RUN

宮蛍

第1話

 走る、走る、走る、走る、走る。

 息が切れる。喉が痛い。胸が張り裂けそうだ。心臓はもはや血液を全身に送るただのポンプに成り果てた。四肢は自立したかのように、脳が命令するまでもなく一定の動きを続けている。

 走る、走る、走る、走る、走る。

 全身の筋肉が発熱する。軋む筋肉の悲鳴を力業で押し殺す。痛みを痛みで麻痺させる。そんな終わらない悪循環を繰り返す。

 それでもなお、

 走る、走る、走る、走る、走る。

 止まることはできない。やめることはできない。誰よりも早くあの場所へ。ロケットが用意されたあの丘へたどり着かなければならない。

 隣からガッという音とそれに続いてズザザッという音が聞こえてくる。その次に聞こえてくる音はもうない。

 こんな風に倒れてしまってから立ち上がることができずに、レースを自分からおりた者がきっと何人もいるのだろう。

 それでもまだ俺の周りを走る奴は何百何千、それこそ何万という数がいる。微かに聞こえる彼らの声はどれも似たような感情を孕んでいる。そこには諦めだなんてセンチな感情は全く含まれていない。誰もが命を燃やして文字通りの120%の力で走っている。

 だからこそ俺も足を止められない。誰よりも早くロケットに乗らなければ、俺らを待つ未来は死以外ないのだから。

 

 

 俺らは気がついたときにはこの世界に生まれていた。

 目を開いたら視界に飛び込んできたのは大量の同じ顔と何一つない青々とした草が生い茂る野原、遠くに見える立派な丘だった。体格に差はあるのに皆が皆同じ顔というのは不気味な光景であったが、自分もきっと彼らと同じ顔つきなのだと気がついてからは特に何も感じなかった。

 俺らが世界に生まれてから数日は皆が思い思いに過ごしていた。見かけは似ていても中身はやはり違っていた。

 あるものは周りのやつらに怒鳴り散らし、怒りを露にしていた。

 またあるものは今の状況を嘆き、周りに影響を与えることなく自分一人で勝手に落ち込んでいった。

 またあるものは何が楽しいのかわからないが興奮しており、周りの人間にしきりに話しかけたり、駆け回ったりして落ち着くことなく過ごしていた。

 そんなどちらかと言えば平穏な日々は、爆音と雷音、爆発と閃光によって変化した。今まででは考えられない規模の刺激に誰もが驚きを隠さずにいると、突如空に巨大パーカーのようなものが現れたのだ。白を基調にしたカラーリングで所々荘厳な装飾が目に写る。後ろには何の冗談なのか羽のようなものがしつらえてあるその空飛ぶパーカーは、驚く俺らそっちのけで唐突に語りだした。

 「私は君たちの創造主にして、破壊者でもある者だ。君たちには突然だが、これからデスゲームに参加してもらう。

 内容は平たくいうと、ここにいる4億人の【君たち】によるかけっこ。堅くいうならマラソンだ。あの丘のてっぺんにあるロケットまで走る。最初に着いたものだけが生き残ることができ、それ以外のものは皆死ぬ。ただそれだけの簡単なゲームだ。

 今から3時間後にアラームが鳴る。それがレースのスタートの合図だ。この音が鳴り響くまで君たちは丘に近づくことはできない。

 また、他の誰かに暴力行為を振るうことも許可しない。これは生存【競争】だ。私が求めているのはレースであって格闘技ではない。

 もしこの二つのルールを破ろうとする者がいるならば、私は君たちに「死」という形でその罪を償ってもらうつもりだ。

 また君たちの体は、君たちが生きたいと望み続ける限りその願いに答え続けるだろう。逆に君たちの心に諦めの感情が発露するようなことがあれば、君たちの体は所有物の座を離れて、真の所有者である私のもとに還ってくる。端的にいってしまえば、生きる意思を失った者にはその時点で消えてもらうということだ。

