第6話 どんなに幸せなんだろう

「おい!逸木!コードはっ!?」


「大丈夫です!復旧しましょう!」


 僕は素早くパソコンを操作し手を離す。

 後の人たちも天命に任せていた。

 他のデスクは鳴り響く固定電話の対応に追われパンク寸前だった。

 数分してデスクトップのタブを開き更新ボタンを押す。

 ホームページは無事に表示され操作上も問題なさそうだった。

 

「はぁー・・・」


 修正作業にかかったチームはそれぞれ安堵する。

 僕もデスクチェアに深く寄りかかった後すぐに修正が完了した旨を社内ホームページに載せる。

 朝から散々だ。

 発注依頼をかける社内アプリが正常に動作せずクレームが殺到していた。

 出社した者から早急に取り掛かり二時間を経て直すことができた。

 効率向上の為にIT化IT化と世の中は言うが、こうしたアプリ一つ動かなくなれば仕事が滞る状態になるのであればこのまま促進していくのも考え物ではないかと感じてしまう。

 胸を撫でおろしているのも束の間、普段行うはずであった通常業務をこれから処理しなくてはならない。

 一難去ってまた一難、結局マイナスからゼロに戻っただけなのだ。

 今日は部屋に帰れそうじゃない。

 ユイに事前に連絡しておこうと思った。


<ごめん、今日は帰れそうにない。夕飯とお風呂、一人で大丈夫そう?>


 そこまで打って送信せずに戸惑った。

 やっぱり危険だ・・・料理にしても冷蔵庫から高い位置の物を取る時無理な姿勢で怪我をしてしまうかもしれないし、火の物を扱った際火傷をしてしまうかもしれない。

 いくら料理が得意と言えどやっぱり心配だし、できれば料理をさせたくないというのが僕の本音だった。

 そもそも夜中に女子小学生を部屋で一人きりにするのは危険すぎる。

 残業して毎日二十二時頃に帰っておいて危惧するには今更な気はするが、せめて深夜帯は一人にさせたくなかった。

 何とかならないだろうかと思った時、瑠香が頭に浮かんだ。

 助けてもらえないだろうか。

 僕は瑠香の携帯に連絡し、すぐに彼女は出てくれた。


「もしもし、圭太さん?どうかされました?」


 電話越しに聞こえる彼女の快活な声は僕が抱いている不安を瞬間的に忘れさせてくれた。

 

「瑠香、ごめん。一つ相談があるんだけど・・・今いいかな?」


「うん!どうぞ!」


「実は今日帰れそうになくて、代わりにユイを見てくれないかなと思って・・・。夕飯を作らせるのもなんだか危なっかしいから、簡単なものでも持って言って欲しいんだ・・・ダメかな?」


「ううん!分かりました!じゃあ今日は圭太さんの部屋に泊ってもいいんですか?」


「もちろん、頼まれてくれる?」


「はい!頼まれました!じゃあ今日はユイちゃんと女子会ですね!楽しみだなぁ」


 嬉しそうな様子で話してくれる。

 本当に感じのいい子だ。


「ごめん!本当にありがとう、お礼は必ずするから」


「そんなのいいですよぉ。あ、それなら一ついいですか?」


「うん、なんでも言って」


 少し無言の間ができる。

 考えている様子だった。


「じゃあ、圭太さんとユイちゃんと三人でどこかへお出掛けしたいです!いいですか?」


「もちろん、いいよ」


「おっけいです!じゃあ、夕方の五時には部屋に行くので、ユイちゃんに伝えてもらえます?」


「うん、よろしくね」


「はーい!」


 和やかな様子で電話を終える。

 ユイに旨を伝えるメールを送り、すぐに分かったと返信が来る。

 胸を撫でおろした。

 本当に瑠香がいてくれてよかったと思った。


「なんだー逸木!彼女かぁ?熱いのはいいけど仕事は大丈夫かぁ?」


 四十後半位の先輩が笑いながら仕事を催促してくる。

 気づけば休憩している人は一人もいなくなっていた。


「彼女じゃないですよ。すみません、すぐ再開します」


 また荒波の中に飛び込み多忙な業務に追われた。

 そうして帰宅できたのは次の日の夜だった。

 仕事を怒涛の如く片づけたおかげで十八時には部屋に着くことができた。

 

「ただいま・・・」


 僕は振り絞るような挨拶をした後玄関前に倒れこんだ。

 あぁ、疲れた。

 休みたい。

 それしか考えられなかった。

 ずっとそうしていると僕の頭を誰かが撫でてくれた。

 とても心地よくて、このまま眠ってしまいそうだった。

 転寝しそうになるのをこらえ僕は体をゆっくりと起こしていく。


「お疲れですね。圭太さん」


 瑠香が愉し気に笑っていた。

 え?と僕は固まってしまう。


「瑠香?どうして・・・」


「うーん、ユイちゃんと居たら楽しくてつい。こんな時間になっちゃいましたね」


 彼女は悪戯に笑い、リビングを見てみると複数の絵の描かれた紙やトランプにDVDと遊ぶ道具で溢れていた。

 全て瑠香が準備してくれたのだろう。

 ユイも楽し気にテレビを見ていた。


「ありがとう、瑠香。ユイもすごく楽しんだみたいで」


「ううん!私もすごく楽しかった!ほんとユイちゃんかわいいんですから!」


 彼女の朗らかな声が部屋中に響き渡る。

 ユイはテレビに集中して気づいていなかったのか、僕の方を見て少し驚いていた。


「おかえり・・・お兄ちゃん」


「うん。ただいま」


 ユイの頭にポンポンと手を乗せるとくすぐったそうに笑う。

 年頃の少女が見せる純粋な笑顔だった。


「夕飯できましたから!ほら、圭太さん早く着替えて手を洗ってください!」


 ミトンをつけた瑠香に背中を押され部屋の中へ入れられる。

 

