第10話 自分自身を大切にしろ
たまには飲みに付き合えよ。
仕事の合間津藤さんに肩を叩かれ誘われた。
この人は週末になるといろんな人を誘っては夜の街へ遊びに行く。
僕は最近ユイの事もあるし、なにより飲み会の雰囲気についていけずそういう場は最低限避けてきた。
今日もそうするつもりだったのだが、今回ばかりは断りずらかった。
何をそんなに飲みたがっているのか知らないが、もうこの一週間で二回は僕の元に来て誘ってきている。
いつもは一回断れば違う人に目移りして代わりの誰かと飲みに行きそれで終わる流れだったのだが。
今回は僕を執念深く追い回して誘ってきた。
さすがの僕も一週間に三回も連続して断る事はできなかった。
良くも悪くも津藤さんは会社における僕の教育担当。
ここまで育ててくれた御恩があった。
人間性はともかく、こういう仕事以外で話す機会もたまには大切なんだろう。
ユイは瑠香に見てもらい僕は家に帰らずそのまま津藤さんと夜の街へ出かける。
会社を出るとき、意外だと思った。
津藤さんは毎回多くの輩を連れていろんな店で引っ切りなしに暴れまわる人だ。
現に新人の歓迎会や忘年会の時なんか凄惨なものだった。
しかし、今電車に乗って揺られているのは僕と津藤さんの二人。
他の社員がついてくる事は無かった。
いったい何を考えているんだ?
津藤さんの考えが全く読めなかった。
地下鉄を降り、地上へと上がる階段を上っていくとけたましい位のネオンの光が目を刺激してきた。
閑散としている昼間に対し夜になると多くの人間がごった返し遊び人のユートピアを作り出していた。
スーツ姿のサラリーマンが浮き立ち、色とりどりな髪色に染めた陽気な大学生、今晩どうですかとひっかけてくるお兄さんに建物の路地で寝っ転がっている人。
実にいろんな人間が集まり、だからこそ僕は受け付け難かった。
人の感情が混在し、歓楽街は歪んだ愚者の楽園の様に見える。
「逸木、好きな店は入れ。今日は俺の奢りだからよ」
ここまであまり言葉を発さなかった津藤さんは陽気な様子で話しかけてくる。
ガングロ卵の様な頭を掻き気さくに笑う。
「え、いや悪いですって」
「バーカ。こういう時は乗っかときゃいいんだよ。先輩の顔を立てる意味でもな」
僕の背中を手の平で叩き前に押し出される。
「じゃあ、お言葉に甘えさせて頂きます」
渋々僕が選んだのは海鮮系の飲食店だ。
木の引き戸を開けると一番に提灯が目に入った。
タイルの床で敷かれた通路沿いの側面に天井から吊り下げられており商店街のお祭りを連想させた。
上は赤い花柄の着物、下は紺色の袴を着た線の細い店員が受付をしてくれた。
通路を歩くと開けた場所に出て、高さがバラバラに吊り下げられた先ほどの提灯と天井に埋められた電球色のダウンライト、そして祭りで担がれそうな大きなおみこしが天井に吊られていた。
おみこしの下にはペンダントライトのようなものも装飾されておりインテリアがとにかく自由だった。
四人席用のテーブルに案内され僕と津藤さんは向かい合って座る。
とりあえず生ビールを二つと料理は刺身の盛り合わせを頼んだ。
津藤さんは未だに口を開かなかった。
何か考え込んだ顔をし、よく頭を掻いていた。
ビールが机に置かれるとおっ!と嬉しそうにジョッキを手に取る。
僕も続いて手に取り、久しぶりに視線を合わせる。
「ほんじゃ、今日もお疲れ。かんぱぁい!」
張りのある声が発声され勢いよくグラスがぶつけられる。
津藤さんはグイグイお酒を流し込んでいき僕は一口二口飲むとグラスを口から離した。
津藤さんのグラスが置かれた時にはもう半分より下の量しか残っていなかった。
やっぱりとんでもないな・・・この人。
そう思った後、津藤さんはニッと笑う。
「逸木、彼女とはどうなんだ?」
は?と思わず口に出そうになった。
彼女・・・以前津藤さんが一人で勘違いして話が進んでいったあの件か?
