第3話

   ◆ ◆ ◆


 ――総面積120キロ平方メートル、推計人口65万人。

 関東地方より南東に位置する人工島に築かれたその街の名は、『S2シティ』。

 エボルトという、主にアプリ開発を主要事業とする巨大企業が管理しており、国内でも特異な位置づけにある。その実態はほとんど独立国家といって差し支えない。

 最大の特徴は、エボルトが運営する特殊教育機関『学園』の存在。

 そして『貢献度』と呼ばれるシステムだ。

 S2シティの住人は学業や仕事で収めた実績がポイントとして蓄積され、高ければ高いほど都市内での地位が高くなる。貢献度が際立って高い者にはエボルトから生活支援金が支給されるため、それで生計を立てる者も多くいた。

 在真悠も、その一人である。

 一緒に暮らす人間は幼なじみの凍火一人。仕送りをしてくれるような家族もおらず、生活費は身一つで稼ぐ必要があった――そんな境遇にありながら、なに一つ不自由はない。

 何故か。

 悠の実力ならば、生活に必要な貢献度など容易に稼げるためだ。

「さて……」

 悠が訪れたのは、S2シティの外れに位置するエリアである。

 周囲に立ち並ぶのは、老朽化したビルや、建築途中で放棄された建物。

 立入禁止とされているこの区画は公には未開発地区ということになっているが、実際は別の理由で放置されている。

 理由は複数あるが、その一つは犯罪者を誘い込むための罠。

 立入禁止区画ゆえ人気がなく、身を潜めやすいので、街で悪事を働いた者の多くがこの場所に逃げ込む。そして一度逃げ込ませてしまえば、どんな雑な処理をしても街に被害が及びにくい。

 先刻追っていた女泥棒も、悠があえてこの場所に誘導した。市街地で捕らえることも難しくはなかったが、面倒事は避けるに限る、という判断からだった。

 そういった事情を知る者たちからは『フィッシュポット』と呼ばれている区画を進みながら、悠はスマホを操作する。

 画面上部に表示されている時刻は午後六時過ぎ。

 既に日は落ち、黒色の空には星の輝きが瞬いていた。

「おそらく……このあたりのはずなんだがな」

 悠が探しているのは、先に無力化した女泥棒ではない。

 そちらは窓口――エボルトの担当者が既に身柄を拘束しているだろうし、約束していた報酬も入金を確認している。悠にとっては終わった事件だ。

 探しているのは、学校を出てあらためて映像で確認した人物。

 空から落ちてきた少女。

 落下の瞬間は建物に隠れて捉えられなかったが、おおよその落下地点は割り出せる。

 もっとも、発見したところで舞い込んでくるのは死体処理の仕事だけだろうが――

「……マジかよ」

 その少女は、やはりフィッシュポットの一画、開けた場所に落ちてきていた。

 意外だったのは、高々度から落下した肉体にあるまじき正常さを保っていること。

 血が流れていないし、腕や脚も曲がっている様子はない。

 意識がないのか眠るように瞼が閉じられている。

 身体は仰向けになっているが、少なくとも地面に激突死はしていないようだ。

「にしても、なんなんだこいつは?」

 悠はとりあえず、とスマホのカメラで彼女を写真に撮る。

 目立った外傷がないことに違和感を持った後、次に意識を向けたのはその容姿だ。

 まず間違いなく言えるのは――S2シティの住人ではない。

 髪は北国の自然風景を思わせるような白銀の長髪。

 整った目鼻立ちや透き通るような肌はただただ美しく、どこか妖精めいている。

(創作上のエルフとか、それ系の外見だよな……耳は普通だが)

 着衣は、黒を基調としたゴシックドレスのようだった。薄汚れてはいるが、生地の質がよく普段着とは思えない。容姿と相まって、街で見かければ誰もが二度見しそうな外見だ。

 疑問は尽きないが、とりあえず。

「おい。生きてるのか? 死んでるのか?」

 悠は少女のそばまで近づき、声をかける。

 少女――そう、おそらくは十代前半。十七歳の悠よりは年下だろう。

 そんな少女が空から落ち五体満足でいられている理由は、本人に直接聞けばいい。

「うっ、ううん……」

 少女は悠の呼びかけで身動ぎし、ゆっくりと瞼を開いていく。

 瞳の色は、輝くような翡翠色。

 眼球が放つ輝きの他に、涙による輝きもあった。

「あっ……!?」

 意識を覚醒させた少女は、すぐに上半身を起こし、ものすごい勢いで周囲を見渡した。

 廃墟同然のビル群に驚きの表情を見せ、自身が腰を置くアスファルトを掌で撫でる。

 悠が訝しむ傍ら、今度は空を見上げ「星……」と意味深につぶやいた。

 つられて悠も天を仰ぐ。今夜は星がよく見える空だ。

「まさか空に浮かぶ星から落ちてきた、なんて言わないだろうな」

 悠が冗談っぽく言うと、少女は俊敏な動作で視線を向けてきた。

「あっ――」

 未だ涙が残る瞳で、少女は悠を見据えて言う。

「私を――殺してください!」

「断る」

 ――返事には一秒の間も置かなかった。

 即座の拒否に少女は意気消沈し、続く言葉は消え失せる。

「……あのな。どう錯乱すれば初対面の男に対する第一声が『私を殺して』になるんだ」

「っ、私は! 逃げてきたのです!」

「逃げてきたって、誰から」

「レオ……いいえ、学院……というよりは……そう、世界から!」

「世界?」

「こことは別の! 異世界なのです!」

 ――少女の発した単語に、悠は目を見開く。

 普段から『死んだ魚のような目』と言われることが多い目つきをしていた。それが今、大きく開かれたのをはっきり自覚した――探し求めていたものが、見えたような気がした。

(いや、待て)

 と、心中で己を諌める。

 悠は努めて冷静な態度で、少女の言葉の真意を探った。

「異世界から、逃げてきたって? 冗談も休み休み言え」

「冗談ではないのです! 学院はこちらの世界へ侵攻するために計画を進めていて、私は二つの世界を繋げるための生贄なのです!」

「生贄にされるのが怖くなって逃げ出したってことか? よくあるお伽話だな。じゃあ俺はこのあと、鬼か竜でも退治すればいいのか?」

「誰が助けを求めましたか! あなたは一刻も早く私を殺してください!」

「言っていることが支離滅裂だぞ。死にたいなら素直に生贄になりゃいいだろ」

「それでは駄目なのです! 早くしないと――」

 焦燥に駆られた少女の声が、一際大きくなったそのとき。


 ――ゴオォッ!!


 すべてを掻き消す音と、光と、熱が、飛来した。

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