第16話 予想外の着信
五ヶ月後。
あれから僕の日々は労務だった。
なにもかもを忘れる為朝から晩まで業務に打ち込んだ。
もう家には誰も待っていない。
山奥まで運転してお見舞いに行く必要もない。
唯一の楽しみであったユイとの面談だが、少しして精神不安定の為会わせられないと研究所側から拒否された。
絶対におかしい。
必死に抵抗し、警察にも相談はしたが状況が変わることはなかった。
結局僕は騙されていたんじゃないかと思ってしまう。
もう、何も考えられない。
八つ当たりの様に空白の時間を惜しみなく業務にぶつけた。
報酬を受ける目的での労務ではなく、動き続けることでしか自分を保つことができなかったからだ。
何もしなければ、心の空虚さに押しつぶされ自分自身を失いかねない。
頭の中に浮かんでくる後悔や願いを、消して、掻き消して、振り払って。
寝て、起きて、会社に行って。
そのサイクルを繰り返すことで痛みは鈍い物へと変わっていった。
鈍い痛みは癒しに成り得る。
今日もそのつもりだった。
ふと、肩が誰かに叩かれていることに気付く。
さっきから呼ばれていたのか、デスクワークに集中していて全然分からなかった。
「すみません、津藤さん。気づきませんでした」
「それは傷つくな。仕事張り切ってくれるのはうれしいが、働き方改革という言葉を知っているかい?逸木青年」
肩を叩いて呼ぶとなると毎回この人だった。
缶コーヒーのブラックを片手に一本ずつ持ちそのうち一本を僕に手渡してくれた。
「そんなの重視していたら仕事は終わりませんよ。それに、僕は青年って程の年齢じゃないと思うんですが」
津藤さんからコーヒーを一本頂く。
ひんやりとした冷たさが缶越しに伝わる。
「俺から見れば立派な青年だよ。図ってみれば大学生にも見えなくはない」
「無理がありますよ」
笑って返すと津藤さんも高笑いをして誰もいないオフィスに響き渡った。
時計を見ると二十二時。
数年前まではこれくらいの時間でも何人かは残っていたが、今はもう残業を減らせ減らせとお上がうるさく二十一時を過ぎればほとんどの人が帰っていく形になった。
「誰もいないよな。みんな家族サービスや恋愛や飲み会や。それぞれ仕事以外の楽しみを満喫しているよ。これぞワークライフバランスだよな」
津藤さんは愉快そうに話す。
飲みに行く時間が増えて嬉しいのだろう。
「でも、津藤さん。こんなに遅くまで珍しいですね」
「まーな。遊んでばっかりじゃ仕事は終わらないんだよ。たまには溜まった仕事を一斉に掃除する日も必要なのさ」
億劫そうにし、再び僕の肩を叩き掴んだ。
「というわけで、屋上行こうぜ」
「は、屋上?何でですか?」
「いいからいいから。夜風が気持ちいいぞぉー」
はぁ、と返事をして津藤さんに連れられるがままに屋上に上った。
ペントハウスから外に出るとビルやマンションといった建物から光が照らしていた。
僕らと同じような残業、生活上で使用するもの、歓楽街や遊戯、稼働し続けるしかない自動販売機などの電気がこの町を彩っていた。
空は曇り空で星の一つも見えなかった。
肌を潤してくれるような風が吹き熱された体が冷やされていく。
「何かあったのか?」
津藤さんは腰壁に背中を預け呟くように言う。
缶コーヒーを開けぐいぐい飲み進めていった。
「わかりますよね」
僕自身、プライベートにおける感情を仕事にぶつけすぎていた。
周りから見たらストレスの鬱憤晴らしや八つ当たりにしか見えなかっただろう。
「露骨に人格が変わり過ぎなんだよ。分かりやすすぎて触れようか迷ったくらいだよ」
相槌で笑うことしかできない。
僕ももらった缶コーヒーを開け一口飲む。
黒い液体が胃の中に落ちていき心が落ち着く。
「大切な人から、拒絶されたんです。唯一、誰にも分かってもらえなかった僕の心を受け止めてくれた人から。一体どうすればいいのか、分からないんです」
津藤さんは何の反応も見せなかった。
腰壁に肘を置き夜景を眺める。
やがて僕の方は向かず、呟くように話し始めた。
「俺も昔、大切な人がいた。一つ屋根の下、その時はとにかくお金がなくてボロボロのアパートで切り詰めた生活をしていた。生活は苦しかったけど、二人で働いて家事も分担して互いを支え合っていた。程なくして子供も授かった。間違いなく、あの時は幸せだった」
大切な人、昔の恋人だろう。
津藤さんは今は独り身だけど、そういった機会ももちろんあったんだろう。
「でも長くは続かなかった。クリスマス、特別な日だ。その日も俺は仕事だったが、帰ったらささやかでも二人で何かしたいなと考えていた。仕事が終わり、帰宅の途中ケーキ屋さんに寄った。三角形に切られたショートケーキを二切れ買い、上機嫌にアパートを目指した。帰った時、そこにいたのは彼女ではなく、事を伝える人間だった。携帯も無かったからな、わざわざ寒いのに。聞いた瞬間、病院へ急いで行ったよ」