「ですからいないですって。前否定したじゃないですか」
僕ははっきりと言い切るが、津藤さんはおかしそうに手で自分の顔を覆い隠し笑いをこらえていた。
「俺の目は騙せないぜ。自分の恋愛はともかく、他人の恋路に口を出すことは百戦錬磨だからな」
「津藤さん、それだとエロ親父みたいに聞こえますよ」
「へっ!構うもんかい!そうだな・・・彼女がいないとしても近くにそれらしい女性は確かにいるはずだ」
「なんでそう思うんですか?」
「いや、だって毎回休憩時間ニヤけながらスマホいじってんじゃねぇか。あんなに感情を表に出すなんてお前らしくもない。きっとなんかとんでもないことが起こってんだろうなとは誰でも感じ取れたと思うぜ」
「ニヤけ・・・まさかそんな。恥ずかしいですね・・・」
「ハッ!ハッ!ハッ!」
津藤さんは高笑いをして店中に轟かせる。
僕は羞恥心を紛らわすためにお酒を口に含んだ。
「まぁなんにせよ。大切にしろよ」
そう言って津藤さんはビールをまた口の中へ流し込みグラスは早くも空になった。
僕は彼女達を、大切にできているんだろうか。
今は我ながら良好な関係を築けているとは思うけど、いつかその関係が終わってしまうとしたら。
ユイと瑠香のことが心の中で大きくなっていく内に失う恐怖も同時に大きくなっていった。
失いたくない、今のままでいたいと、その瞬間が来てもいないのに思わず考えてしまう。
「今お前が何考えたか当ててやろうか?」
さっきの高笑いから一変して真剣な表情で僕を見据える。
細い目は鋭く真っ直ぐに僕を捉えていた。
その雰囲気に思わず唾を飲み込んだ。
「大切な人を失いたくないってとこか・・・図星か?」
「・・・何で分かったんですか」
「昔の俺がそんなこと考えてた時、鏡に映る自分が同じ顔してたからよ」
やっぱりなと得意げに少し笑った後下に俯いた。
空っぽになったグラスを見つめている。
「お前を見ているとな、若い頃の俺を思い出すんだよ。性格云々の話じゃなくて、心理的でスピリチュアルな話だ。お酒を飲んで遊び回ればその時は快楽を得られる。でもそれは一過性のものに過ぎない。その時間が過ぎた後、一人になった時。急に寂しくなって孤独な気持ちになる。そして得体のしれない恐怖に襲われるんだ。あの幸せを失った時、俺はどうなるのか。幸せと言える時間は無くなってしまうんじゃないか。突き詰めれば、果たしてあの行為を繰り返すことで本当に満足できる日は来るのだろうかって」
僕は黙って津藤さんの話を聞く。
普段の彼の口から発せられている言葉とは考えられない、後悔の念を感じる話だ。
でも、ずっと違う種類の人だと思っていたのに対し、初めて共通する部分を見つけることができたと思った。
津藤さんの話は、少なからず共感できる部分があった。
「あの時の俺は幸せってやつにずっと翻弄されていたんだと思う。求め続けるうちに本質を失って、何がしたいのか自分でも分からなくなって。人生で一番の幸せを掴むことができたにも関わらず、俺はそいつを手放しちまった」
分からない。
目の前にいる津藤昭は、僕の知っている津藤昭ではなかった。
どっちが本物で、本心なのか。
何故僕にこんな話をするのか。
分からなかった。
「おっと。変な話を聞かせちまったな。昔から悪い癖でな。話し始めるといろんな
言葉がポンポン頭に浮かんできて、それを全部伝えようとするから話の脱線が止まらないんだな。すまん」
乾いた笑いをして空っぽのグラスをまた見つめる。
「新しいの注文、しましょうか?」
「あぁ、頼む」
目の前を通りかかった店員さんに声を掛けまたビールを注文する。
オーダーを終えようとすると津藤さんが僕の分も勝手に頼んだ。
「俺がさっき言った大切にしろよっていうのは、別にお前の知り合いだけに対して言ったわけじゃねぇんだ。一番は、自分自身を大切にしろ。多分お前は俺と同じ、抱え込むタイプの性格だ。そういう奴は戒め持ってんのと同じだ。自分の将来を軽視に見がちだ。相談しろよって言いたいけど、きっとお前は誰にも本当の悩みを打ち明けてくれないんだろうな」
的を射抜かれているようで、少し違う。
確かに僕が本心の悩みを誰かに打ち明けるなんて考えられない。
でも、その本心というものをよく理解していないから相談のしようもないのだ。
「別れた家族をよく思い出すよ。俺にも息子がいてな。多分今のお前くらいの年齢になるんだろうな。もう二十年も会ってねぇけど、お前が息子に見えていけねぇや」
確かに、親子みたいだなと周りから言われることはある。
似ても似つかないが、年齢的な意味で言われているのだろう。
それでも会社で津藤さんが気持ちよく接してくれるのは、そういう連想された気持ちがあるからなのかもしれない。
「最近お前と二人で飲みに行こうとしていたのは、息子を持った親父ならだれでも夢に見る、親子でお酒を飲むという願いを満たすために誘った。そう言ったら笑うか?」
「いいえ。笑いませんよ。もし自分でよろしければ・・・月一ペース位ならお付き合いしますよ」
「へっ、言ったな。絶対付き合えよ?」
「お手柔らかに」
それからの会話は比較的平和に終わったと思う。
調子がでてきた津藤さんは流暢に会話を展開し僕は相槌を入れ時々自分の意見を絡めたりした。
総括すれば津藤さんのおしゃべり大会だったが、それでこそ彼らしいとも思った。
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