第11話 君の父親になれたのかな?
<着いたよ>
スマートフォンでメッセージを送るとすぐに既読がついた。
部屋のインターホンを鳴らしてもいいのだが、今日はなにもしていないのに汗が噴き出す程の炎天下。
僕はなるべくクーラーの効いた車の外にでたくなかった。
<ちょっと待ってて下さい!>
返信から数秒後、瑠香が共用階段から駆け降りてきた。
今日はベージュのコットンシャツに黒色のハイウエストスカートにレザーのトートーバッグを手にぶら下げていた。
落ち着いた服装で大人っぽく見えた。
笑顔で手を振って近づいてきて、助手席の扉が開かれる。
「お待たせしました!すみません時間かかっちゃいまして」
炎天下をものともしない元気な声が響く。
冷房の駆動音しか聞こえなかった車内は彼女の存在で満たされる。
「大丈夫、今来たところだよ」
「またまた圭太さん!定番のセリフを!」
「いや、ほんと数秒前に来たんだけど」
車を動かし細い道を進んでいく。
閑散とした商店街を奥に進んでいくと開けた場所に出る。
歩道橋の下をくぐって少し進むと目的地が見えてきた。
白いコンクリートの外壁で窓が均一の距離で設けられた建物。
ここはユイの通っている小学校だ。
今日は参観日で僕と瑠香はユイの授業姿を見に来た。
学校でのユイを見るのは初めての事だった。
「中に入るのすっごく久しぶりです!あぁ、懐かしい・・・」
瑠香はコンクリートの建物を羨望の眼差しで見つめる。
懐かしいって何の話だろう?
「え、瑠香はここの卒業生なの?」
「そうですよ、ずっと地元に住んでいますよ。言ってませんでしたっけ?」
「うん、初耳だね」
「まぁ話題にならないですよねー」
瑠香は手を組んでうーんと唸りながら前に伸ばす。
地元に根強い子なんだな。
「だとしたら実家はすぐ近くだよね?何で一人暮らししているの?」
「そうなんですよ。でも高校を卒業したら一人暮らしすることが我が家の方針で、なんでも社会勉強になるからだそうです。実家が楽だったんですけどねー」
「そっか。親御さんも思い切ったね・・・」
「いざとなればすぐ帰られるので寂しくはないんですけどね」
小学校の名前が記載された石柱と門を通り過ぎ敷地内に入っていく。
グラウンドは車で溢れており駐車スペースを探すのも一苦労だろう。
「ユイちゃんの参観日、楽しみですね。教室でのユイちゃん早く見てみたいです」
「確かに、僕も初めて見るな」
ユイがまた学校に登校し始めて数日経つが、以前と比べて学校の話を笑ってしてくれるようになった。
主に話に出てくるのは芽久ちゃんと千草ちゃんの事だ。
話す時のユイは本当に楽しそうだった。
あの子たちのおかげでユイはまた学校に行けるようになった。
本当に感謝しきれない。
学校ではあの子達と楽し気に話すユイを見てみたいな。
車から降り、事務室の受付へ向かう。
名前を記入後簡単な質疑応答に答えると名札とスリッパを頂き通してくれた。
ギシギシ鳴る廊下を進み四年二組の教室を目指す。
二階へ上がり四年生のエリアを見渡すと廊下にはスマートフォンをカメラ機能にして構えている大人たちで溢れていた。
今ではデジタルカメラを首掛けている人の方が珍しい。
我が子の貴重な学生生活の一部を垣間見たい。
そんな熱狂的な人だかりの隙間から教室内を見る。
ユイはすぐに見つけられた。
教室後ろの隅の所で複数の友達と集まって話している。
その中には芽久ちゃんと千草ちゃんの姿もあった。
見る限りユイは積極的に自分から話している様子はなく、聞き手に回って笑顔で相槌を打っていた。
それでも朗らかに笑うユイを見ていると楽しいんだなと気持ちが伝わってくるようだった。
ひとまず安心する。
僕と瑠香は室内の小窓の淵の所に陣取り教室内を見た。
