第2話
第一章 死にたがりのサクリファイス
『発展しすぎた科学は怪物を生む。企業の判断は愚かというほかない』
と――多くの有識者がメディアで批判気味に語って数年。
実際に怪物は生まれ、その存在はとある街において市民権を得るまでに至った。
《選べ。死ぬか消えるかだ》
――飛行する一機のマルチコプター。
暴徒鎮圧用の装備を搭載した警備用ドローンが、合成音声で理不尽な二択を突きつける。
「チッ……」
脅迫じみた警告に舌打ちしたのは、二十代ほどの女性だった。
身に纏うのは黒色のライダースーツ。
息切れを起こしているようで、今は壁を背にひたすら呼吸を整えている。
《この街は正規の手続きを無視した出入りを許さない。無論、情報の持ち逃げもだ》
彼女の罪状は窃盗。
ただし物品ではなく、情報の窃盗だ。
取り返すべき品物は頭の中――ならば、対応は先の二択以外にない。
「……さすがだわ、エボルト。この怪物量産企業」
彼女は観念した様子で、ドローン相手に悪態をつく。
「あんたが何者で、どんな手を使ったのかは見当もつかないけど、これはもう詰みね」
《諦めが早くて感心だな。なら、追い詰められた犯罪者はどうする?》
「カンタン。一発逆転よ」
――バチンッ!
衝撃音とともに、ドローンが落ちた。
彼女の身体から迸った『電撃』が、ドローンの電子基盤を破壊したのである。
落下の衝撃でプロペラの折れたドローンは、もはやただの残骸だ。
彼女は念入りに、散らばったパーツをブーツで踏み砕く。
「ああ――クッソ! なんなのよこの街は!」
日も落ちかけている夕刻の空に、怒号が響いた。
周囲はビル街だが非居住区の立入禁止エリアであり、彼女以外に人はいない。
「どこで足がついた? やらかした覚えなんてないわよ。だいたい――」
《器物破損も犯罪だ。これはこの街に限らずな》
彼女の怒号がピタリとやむ――と同時に、冷や汗が流れた。
聞こえてきたのは、彼女とまったく同じ声をした合成音声である。
《自分の声を素材にできる自動読み上げアプリか。安い玩具だが、犯罪には使えるな》
声は、彼女が右手に握るスマートフォンから。
「あんた、いったいどうやって……っ!」
《なんだよ。自分の声とおしゃべりするのは苦手か? 情報は事前に仕入れていたはずだし、不足していた分も盗品から察せられたはずだ。ここは、そういう街だってな》
「んな馬鹿なっ!」
相手はついさっきまで、街の警備用ドローンを使ってこちらを追い詰めていた。
それが今度は、他人のスマホを遠隔操作しているだなんて。
彼女が困惑するその間も、スマホは合成音声で語り続ける。
《テメェの切り札は『電撃』か》
「は……?」
《このエフェクトならかなりの広範囲を消し炭にできるな。にしたって、ルールとリスクのほうは冒険しすぎだが。まあ〝スリルを愛する女怪盗〟なんて肩書きにはお似合いか》
「――ッ!?」
彼女の顔がさらなる驚きの色に染まる。
本人にしか知りえない情報をさらっと話題に出し、挑発気味に評してみせる謎の敵。
依然として姿を見せないが、彼女とてこういった相手への対処法は心得ていた。
《テメェの考えを当ててやる》
頭に浮かんだ複数の策を、しかしスマホの声が先回りする。
《一つは、このスマホを破壊する。そうすりゃ俺とのおしゃべりは強制終了で、とりあえず心の安寧は得られる。けどできやしねえよな。このスマホは生命線だ》
「くっ……」
《二つ目は、こんな口先だけの野郎は無視して逃走を続ける。テメェにこちらを上回る逃走手段があるならアリな選択肢だが、ま、その狼狽えっぷりを見るに……ねーな》
彼女は意を決し、スマホの操作に踏み切った。
が、駄目。
スマートフォンは既に、所持者本人からの操作を一切受け付けない状態にあった。
《三つ目は、俺が近くにいることを願っての広範囲無差別攻撃。読みが当たれば大逆転だが、攻撃には大きなリスクを伴う。さあ、テメェが切るべきカードはどれだ?》
彼女はスマホを睨みつけ、大きく腕を振り上げた。
切ろうとしていたカードは、三つ目の選択肢。
敵対者は周囲に潜んでいると仮定し、広範囲に電撃を放とうと考えていた。
しかしスマホが操作不能になった以上、それもかなわない。
ならば後に回ってくるツケは承知の上で、即刻乗っ取られたスマホを破壊するべきだ。
《ああ、正解だ――が、一手遅かった》
そんな彼女の思考は、既に読み切られている。
スマホが地面に叩きつけられる寸前――
画面上では別のアプリが起動し、周囲一体に眩いほどの電光が放たれた。
灰色のアスファルトを黒色に変えるほどの威力を発揮するそれは、まさに切り札。
「あ、があああああ――――ッ!?」
その高すぎる威力ゆえか、電撃の被害は彼女自身にも及んだ。
最後に感電による悲鳴を伝え、スマホは地面に落下。
衝撃で砕け散った液晶はさらに電撃で粉々になり、塵芥と成り果てる。
彼女の身体は、その横に倒れ伏した。
◆ ◆ ◆
――一部始終をスマホの画面上で確認し終え、在真悠は一人つぶやく。
「悪いな。近くにはいねえんだよ」
悠の所在は、女が逃走したエリアから遠く離れた位置にある建物の屋上。攻撃範囲などでは決してありえない。どれだけ広範囲の電撃であろうと、切り札にはなり得なかった。
無情な結末に、悠は心を痛め――たりはせず、くあっ、と欠伸をした。
