第3話 ずっと誰かと一緒に・・・

「これで終わりかな」


 僕は机とフロアに散らばった書類をまとめる。

 最後の書類に印鑑を押すと恐らく提出物は終わりだった。

 背伸びをした後腰を起こし、隣の部屋に繋がる引き戸を少し開ける。

 隙間を覗くと布団で気持ちよさそうに寝ているユイがいた。

 その寝顔を見てひとまず安心し、すぐに戸を閉める。

 明日は大丈夫だろうか?

 みんなと上手く馴染めるだろうか?

 ユイ程ではないだろうが、僕も同じように緊張していた。

 次の日からユイは新しい小学校に通い始める。

 僕との生活も始まったばかりだというのに、絶え間ない環境の変化は彼女にとって酷だと思った。

 

「ユイ、がんばれ・・・」


 寝室の戸に背中を預け僕は呟く。

 それしか言うことができなかった。

 



 僕が朝目を覚まし、廊下を歩いていると洗面所から流水の音がした。

 水を開けっ放しで寝てしまったのだろうかと心配して見に行くとそこには椅子に乗り上げ両手で顔を洗っているユイがいた。

 いとも簡単にこなしている様子に目を奪われた。

 いつしか僕の存在に気付いた彼女は不審そうな目で見てきた。


「おはよう、ユイ。偉いな」


 僕はユイの頭をよしよしと撫でる。

 撫でられた彼女はいまいち腑に落ちないような顔をした。


「なんでユイは、今褒められたの?」


「それは・・・ちゃんと一人で起きて顔も洗ってる。それは偉いことなんだ」


「それならユイ、お兄ちゃんと会う前は全部一人でやっていたよ。お料理も、お掃除も、ゴミ出しなんかもやっていたよ」


 ふと、ユイが元いた家を思い出す。

 まさか、彼女が全部一人で・・・。


「そうなんだ・・・何でもできるんだな。ユイ、それはすごいことなんだよ?」


「そうなの?」


「そうだよ、自信を持っていいんだ。よし、遅刻したらいけない。すぐ朝ごはん作るから机で待っててくれる?」


「うん」


 ユイはゆっくりとした様子でリビングへ歩いていった。

 彼女は今まで誰にも頼れずに生きてきたのかもしれない。

 だから一人で全てをこなし生活を回していた。

 すごいことだけど、小学生には負担が大きすぎる。

 もっと僕がサポートしてユイを助けてあげないと。

 熱の通ったフライパンの上で焼ける卵を見つめながら、僕は思った。

 一通り準備を整えるとユイは制服に着替えていた。

 半袖のブラウスに紺のスカート。

 目鼻立ちがはっきりとしているせいか、彼女が着るととても高貴な服に見えた。

 赤いランドセルを背負い、準備万端という状態だった。


「この前道の練習はしたけど、一人で大丈夫?不安ならついていくけど」


「大丈夫、だと思う。着いたら、連絡するね」


「うん。よろしくね」


 ユイは階段を降り玄関先でスニーカーを履いた。

 おぼつかない手でドアを開け、一歩外に踏み出した。


「いってきます」


「いってらっしゃいー」


 ユイの姿が見えなくなるまで見送り、完全にいなくなるとまた不安が押し寄せてきた。

 ひょっとしたら僕の方が緊張しているのかもしれないな。

 僕もすぐスーツに着替え、部屋を後にした。




 人混みに押しつぶされながら満員電車に二十分間揺られ降車し、駅から十五分程歩いた先に僕の勤めている会社はあった。

 八階建てのガラス張りビルで四階から六階を借りていた。

 タイムカードを切りカスミガラスの入った親子ドアを開くと事務員の受付とその後ろに会社のネームプレートが飾られてある。

 波打ったようなグレーと藍色のカーペットを歩いていくと机が対向式に並んであるオープンオフィスが広がる。

 それぞれの机にパソコンと固定電話が一台ずつ置いてあり、後は個人の仕事のやり方に別れ几帳面に綺麗な机、書類で溢れ底が見えない机、フィギュアや写真が飾ってあったりPC本体にステッカーを貼っているなどいろいろだ。


「おはようございます」


 僕は挨拶をして部屋に入り、自分の机を目指す。

 小さな声でまばらに返事を頂いたが目線が僕に映ることはなく、常にデスクトップの画面を見つめていた。

 それぞれ自分の仕事で忙しく構っている暇などないのだろう。

 ここは某会社のIT業務部だ。

 社内のシステムやアプリの開発、特に最近は働き方に効率化を大きく求められるようになった為IoTを利用した業務改革が主な目的だった。

 しかし新しいものを開発する度にそのアプリ内での不具合や問題が起き修正作業は絶えず、機能を増やしすぎるとサーバーがダウンしてしまい仕事にならないこともある為中々多忙な部署ではあった。

 僕は主にデバッグ担当で回された不具合を改善していく。

 膨大な修正作業に社内からの催促をよく受ける為スピード感が大切になってくる。

 席に着き、パソコンが起動する間携帯を確認する。

 さっきユイから無事学校に到着したとメールがありひとまず安心した。

 今頃朝礼をやっている時間だろうか?

