未来を記す手帳
宮蛍
第1話
石上は親兄弟を殺そうとしているんじゃないか?動機はわからないけど、でも殺そうとしているんじゃないか?
学校のトイレの個室の中で、俺は自身が抱く疑惑を呟いてみた。声が空気を震わして、次に俺の鼓膜を揺らした時、言い様のない何かに取り憑かれた気分になった。背筋に冷たい汗が流れて、全身の毛穴が開く。体温が二度は下がったように感じた。それは多分、最近冷え込む空気のせいじゃない。
腕時計を見ると時刻は七時過ぎ。始業にはまだ一時間近くあるので学校にも人気は少ない。こんな時間に来てるのは限られた人間だけで、おおまか来ている人間も把握している。
まあ、だからわざわざ朝練でもないのに早く登校したんだけど。
今回俺が用ある人間はその極一部の早く来る人間だった。その用事を思い出して、身体が強張るのを感じる。緊張とかそんな生易しいものじゃない。
落ち着くために一度深呼吸した。トイレの中だったが気にしない。空気がシャトルランして、ついでに俺に少しばかりの余裕を贈ってくれる。取り戻したそれを使って俺はカバンの中から例の手帳を取り出すことにした。震える手でガサゴソと漁るとすぐに見つかって、そのままカバンから外に出す。
それは黒く分厚いカバーで覆われていた。黒一色で特に刺繍やデコ文字などもない、シックで落ち着いたカバーを手でなぞる。どこか禍禍しい雰囲気を放つ黒衣を纏ったそれは、クラスメイトであり同じ予備校に通う石上の手帳だった。
手つきをわずかに乱しながら中をペラペラとめくるとやはり普通の手帳。今年のカレンダーやメモ欄があり、そのほとんどは年始だからか依然白紙のままだった。カバーの黒とは対照的なほどの真っ白。
だからこそ、その白の中で姿を見せた黒い線は目を引いて仕方がなかった。
「父親病死 遺産相続についてのみ話し合い」
「葬儀の話し合い 兄が執り行う 遺書はない」
「兄焼死 再び相続&葬儀について話し合い」
三月四、五、六日の欄に連続して書かれた文字が視界でチカチカと点滅する。文字の羅列が次元を一つ越えて、自分に襲いかかってくるような錯覚を覚えた。心臓がキュッと縮こまって、酸素の交換に停滞が生まれる。
落ち着けっ、落ち着け俺!!
頭を横に振って心に生じた冷たく重い何かを強引に振り落とす。強く振りすぎて若干首が痛かった。
振り返れ、回想しろ俺っ!!
こういう時は、物事を時系列順に沿って思い返すことが大切だと昔漫画で読んだことがある。なのでどうしてこうなり、何故怯えているのかを俺は冷静に見つめ直すことにした。
ことの発端は今からおよそ八時間前に遡る。
昨日は予備校で授業がある日だったから、普通に部活終わった後に予備校に行った。数学の授業だった。この授業は俺たちの学年であれば全員受けるもので、当然石上もいた。
部活で疲れてたから途中で意識が朦朧として、気づいたら課題用のプリントを配られていた。このプリントを終わらせて提出しないと帰れないシステムで、皆より俺は少し取りかかるのが遅れてしまっていた。四苦八苦しながら問題を解いたけど、俺が八割終わる頃には皆とっくに終わらせて帰っていた。一人取り残されながら問題を解き進め、それから十五分後ぐらいに何とか終わらせることが出来た。
提出して、先生からお小言を頂戴して、さあ帰ろうと思ったところで俺は偶然机の中に入っていた例の手帳を見つけた。その机に座っていたのは石上だった。