「ご、ごめん、昨日から作ってもらって。悪いね・・・でも、おいしそうな匂いだ」


 その匂いに思わずお腹が締め付けられる。

 僕はすぐに準備をして机に向かう。

 用意されていたのはネギと大根とジャガイモが入ったお味噌汁にマカロニサラダとたっぷりの豚肉に卵が乗せられそこにインゲン豆とガリが添えられた豚玉丼。

 どれもできたてで湯気が立っており食欲をそそった。

 

「圭太さん、すごく食べたそうな顔してますね」


 瑠香は少し意地悪をしてくるような口調で言う。


「お姉ちゃん、お腹空いた・・・」


「あぁ、ごめんね!それじゃ、食べましょうか」


 瑠香は手を合わせ、それに倣って僕とユイも手を合わせる。


「「「頂きます」」」


 僕は豚玉丼を掻き込み、ユイはマカロニサラダを少しずつ食べていく。

 瑠香はその様子を探るように見ていた。


「おいしいな。前のクッキーもだけど、瑠香は料理が上手いよね」


 力を失くしたヒョロヒョロの体にエネルギーが漲るような感覚に包まれた。

 纏っていた気怠さが解消されていく。


「昨日の料理もすごくおいしかった・・・今日も、おいしい・・・」


 ユイも嬉しそうに食べている。

 僕にとってご飯は生きる上での材料に過ぎないと思っていたが、こうして食べることで笑顔になると料理の本質はそこにあるのではないかと思ってしまう。

 

「二人とも、大げさなんですから。でもすごく嬉しいです。安心しました」

 

 瑠香は安堵したのか胸を撫でおろし、料理に手をつけていく。


「やっぱりご飯は、大勢で食べた方がおいしいですね」


 そう言って照れ臭そうに笑う瑠香。

 なんだか温かみに溢れて、毎日こんな日々を送れたらどんなに幸せなんだろうと思う。

 夕飯が終わった後僕と瑠香で洗い物をする。

 さすがに洗い物くらいと言ったが手伝わせてほしいと引かなかった。

 

「またこうして呼んで下さいね?いつでも作りに来ますから」


 綻ばせて彼女は言う。

 でも・・・と僕は反射的に繋げてしまう。

 そんな言葉を察したのか、彼女は被せるように声を発した。


「遠慮しないで下さい。私は親になったことがないので分からないですけど、子育ては一人では中々難しいと思います。あなたの為にも、ユイちゃんの為にも私をいつでも頼って欲しいんです」


 思わず彼女の顔を見て固まってしまう。

 こんなに優しく善良的な人が本当にいたのだと心底驚いた。


「それに、恥ずかしながら私は寂しがり屋なので。寂しくて寂しくて、だから誰かと一緒にいたい。ごめんなさい。決して圭太さんの為ではなくて、私自身の為に頼って欲しいんです。ダメ、ですか?」


「いいに決まってるよ。こちらこそ助けられてもらえて・・・瑠香には感謝しきれない。僕はもちろん、ユイも瑠香のことが好きなんだから。今後も迷惑をかけてしまうかもしれないし、でも瑠香が困ったことがある時はいつでも相談してほしい」


 僕は片手を瑠香の前に出す。

 

「今後共、いいかな?よろしくしても・・・」


 瑠香は濡れた手を拭きすぐに僕の手を握り返す。


「はい、よろしくされました」


 お互いに笑い合い、その時小さくて可愛らしい手が繋いだ手の上に乗せられる。


「ユイからも・・・よろしく、お願いします・・・」


 ユイはつま先立ちで手を伸ばして握手に参加した。

 その強張っている顔で思わず僕は笑ってしまう。

 僕と瑠香はしゃがんでユイが楽な姿勢でいられるようにする。

 三人で繋がれた手。

 とても温かくて、安心感や安らぎあって。

 いつまでもこうしていたいと思った。

 夜が遅いので瑠香は今日も泊まってもいいよと言ったが彼女は断り帰ることになった。

 駅まで送ろうかと思ったがユイちゃんを一人にしたらダメでしょと注意され玄関先で別れることにした。

 

「ばいばい!ユイちゃん!」


 瑠香は手を振るとユイはとても残念そうな表情になった。


「お姉ちゃんも、ここに住めばいいのに・・・」


 切実な願いのような言葉が口からぽろっと零れた。

 僕だって、そうしてもらえるとどんなに助かるだろうと正直思うがそれは自己都合に過ぎない。

 瑠香には瑠香の人生があって、僕達に干渉しすぎるのはよくない。


「ユイ、またきっと会えるから。お別れじゃないんだよ?一緒に住まなくても大丈夫」


 ユイは何か言いたげだったがぐっと堪え瑠香に笑いかける。


「また、ね。お姉ちゃん。ご飯、おいしかった・・・」


「ありがとう!またすぐ会いに来るからね!」


 ユイの頭はわしゃわしゃと撫でられ瑠香は楽し気に笑っていた。

 瑠香がいるとユイの笑顔は格別に光っているように思えた。

 そうして瑠香は部屋を出て、僕たちは見えなくなるで見送った。

 

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