 転校生の挨拶や、その後は興味津々な人達に話しかけられたりするんだろう。

 彼女が愚行に走ることはないと思う。

 賢いと思うし、良くも悪くも疑心暗鬼になり人を判断していると思うからだ。

 しかし、いささか大人になりすぎていて周りの環境に馴染めるのかが非常に不安だった。

 友達はできるのか、彼女にその意思はあるのか?

 もちろんユイが思うままに学生生活を送るべきだと思う。

 それでも、誰か年相応の友達を作って無邪気に笑う彼女を見てみたいと切望してしまう。

 デスクトップが立ち上がり起動音が鳴り響く。

 今日はユイの為に早く帰ろう。

 気を引き締め、溜まった仕事を怒涛の如く掃き上げていった。




「ただいま!」


 僕は玄関ドアを勢いよく開けて入る。

 リビングとキッチンの明かりが目を照り付けおいしそうな匂いが鼻孔をくすぐった。

 

「ユイ、作ってくれたのか」


 壁に寄りかかり体育座りをしているユイは首を縦に振った。

 机の上には白くて丸いお皿に盛られたオムライスに別の容器にサラダが置かれていた。

 ラップをしている様子を見る限りかなり前に作り、僕の帰りを待ってくれていたようだ。


「お兄ちゃん、ご飯にする?それともお風呂?」


 新婚三択まではいかないが僕に聞いてくる。

 お風呂の準備もやってくれたのか。


「ユイ、別にいいのにっていいたいけど・・・ごめん、ありがとう。今日は早く帰るつもりだったんだけど、中々抜けられなくて」


 最初の意気込みも虚しく結局僕は残業した。

 昨日の終電ギリギリまではいかなかったが、もう二十二時を回っていた。


「先にご飯を頂こうかな?おいしそうだなぁ。すごいじゃないか」


 僕はユイの頭をよしよしと撫でる。

 またいまいち納得できない顔をしていたが少し照れ臭そうにしていた。


「でも、僕の帰りを待ってくれるのはうれしいけど、先に食べてお風呂に入っててもいいんだよ?せっかくの料理が覚めちゃうよ?」


「・・・やだ」


「ユイ、無理しなくても」


「私、ずっと誰かと一緒に食べたかった」


 ユイはスカートを握りくぐもった声で話す。


「一人だったから、家でも、学校でも。だから、お兄ちゃんと一緒に食べたい」


 そこまで聞いて僕は何も言えなくなる。

 彼女にとっては誰かと一緒にいるということは特別なことなのかもしれない。

 だとすれば、それを簡単に否定することはできなかった。


「分かった。僕も早く帰れるように頑張るけど、あんまり遅いと思ったら待たなくてもいいからね?」


「うん、分かった」


 それからオムライスを電子レンジで温め二人で食べた。

 ふんわりとした卵にケチャップの効いたチキンライスの組み合わせはごく一般的な味を思わせたが、この味を作り出すにはある程度の場数を踏まなくてはいけない。

 

「おいしい・・・すごいな」


「別に、普通だよ」


 そう言いながらもユイは照れ臭そうに僕から顔を逸らした。

 静かでゆっくりとした時間が流れる。

 学校の事は無理には聞かなかった。

 初日で疲れているだろうし、明日もまた早い。

 僕がお皿を洗っている間にユイはお風呂に入り、歯磨きをした後すぐに布団の中に入った。


「それじゃ、おやすみ。明日も頑張ってな」


 僕はユイの近くから離れようとしたとき僕の袖が握られた。

 

「お兄ちゃんと、一緒に寝たい」

 

 ユイは少し甘えた声を出した。

 戸惑ったが、いいよと返事をした後ユイの隣に布団を敷き電気を消した。

 静かに僕に近づいてきて胸に頭を埋めてくる。

 髪を撫で優しく施し、寝息を立てるまで続けた。

 すぐに眠りに入ったようで僕はゆっくりと傍を離れる。

 いくらしっかりしていても中身はまだ甘えん坊の少女だった。

 こういう愛が、今後ユイに必要なんだと思う。

 静寂な空間に満たされ、まどろみを繰り返しながらゆっくりと眠りに落ちていった。




 今度の朝は負けない。

 僕は早く起きて朝ごはんを準備しユイが起きるのを待っていた。

 ユイが部屋から出てきた時少し驚いた様子だった。

 逆に夜はユイが僕の帰りを待っていてくれて、ラップが掛けられた夕飯が机の上に置かれてあった。

 さすがにお風呂は先に入ってもらい無理をしないことを前提に待ってもらっている。

 何とか終電は逃れているものの、最近は遅くても二十一時、早い時には二十二時頃に帰っていた。

 導火線に火をつけるように檄を入れれば仕事のスピードは上がっていった。

 日を重ねるごとに僕とユイの距離は縮まってきている気はするが、どうしても不足しているコミュニケーションがあった。

 それは学校の話だ。

 僕が聞いても口を噤んでしまい、ユイ自身も頑なに自分から話そうとはしなかった。

 無理に聞き出しても可哀そうだと思うし、かといって一番の不安要因ではあった。

 もしかしたら学校生活で何かあったのではないか?

 そしてそれは皮肉にも的を得ていた。

 いつしかユイは朝起きてこなくなり、朝ごはんを一緒に食べることはなくなった。

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