第15話 間違えたのかな・・・
「おい、逸木」
誰かに肩を叩かれ僕は意識を取り戻す。
僕は何をしていたんだっけ。
ここは会社・・・そうだ、仕事をしていたんだ。
していた、か。
溜まった書類を見て置かれた状況を再認識する。
ろくに捗っていないな。
「逸木、こっち向け。もう昼だぞ」
声の主は津藤さんだった。
憂虞そうに僕を見ていた。
「津藤さん、すみません。気づきませんでした」
「お前、最近ボーとしていることが多いぞ。俺は別に大目に見てやるけど、気をつけろよ」
「はい、すみません」
津藤さんの会社での立場はオフィス長。
職場を働きやすくするよう立場上の壁を作らず誰にでもフレンドリーに接するよう心がけてくれている。
だからこそ、そんな津藤さんに注意をさせてしまう自分が申し訳なかった。
「飯、行くぞ」
背中を強めに叩かれる。
遅れないよう財布を持って津藤さんの背中について行った。
会社から出て入ったお店は全国チェーンのファーストフード店。
お昼時で店内は人でごった返していたが、他の社員が席をとっていてくれた。
「津藤さん!逸木!こっちこっち!」
明るく通る声で僕達は呼びかけられる。
声の方向を見ると体中汗でびっしょりと濡れしたむさ苦しい男が手を伸ばしていた。
近づいていくと脂でてかてかした笑顔で迎い入れてくれる。
僕と入社来の同期、坂口博だ。
「遅いですよ津藤さん。席取り大変だったんですから。二人共俺と同じビッグサイズのバーガーを頼んだんですけど、大丈夫ですか?」
白い机には大きめの袋で包まれたハンバーガーとMサイズの炭酸ジュース、フライドポテトがそれぞれのトレイに置かれていた。
「大丈夫だ。すまんありがとな。遅れの文句なら机でボーとしてた逸木に言いな」
同期の坂口が呆れた様子で僕を見る。
今日もだらしのないお腹でシャツが押されボタンがはち切れそうになっていた。
「逸木、最近多よな。そういうの。悩みがあるのかもしれないけどさ。相談くらいしてくれよ」
「まぁ坂ちゃん。デリケートな問題なんだ。なんたって恋路が絡んでんだから」
津藤さんが笑いながら言うと坂口は飲んでいた炭酸ジュースを吹き出しそうになっていた。
「まじですか!逸木にもついに彼女が!?ようやくゴールインか!?」
津藤さんと坂口は嬉しそうにしめしめと笑う。
「いや、全然関係ないですよ?というか、何でそんなに喜んでるんですか?」
「逸木・・・てっきり俺はお前は結婚に興味が無いやつだと思っていたよ。まぁ決していいものとは言えないが、お前ならうまくやれるさ」
「なんでいること前提で話が進んでいるんだよ。勘弁してくれ」
その時僕の携帯が震えた。
見ると瑠香からのメッセージだった。
<今日も来てくれますか?>
お見舞いの確認メール。
ほぼ毎日お昼時になるとこういった連絡が来る。
急に来られると瑠香も迷惑だから訪問時間を事前に知っておきたいんだろう。
余計な気を使わせて申し訳なく思う。
「お!噂の彼女か!?・・・ルカ?坂ちゃん!逸木の彼女はルカちゃんだ!」
「おっけいです!ばっちり覚えましたよぉー!絶対今度紹介しろよな!」
津藤さんは何の迷いもなく僕の携帯を覗き込んでくる。
この人の頭にはプライバシーという文字は存在しないらしい。
おじさん達に起こってもいない恋路を掘り下げられるという最悪な状況はしばらく続いた。
街灯で照らされた夕暮れ道をひたすら進んでいく。
正面のフロントガラスから見えるのは雑木林とコンクリートの道沿いのみ。
人気のない坂道を上がっていくとやがて白いコンクリートで覆われた建物が見えてくる。
この場所に来る度重苦しい気持ちになる。
具体的に何故かは分からないが、得体の知れない隔たりがあるような気がした。
車を駐車場に停めて降り、アプローチに入る。
正面玄関は施錠されているため時間外でも使える出入り口から中に入る。
限られた日にはなるが、早く帰れる日はなるべく瑠香に会いに来るようにしていた。
それでも時間帯の関係で面会は一時間程度しか許されない。
貴重な時間を、残された時間を、僕達はあとどれくらい一緒にいられるのだろう。
部屋のドアを叩くとすぐに返事が返ってくる。
ゆっくりと引戸を開け部屋の中に入っていく。
「お疲れ様です!圭太さん!」
人懐っこい笑顔で笑いかけてくれる。
溌剌とした声で自然と明るい気持ちになれた。
「お疲れ。瑠香」
僕はベッドのすぐ横にある黒いベンチソファに腰掛ける。
瑠香との距離が近くなり、正面で見つめ合う。
「圭太さん、お仕事大丈夫ですか?私の為に無理して早く上がってるんじゃ・・・」
「そんなことないよ。仕事もだいぶ落ち着いてきたし大丈夫」
瑠香は安心したように笑ってくれる。
そんな彼女の様子を見て僕はまた胸が詰まるような思いがした。