その時緩かな風が吹いた。
腰壁の上に置かれた中身の少ない缶コーヒーは煽られ、津藤さんの足元に落ちた。
おっと、勿体ないとすぐに拾う。
拾った缶コーヒーを眺めたまま静止し、また言葉を紡いでいった。
「間に合わなかったよ。白い布が顔の上に置かれてあった。何が起きているのか、理解できなかった。いや、理解したくなかった。俺は生気を全て抜き取られたようにその場で立ち尽くし、一歩も動くことはできなかった」
煙草を口に加え、ライターで火を点ける。
口から吐いた煙は夜空の中に吸い込まれるように消えていった。
「帰りの途中、道端にケーキが落ちてあった。形が崩れたぐちゃぐちゃにまき散らされ、イチゴも誰かが踏んだのか赤い汁がコンクリートに染みていた。彼女の交通事故も、こんな風に無残な姿にされたのかもしれない。そう思うと、もう居た堪れなかった」
「津藤・・・さん」
津藤さんはハンカチをポケットから取り出し目に押し当てた。
僕に向き直り、誤魔化すようにはにかんだ。
「話が脱線しまくったな。要はだ!逸木!別にその子はまだ生きているんだろう?拒否されようがなんだろうが、そんなもん当たって砕けろだ!当たれるもんがない俺よりマシだろ?」
無茶言うなぁ・・・と心の中で呟く。
体育会系の気合で何とかするの精神がビンビンに伝わってきた。
「人はいつ何があるか分からないんだ。俺達だって例外じゃない。後悔があるなら生きている内にだ。余計な雑念やプライドなんて捨てて本当に大切なもんだけ追いかけてりゃいいんだよ」
僕の胸に津藤さんの拳が突き立てられる。
突然の衝撃で思わず声が漏れる。
津藤さんは僕を射抜くような目で真っすぐに見ていた。
「・・・そう、ですよね。時間は残されていないんです。なら、行動するしかないですよね」
分かっているようで分かっていなかった。
瑠香の会うたびにやつれていた姿を思い出す。
ユイが隣で微笑んでいた頃を思い出す。
時間が無いんだ。
このまま終わっていいはずがない。
「ありがとうございます。僕、当たってみます。拒絶されようと逃げられようと。絶対に、失いたくないですから」
僕は自分の身を守るために逃げていたんだ。
ユイの選択に間違いはないと意地になって、瑠香の置かれた状況、気持ちを理解せず、ただ自分を否定されることを恐れ敬遠していたに過ぎなかったのだ。
なんて幼稚なんだ、僕は・・・。
「頑張れよ、逸木・・・よし、帰るぞ!終電遅れたら帰れんぞー!」
僕の肩を掴み無理やり屋内へ引きずっていく。
津藤さんは、僕の気持ちを分かってくれた。
詳細を聞かずとも察し、迷っていた僕の背中を思いっきり前に押し出してくれた。
この人には敵わないな。
「・・・頑張ります」
僕の呟くような小さな声は津藤さんの高笑いに掻き消された。
逃げるのは、もうやめだ。
次の休日、僕はすぐに病院へ向かった。
白いピロティ柱が並べられたアプローチを通り庇の自動ドアを潜る。
受付カウンターへ向かい席に座り名簿のようなものにメモをしている女性に声を掛ける。
「すみません、石田瑠香さんと面談したいんですけど」
話しかけると急いで名簿を裏に置き僕の方を向いて笑いかけた。
「こんにちわすみません。えーと石田瑠香様・・・」
コンピュータで履歴のようなものを調べ始め、少しして再びこちらを見た。
「失礼ですが、石田様とはどういった関係なのですか?」
「・・・友達、です」
「そう・・・ですか。では」
申し訳なさそうな様子で何かを言おうとしている。
大体何を話すかは察していた。
「大変申し訳ないのですが、本人のご希望で面談はご家族以外お通しすることはできないんです」
「そうですか、分かりました・・・」
門前払いで部屋の前に立つことすら許されなかった。
時間外なら忍び込んで行けるかもしれないが、瑠香が大変な時にそこまで無理に押しかけることはできない。
今は例え追い返されても何度も何度も通う他なかった。
その後も僕は受付がいる時間帯を狙って訪れ、その度に帰らされた。
せめてこの行為が瑠香の耳に入ってくれたらいいのだが。
部屋に戻り、リビングの壁に持たれ座り込む。
また今日もダメだった。
でも、いつか会えると信じて続けるしかない。
<ブーブー>
その時、机の上に置いてあった携帯が震え始めた。
誰かから着信が来たらしい。
もしかしたら瑠香ではないかと僕は期待して画面を確認する。
しかしそれは登録されていない番号だった。
画面を操作し、電話に出る。
「はい、逸木です」
「・・・八谷です」
八谷?
