第5話 君との出会い
駅から最寄りにある四角い形をしたレンガ基調の建物。
オープンプレートが掛けられた木製のドアを開くと鈴の音が店内に響き渡った。
すぐいらっしゃいませと赤いエプロンを着た店員が伺いに来てくれる。
「石田で予約していると思うんですけど」
「石田様ですね、こちらへどうぞ」
店員に案内され、赤いマットが敷かれた通路を進む。
突き当りに向かい合いの席があり既に誰かが待っていた。
僕の存在に気付いたのか立ち上がり笑顔で会釈をしてくれる。
サラサラで真っ直ぐと伸びた黒い髪、それとは対照的な白い肌をしていた。
目鼻立ちがはっきりとしていて特にぱっちりとした目は幼さを感じさせ特徴的だと思った。
渋みが入ったイエローのニットにドットのフレアスカートに身を包んでいる。
見た目的に大学生くらいだろうか。
「逸木さんですか?」
「はい、そうです。遅くなりすみません」
「いえいえ!急に呼び出したりしてすみません。私、石田と申します。今は大学生です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。ユイは、今どこにいるんですか?」
どこか落ち着かない僕をなだめる様に微笑む。
「私の部屋でお留守番していますよ。とても落ち着いていていい子です」
「そうですか・・・すみません。預かって頂いて」
「いえいえ!立ち話も何ですからお互い座りましょう」
快活で聞き取りやすく、はっきりとした声が僕の耳に抵抗なく入ってくる。
笑う時は表情全体が明るくなり、全体的に華やかな人だと思った。
挨拶を交わした後ゆっくりとベンチシートに腰掛ける。
彼女はメニューを手に取り先に注文しちゃいましょうと一冊僕に渡す。
一番最初に目に入った焼きさば定食にし、石田さんはハンバーグミックスプレートを選んだ。
お冷を持ってきた店員さんに注文し、一息入れたところで本題に入る。
「逸木さん、ユイちゃんとはどのようなご関係ですか?」
さっきの明るい雰囲気とは一変して落ち着いた口調で話す。
その目はしっかりと僕を捉え嘘を言えばすぐに見抜かれると思った。
「ユイは、養子なんです。ですから僕はユイの父になります。ごく最近の出来事ですが」
「失礼ですが、ご年齢は?」
「今年で二十六になります」
うーんと石田さんは首を傾げ唸らせている。
「なんでユイさんは夜道一人で座り込んでいたんですか?あなたはどこで何をしていたんですか?」
「ユイと喧嘩になってしまって、部屋を飛び出していったんです。夜通し探したんですけど見つからなくて。そんな時、あなたから電話を頂いたんです。それまで気が気でなかったですから、無事なようで一安心しました・・・石田さん?」
彼女は僕が話す度探るようにじろじろ見てきた。
一音一音怪しい所がないか注意して聞いているようにも思えた。
「連続の質問ですみません。よろしければ、ユイちゃんと喧嘩になった理由というのを教えて頂けませんか?」
「そう、ですね。実は・・・」
それから昨日起きた出来事を伝えた。
ユイが不登校になったこと、理由を聞いても答えてくれないこと、そして無理に聞き出そうとした結果拒絶され部屋を飛び出して言った事。
そこまで話して、石田さんは安堵したような表情を見せた。
「なるほど・・・よく分かりました。よかった。悪い人ではなさそうですね」
「悪い人、ですか?」
「えぇ、てっきりそう思っていました。子供が一人夜に出歩いていて、ユイちゃんは理由を教えてくれないんですから。おまけに私があなたに電話を掛けていた時帰るのをしきりに嫌がっていて、だから今日見定める気持ちであなたを呼んだんです。あなたにユイちゃんを返すべきなのか。その様子だと大丈夫そうですね」