 君たちは全員、この星から生きて帰る資格がある。4億分の1に選ばれ、たった一人の本物になる資格を持っている。

 でも君たちはあくまでまだ器でしかない。本物になる資格を有してはいるけれども、本物としての資格を持っているわけではない。

 だからこのデスゲームは本物足りうる君たちから、たった一人の本物を選別し、本物に変える一種の儀式だ。

 生を望め。

 生きたいと願え。

 誰よりも生に執着し、醜くてもいいから生き残れ。

 苦しみに耐え、痛みに耐え、最後のその瞬間を迎えるまで足を止めるな。

 それが君たちが本物になる唯一の方法だ。偽物として、贋作として死なない唯一の方法だ。

 私は君たち全員に期待している。そのことを忘れないでほしい」

 空飛ぶパーカーはそう言い残してから、フォンという音と共に跡形もなく姿を消した。ついさっきまでパーカーがいた場所にはタイマーが表示されており、その時間は2時間59分50秒を指し示しつつ刻一刻とそのリミットに近づいていく。

 残された俺らが感じていたのは唐突すぎる展開への戸惑いと、あまりに理不尽な宣言への怒りだった。

 突然出てきた変なパーカー擬きに急に、デスゲームに参加しろと言われたのだ。期待など要らないからさっさと安全と安心を寄越せというお話だろう。

 夢なら覚めてくれという気分だが、頬をつねれば当然痛みがかえってくる。

 悪い冗談だと思いたいところだが、ひりつく空気感が、重くなる沈黙が、あふれでる闘争心が、むき出しになった生への執着が、自分の周りに漂っていくのにつれてこれがどうしようもない現実なのだと、あのふざけたパーカー擬きが話したことが全て本当なのだと脳に直接訴えかけてくる。

      「生きたい」

 それが誰もが心の奥底で感じた想いだった。あのパーカー擬きが言ったことが真実である以上、俺らが生き抜くには本当にこのデスゲームで本物の資格を手にいれるしかない。

 「やるしかないのか」

 「やってやる」

 「やるしかない」

 「やってやろうじゃねーか」

 「やりとげる」

 「やらなきゃ」

 「やろう」

 「やらないと」

 それぞれの感じた想いには差異こそあれど、その根幹、その本質の部分は誰一人として変わらない。

 斯くいう俺も彼らと同じ想いを胸に抱えている。生きたいと心臓が叫んでいる。

 覚悟は出来た。後は時間が来るまで待つだけだ。

 数秒の逡巡であったと思っていたが、すでにタイマーは0時間25分42秒を表示していた。

 

 それから25分42秒後、世界が啼いたかのような大きく雄大な音が鳴り響くのと同時に、4億人の大咆哮が轟き、本物の座を争うデスゲームが開始したのだった。

 

 つい数時間前の出来事をもう何百年も前のことかのように思い出す。周りから聞こえてくる音はいつの間にか少なくなっていて、俺が回想している間にまた何千という奴等が諦めていたらしい。

 まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ、まだ

 脳は気を緩めることを許さず、体はムチを打たれ続けている。すでに飽きるほどに重ねた【もう一歩】の魔法を行使していく。

 顔をあげると無限の距離があるのではと思われたあの雄大な丘が眼前に広がる。

 あと少し、あと少し、あと少し、あと少し、あと少し、あと少し、あと少し、あと少し

 心を少しずつ達成感が満たしていくのを感じる。たった一人の生き残りになれる可能性とモチベーションが高まっていく。已然として体の痛みは止まないが、それでもさっきまでよりは幾分か楽に身体が動いてくれる。いつまでも走れそうなほどに活力が身体に満ち満ちていくのだった。

 

 そうして走り抜けている内に、ロケットまでの直線坂道を残すのみとなっていた。目測200メートル程度の坂道が続いた先には、ロケットの先端が見える。聞こえる声のほとんどは後ろから。わずかにひとつのみが隣から聞こえてくる。

 ここがラストスパートだ!

