第13話 行かないで

 薄明るい帰路を歩き部屋の扉の前に立つ。

 シリンダーに合う鍵を探すが中々見つけることができなかった。

 頭が働かない。

 あの日から、瑠香とは会えていない。

 病気の事を告白される前は毎日通うつもりだったのだが、気づけば三日も経っていた。

 もう会いに行くことができないかもしれない。

 瑠香の怯えた顔が思い出される。

 僕は、何もしてあげることができない。

 会って、気休めの言葉を伝えることしかできない。

 どうしようもない現実に押し潰されていく。 

 ようやく鍵が見つかり玄関ドアを開錠する。

 中に入り、閉まっていくドアが何者かに掴まれた。


「お久しぶりです。逸木様」

 

 ドアの隙間からこちらを覗き込んでいたのは黒いスーツの男。

 特徴的な無精髭、後退した白髪。

 いつかここを訪ねてきた影沼だった。

 

「影沼さん・・・」


 ドアはさらに開かれ以前も一緒にいたボディーガードの様な男も後ろに佇んでいた。

 

「また、どうかされたんですか?あの時の件は、もうお断りしたはずですけど」


 影沼はまた不気味な薄ら笑いを浮かべる。

 営業スマイルのつもりなのか?

 だとしたら失敗だな。


「そう仰らずに。お話だけでも、お時間頂けませんか?」


「生憎、今の私にそんな余裕はありません。お願いです。これ以上来ないで下さい」


 僕が玄関ドアの取っ手を掴み引っ張ろうとした時だった。


「石田瑠香様の病気が治るかもしれない」


 閉めようとしたドアを止める。

 またゆっくりと開いていくと影沼はドアの隙間から僕の顔を真っ直ぐに見据えていた。


「逸木ユイ様は以前交通事故に合い、その際大学病院に入院することになりました。大腿部などを開放骨折し、右大腿部を切断するしかないと思われました」


 僕は影沼の言葉に固まる。

 交通事故?

 足を、切断?


「ですが、すぐに回復の傾向が見られたのです。結果的に切断はせず、今の通り五体満足の状態に至ります。傾向が見られた際、我々の方で少し逸木ユイ様の中で起こっている現象を調査させて頂きました。もちろん以前の親御様の許可を頂いて」


 あいつなら金目の物をちらつかされれば喜んでユイの体を実験材料に売っていただろう。

 どこまでも胸糞が悪い。


「結果、驚愕でしたよ。破損した傷口にチューブ状の筋肉の細胞が変化して新たな細胞に生まれ変わったのです。そうして筋肉の細胞を作り出して奇跡の回復力を見せたのです。正直信じられませんでしたよ。脱分化という現象です。人間の体に備わっているかまだ不明な点が多いですが、あの時逸木ユイ様の体にはそれに近い現象が起こっていました。これを探求すれば、日本の医学は大きく進歩します」


「ユイが、まさか・・・」


「石田瑠香様の症状は、感染源が入り込んだ際体内は防御反応を起こし炎症を引き起こします。上手く弱体化できなかった場合、それは刺激を和らげるために体内に異物を隔離する形になります。これが問題になるわけです。しかし隔離する前、除去の段階で対応できたらこの症状は完治することができるわけです。もしなにも施さなければ、不整脈を起こし、動悸や失神発作、心不全に至ります。即ち死です。現段階で直すことができなければ、最悪の未来が訪れることは間違いないでしょう」


 影沼は淡々と話していく。

 僕が想像していた最下の結末を、この男はなんの躊躇もなく展開してみせる。

 無性に腹立たしかった。


「しかしこれらに対応する新薬の開発は以前から始まっており完成は間近です。ただあと一歩、足りない」


「だからユイを渡して調べさせろと?できるかも分からない新薬の為に。ユイは、ようやくここでの生活に慣れてきたんだ。友達もできて、学校生活もうまくいっている。いろんな人に助けられながらユイなりに一生懸命生きている。まだまだこれからなんだ。その未来を、奪うことなんて誰にもできないはずだ」


