第7話 再出発
優しさとはなんなんだろう。
かつての彼女に拒絶された日から、僕は自分の信じる正しさに自信が持てなくなっていた。
誰かが争い合うくらいなら。
怒り、悲しみ、傷つく姿を見るくらいなら。
僕自身が誰かの痛みを被ってその場が収まればいいと思っていた。
自己犠牲の精神。
誰も損をしないし、僕自身も気にしなければ何とも思わない。
そんな生き方を物心ついた頃からあの日まで続けてきた。
だからこそ、あの時は僕の人生観を全て否定されたような気がして、でも言い返すことはできなくて。
多分納得できたんだろう。
独りよがりというその言葉が。
言葉で表してしまえば簡単な事なのだ。
信じていた自分の中の柱を一部失った僕は不安定な状態で立ち続ける。
「圭太は本当に優しいね!私も見習わなくちゃ!」
付き合っていた当時の彼女の言葉が思い出される。
あれも全て嘘だったのだろうか。
<ピンポーン>
どこからか電子音が聞こえる。
その直後視界がぐらぐら揺れた。
「お兄ちゃん、起きて・・・誰か来た・・・!」
なんだ、ユイか。
どこにいるんだ?
世界が微睡んで暗闇の中に身を預けたくなってしまう。
あぁ、落ちる。
僕の意識は奈落の底へと落下していった。
「・・・痛っい!!!」
頭に衝撃が走り部屋の床をのたうち回った。
違和感を感じ鼻に手を添えると血が垂れていた。
「え?ユイ?あれ」
「ごめん、やり過ぎた・・・」
ユイは申し訳なさそうな顔で手に持っているスケッチブックを後ろに隠した。
まだ視界が安定しない。
そうか、ここは自分の部屋であの電子音は誰かが・・・。
ティッシュで鼻の血を拭き取った後室内階段を降りていく。
玄関ドアを開けると眼下に少女が二人立っていた。
似た目から見て小学生、ユイと同じくらいの子だろうか。
一人は薄目で赤色のパーカーと白いひらひらのスカートを纏い、髪は首筋まで伸びたショートカットで少し茶髪に近い色だ。
おっとりとした似た目でなんとなく人当たりが優しそうな子に感じた。
もう一人は赤と黒のチェックシャツに黒のスキニーパンツを着て、まっすぐに伸びた黒髪は肩甲骨の辺りまで伸びきめ細やかでサラサラな髪質だ。
ぱっちりとした目と少し頬が上がっている為いつでもニコニコしていそうな明るいイメージを思わせた。
「こんにちわ。どうしたのかな?」
腰を下げ少女たちと同じ目線に合わせる。
赤と黒のチェックシャツを着た少女が微笑む。
「ユイちゃんいますか?私達、遊びに来たんです!」
「ユイと同じ学校の子?」
「はい!同じクラスです!」
僕はユイを呼びに階段を上がる。
部屋の中を覗くとユイは床で体育座りでまとまっていた。
声が聞こえたのか、緊張した様子だった。
「ユイ、同じクラスの子が来てるけど。降りる?」
ユイは首を縦にも横にも降らない。
普段なら何らかの意思表示をしてくれるのだが。
「・・・降りる」
数秒の思案の末、ユイは渋々立ち上がり階段を降りていく。
「あ!ユイちゃん久しぶり!」
「元気だった?」
姿を捉え次第二人は話しかける。
ユイは緊張した様子で手すりを持ち階段を完全には下りなかった。
「・・・どうしたの?二人共?」
振り絞るような声を発する。
チェックシャツの少女が答える。
「私達、ユイちゃんと友達になりたくて来たの」
ユイは目を見開く。
思考が追い付かないのか、押し黙り場が沈黙する。
「・・・何で?私なんかと」
ようやくユイは言葉を言った。
「私もね、転校生だったんだ」
チェックシャツの少女は先程の明るい様子から一変し真剣な顔つきで語る。
「親の都合で聞いたこともない地へ引っ越し。教室に入ればもうみんな決まった友達ができていて一人の私はただ黙って席に座ることしかできなかった。あんなに人がいるのに、私は誰一人話すことができなかった」
まるでユイと同じ境遇だった。
そうした圧迫感や疎外感は実際に受けた彼女たちにしか分からない。
「そんな時、この子が話しかけてくれたんだ。友達になろうって言ってくれて。私は泣きそうになる位嬉しかった」
「芽久、泣いてたよ?」
もう一人の少女が柔らかな表情で笑う。
「う、うるさいな・・・もう。とにかく!」
咳を払って声を整える。
そして真っ直ぐにユイを見つめた。
「何度でも言うわ。私はあなたと友達になりたい。あなたの今の気持ち、私には痛い位分かるつもりだから・・・友達に、なってくれないかな?」
ユイと芽久と呼ばれた少女はしばらく見つめ合う。
みんなユイの答えを待っていた。
「・・・本当に、私なんかでいいの?」
「うん!ユイじゃないとダメ。私だって、誰でもいいわけじゃないんだよ?」
赤色のパーカーを着た茶髪の女の子はユイの前にゆっくりと手を伸ばした。
