第18話 兆しの花火

 十二月三十一日。

 世間は大晦日で新年を迎える為街ですれ違う人々はいつもより忙しなかった。

 僕は会社へ向かい業務に打ち込んでいた。

 それぞれのデスクが怒涛の如く落ち着かなかった。

 激しくパソコン画面に文字が打たれ、コピー機には長蛇の列、電話は延々となり続けており対応が間に合っていなかった。

 早くも今年は過ぎ去りそうになり年末に入る。

 僕の所属するIT業務部は社内のサービス業みたいなものでこの時期は毎回無理な依頼が殺到する。

 年内に直せ、総仕上げの時期にソフトが動かないどうしてくれる、来年からはもっと使用をこうしろああしろ。

 要はクレームの盛んな時期だ。

 依頼が増える度やることリストをメモにまとめていたが書き留める暇もなくなっていった。

 もう多くの記憶に埋もれたものを掘り返して見つけたものを片っ端から処理していく記憶便りの仕事をしていた。

 そのやり方は仕事が乱雑になり抜けが発生しやすい。

 しかし、そうせざるをえない環境だった。

 時間の流れを感じない、頭も段々ボーとしてくる。

 久しぶりに掛け時計に目を向けると気づけばもうこんな時間かと驚く。

 仕事はまだ残っており、年明けは職場で迎えそうだ。

 職場で迎える年も何度かあったが、決してそれも悪いものではなかった。

 一日の業務を乗り越え、同僚と食べるインスタントの年越しそば、机に並べられた缶ビール。

 津藤さんとその同類たちがネクタイを頭に巻いて缶ビールをマイク代わりに歌い出す。

 数時間後には地獄絵図みたいになっているだろうな。

 そうして午後二十二時を迎えそうになる頃には仕事は大方とは言えなくても終わりの目途はつきそうになっていた。

 これなら無事来年に回せそうだ。

 デスクチェアを後ろに押し倒し背伸びをする。

 ここまでやり切った、そんな達成感で満たされる。


「お疲れビール」


 僕の額に冷たいものが置かれる。

 唐突な不意打ちに僕は慌てて飛び起きる。

 犯人は分かっている、やっぱり津藤さんだった。

 

「まだ早いでしょう」


「なーに。ちょっとのフライングくらいけちけちすんな。年越し同時に飲むころにはぬるくなってるよ」


「冷蔵庫入れたらいいじゃないですか」


 そう言いながらも僕は缶ビールを受け取り、中身を空けた。

 プシュッと気持ちのいい音が響く。

 その音に反応して周りも集まってきた。

 数十人集まったおっさんズは缶ビールをそれぞれ開け、その後はみんな飲みたくてうずうずしていた。

 

「めんどくせぇ挨拶は無しだ。今年もお疲れでしたぁ!乾杯!!」


 津藤さんは缶ビールを持った手を勢いよく突き上げると残りの衆も真似して突き上げた。

 少量のビールがフロアに落ちて染みていく。

 上の人に見つかったら何人飛ばされるんだろうな。

 後先考えない津藤グループはぐいぐいお酒を口に流し込んでいく。

 僕は少量含みすぐに机に缶を置いた。

 一同拍手をして宴会が開幕した。

 僕は何となく自分のカバンに手を入れスマホを取り出した。

 思えば今日初めて触ったかもしれない。

 画面を開けると恐ろしい数の着信履歴が表示されていた。

 見覚えのない番号、一体何事だ。

 僕は集団から離れ折り返し連絡を入れてみる。

 少しコールするとすぐに相手は出てくれた。


「はい、影沼です」


「・・・逸木です。すみません、何度もご連絡頂いたみたいで」


「あぁ・・・逸木様。ご連絡ありがとうございます」


 安堵した声を影沼は漏らす。

 激しい息遣いと大げさに感じるくらいの接待は異様に感じた。


「何か、あったんですか?」


 影沼は沈黙し、何かを考えているようだ。

 その後ポツポツと話し始めた。


「・・・ユイ様は、そちらにいらっしゃいますか?」


「・・・それはどういう?」


「その様子だと、そちらにはいないのですね」


「えぇ、こちらにいるはずがないじゃないですか。だってあなた達の研究所にユイを預けたんですから」


 不穏な空気が流れる。

 影沼の言動、雰囲気、それらを照らし合わせて僕はある程度察してしまう。


「ユイ様が、いなくなりました」


 激しい怒りが込み上げてくる。

 こいつは、無事に返しますと言いながら、ふざけたことを電話してきやがって・・・!