なるほど、と思うと同時にその気持ちがよく分かった。
まるでユイの元父親と会う時の自分を見ているようだった。
「でも、あなたにも落ち度はあると思いますよ。子供の心は繊細なんです。それが不登校の子なら尚更です。いきなり答えを求めるのではなく、ゆっくりと解いていくように少しずつ話してもらった方がよかったと思います」
「そうですよね。すみません。そこは本当に反省しております。ユイの気持ちを、全然分かろうとしていなかった」
その時頼んだ料理が運ばれてきた。
机に置かれた温かい料理はおいしそうな匂いを漂わせ、空いたお腹を刺激する。
石田さんは嬉しそうに笑う。
「いえ、こちらこそ失礼な質問攻めばかりしてすみません。とりあえず、料理を頂きましょう!お腹が空いちゃいましたし」
「うん。もうペコペコだよ」
お腹を擦って笑い返す。
箸を持って野菜から口に入れる。
石田さんはハンバーグを一口サイズに切っていく。
それから僕達は軽い世間話を少しして店の外で連絡先を交換した。
今日はもう遅いから明日引き取りに行く約束をする。
駅まで彼女を送って別れ、僕は帰路を歩いた。
空が藍色で覆われ肌を撫でるような風を受けながら僕は河原を見つめる。
川底が透けて見えるくらい澄んだ水だ。
近づけば自分の顔が鮮明に映るかもしれない。
今、自分がどんな表情をしているのか気になったが頭に纏わりついている不安は一つも解消されないだろう。
ユイに、どんな風に会えばいいんだ。
ただ謝り反省の意思を見せるだけではだめだ。
それじゃ前回と同様、彼女の気持ちを汲まず自分の意思だけを一方的に伝えることになってしまう。
かといって、何が正解かだなんて正直分からない。
ここまで人の気持ちが分からないなんて、やっぱり誰かが言ったように僕は独りよがりな奴なんだろう。
そうこう思っている内に端末のマッピングアプリが目的地の到着を知らせた。
四つ部屋が設けられた四角いアパート。
緑色のスレート瓦にタイル基調の白色の外壁で景観で見るとお城の一部を切り取ったような建物だった。
石田さんらしい品格を感じさせる住宅だ。
「えーと、二〇一号室」
アスロックシートで敷かれた階段を上り部屋のインターホンを鳴らす。
はーいという明るい返事と慌ただしい足音が聞こえ玄関ドアが開かれる。
「逸木さん!こんにちわ!お待ちしていましたよ!」
白いTシャツにジーンズとラフな格好で赤色の眼鏡をかけていた。
部屋の中からなにやら甘い香りが漂ってくる。
「こんにちわ。今日は眼鏡なんですね」
「はい、普段はコンタクトなんですけど、なんだか恥ずかしいですね・・・」
「そんな、すごく似合ってますよ。どちらも素敵です」
石田さんは照れ臭そうに頭の後ろを掻き僕から視線を外す。
「ユイちゃんは今部屋で遊んでますから。どうぞ上がって下さい」
「失礼します」
玄関から部屋に上がる。
小さな廊下を通り霞ガラスの入った開き戸を開きリビングダイニングキッチンに入る。
部屋の広さは僕のアパートと同じくらいだが、彼女の部屋は内装の質が違った。
窓際の観葉植物に木製の台に置かれたテレビ、緑と黄色のギンガム・チェック柄の絨毯に置かれたローテーブル。
白い壁に数々インテリアが付けられており小さな植物にL版写真が入った額縁に味のある骨董品など。
最低限の物しか置いていない僕の部屋と比べると勝負にならないくらいおしゃれだった。
そして窓際の壁に寄りかかりスケッチブックに何か書き込んでいる少女を見つける。
僕なんかには目もくれず、すごく集中していた。
数秒経ち視線を感じたのか顔を上げる。
「おにい・・・ちゃん?」
目を丸くし驚嘆の表情になる。
持っていたスケッチブックと鉛筆を膝元に下ろした。
「ユイ」
それから先の言葉が見つからない。