「私からもお願い、ユイちゃん。きっといいお友達になれると思うんだ」
ユイは階段をゆっくりと降り少女達に近づいていく。
震える手を伸ばし差し出された手を取る。
触れた瞬間少女二人は嬉しそうに顔を見つめ合った。
「ありがとう!ユイちゃん!これからよろしくね!」
「よろしく!ユイちゃん!」
二人はユイを引き寄せて抱き着いた。
ユイが少し苦しそうに手をあたふたさせている。
「じゃあユイちゃん!遊びに行こっ!」
「友達記念だよ?」
二人に誘われユイは嬉しそうにしていたが少し迷っていた。
「でも・・・」
階段上の部屋から顔を出して眺めている僕を見てきた。
申し訳なさそうな様子で迷っているようだ。
「いいよ、行ってきな。ユイ。でも、五時までには帰ってくるんだぞ?」
「・・・うん」
ユイは靴を履きドアの外に出る。
本当は僕もついていきたいけど、同年代の子だけで外に出るのも大切な事だと思う。
きっとこれはユイの成長に繋がると思うから。
心配な気持ちを抑え、見送りに徹することにした。
「いって、きます・・・」
「うん。いってらっしゃい」
玄関ドアがゆっくりと閉められ、直後静寂が訪れる。
唐突な来訪者で驚いたが、いい子達そうでよかった。
自分が助けてもらったから自分も誰かを助ける。
そんな子がいるなんて思いもしなかった。
真っ直ぐで純粋な目。
あんな時期が僕にもあっただろうか。
ずっと変わらないでほしいな。
「さて、掃除でもするか」
普段仕事に出っぱなしのせいで家回りの事が一切できていない。
見える汚れなどはユイが掃除してくれているが、さすがに細かいところまでは難しい。
エアコンのフィルターやキッチン排水トラップの掃除、レンジフードの分解洗浄など思いつく限りの清掃を行ってみよう。
その時だった。
<ピンポーン>
また来訪者を伝える電子音が通知した。
掃除を中断し玄関へ向かう。
開けるとそこには黒スーツを着た二人組が立っていた。
一人は黒の短髪でサングラスをかけいかにも用心棒のようなガタイの男。
もう一人はぼさぼさの白髪を生やし前髪は後退しおでこが露出していた。
無精髭を生やしフチなしの丸眼鏡をかけた五十代くらいのおじさんだ。
「どうもこんにちわ。逸木様のお宅でよろしかったでしょうか?」
無精髭を生やしたおじさんはにこっとガタガタの歯を見せ微笑んだ。
訪問営業か何かだろうか?
「そうですけど、どうかされましたか?」
「いえ、少しお伺いしたいんですけれども、逸木ユイ様はいらっしゃいますかね?」
「その前に、あなたたちはどちらの方ですか?」
「おっと・・・これは失敬」
おじさんは胸ポケットから名刺を取り出し僕に差し出す。
受け取り記載内容を確認する。
「大学病院・・・?」
それは少し離れた大学病院の研究センターだった。
部署と役職などが小さく記載され、影沼博之と書かれていた。
「影沼さん・・・わざわざ遠くから、どうかされたんですか?」
「えぇ、逸木ユイ様に関してお話が・・・率直に申し上げます。逸木様」
影沼は気味の悪い笑顔から真剣な顔つきになる。
「逸木ユイ様をこちらへ引き渡してもらえませんか?これからの・・・未来の為に必要な事なんです」
その言葉の後沈黙が流れる。
この男は突然何を言っているんだ。
「お断りします。何の為か知りませんが、ユイを渡すつもりはありません・・・話は以上ですか?」
僕が扉を閉めようとした時ガタイのいいもう一人の男が扉を押さえた。
もの凄い力で引っ張ってもビクともしなかった。
「それ以上ここにいるなら警察を呼びますよ?」
「逸木様、お話だけでも聞いて頂けませんか!?」
「あなた達にユイを渡すつもりはありません。これ以上は不毛でしょう」
「今この国では、治療不可能な病気が数多く存在します!ユイさんの体を研究すれば、今まで治療不可能だと思われていた病気の解明が進展するのです!未来の医療の為に、どうかお願いします!」
「お引き取り下さい!」
僕は冷たく言い放つ。
まったく話にならない。
聞く耳を持たないことを察したのか、押さえていた玄関ドアが離される。
「また来ます・・・」
締め切る間際に影沼はそう言った。
ドアが閉まると上下の鍵をしっかりと施錠する。
まったく、なんだったんだ・・・。
詐欺グループか何かだろうか。
未来の医療がなんだか知らないが、ようやくここにきて初めて同じ学年の子と出掛けることができたんだ。
ユイはこれから新しい地で少しずつ頑張っていかなくちゃいけない。
そんな中また知らない人達に引き渡そうなんて、どうかしている。
浴室の清掃をしている途中、部屋に電子音が鳴り響いた。
僕は部屋のソファに座り微睡んでおり音でふと目が覚めた。
あいつら、また来たのか・・・?