 

「大変申し訳ありません。ご自宅などにはおりませんでしたか?何か心当たりのある場所などはありませんか?」


「確認していない、今から探してみる。あなたのことはもう、いえ、切りますね」


 僕は電話を無理やり切った。

 これ以上話しても時間の無駄だし、怒りをぶつけてもなんの解決にも至らない。

 早く、ユイを探さなきゃ。

 この寒い中どこか一人で佇んでいるのかもしれない。

 駅前のベンチで雨に濡れていたユイを思い出す。

 もう、あんな寂しい思いはさせない。

 絶対に見つけ出す。

 荷物を持ち会社を飛び出した。

 最寄り駅まで全速力で走り、すれ違う人の視線など知ったことではなかった。

 改札口を超え、雪解けが残り滑りそうな階段を駆け上がり、今にも閉まりそうな扉を交わし電車に飛び込み乗車した。

 幸い大晦日の夜は人が少ないのか、僕の必死な行動を目撃されることはあまりなかった。 

 僕のアパートを目指す。

 もしかしたらそこにいるのかもしれない。

 普段よりも長く感じる乗車時間はとにかくもどかしくて堪らなかった。

 徐々にスピードが減速していく。

 待っていてほしい、そんな思いを一心に扉が開いた瞬間また僕は全速力で走りだした。

 階段を飛び降りていき、着地の際生じた足の痛みなんて気にしていられなかった。

 駅を出て、先の見ない夜道を無心で駆け抜けていく。

 ようやく見えてきたアパート。

 でも、玄関前には誰もいなかった。

 頭の中で何度もイメージした少女の姿はどこにもない。

 部屋の中をダメ元で捜索するがもちろんいるはずもなかった。

 まずい、このままではと最悪の未来を想像する。

 諦めたらダメだ、でも一体どこに・・・。

 もしかしたらと僕は携帯を取り出しある人物に電話を掛けてみる。

 今まで何度も掛けた、それでも彼女が出てくれる事は無かったし折り返しの電話が来ることもなかった。

 きっともう出てくれない。

 でも、今だけはと助けを乞うように掛け続ける。

 そうなったきっかけを作ったのは僕なのに、今この状況で連絡するなんて。

 今更ながら、僕は身勝手だ。


<プツッ>


 何かに繋がった音がした。

 微かに聞こえる吐息、間違いない、繋がったんだ。


「・・・久しぶりだね。圭太さん」


 懐かしい声、少し笑いかけるような口調。

 どれだけ焦がれただろう。

 僕の心臓は高鳴った。

 

「瑠香・・・ごめん。夜遅くに」


「ううん。私の方こそごめんなさい。圭太さん、私の為に何度も連絡してくれたのに、足を運んでくれたのに。全部私は逃げて、病気の恐怖に怯えて、圭太さんに酷いこと言った」


 瑠香はすすり泣いている。

 君は悪くないのに、僕が全部悪いのに、どうしてそんなに優しい事が言えるんだい?

 会いたい、ただひたすらに。

 溢れそうなくらいの愛しい感情で満たされる。


「僕は、身勝手な行動で君の気持ちを踏みにじった。怒られて当然だったよ」


「圭太さんが、あんな選択をしたのは元を辿れば私のせいです。ユイちゃんは私の病気を治す為に、あなたは奇跡を信じる為に。私は、二人の気持ちを信じようとしなかった。圭太さんに偉そうにユイちゃんを信じてあげてって言ったのに、結局私は誰も信じられなかった。自分自身も、病気が治るって信じることができなかった。このまま死ぬのを待つだけだって。絶望してた」


 僕の手に冷たい感触があった。

 ふわふわした羽毛の様な物質は手の体温に負けて溶けていった。

 空を見上げると、白い雪がちらちら降ってきた。


「人との関りを捨て、部屋の中に籠っている時、圭太さんが何でもここに来てるらしいって看護師の方から聞きました。最初は気にしないふりをしました。でも、段々と圭太さんの事を思い出して愛しい気持ちになったんです。それまで無心で過ごしていた私にとって、それは久しぶりの感覚でした」


「病気になる前も後も、あなたはいつだって優しかった。私には、あなたしかいないって思いました。やっぱり、私はあなたの事が・・・あ!圭太さん!雪が降ってる!?」


「うん、知ってる」


 今年最後の雪。

 儚く脆く、町の中に溶けていく。

 どこか心寂しい気持ちになる。

 こんな夜を誰かと分かち合えたら、いや、今は間接的ではあるが叶っているか。


「そういえば圭太さん、私ばっかり話して申し訳ないんですけど、ただ話したい為に電話したんですか?それとも何か要件でもあったんですか?」


 僕はハッとする。

 忘れていたわけではないのだが、話に夢中になりすぎていた。

 本筋に戻す。


「あぁ、実はまたユイがいなくなって。今回は研究所から逃げ出したみたいで」


「そんなっ!じゃあゆっくり話してないで早く探さないと!」


「今探してるんだけど、そっちに来てないかな?」


「こっちには来てないですね、まだ心当たりはないんですか?」


「そう、だな」


 その時ユイが僕との電話で最後話していたことを思い出す。

 お父さんに、会いたい。

 そう言っていた。

 まさか一人で実家に帰ったのか?