ユイはまだ僕達に気付いていないようだ。
やがてチャイムが鳴り、先生が教室に入ってくる。
立ち話をしていた生徒達は慌てて席に座りすぐに号令が掛けられる。
「起立。気を付け、礼」
「「「お願いします」」」
みんな落ち着かないのかそわそわした様子で席についていた。
周囲を見渡し自分の家族を探す子、緊張して俯いたり違う方向を見ている子、普段通り変わらない様子で授業を受ける子。
ユイは机を眺めて顔が少し赤くなっており、緊張しているようだった。
知らない人が多い場所が苦手なんだろう。
授業は先生の明るい口調の元進行していく。
科目は道徳でテーマは家族への感謝の手紙だった。
参観日でよくやりそうなテーマだが、中々人を選ぶと思った。
多くの生徒はいわゆる普通の家庭で育ってきたのかもしれないが、中には人に言えない訳ありな家族や家族のいない子だっているかもしれない。
ユイもまさにそうだった。
劣悪な家庭環境から離れる為最近こちらへ転校し、まだ会って間もない男が親になり感謝の手紙を書かなくてはならない。
酷だと思った。
授業はテンポよく進んでいき前の子から順番に発表していく。
先生に名前を呼ばれたスポーツ刈りでサッカーウェアを着た男の子は元気のいい返事で立ち上がる。
「お父さん、いつもお仕事忙しいのに夜中にサッカーの練習一緒にしてくれてありがとう。お父さんのおかげでこの前試合に出て初めてシュートを決められました。お休みの日も僕とお母さんをいろんな場所に連れて行ってくれてありがとう。僕とお母さんの為に頑張ってくれるお父さんが大好きです」
はきはきとした張りのある声で発表していく。
僕の横で鼻をすする音が聞こえ、見てみると背の高くて細身の男性が早くも涙目になっていた。
この人があの子のお父さんだとすぐ周りにばれる。
赤の他人の僕でも知らない子の感謝の手紙を聞いているとなんだか胸が温かくなる。
それくらい純粋で思いのこもった手紙だった。
手紙は基本短い文章で発表されユイの出番はすぐに回ってきた。
ユイは体を震わせながら立ち上がり原稿は机に置いたまま手に取ることはなかった。
中々声を出さず立ち尽くしており周りが少し騒めく。
「逸木さん?どうしたの?大丈夫」
担任の先生が心配そうに声を掛ける。
それでもユイはしばらく固まっていた。
「わ、私は・・・書けませんでした。すみ、ません」
声を震わせながら言う。
ひどく落ち込んだ様子だった。
周囲も反応に困り場が凍り付いた。
僕が何か言ってあげようかと思い一歩前に踏み出した瞬間瑠香の手で進行を制された。
瑠香の方を向くと顔を左右に振った。
見守ってあげよう、そう言いたいのだろう。
でも、このまま立ち尽くしているのを見ているだけなんて可哀そうだ。
「・・・だから、今思った事を、そのまま伝えようと思います」
ユイは周囲を見渡し僕を見つけると向き直る。
少し微笑み口を小さく開く。
「お兄ちゃん、私の家族になってくれて、ありがとう」
その時、初めてユイと出会った夜の事を思い出した。
あの日は梅雨に入りして間もない酷い雨の日だった。
傘もささず、ずぶ濡れになった少女がベンチに座り込んでいた。
<お兄ちゃんが、私の家族になってくれるの?>
あれがユイとの始まりだった。
僕は、君の家族になれたのかな?
君の父親になれたのかな?
「お兄ちゃんに、出会う前、私は笑えませんでした。温かいご飯を、誰かと一緒に食べることもなかったです」
胸が締め付けられる思いがした。
ユイがまだあの父親と過ごしていた日々のこと。
絶対に許せないし、本当にユイが報われない。
「頭を、撫でてくれる人もいなかった。甘えられる人もいなかった。毎日殴られるのが、大声が怖くて部屋の隅で耳を塞いでいました」
僕は拳を強く握る。
あの親父・・・!