道中に考えた数々の展開が泡のように浮かんでは消えていく。
ユイも黙り込み下に俯いた。
「絵、描いているのか?」
「・・・うん」
「見てもいいかな」
ユイの隣に座り、開かれたスケッチブックを覗き込む。
鉛筆のデッサンでやつれた顔の男性が書かれていた。
少しぼさぼさの髪に目の下にある濃いクマ、鼻の左下にある小さな黒子。
見事に特徴を捉えられている、間違いなく僕だった。
「驚いたな・・・」
きめ細かな線に味わいのよいぼかし具合に光の当たりで生まれる陰影。
現実の僕よりも数倍哀愁深く感じた。
小学生の絵にはとても思えない。
「これ、僕だよね?」
ユイは照れ臭そうにしながら首を縦に振る。
窓の外に目を逸らす彼女に僕は胸が締め付けられるような愛しさを感じた。
まだ出会って間もないのに、僕の特徴をここまで捉えていたのか。
「ユイちゃん、ここにきてからずっとボーとしてました」
開き戸の近くで立っている石田さんが話しかけてくれる。
「いつか、本棚に置いてあるスケッチブックばかり見ていたんです。試しに渡してみたら黙々と絵を描きだして。とても上手で、ひたすら誰かを書いていました。誰なのかは分かりませんでしたけど、昨日あなたを見た時一目で気づきました」
相変わらず外を見つめ僕の方を見てくれない。
照れているのか怒っているのか分からなかった。
「ユイ、あの時はごめんな。僕、ユイの気持ちを全然考えずに怒鳴ったりして・・・」
ユイは僕の様子を伺うように見る。
警戒されているのか、当然か。
「だから、ユイのペースでいいんだ。学校に行かない理由も、登校するのも今すぐにとは言わない。心の整理がつくまで休んでいいんだ。ユイが元気になるのをずっと待っているから」
緊張を解くように朗らかな口調で話す。
恐らく、ユイは今まで過酷な目に合い、目まぐるしく変化する環境もあり心の状態が不安定なんだ。
でもまずは一人じゃないんだと、僕が傍にいると認識させたい。
ユイを支えてあげられるように。
安心して暮らせる場所を作ることから始めようと思った。
「本当は・・・恥ずかしかっただけ、なの」
ユイは下に俯きポツポツと話し始める。
か弱くて小さな声は足音一つで掻き消されそうだった。
「学校に行って、私、緊張してずっと机に座ってて。みんなが見ているのを感じると、怖くて行けなくなったの」
声がくぐもっていきそれから先は話すのが難しそうだった。
泣き出しそうなユイの頭を撫でる。
「よく話してくれたのね。そうだったんだ・・・やっぱり緊張するよね」
ユイの髪はふわふわして柔らかく触れる度に反発した。
緊張、僕にもそんな時期があった気がする。
学校において周囲の目線や噂程怖いものはなかった。
目立ちすぎず静かすぎず、中立の立場に徹していたっけな。
「お兄ちゃんもそんな時期があった。いや、今でも初めての場所に行くと緊張するよ。みんな緊張するんだ。だから、それは恥ずかしいことなんかじゃないよ」
「お兄ちゃんもそうなの?」
「あぁ、石田さんもそうでしょ?」
急に振られた石田さんが面食らい目を大きく開く。
「う、うん!私も緊張するよ!しない人なんていないよ!」
その慌てようを見て僕とユイは互いに頬が緩ませる。
ようやくユイと目が合った。
ね?と僕はおどけて見せる。
ユイも段々と微笑んでいく。
「他には、何か悩みがあるの?」
ユイは押し黙った。
少しして声を発し始めた。
「ううん。これだけ。だから恥ずかしいの・・・」
緊張するから学校に行けない。
人によっては情けのない理由として終わらされるかもしれない。
でもユイにとっては深刻な悩みなんだ。
「だから、緊張することは恥ずかしいことなんかじゃないんだ。それで学校に行けなくなっても十分な理由だと思うよ。大切なのは、その後どうするか。ユイは、これからどうしたいの?」
