第14話 少女のいない部屋
「どうぞー」
扉の向こうから軽快な声がきこえる。
自分でノックしておいて僕は扉を開けるのを躊躇ってしまう。
引き戸をゆっくりと開け部屋に入ると瑠香は驚いた様子でこちらを見た。
「もう、来てくれないのかと思いました」
「・・・ごめん」
瑠香が病気を告白した日から、一週間ぶりに病室に訪れていた。
「毎日来るべきだった。でも、君と会って、何を話したらいいのか分からなくて」
今だってそうだ。
ここからどう展開すればいいのか一つも分からない。
「私は、圭太さんと会えるだけでもすっごく嬉しいですよ?無理に話そうとしなくても、傍に居てくれるだけで十分なんですから」
「瑠香・・・」
こんな状況でも人を気遣えるなんて、瑠香はすごいと思った。
それに比べて僕は、自己保身に走ってばっかりだ。
ユイの時だって僕は、本当は自分が寂しかったから引き止めたんだ。
瑠香の病気だってもちろん気にかけていたけれど、一番は自分のために過ぎなかった。
「圭太さんひょっとして、またユイちゃんと喧嘩でもしました?」
瑠香は僕の顔を覗き訝しんでいた。
心の中を見抜かれたように僕は言葉に詰まる。
「やっぱり」
手の平で口を覆い、おかしそうに彼女は笑った。
「圭太さん、顔に出やすいから。分かりやすいですね」
「え、そうなの・・・?」
僕は自分の知らない一面に愕然とする。
その様子を見て瑠香はまた笑っていた。
「しっかりしていますけど、意外と鈍感なところがありますよね。でも、圭太さんのそういう所も、私は好きですよ」
「そ、そっか。ありがとう」
「また照れた顔しちゃってー」
「今のは、仕方ないだろ・・・」
この陽気な感じ、出会った時から変わらない明るい瑠香だ。
でも、以前の様に一人病室で泣いている姿が連想され素直に受け止めることができなくなっていた。
きっと、無理しているんだろう。
「今度は何で喧嘩したんですか?話、聞かせて下さい」
僕は視線を逸らす。
ここで全てを話したら、きっと瑠香は困窮する。
言えるわけがなかった。
仮に話したら、きっとユイを意地でも行かせないだろう。
自分の病気が治ると言われても、ユイの未来を最優先に考えてくれると思う。
瑠香を見殺しにするのか、ユイの未来を売るのか。
なんで、こんなにどうしようもない選択しかないんだ・・・!
「また、顔に出てますよ?」
瑠香の手が僕の頬に添えられる。
冷たくて柔らかい感触が伝わる。
「きっと優しいあなたのことだから、ユイちゃんを守ろうとして苦しんでいるんでしょう?ひょっとしたら、私の病気のことも関係あるのかもしれませんね。全部一人で背負い込んで、自分が傷つくことで他の人を守ろうとする。それが私から見るあなたの生き方です」
瑠香が微笑む。
心の中が見透かされているようで恥ずかしい気持ちになる。
「でも、それだけではなんとかならない問題だってあると思います。一人ではどうしようもできない、守ることができない状況が。そんな時、誰かを頼る、信じてあげることもきっと大切なんだと思います。ユイちゃんも思っているかもしれませんが、もっと私を信じてほしい。支えさせてほしい。もう一人で抱え込まないでほしい」
その時自分の弱さを言い当てられたような気がした。
ずっと一人だと思っていた、そんな冷め切った心に優しく温かく包みこんでもらえたような。
「圭太さん、いつか私に言いましたよね?自分は優しくないって。あの時多分、自己犠牲で他人を守るやり方は優しさじゃないって。そう言いたかったんですか?」
どこまで理解してくれているんだ、君は。
僕は首を縦に振る。
声を出せば、一緒に涙も落ちてしまいそうだったから。
「圭太さんはバカですよ。優しい優しくないを決めるのは本人ではなく、享受者です。圭太さんは優しいですよ。だってこんなに、幸せな気持ちにさせてくれたんですから」
瑠香はベッドから身を乗り出す。
気づけば瑠香の顔が目の前にあった。
「ユイちゃんと同じで、私もあなたのことが大好きなんですから」
口元に柔らかい感触があった。