また、痩せている。
頬は少しこけ、肩の骨が出っ張るように上に突き出していた。
服から見える腕もさらに細くなり、もう体中の肉がそぎ落とされているように見えた。
毎日の検査、薬の投薬、病院食での食事制限。
様々な要因が重なり確実に彼女は弱っていた。
それは精神面にも表れ、前よりも笑顔が自然なものではなくなっていた。
無理して作っているような笑顔、絞り出すように発生する明るい声。
限界が来るのも時間の問題だった。
「もう本読んだの?」
窓際のサイドテーブルに二、三冊積まれた文庫本を見つける。
この前瑠香に買ってきたものだった。
「はい、だって暇なんですから」
「またすぐ、新しいの買ってくるよ」
「ありがとうございます。圭太さんがいいと思ったのをどんどんお願いします」
瑠香は笑ってそう言ってくれる。
僕のおすすめでお願いしますと言い好みを教えてくれないのでとりあえず純文学風の恋愛小説を買ってきている。
好きなのか分からない、そんな本を瑠香はいつも笑顔で受け取ってくれて、来る度本は読み進められている。
まさか一週間で三冊読み尽くすとは思わなかったが。
それから他愛もない会話で笑いあう。
数時間後には忘れているような内容。
でも、そういう時間が何よりも楽しかった。
一時間という短い時間はあっという間に迎えそうになり、そろそろ退出の準備を始める。
「ユイちゃんは、今日もお留守番ですか?」
聞かれた瞬間僕は言葉に詰まった。
背中から冷たい汗が滴ってくる。
「うん。家で絵でも書いてるんじゃないかな?」
「じゃあ、早く帰ってあげないとですね」
瑠香は笑いかけ僕もなるべく明るく見えるよう振る舞った。
それじゃあ、と部屋を後にしようとするが僕はあと一歩のところで立ち止まった。
こんな嘘、つくべきじゃない。
僕は再び瑠香の方へ振り返り近くへ歩み寄った。
必死そうな様子に瑠香は少し動揺していた。
「瑠香、実は」
「やっぱり、そうなんですね」
僕が何か言う前に瑠香の声が僕を遮った。
これから話そうとしていることを理解しているように瑠香は僕を軽蔑するような目で見てきた。
「・・・分かっていたのか?」
「詳しいことは分かりません。でも、ユイちゃんと何かあった、それも只事ではないことも容易にあなたの反応から見て取れました。以前言ったでしょう。あなたは顔に出やすいんです」
違う、君が鋭すぎるんだ。
物事を見破る力が卓越している。
「説明、して頂けますよね?」
「・・・うん。実は」
僕は瑠香に身に起きた全てを語った。
新薬の研究、ユイの体内にある細胞を研究すれば瑠香の病気を治せるかもしれないこと。
話を進めていく内、瑠香の顔は曇っていった。
「それで、圭太さんはユイちゃんを行かせたんですか?研究者達の口車に乗せられて!ひどい!ひどすぎます!」
「僕だって何度も止めたよ。でも、ユイの覚悟は揺らぐことはなかった」
その時僕の頬に強い衝撃があった。
気づいたときには僕は床を見つめていてじりじりとした痛みがあった。
「バカ!それでも、意地でも止めるのが親の努めでしょう!最低・・・ですよ」
瑠香は僕を叩いた手を抑え顔を歪めた。
すぐに悔しそうに嗚咽を出し始めた。
「本当に、悪かったと思っている。でも、ユイの覚悟は本物だった。僕はそんなユイを信じてあげたかったんだ。研究がうまく行って、瑠香の病気が治って、ユイが無事に帰ってきて。そんな未来がきっと待っているって、信じたかったんだ」
僕の言葉は静かな部屋の中で反響しすぐに消えていく。
瑠香は何の反応も示すことはなかった。
しばらくして口をようやく開いてくれる。
「あなたのしたことはただの自己満足に過ぎません。誰も救われない、そんな道を選んだんです」
誰も救われない?
いや、そうじゃなくて。
僕はまた三人で一緒に過ごしたくて・・・。
「もう、来ないで下さい」
「・・・瑠香」
「出てって!」
激しい剣幕で叫び体を怒りで震わせていた。
やがてベッドに横になり僕には一目もくれなかった。
「・・・ごめん」
僕はおぼつかない足取りで部屋を後にした。
フラフラの状態で車に入り込み、そこでようやく感情を顕にした。
「あぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ハンドルに頭を叩きつけ叫んだ。
じゃあ一体どうすればよかったんだよ・・・。
みんなが救われる道なんて、どこにあったって言うんだよ。
頭を掻き毟りやるせない気持ちになる。
家に帰ってもユイはいない。
もう瑠香とも面会で話すことは許されないだろう。
僕は、どこへ行けばいいんだ。
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