取り出してからカバーを手でなぞって、案外ツルツルした素材で出来ているななどと下らない感想を抱いてから、どうしたものかと悩んだ。持って帰って学校で石上に渡してもいいが、どうせ石上のことだから予備校には毎日足を運んでいる。下手に友達でもない俺にプライベートな手帳を触られるのは快く思わないかもしれない。だったらこのままこの机に入れておくのが無難だろうか。
しばし悩んだ末、結局持って帰ることにした。手帳は学校の連絡事項をメモするときにも使うものだし、別にやましい理由で手帳に触るわけでもない。そう考えての判断だった。
手帳をカバンに入れてから予備校を出て、それから普通に帰宅した。夕飯食べて、お風呂入って、テレビ見て、スマホいじって、いつものようにダラダラとして時間を過ごした。十一時半を過ぎた辺りで授業で必要な参考書を思い出して、それをカバンにぶちこもうとした時手帳の存在を思い出したんだ。
ちょっとした出来心というか、石上とは二年連続でクラス同じなのに普段関わりがないから、石上について少し知りたいと思ってしまったのかもしれない。石上と話したのなんて数えるほどしかない。しかもそれらは全部事務連絡だ。これでは少し寂しいなと思って、俺は何気ない手つきで手帳をカバンから取り出して、そして中をペラペラとめくった。それは本当に深い意味のない行動だった。
だから、そこに例の不穏な文言が並んでいて俺は心底不安になった。
俺は石上のことはよく知らない。
でも人間のことは少なからず知っている。そりゃ十七年は人間やってるわけだし、ある程度のことは分かっているつもりだ。
そして俺の人間観によると、人は意味もなく親兄弟の死亡を手帳に記したりしない。まだ起こっていないこととしてなら尚更書き込みはしないだろう。
同時に親兄弟の死亡についてなんて相当な事情でもないと書いたりはしない。いや、相当な事情があっても普通は書いたりなんてしない。
ということは、石上は何かを抱えているのか?虐待とかネグレクトとかそういう家庭内トラブルを?それとももっと別の何かを?
分からない。俺は石上のことはほとんど知らない。
俺が石上について知っていることなんて、真面目で理知的で寡黙で無愛想なことぐらいだ。多分他の人も似たようなものだと思う。石上が特定の誰かと仲良く話している様子を見たことあるやつなんて、誰もいないだろう。
だから確認しようと思った。石上が早く登校するのは知っていたし、石上以外が七時半以降にしか登校しないのも知っていたから、この石上と二人きりになれる時間を使って確認しようと。
そうだ落ち着いた。ようやく要点をまとめられる。
俺がどうしてここにいるか?
石上に手帳を返すため、それから石上に確認するため
俺はどうして石上を疑っているのか?
石上の手帳に不穏な文言が記されていたから。普通そんなことはしないから。
よしよしここまでは順調だ。頭の中に立ち込める靄が晴れて、クリアな思考を確保できるようになった。
それじゃあ・・俺は石上の何に怯えている?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その問いに答えはなかった。
確かにそうなんだよなあ。もし石上が何かを抱えていたとしても、その時生じる感情は「恐怖」じゃない。じゃあ何が相応しいかって言われたらわからないけど、でも少なくとも「恐怖」ではない。
それなのに、俺は怯えてる。いや違う?これは「不安」なのか。だとしたら間違ってはいない気もするけど。これから自分には想像もつかないような悲惨な話を聞くかもしれないとか、キャパオーバーなお悩み相談をされるかもしれないとか、そういったことに対する「不安」なのか?