何をされているのか理解するには数秒かかったが、ただ純粋に幸せだった。
愛しい感情がこみ上げてきて、こんなに自分を理解してくれる人が傍にいてくれること。
そして、いつか失われてしまうこと。
永遠が欲しいと、これ程願ったことはなかった。
ごめん、瑠香。
僕は、ユイを信じてみるよ。
「ではこちらにサインとご印鑑を」
影沼からボールペンを受け取る。
中々書き出すことができず、僕はユイを見る。
「ユイ、本当にいいんだね?」
ユイは首を縦に振る。
意を決し、必要書類を記載していく。
文字を埋めていく度ユイが遠くに離れていくような感覚がした。
約一年間、場合によってはそれ以上。
大学病院に行き研究の手伝いをする。
定期的にユイとの面談を設けてもらい、次に会えるのは一ヶ月後だった。
「必ず無事にユイさんをお返しします」
そんな言葉を掛けられても気休めにもならなかった。
きっとこの実験が上手くいって、ユイが元気に帰ってきて、瑠香の病気が治る。
絵に描いたような出過ぎた未来を信じて、ユイを送り出すのだ。
「それでは、またお伺いしますので。よろしくお願い致します」
不気味な笑みを浮かべ影沼達は部屋を後にする。
終始腹立たしい気持ちになったがあいつの研究を信じるしかなかった。
「・・・お兄ちゃん、ありがとう」
ユイは僕の様子を窺うように顔を覗かしてきた。
「頑張れよ」
それが限界だった。
他に何も言ってあげることはできない。
ユイの片手の上に重ねて置くように手を合わせる。
小さな手の平はすっぽりと僕の手の中に納まった。
一年間以上のお別れ、僕達が出会ってから今日までの二か月間よりも長いんだな。
出会った当初は考えられなかった。
君が僕の中でこんなにかけがえのない存在になるということを。
君は僕の世界を変えてくれた。
取り留めのない空虚な日々が流れるように過ぎていき、その中に漂流しているように生きる価値を見いだせなかったあの時の僕に、存在意義をくれたんだ。
いつか想像もできなかった未来を頭の中で描けるようになったよ。
いつもの狭いアパートの和室で僕は目を覚ます。
寝室を出ると一足先にユイが起きていて小さな声で挨拶してくれる。
キッチンには瑠香がいて僕達三人分の朝食を作ってくれて、僕達は忙しい朝の身支度を済ませる。
瑠香に見送られながら、僕とユイは部屋を後にする。
そこでの三人は終始笑顔が絶えなかった。
そんなありきたりな未来は、決してわがままではないはずだ。
それすら叶えることが危ういなんて。
僕達が一体何をしたというんだ。
「必ず、戻ってきてね。僕はいつまでも、この部屋で待っているから」
その日の夜は二人で特別なことをすることもなかった。
就寝時、ユイはまた僕の布団に潜り込んでくる。
胸にユイの頭の感触があり、僕は寝付くまで髪の毛を手櫛でとく。
やがて小さな寝息を立てると僕もいつしか眠りに落ちた。
朝、影沼達が迎えに来る。
ユイは丁寧に施しを受けながら黒いセダン車に乗せられる。
去り際影沼が何か言ったがそんなの耳に入ってこなかった。
込み上げてくる感情を押さえつけ、ユイを乗せた車が見えなくなるまで確認した。
積み上げてきた日々は過ごした日数分よりも得るものが濃かったが、別れる時は一瞬で呆気なかった。
階段を上がり、部屋に戻ると酷く違和感を覚えた。
リビングの窓際。
自然に目線がそちらに行き、そこにはもう誰も座っていない。
心にぽっかりと穴が開いたような感覚。
その穴の中に泥水の様な感情が流れ込んでくる。
染みて、苦しくて、締め付けられるように痛くて。
やがて僕はその場でしゃがみこみ嗚咽を漏らした。
いなくなった人の喪失は別れの瞬間ではない。
その後の生活、連想される思い出、どこにいても物足りない感情。
過ごした日々といない日々を比較し、失われた存在を実感していく。
喪失の連鎖は繰り返され、心に空いた穴は別のダボで埋めない限りいつまでも痛み続ける。
僕の日々は色を失い、また空虚なものへと戻っていった。
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