「わかんない」
「なら、一緒にこれから考えて行こう。焦る必要はない、ゆっくりとユイのペースで、ね?」
ユイは嬉しそうにクスッと笑った。
その笑顔を見てくすぐったく感じる。
「帰ろうか、ユイ」
「うん、お兄ちゃん」
僕たちは微笑み合い、傷ついた関係を修復することができた。
これから少しずつ心の距離を縮めて行かないとな。
「二人とも、夜食でもどう?クッキー焼けたわよー!」
石田さんはお皿に乗せた様々な形をしたクッキーを持ってきてくれる。
ハートやニンジン、クマが十字のポーズをしているものと統一性はないがどれも可愛らしかった。
玄関を開けた時に感じた甘い香りはお菓子を焼いていたからか。
「石田さん、いいんですか?ここまでして頂いて・・・」
「いいのいいの!ほら熱いうちに食べて下さい!ユイちゃんが全部食べちゃいますよ?」
ユイは両手でハート型のクッキーを持ち熱そうに食べていた。
「それじゃ、いただきます」
僕はクマのクッキーを手に取りかじった。
ほくほくとした触感とアールグレイの香りが口いっぱいに広がった。
今まで食べたどんなクッキーよりも愛情深くて心が満たされていくような味だった。
「おいしい・・・」
「おいしい頂きましたぁー」
石田さんはしめしめとした様子で悪戯に見つめてくる。
本当に天真爛漫で明るい人だ。
ユイも次々とクッキーを手に取り気づけば最初の半分以下の量になっていた。
「ユイ、結構食い意地張ってるんだな・・・」
「まぁ成長期ですからねー」
ユイは悪いですかと言わんばかりに訝し気な目で見てくる。
口の周りについているクッキーの欠片をティッシュで拭き取ってあげた。
数分後、積まれていたクッキーは全て無くなり僕はあまりの満足感にその場で転寝したくなった。
なんとか気力で堪えたがユイは既に眠りについていた。
「今夜も泊めてあげましょうか?」
「いえ、おんぶして連れて帰りますよ」
僕はすやすや眠っているユイを起こさないようそっと背中に担ぎ上げる。
首元で小さな寝息を立てていた。
玄関ドアを開き、外は既に真っ暗になっていた。
肌触りの良い風が心地よかった。
僕がお礼を言って退出しようとした時、石田さんは何か言いたげな表情をしていた。
「もし、もしよろしければですよ?またあなたとユイちゃんと一緒に会わせて頂けませんか?また私の部屋でも、あなたの家でも、どこでも構いません。また会いたいです!」
切願するような様子で言う。
ここまでして頂いた恩人の頼みを、断る理由はなかった。
「もちろん、私からもお願いします。ユイも喜びますから、ぜひ会って頂きたいです。それに、石田さんのクッキーは他のどんなものよりも一番おいしかったです!よろしければ、また頂かせてください」
石田さんは華やかに笑う。
辺りの景色が明るくなったと錯覚するくらい眩しかった。
「もちろん!何枚でも作ります!」
そうしてお別れを言い、僕は階段を下っていく。
駐車場に出かかった時、二階の階段辺りから足音が聞こえた。
「あとっ!私の名前は瑠香っていいます!石田瑠香です!これからは瑠香って呼んでほしいです!」
階段の踊り場から手すりに身を乗り出し彼女は叫んでいた。
瑠香、なんとなく優しい響きがする名前だった。
「分かったよ!瑠香!僕は逸木圭太!好きに呼んでいいから!」
「分かった!圭太さん!また会おうね!」
瑠香は元気よく手を振ってくれる。
僕も振り返し、さすがにうるさかったのか目覚めたユイも瑠香に手を振り返していた。
瑠香は僕達が見えなくなるまで手を振り続けていた。
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