それはそれで違う気もする。正解は依然見えてこない。
結局のところ、言い様のない感情に支配されて、身体の方はその心境にモロに影響を受けているとしか言えなかった。
手を何度もグーパーしていると、手汗をめちゃくちゃかいていることに気づいた。心臓もいつもより一鼓動速く動いていて、正直苦しい。
でも、このままここでじっとしていても仕方がない。石上に話を聞くためにわざわざこの時間に学校に来たんだ。
少なくとも、手帳は返さないと。
決意を胸に抱いてトイレから出る。教室までの廊下の空気がやけに冷たく肌に食い込んできた。足を止めず、肩を震わせながらも歩く。その足取りは決して軽くはない。
しかし当たり前だが教室の前には数十秒でついた。ドアの窓からは見えない位置で立ち止まって深呼吸。ドキドキと弾む心臓を強引に落ち着かせる。
爽やかに軽やかに手帳を返し、何気なくさりげなく話題を振る。それで話してくれなかったら必要以上には干渉しない。野次馬根性で無理に聞き出そうとしない。それが多分ベストの選択だ。
今一度自分の今回の目的と、それに相応しい手段を確認。
よし、大丈夫。シミュレーションは完璧なはず。
じゃあ、扉を開けようか
ガラガラガラッ
若干以上に古びてボロボロになった木製の扉を横に押し、教室の中に足を踏み入れる。瞬間、身体が何かひどく冷たいものに触れたような錯覚を覚えた。鳥肌がたって悪寒に震える。その冷気の手が背筋をなぞるように動き、自然身体が強張る。思わず顔を俯けてしまう。
何故だろうか。ここは、廊下より寒い気がする。
とはいえ強張ってても仕方がない。今は頑張る番だ。
何事もなかったように即座に顔を上げると、視界の端で人影を捉えた。
黒髪ロングヘアで身長は平均より少し小さいくらい、いかにもって感じでかけている眼鏡とマッチした読書家然とした雰囲気。出るとこ出てない幼児体型。
それは石上だった。昨日今日と俺から安心と安眠を奪った石上優芽がそこにはいた。当たり前だけど、その事実を改めて認識すると何か不思議な気持ちになった。
あの石上が、この石上が人を殺す?それも親類を?そんなことが有り得るのか?
自分の中の疑惑に対する疑惑が生まれて、何か色々と訳が分からなくなる。俺の中の疑惑なんて全部下らない妄想だったんじゃないか。日頃の疲れが非日常的な展開を望んだ末に勝手に脳内で作り出した根も葉もないフィクションだったんじゃないか。
そう思いながら石上の方を見ていると、向こうは訝しむような視線を送ってきた。何だろう、顔に何かついてる?
あっ、違うわ。俺不躾に視線飛ばしすぎだな。そりゃ警戒されるわ。
「・・稲垣くん?」
「おはよう、石上」
「・・ええ、おはよう」
とりあえず俺の挨拶に返してくれたものの、未だこちらを疑うような視線は外さないままだった。うーん、やっぱり警戒されてるなあ。机に向かって歩きながら、どうしたものかと思案する。
とはいえこうして石上と対面してみると思った以上に緊張しない。さっきまでトイレでガクブルしてたのはなんだったのだろう。とりあえず、この分なら普通に会話は出来そうだ。
まあ、石上はこちらと話したいわけではないらしいけど。
「・・何か用か、石上?」
「・・・・・・・・」
「無言でこっち見続けないでぇ・・」
「・・・・・・・・」
「いやまあ、最初ジロジロ見たのは悪かったけど」
「・・・・・・・・」
「あれは別に嫌がらせとかじゃないから、特に深い意味はないから・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
何も返してくれなかった。悲しいまでに言葉のワンウェイ走行が繰り広げられる。キャッチボールどころかバッテリー組んで練習してた。サッカー風にいうならパス練じゃなくてPK練してた。そのくせ視線だけはしっかり相互通行だ。流石に気まずいよ、思ってたものとは違う意味で。
