぞ。ちゃんとメシ食ってるのか」
「食べてるのです!」
ぐきゅる、と腹の虫が抗議する。
「い、いつもはなのです! 今日はたまたま、なにも!」
「素直だな」
「じゃなくて! 下ろしてください! レオが追ってくるのです!」
「心配すんな。体力には自信がある」
「そもそもあなたを巻き込むつもりは!」
「手遅れだろ。それに、俺も情報源を逃すつもりはない」
「情報げ――きゃっ!?」
適当なビルに逃げ込んだ悠は、二階の窓がある位置まで移動して少女を下ろす。
幸いにも追跡者の足は遅く、密集するビル群を走り回ったことで標的を見失ったようだ。
「どこに隠れやがった! 骨ごと焼き尽くしてやるからさっさと出てこいクソがぁッ!」
窓から外の様子を窺うと、レオが怒号しながら練り歩いていた。むやみに走り回ったり攻撃したりしないところを見ると、こちらを欺くための演技のようにも思える。
傍らには依然、炎の魔人が帯同していた。胸元には謎の空中ディスプレイも浮かんでいる。どうやら双方ともレオの動きに追随するようだ。
「聞け、サクリファイス。今からあのレオとかいう男をどうにかする」
「どうにかって……」
「大雑把に言って無力化だ。聞きたいことがあるから殺しはしない」
「戦うと言うのですか!? あの〈爆焔狂〉と!」
「なんだその二つ名。どうでもいいが、情報が必要だ。奴の素性とおまえとの関係性、目的、あの炎を放った能力や一緒にいる魔人、知っていることを全部教えろ」
「魔人……? 契約精霊のことなのですか?」
「順番にだ。簡潔に頼む」
瞳に本気の色を浮かべ、サクリファイスを見る悠。
彼女も一呼吸間を置き、決心したように言葉を紡いだ。
「……彼は私と同じ、異世界の人間なのです。魔術学院という組織に所属する魔術師で、逃げ出した私を追ってここに来たに違いないのです」
「魔術師。つまりあの炎は魔術か。目的は?」
「私を学院に連れ戻し、計画通り〈覇界〉を進めることかと」
「ハカイ?」
「先にお話した、こちらの世界への侵攻計画なのです。それを果たすためには二つの世界を繋ぐ門を開く必要があり、私はそのための生贄なのです」
「だから生かして連れ戻すってことか? あいつ、おまえごと俺を焼こうとしたぞ」
「私には特殊な守護魔術が施されているので、並大抵の攻撃では死なないのです」
「さっきの炎で死なないような身体なのに、俺に殺せとか要求したのか? 無茶言うぜ」
「それが最善の解決方法なのです! 私が学院に生贄にされるより先に、他の方法で死ぬことができれば……っ!」
「その言い方だと、自殺とかも封じられてそうだな。空から落ちて気を失った程度で済んでいたのも、その守護魔術とやらのおかげか」
語るサクリファイスの様子に嘘はない。
彼女の真に迫った話し方は、むしろその内容に確証を与えている。
「おまえが野郎に捕まるとこっちの世界がヤバイ。雑に言ってそんな感じだな」
「雑すぎますが、そんな感じであってるのです」
「追手は奴一人か?」
「はい。私が生贄にならない限り、こちらの世界に渡れる人間は二人までのはずなので」
「おまえと奴で定員ってわけか。なら次だ。奴の使う魔術とやらについて教えろ」
悠はそこで再び、外にいるレオの様子を窺った。
レオは怒号をやめ、じっと立ち止まって空中ディスプレイを操作している。ボタンを押すように指を突いたり、また画面をスワイプするように指を滑らせたりしていた。
「あれは〈窓(ウインドウ)〉。魔術の使用時に出現させる情報領域なのです」
「表示されている内容は? 使用用途も教えてくれ」
「表示されているのは術者が修得している魔術で、指で触れることで選択した魔術を発動させるのです。あと、発動した魔術の制御などにも」
「コントロールパネル……いや、コマンドウインドウってとこか? まるでゲームだな」
「ゲーム?」
「あとで説明してやる。それよりあの〈窓〉、物理的な破壊は可能か?」
「いえ、物ではないので。本人以外は触れることもできないのです」
石でも投げて割れば済むかと考えたが、やはりそう簡単にはいかないらしい。
ならば――と、悠はスマホを取り出し、あるアプリを立ち上げた。
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