「・・・失礼ですが、それはあなたの考えでしょう?」


 射抜くような目で影沼は僕を見てくる。

 不気味な笑顔もなくなり糾弾してくるように詰め寄ってくる。


「私共はまだ、逸木ユイ様の意見を聞いておりません。最終的な決定は、彼女自身にあるのではないですか?」


「話になりませんね。ユイはまだ小学生。未来を決める決断をするにはまだ荷が重すぎる。だからこそ、保護者である私がここで聞いているわけです」


 そう言い放つと、影沼は室内の階段の先を見上げていた。

 僕も同じ方向を向くとユイが階段の上で立ち尽くしていた。


「また、来ます」


 影沼は不敵に笑い、ユイを数秒間凝視する。

 そして部屋の外に出て玄関ドアを閉めていった。

 どこにもぶつけようのない嫌悪感だけが僕の心に溜まっていた。


「ユイ、聞いていたのか?」


「う、ん」


「そっか」


 僕は靴を脱ぎ階段を上っていく。

 ようやく部屋の中に入れる。

 ユイは何か言いたげに踊り場に立っていたが、僕は横を通り過ぎる。

 分かっている、何を言おうとしているのか。

 優しいユイなら、これから何をしようとしているかなんてすぐ察しが付く。

 僕は和室でスーツを脱ぎ、ネクタイをほどいていく。

 ひどく疲れ頭がボーとする。


「お兄ちゃん。私、行きたい」


 やっぱりな、と僕はユイを見る。

 まだ葛藤はあるが決心しているように見えた。


「ダメだ」


 だからといって、行かしていいはずがない。

 影沼の言うことには一理はある。

 最終的にはユイが決めること。

 でも、それは今じゃない。

 ある程度自分を理解できた上で判断できる段階でないと。

 今はまだ、幼い。

 ましてや研究所に引き渡して実験材料にさせるなんて保護者として見過ごせるわけがなかった。

 

「なんで?」


 ユイは引き下がらない。

 疑問を呈するように訝しむ。


「お姉ちゃんを、助けたくないの・・・?」


 助けたいに決まっている。

 でもだからって、ユイを犠牲にしていいはずがない。

 瑠香なら、絶対ユイを引き渡すことを許さないだろう。


「まだ治らないって決まったわけじゃない。ユイがあのおじさん達についていく必要はないんだ」


「・・・嘘」


 呟くような声が聞こえた。

 悲しみや、失望の念が詰まっているような。


「治らない、大変な病気だってことくらい、ユイにも分かるよ。どうして、そんな嘘つくの?どうして、お兄ちゃん・・・」


 ユイは詰め寄ってきて僕の袖を握った。

 純粋で、真っ直ぐで優しい瞳。

 何一つ汚れの無い、だからこそ僕を糾弾する残酷さをも兼ね揃えていた。

 僕は中腰になりユイと同じ高さの目線に合わせる。

  

「ユイが行けば、瑠香の病気は治るかもしれない。でも、ユイが犠牲になって助かっても、きっと瑠香は喜ばないと思う」


 その時ユイは視線を外した。

 酷だが、現状を理解させるには仕方のないことだった。

 ユイが行く、即ち犠牲になる。

 ユイがやろうとしていることはそういうことなのだ。


「・・・なら、お姉ちゃんが、死んでもいいの?ユイが、犠牲になるから。何もしないの?」


 ユイは怯え震えた声で僕に言う。

 僕は、ここで逃げるわけにはいかなかった。


「・・・あぁ」


「ひどいよ」


 ユイの頬に涙が伝った。

 きっと、どこまで話しても救われることはない。

 小さなひび割れは大きな亀裂になり、やがて僕達の関係が崩れてしまうかもしれない。

 

「私は、行くから。お兄ちゃんなんて、もう知らない」


 ユイは部屋を飛び出し階段を駆け下りていった。

 予測はできたのですぐに追いかける。

 僕も階段を降りユイのすぐ背後に着く。

 ユイが玄関ドアに手を掛け開けた瞬間だった。


「決心はつきましたか?逸木ユイ様?」


 影沼が不気味な笑みを浮かべ玄関前に立っていた。

 こいつ、ユイの姿を見つけた時から狙っていたのか。

 ユイは少し迷ったが、すぐに影沼に向き直る。


「・・・はい。連れて、行って下さい」


 その瞬間から、僕は蚊帳の外だった。

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