「・・稲垣くん」
「ハイっ!」
「今日はずいぶん早い登校なのね。朝練でもないのに」
「あっ、ああ。まあたまにはこんな日があってもいいかもなと」
「そう」
「うん、そう・・。それだけっ!?」
「ええ、それだけよ」
「えぇ・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・本当にそれだけなんかーい・・」
思わず呟くもリアクションゼロ。再び無言タイムに入ってしまっていた。いや、この子こんなにマイペースでしたっけ。愛想無いとかそういうのじゃないぞこれ。今まで関わってる時もここまで掴み所が無い奴だったような気はしないんだけどなあ。
溜め息をつき、机にがーっと突っ伏すような態勢をとる。とりあえず俺のあれこれは杞憂っぽい。そう思うと安心して身体から力が抜けていく。強張ってたもんなあ、ついさっきまで。
やれやれと一段落をしてはぁーと息をつくと、視界が全体的に暗くなった。別に勝負に負けた訳じゃないので所持金は奪われなかった。というか、影が出来ただけだなこれ。
顔を上げるとそこには石上が突っ立っていた。腕を組んでもちんまりとしたイメージはあまり消えない。でも眼鏡のお陰で威圧感は凄かった。いや本当、高圧感が半端じゃない。もっともそれは人殺しの発するものではなかった。まあ、人殺しに遭遇したことは無いけどね。
「な、何?石上?」
「・・本当に、それだけ?」
「?」
「稲垣くんの言葉、そのまま返すわ」
「?」
「あなた、「たまにはこんな日があってもいいかと思って」って言ったわよね。早く来た理由」
「・・・あぁ」
「本当にそれだけ?何か別の理由があるんじゃない?」
「・・・・・・・・」
「沈黙は肯定ね」
「おまっ、その解釈はずるくないっ!」
さっきまで何も話さなかったくせに。
「無言は雄弁だわ、何物よりも」
「清々しいほど自分好みに改変してんじゃねえか!」
「・・・・・・・・」
「・・沈黙は肯定、なんだよな?」
「拡大解釈も甚だしいわね。人の話の間、テンポ感をそんな風に思い込んでいてはいつか痛い目見るわよ」
「理不尽だっ!」
「まあ!私の場合に関しては少なくとも当たっているでしょう。自己解釈ではないわ」
「・・いやまあ、間違ってはいないけど・・」
「それで、一体稲垣くんはどうしてこんなに早く来たのかしら?好きな子のリコーダーをペロペロするのは小学生でも許されない重罪よ」
「しねえよっ!俺そんなことするように見えねえだろ」
「まあ、好きな人の席に座って温もりを感じるのはギリギリセーフかもしれないけれど、でも冬場だから流石にそれは厳しいわよ。残念だったわね」
「それもしねえよ!っていうか、何でそんなマニアックなことばかりする変態なんだよ、俺の設定は」
「これも違うの。でも、だとすると、稲垣くんが早く登校する理由は一体何?私にはこれ以上の変態的お一人様用プレイは思い付かないのだけれど」
「俺が変態であること前提で話進めんなっ!今日俺が来たのは、お前に手帳を返すためでっ!あっ!」
「ふん、言質とれたわね」
そう言って誇らしそうな笑顔を石上は見せてきた。何こいつ。何でこんなにどや顔が板についてんの。いやまあ煽られて乗っかってしまったのは事実なんだけどさあ。
というか、俺の中の石上のイメージが崩れてくんだけど。
真面目?寡黙?何それ美味しいの?とでも言わんばかりの饒舌な毒舌を放ってくる。人に対して失礼すぎるだろ。
今この瞬間、俺は石上に対する認識を改めよう。
こいつ、嫌なやつだ。
「それで私の手帳はどこかしら?白紙の上だからって白いナニをかけてはいけないのよ」