心当たりの無い名前に咄嗟に反応できない。
「ユイの、元父親です」
思考が一瞬停止する。
再び状況を理解しようとした時には大量の疑問が一斉に浮かび上がってきた。
かつてユイに暴力を振るい家庭内環境は荒み、僕が引き取るきっかけを作った男。
何故今更になって連絡してくる?
「お久しぶりです」
「えぇ・・・」
庭先に投げられ、僕とユイに唾を吐いたことをよく覚えている。
仕返しをしたいという気持ちは今更湧き起らないが、すぐにでもこの電話を切りたかった。
関わっても何のメリットもない。
「どうかされたんですか?明日も仕事なのでできれば手短にお願いします」
「す、すみません」
僕が冷たく淡々と話すと元父親の八谷は分が悪そうに返す。
何を言い出すのか、僕には予想もつかなかった。
「ユイは、元気ですか?」
その瞬間胸が掴まれたような感覚があった。
呼吸が乱れ視界が安定しない。
まさか、この男は知っているのか。
ユイを守ると言い放ったくせに手放した僕を、責めるために連絡してきたのか?
それならば制裁を受けるべきだろう。
しかし知らないとなると余計な失言は避けた方がいい。
当たり障りのない言葉を探していると八谷が先に言葉を発した。
「答えたくないならいいんだ、なんでもない。お前といるならきっと元気にやっているに決まっている。そこで、折り入って相談があって今日は電話したんだ」
「・・・何ですか?」
「ユイと、会わせてほしいのです」
「ユイと?」
「えぇ・・・」
家出するまで子供を追い詰め、養子に出す時も躊躇わなかった男が何故今になってこんな電話を掛けてくる?
真意は分からないが、会わせることはできない。
だってユイは、ここにはいないんだから。
「それは、難しいです」
「そこをどうにか、お願いできませんか?確かに俺はダメな父親で、自分の人生のストレスや理不尽をすべて家族にぶつけ傷つけてきた・・・最低な男です。今更何をと言われても仕方がありません」
「そこまでご自身を理解しているなら、尚更この電話の意味が分かりませんね」
「ユイと別れたあの日から、ずっと後悔していました。なぜあんなことをしてしまったのか、正気ではなかったのです。だから、せめて一年に一回でもいい。会わせて頂けませんか?ユイの成長が、気になって仕方がないのです」
八谷は思いの丈を語ってくれるが、今の僕には言葉を寄せ付けなかった。
「・・・すみません、難しいものは難しいんです」
「そんな・・・逸木さん?切らないでっ!」
通話を切った。
あれでも、ユイを思う気持ちがあるだけまだましなんだなと思えた。
でも、今はユイはいない。
この事実を伝えることはできない。
いたとしても、ユイの将来を考えると会わせていいものなのか?
そう思うと、会わせないだろうな。
そこで僕はハッとする。
ユイの将来・・・?
今更僕は何を言っているんだ。
危険に晒すこと最終的に許可した張本人が思っていいことじゃない。
自覚が、足りないんだな。
父親失格という。
携帯はまたしばらく震えていたが手に取ることはなかった。
今はただ、部屋の隅で何も考えず座り込んでいたかった。
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