 可能性はある。

 行ってみるしかないか。


「もしかしたら、よし!ごめん、また探しに行かなきゃ」


 しかし小学生が何百キロ先の地に行くことができるのかと頭をよぎったが、あの子の今までの行動力を考えるとあり得る話ではあった。


「うん、いってらっしゃい!ユイちゃんを見つけて、今度は二人で私の部屋にきてね!私、待ってるから!」


 瑠香の快活で明るい声色が聞こえる。

 この感じ、懐かしいな。

 瑠香の声に押され、また僕は走り出す。

 ゆっくり落ちていた雪も走れば吹雪の様に僕の体に当たってきた。

 体の感覚が失われ寒いという感覚すら鈍くなる。

 駅前のロータリーを回り、屋内に入る。

 駅内はほぼ暗転し何かが潜んでいるのではないかと思うくらい不気味な雰囲気だった。

 当たり前だが電車はもう動いていなかった。

 もしかしたらと来てみたが、やっぱり無駄足だった。

 それでもここで休むわけにはいかない。

 何としてでも見つけないと、僕が見つけないと。

 もう移動手段は自家用車以外に方法はなかった。

 先程会社でビールを舐める程度飲んだがそれでも飲酒運転になる。

 でも今日行かないと取り返しのつかないことになるかもしれない。

 ユイの一大事に、じっとしていられるわけがない。

 何度も行ったり来たりしているが、僕は再びアパートを目指した。

 だがさすがにもう走れない。

 胸が苦しくて呼吸が安定せず、足がガクガクする。

 ゆっくり確実に進んでいこう。

 そう思いロータリーを歩いている途中だった。

 見覚えのあるベンチを見つけ僕は立ち止まった。

 いや、見覚えがあったのはベンチではない。

 まさかこんなところにいたなんて、走っている時は気づかなかった。


「まったく、風邪引いたらどうするんだ・・・」


 僕は羽織っているチェスターコートをベンチの上で寝そべっている少女に掛ける。

 起きる様子は一切見せない。

 それくらい熟睡していた。

 もちろん、こんな場所でずっと寝かせるわけにもいかないので僕は少女を抱えた。

 冷たくなった体に驚く。

 早く温めないと。

 

「おにぃ、ちゃん」


 微かな声が、でもはっきりと聞こえた。

 抱えた少女を見ると目を細く開け僕の顔を見るなり微笑んでいた。


「ユイ・・・心配したんだよ?」


 小さな手で僕の胸元のシャツを握る。

 自分の方へ引っ張ってくる仕草はもっと近くにいたいというアプローチのように思えた。

 僕もユイを抱き寄せる。

 ユイはくすぐったそうに笑い、僕も胸が熱くなった。


「何でこんな真似したんだ。なにかあったらどうするんだ・・・」


「・・・ごめんなさい、でも、どうしても会いたくて。私、お姉ちゃんを守るなんて言って、結局逃げちゃった。お兄ちゃんに、お姉ちゃんに会いたくて、じっとしていられなかった・・・」


 ユイを見つけた安堵感が訪れた後、彼女の無鉄砲さを怒り、そして僕自身の不甲斐なさを強く感じた。

 もう離さない。

 ずっと傍にいると心に強く誓った。


「いいんだ。ユイは充分頑張ったよ。もういいんだ」


「でも、お姉ちゃんの、病気が・・・」


「・・・きっとユイのした事は無駄じゃない。お薬を作るのに役立っているに違いない。やれることはやった。だからもう、帰ってきていいんだ」


 奇跡を願った。

 でも現実はうまく動いてくれない。

 事実という冷たい壁はその先の景色の欠片すら見せてはくれなかった。

 その時ユイの手が僕の頬を撫でた。

 

「お兄ちゃん、涙」


「・・・ユイも、だよ」


 抑えきれない程の涙が溢れ出てくる。

 諦めたわけではない。

 それでも何故か悲しい気持ちになってしまう。

 ここに瑠香もいてくれたら。

 あの笑顔で、また三人で過ごせたら。

 遠い違う世界を見つめているように非現実的な想像のように思えてならないのだ。


「今度、二人で瑠香に会いに行こう。きっと喜んでくれるよ」


「・・・そう、だね。お姉ちゃんが、元気になるまで、応援しなくちゃ」


「うん、三人揃えば怖いものなしだ」


 えへへとユイは楽しそうに笑う。

 この純粋で無邪気な笑顔が、僕は大好きだ。

 その時、空が明るく光った。

 僕とユイは光の方向を向く。


<ドンッ!>


 直後衝撃音が響き、赤く大きな花火が夜空に咲いていた。

 その花火はすぐに散るとまた次々と打ちあがっていった。

 色とりどりで、形も均一ではなく花枠や滝のように流れる形、パーティークラッカーのようなもの。

 なんでまたこんな季節にと思ったが、そうか、年が明けたんだ。

 僕はユイを見て笑いかける。


「明けましておめでとう。今年もよろしくね。ユイ」


「これからも、そばにいてね。お兄ちゃん」


 こんなに幸せな年明けを、僕は知らなかった。

 大切な家族が傍にいて、祝福するように彩られた夜空を一緒に見上げ、これからの未来に思いを馳せる。

 きっとこれからいいことが待っている。

 そんな予感が確かにあって、そしてそれは間違いではなかった。

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