「唐突に下ネタ振ってくんなよ・・。後汚す前提なのもやめろマジで」
「・・あなたのものはあまり白く無さそうよね。何となく」
「どういう意味だっ!」
「いえ、修正液としては使えなさそうよねと。白紙だけど」
「失礼とかそんな次元の話じゃねえぞこれ。ってか白紙アピールすげえよ、白紙じゃねえだろ」
「言質とれたパート2ね」
「あ?あっ!」
再び石上のどや顔タイム発動だった。悔しすぎるんだけどこれ。でもまあ考えようによっては本題について話が出来るからラッキーなのか。
「さて、今までの一連の会話で稲垣くんがわたしの手帳を盗んだこと、そして手帳の中身を勝手に見たということが明らかになったわね」
「・・盗んだわけじゃねえ。塾に忘れてたから渡そうと思ったんだ」
「中を見たことは否定しないのね」
「・・・・・・・・・」
「・・沈黙は肯定・・」
「その通りだ。見たよ」
「素直に認めるのね」
「今更誤魔化せないだろ。・・それに」
「それに?」
「その件で話がある」
「・・話、ね?」
「話というか質問だ。その・・手帳の中身について」
「・・・・・・・・・」
俺の言葉には何も返さず石上はただ視線をそらした。俺は俺で正直石上とは目を合わせたくなかった。グダグダと会話してたせいで忘れていた冷たさが再来してくる。震える肩を手で掴んで落ち着かせた。
訊こう。大丈夫だ。いや大丈夫である確信も確証もないんだけど。
でも、俺は質問するためにわざわざこの場所に来たんだ。
だったらやっぱり、訊かなきゃいけない気がする。
何せ、俺は運命論者なのだから。
「石上!お前は・・その」
「話は簡潔に済ませるべきよね」
「は?」
意を決して尋ねようとした時、被るようにして聞こえた石上の声に間抜けな声で返答する。言葉をとめて石上を見ると、自分の机まで移動した石上がカバンをゴソゴソと漁り、そして何かをひょいと投げつけてきた。
未確認飛行物体のようにクルクルと回転しながらこちらに飛んできたそれを両手で受け止めようとするも、突然のことだったので弾いてしまった。
バサッと床に落ちたそれは・・ノート?百均とかで普通に売っているそれを屈んで拾おうとすると文字が目に写った。
「プレミス
主人公(女)の家族が次々と死んでいく。遺産相続の話し合いに巻き込まれながら主人公はその死の真相を探っていく」
「主人公
比較的暗めな性格。内弁慶な人間で家族が心の支えだった。家族の死に対して遺産周りの話し合いしかしようとしない親戚を軽蔑。警察もあてに出来ないので、自身の力で真相を見つけようとする。頭は悪くないがメンタルが弱いため、犯人探しの過程でぶつかる多くの壁にくじけそうにもなる。挫折と苦悩の中で自身の生きていく意味、生きてきた意味を考えるようになる」
なんだこれ?
ノートに書かれていたのはこれ以外にもあらすじやらプロットやらと題されたものだった。一つ一つにびっしりと文字が書き込まれていて、正直読みづらい。
えっ、いや・・・
「なんだこれ?」
「あなたの問いに対する回答よ」
「?」
「つまり、それが私の手帳の中身の真相よ」
「・・・・・・・・・」
「何?」
「いや、えっ、あのー」
「はっきり言いなさい。伝わらないわ」
「これが・・お前の手帳の中身?」
「ええ、そうだと言っているわ」
「・・・・・・・・・」
「何よ?またダンマリ?」
「お前・・親兄弟を殺そうとしてたんじゃないの?」
「何を言ってるの?そんなこと考えるわけないじゃない」
「・・・えー」
言葉が漏れた。漏れたって表現が正しいと思う。喉から空気が流れていくのを感じる。耳に入ってきた音さえも不確かで、自分の中で何かが揺らいでいく。ただ突っ立っているだけなのに酔ったような気持ちになった。グラグラして気持ち悪い。
つまり、石上は全然親兄弟とか殺そうとしてないってこと?