「少し遊びすぎたか」
夕刻、放課後の学校。
悠の姿は、その場にふさわしく制服姿である。
「ん……」
屋上のフェンス越しに下校する生徒たちを観察していると、スマホが震えた。
画面上に表示された名に悠は顔を顰め、気だるそうに頭を掻く。
今日は風が強い。揺れる前髪が少し鬱陶しかった。
「……はあ」
無視も考えたが余計に面倒くさくなりそうなので、悠はおとなしく電話に出る。
「なんの用だ、窓口」
相手の名だ。無論、本名ではない。
《なんの用だって、事後報告に決まっているじゃないですか》
「んだよ。終わったよ。そっちにも映像送ってるだろうが」
《声が聞きたかったんですよ》
「田舎の爺ちゃんかテメェは」
《まだそんな歳ではありませんが、好々爺と呼ばれるような老人にはなりたいですね》
「知らねえ。くだらねえ。興味がねえ」
《酷い》
「黙って報酬だけ入れとけ」
窓口との通話を十五秒で終え、着信拒否に設定する。
悠が請け負った仕事は『コソ泥の追跡と無力化』。
女の身柄確保は向こうが勝手にやるだろうし、盗まれたデータやそれが収まっているだろう彼女の頭の中をどう処理するかは、興味がなかった。
「――在真くん。お仕事終わりましたか?」
視線を屋上の入り口に向ける。
扉の陰から可愛らしく顔だけを出す姿があった。
白を基調とした制服を身に纏う、この学校の女子生徒である。
豊満な胸の前で手を組み、長めにカットされた前髪の奥から控えめに悠の様子を窺う。なにを照れているのか頬は紅潮し、悠と視線が合うと嬉しそうに口元を綻ばせた。
白木凍火。
悠の幼なじみであり、住まいを同じくする同居人でもある。
「まだ事後処理が残ってる。悪いが、これから現場に向かわなきゃならない」
「じゃあ、お布団を温めておきますね」
悠が素っ気なく言うと、凍火はにこやかにそう返してきた。
「いつものように凍火のぬくもりと匂いを浸透させて、在真くんと夢でも出会えるように愛情を注ぎ込ませていただきます。も、もちろん汗で汚すような真似はしませんので」
もじもしながら大胆なことを言う幼なじみに、
「ああ」
と、悠は相槌だけを返した。
凍火はそれに不満を覚える様子もなく、悠の手を握って隣を歩く。
「では、途中までは凍火も一緒です! でへへ、今日の在真くんはいつもより三割増しくらいで優しいですね。体温も気持ち高めな気がします。お仕事でいいことありました?」
「別に。体温とか、気のせいだろ」
「そんなことはありません。凍火に搭載された在真くん専用の体温チェッカーは完璧です。
より精度を高めるなら手を繋ぐより抱きついたほうがいいのですが……」
上目遣いにチラチラと顔色を窺ってくる凍火に、悠は無表情で言う。
「好きにしろ」
「っっっ!! す、好きに! 好きにします!」
凍火は顔を真っ赤にしながらも、このチャンスを逃すまいと悠の腕にしがみついた。
些か歩きづらい格好になりつつ、二人並んで屋上を立ち去る。
まだ生徒たちが多く残っている校舎の中を恥ずかしげもなく歩いていると、
「よお、在真夫妻。今日もおアツいねえ」
偶然すれ違ったクラスメイトの少年が、口笛まじりに冷やかしてきた。
凍火のスキンシップに顔色一つ変えなかった悠が、しかしそこで眼光を鋭くする。
冷やかした少年は視線だけで射竦められ、そそくさと退散していった。
「さすが、『飢えた狼』と呼ばれているだけのことはありますね」
「目つきが悪いだけだ。狼より『死んだ魚』って言われることのほうが多いぞ」
「で、でも……凍火の前でなら、狼になってくれてもいいんですよ……?」
「いいから帰るぞ、羊ちゃん」
「っっっ!! 凍火は羊です! 在真くんにならいただかれてもいいです!」
目付きの悪い不良生徒と、甲斐甲斐しく世話をやく幼なじみ。
ときには夫婦同然という印象すら持たれる二人の関係は、概ねそのとおりである。
ただ――恋人関係か、と問われれば凍火は全力で否定するだろうが。
「あ、見てください在真くん。決闘場に人だかりができてますよ」
校舎を出て、校門までの道を行く途中、凍火がその方向を指で示した。
白い制服姿の生徒たちが、テニスコート三面分ほどの敷地の周りに集まっている。
その中心には、二人の生徒が対峙している様子も見られた。
「観戦していきますか?」
「いや、いい。仕事優先だ」
――悠と凍火が通うこの学校は、通称を『学園(アカデミア)』という。
ある専門分野を学ぶための教育機関であり、その成果を示す方法として『決闘』と呼ばれる名称通りのシステムが導入されているが、悠にはあまり興味がなかった。
決闘場の横を素通りし、そのまま『学園』を出る。
帰り道を少し行ってから凍火と別れ、悠はスマホを取り出した。
「さ、問題の事後処理だが……」
アプリを立ち上げ、画面上に表示させたのは、先ほどの捕物の映像である。
泥棒の女を追い詰めるのとは別に飛ばしていた、もう一機のドローン。
そちらが撮影した現場の映像に、奇妙なワンカットが映り込んでいた。
「余所者が外から街に入ってくるのは珍しくねえが、空からなんてのは初めてだぞ」
それは、言葉にすれば至ってシンプル。
空から落ちてくる女の子、だった。
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