立ち上がり慎重に階段を降りていく。
アイスコープをそっと覗く。
誰も映っていない。
悪戯か?
鍵を開け玄関ドアを開けると眼下にユイが立ち尽くしていた。
「あ、ユイ。ごめん、早かったんだね」
「もう、五時・・・なるよ」
その時五時を知らせる音楽が町中のスピーカーから鳴り響く。
もうそんな時間か。
「ごめん鍵かけてて、さぁ。入って」
「うん」
ユイは玄関で座り込み靴を脱ぐ。
昼間に来た男達が頭をよぎり、念の為聞いてみる。
「ユイ、今日変な男達と会わなかったか?」
「なんの、話?」
「いや、心当たりがないならいいんだ。ただ最近怪しい人が多いらしいから。外に出るときは気を付けてね」
「・・・うん」
懐疑的な顔で見られたがすぐ上がっていった。
足取りが軽いことから上機嫌そうだ。
僕も上に上がりソファに座っているユイの隣に腰を落ち着ける。
「どうだった?芽久ちゃん達と楽しかった?」
「うん。いろんなお遊びを教えてくれて、楽しかった」
「そっか。よかったな」
僕は笑い、ユイの頭を撫でる。
くすぐったそうにしてまだ何か言いたそうだった。
「それでね、誘われたんだ。明日から学校、一緒に行かないって」
「ユイはなんて答えたんだ?」
「なにも、返事できなかった・・・でも、朝一応迎えに来てくれるって」
そんなことまで言ってくれたのか。
一応、という所が強制力をあまり感じさせず本当に言葉を選んで誘ってくれたんだと思う。
これを期にユイがまた学校に行けるようになれば本当に喜ばしいことだ。
「そっか・・・」
ユイは僕の顔を覗き込むように見る。
「お兄ちゃんは、どうしたら・・・いいと思う?」
「それは・・・一番はもちろんユイがどうしたいかだけど。僕としては元気な姿で学校に行くユイを見てみたいけど・・・」
まだ迷っているようだ。
でも、僕の言葉を拒絶して家出した時と比べたらだいぶ受け答えが柔らかくなっている。
芽久ちゃん達のおかげでだいぶ緩和されたんだろう。
「でも、芽久ちゃん達みたいなクラスメイトは大切にするべきだと思うよ。中々そう言ってくれる人って実は少ないんだ。だから、今後ユイにとって大切な存在になるかもしれない」
今夜ゆっくり考えればいいとユイの頭を撫で続ける。
先行きが見えずきっと不安なんだろう。
僕なんかより芽久ちゃんの方が、その気持ちは分かると思う。
なんとか乗り越えてほしいな。
その後のユイは食事の時もテレビを見ているときもふとした時にボーとして固まっていた。
悩んでいるときは早く寝たらいいよといつもより早く床に就かせるとすぐに寝息を立てて眠った。
頑張れよと、心の中で呟き戸を閉める。
そうして一日は流れ、朝が訪れた。
僕は朝食をローテーブルで食べ、向かいにはユイも座っていた。
目が覚めた時にはユイは既に起きていて朝ごはんを作って待ってくれていた。
つい数週間前までそうしてくれていたのだが、なんだかとても久しぶりのように感じた。
朝ごはん、身支度、着替え等の準備が終わり僕が洗い物をしているとピンポーンと来訪の音が響いた。
宣言通り、芽久ちゃん達が来たらしい。
ユイは赤いランドセルを背負って僕を見る。
「お兄ちゃん・・・いってくるね」
緊張しているのか、いつものたどたどしい口調が更に震えていた。
僕は流しを止め手の水を拭きユイの肩を優しく叩く。
「いってらっしゃい」
僕は玄関先まで見送り、ユイは芽久ちゃん達と何かを話しながら学校へ向かっていった。
ユイの再出発。
学校にいるユイに対して僕は何もしてあげられないけど、ユイと周囲の人達を信じる他なかった。
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