「待てっ、話が見えない。どういうことか、ちゃんと説明してくれ」
「あら、これ以上何を話させたいの」
「まず、このノートの中身と手帳の繋がりが見えない」
「はぁ、呆れるほどに脳を使わないわね。朝だからって許されないわよ」
「どういうことだよ?」
「手帳の中身を見たのよね?」
「あぁ。父親や兄の死みたいなことがカレンダーの欄に書いてあった」
「まずは正解よ。それで、ノートには何が書いてあった?」
「何て言うか・・小説っぽいことが書いてある」
「それも正解よ。以上のことから何が分かる?」
「えーと、手帳に書いてあることと小説?の内容が一致している」
「ええ、これで全て分かったでしょう」
「・・・・・・・・・」
「その沈黙は肯定ではないようね」
「えっと、つまり、お前は小説家?」
「その言い方は正しくないわ。小説家というのは小説で一生食っていける人間のことを言うのよ。そうじゃない私は博打打ち、あるいはそれ以下の存在よ」
「・・お前、バクマンとか読むんだな」
「ええ、まあね。教養よ」
「何のだよ・・・」
含み笑いしながらよく分からんことを言ってきた石上に、俺もまたにやつくように笑いながら言葉を返した。こいつ、嫌なやつだが嫌いじゃないかもしれない。
なるほどなあ、小説か。
「何で小説の内容をカレンダーに書いてんだよ?」
「時系列を意識する作品を書く上では大切なことなのよ。これを怠ると一ヶ月が四十日以上になったりするわ」
「へえー、なるほどね」
ふむふむ、なるほどなあ。
「そんなことも分からないから、私の殺人鬼説なんて下らないことを考えるのよ」
「・・面目ない」
「別にいいわ。それはそれで面白い思考回路だもの」
「そう言ってくれると助かる。それと、これ返すよ。その為に早く来たわけだし」
カバンから手帳を取りだし放り投げる。見事な放物線を描いて石上の手元にぽすっと収まった。もう身体の震えはない。
「俺、石上のこともっとつまんねえ奴だと思ってたよ」
「私も稲垣くんのこと変態だと思ってるわ」
「何で現在進行形なんだよっ!話の流れ的に評価変わってるはずだろ」
「安心して。変態は変態でも節度ある変態だと思ってるわ」
「何も安心できねえよっ!」
俺の心からのツッコミ、もとい指摘に随分と嬉しそうに笑う石上。こいつ、嫌なやつではある。その評価は変わんねえ
でもまあ、話すと案外面白いやつだ。
「またこうして話したいな。書いた小説のこととかも教えてくれよ」
「・・・ええ、機会があればね」
そう言った石上の頬は少し紅くなっていて、案外可愛いところもあるなと思う。意外とこれはこれで青春シチュエーションとして成立してるんじゃないかな。早起きは三文の徳っていう言葉を思い出した。
とりあえず、俺の勘違いで良かった。
胸を撫で下ろした後、他のクラスメイトが来るまでの十数分を俺は石上と話して過ごした。素直には認めたくないが、楽しい時間だった。副産物としてすげえ悪口言われたけど。
日の出る前、まだ暗い通学路を歩いていく。三月に入ってからは寒さも控えめになってきていくらか過ごしやすくなっていた。白くならない息を吐き、学校までの道を行く。
今日もまた、朝練でもないのにこんな時間に登校している。あれから週に二、三日早く登校しては石上と話すようになった。塾でもちょくちょく会話するようになっていて、俺の青春にもようやく春が来そうである。冗談だ。石上とは話せるようになっただけで、アイツのノリというかテンポ感とかはまだ掴めていない。まあ、これから仲良くやっていけばいずれ分かるだろう。
そんなこんなを考えつつ、春の兆しに満ちた道を歩いていく。これが十七才、高校二年生の俺が過ごす一日だった。
「おい、今日の訃報欄見たか!?」
「ええさっき。でも本当に・・」
「ああわ私も信じられない。まさか#石上先生__・__#が亡くなってしまうとは」
「まだお子さん方も若いのに・・・可哀想に」
「娘さんと#息子さん__・__#が一人ずつだったか」
「ええ、娘さんは確か高校二年生とか。息子さんの方は去年大学に進学したばかりよ」
「本当に可哀想に。まだ社会人でもないのに両親ともに他界してしまうなんて」
「幸いにも石上先生の残した財産があるから当面は大丈夫だろうが」
「でも不思議よね。あの石上先生がまさか#心筋梗塞__・__#で亡くなるなんて・・」
「ああ、少し前にあったときはピンピンしてらっしゃったのに。誰にでも起こりうるとは言っても、急すぎる」
「私たちがこうして右往左往していても仕方ないんですけどね」
「何か手伝ってやりたいな。石上先生にはお世話になったし、何より石上先生の親族は、あまりいい噂を聞かないからな。遺産相続で揉めるかもしれんし」
「そうですね。今すぐにでも石上さんのお宅に伺いましょう」
そう言って、二人の老人は出かけていった。
未来を記す手帳 宮蛍 @ff15
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