激しい悲憤が込み上げてくる。
瑠香が僕の手をそっと包んでくれた。
なだめる様に、僕は心を落ち着けることができた。
「ついに私は逃げて、お兄ちゃんと出会いました。お兄ちゃんといると温かい気持ちになる。温かいことをたくさんしてくれて、教えてくれました」
それは僕も同じだった。
ユイと出会う前、僕は蛇足の様に毎日を過ごしていた。
働いて、誰もいないアパートに帰って、明日にはまた働く。
その繰り返しで、まるで壊れるまで回り続ける歯車にでもなっているかのようだった。
ユイがいてくれる、瑠香が助けてくれる。
彼女たちの存在だけで生きる意味を見つけた感覚がした。
あれから、僕の心はどれだけ救われただろうか。
「お兄ちゃんがいる、お姉ちゃんがいる、学校に行けば友達がいる。いつも私は笑っています。お兄ちゃんのおかげで、私は幸せです。感謝してもしきれません」
ユイの声は段々途切れてきて涙色を帯びていく。
やがて頬に涙が伝い、掠れた声で言葉を出す。
「お兄ちゃん・・・大好き」
その瞬間教室の中に飛び込んだ。
すぐにユイに接近して力いっぱい抱きしめた。
「僕も大好きだよ。好きで好きでどうしようもないんだ」
ユイは嬉しそうに抱きしめ返す。
今まで不安だったけれど、僕はユイの家族になれていたんだと確信する。
だってこれだけ好きなんだから。
きっとこれからだって家族でいられると疑うことなく思った。
「あのー逸木さん?水を差すようですみませんが・・・」
呼ばれて声の方向を向くと先生が困った様子でこちらを見ていた。
どう話しかけていいか分からなかったのだろう、おどおどして目線が定まっていなかった。
僕はハッとして周りを見渡す。
自分が何をしたのかを理解し顔が熱くなる。
バカ、僕はなんて感情任せなことをしてしまったんだ。
穴があれば入りたいとはまさにこの状況のことだった。
「す、すみません。取り乱してしまって・・・」
誤魔化すように苦笑いすると周りも少し笑ってくれる。
とりあえず教室の外に出よう。
そう思った時誰かのすすり泣きが聞こえた。
声の方向を向くと、瑠香が泣いていた。
「よかった・・・」
涙を指で掬い嬉しそうに笑う。
「瑠香・・・」
まるで自分の事の様に喜んでくれている。
胸が熱くなり今度は瑠香の事を抱きしめたい気持ちになる。
なんとか自制心で堪え、僕はユイの頭を軽くなでる。
そして周囲に一礼し教室の外に出た。
参観日の空気を壊してしまったと思ったがその後他の子の発表になると親御さんの涙は付き物で終わる頃には僕の行き過ぎた行動は幸いにも印象を薄めていった。
その後は門の外でユイが出てくるのを待っていた。
「私達、ちょっと恥ずかしかったですね」
「だね・・・」
僕と瑠香は見つめ合い苦笑する。
感情に流されやすい所はお互いよく似ていると思った。
「でも、後悔はしていないよ」
思い出せばその場で叫び出したいくらい恥ずかしかったけれど、不思議と達成感を感じることができた。
きっと何一つ嘘のない、本心から出る行動だったからだろう。
「・・・さすがですね。圭太さんって、いつもは優しいですけど肝心な時は堂々としていますよね。頼りになるっていうか、ついつい甘えてしまいたくなるような・・・私、圭太さんのそういうところが」
「お兄ちゃん。お姉ちゃん」
ユイが僕のシャツを引っ張り微笑んでいた。
いつの間にそんなところに。
「ユイ、今日はよく頑張ったな。お兄ちゃん泣いちゃったよ」
笑い返し頭を撫でるとくすぐったそうにユイが目を細める。
「えへへ、お兄ちゃん。抱きしめてくれたね。私、忘れないから」
「う、うん。ありがとね」
温かいことをたくさんしてくれて、教えてくれた。
ユイの発表での言葉だ。
今僕も同じ、温かい気持ちで満たされていた。
「よし!今日はお姉ちゃん料理頑張っちゃうからね!いっぱい食べてね!ユイちゃん!」
「うん!ありがと」
瑠香が板前の様に腕を組んで鼻息を鳴らす。
これは楽しみだ。
「よし、帰るか」
僕達三人は手を繋いで車の方向へと歩いていく。
眩しい日差しが照らすグラウンドは光の道でも歩いているようだった。
この時、間違いなく幸せだった。
永遠に続けばどんなによかっただろう。
それはきっと尊くて元々手に入れられないもので、僕達は淡い幸せの中に魅せられていただけだったんだ。
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