 心の叫びに身体は呼応して、全身全霊の力を振り絞る。踏み込む親指に力をグッと溜め、解き放つ。腕を全力で振り、足を出すペースも徐々に早めていく。加速する身体に加速を重ね、乗算的にスピードを上げていく。

 隣の奴のスピードも同じように上がっていくのが気配で分かる。歯を食い縛っているのかギリギリという音が聞こえてくる。

 二人の間に明確な差が開かないままロケットまでの距離はぐんぐん縮んでいく。

 半歩でも前に出るためにお互い死力を尽くして足を前に運ぶ。

 追い風が背中を押してくれるのを感じる。

 踏み込んだ足に大地を踏み込んだエネルギーが伝わってきて、前に進むための推進力になる。

 ロケットはもう目前で、どっちが勝ってもおかしくない。

 残り5メートル

 二人の間に差はない

 残り4メートル

 俺が半歩ほど前に出る

 残り3メートル

 奴が半歩ほど前に出る

 残り2メートル

 俺と奴との距離がなくなる

 残り1メートル

 俺が僅かな差で奴の前に出る

 数秒にも満たないはずの刹那の時間は限界まで引き伸ばされて、風邪に揺れる短草が、飛び散る汗が、隣を走る奴の姿がスローモーションに写されていく。その中で生まれる勝利の確信。ロケットに飛び込んだ瞬間、俺は奴よりも本当に僅差であるが、前に立っていた。その差を維持したまま飛び込んだロケットの開かれた入り口。

 床に腹からぶつかって、ゴフッと空気が漏れ出る。今まで騙し、誤魔化してきた痛みに襲われながら感じたのは勝利の愉悦だった。

 「よっしゃーーーーーーーー!!」

 胸の奥から込み上げてくる熱い思いを、その衝動を、情動をストレートに言葉として吐き出す。目は熱くなり、そこから止めどなく流れ出る水を拭うことさえも忘れる。鼻水はいくらすすってもあとからあとから出てきて、今の顔はきっと誰かに見せられるようなものではないのだろうと思う。しかしそんなことはもうどうだってよく、ただただ生の喜びを噛み締めるばかりだった。

 「やったーーーーーーーー!!!」

 再び叫んだ声は狭いロケットの中を反響し、まるで自分の近くで誰かが叫んでいるように聞こえる。

 

 アレ、イヤ、チガウ。ホントウニダレカガトナリニイル。

 

 すでに止まった脳の内、機械的に動く部分が冷静に状況を処理していく。

 

 トイウコトハ、

 

 恐る恐る隣を見るとそこにいるのは俺と同じ顔をした男であり、

 

 バカナ、

 

 そいつはさっきまで隣を走っていた奴でもあり、

 

 ソンナハズハ、

 

 そいつは俺が寸での差で振り切ったはずの相手だったのだ。

 

 

 「何でおまえがここにいるんだよ?!」

 起こり得ない目の前の出来事に驚きを隠せず大声で叫んでしまう。しかしそれも無理はないだろう。何せつい先刻までは勝利の味に浸っていたのに、隣を見ればもう一人ロケットに乗っている奴がいるのだ。想定外すぎる状況に脳はパニックを引き起こしそうになるがどうにかそれを落ち着ける。

 そうしている内に俺と同じように驚愕していた隣の奴――面倒なので【トノヤ】とでも呼ぼう――も何やら納得がいってないらしく、俺に向かって反論してくる。

 「それは俺の台詞だ。どうして俺より後ろにいたお前がロケットの中にいるんだよ。一人しかこのロケットには乗れないんだろ」

 後ろにいたというのは聞き捨てならない言葉だが、俺はこのトノヤの発言で少しばかり冷静になった。

 確かにこの状況はイレギュラーなはずだ。何せあのパーカー擬きもルール説明の時にはこんなこと話していなかった。と言うことは

 そこまで思考が進んだ時点で俺は大地が大きく揺れるのを感じた。膝立ちになっていたヘロヘロの身体はバランスを崩され、再び床に激しく打たれる。自分のいる場所がゴゴゴと轟音をたてるのを聞いて、ようやくロケットが発射するのだと気づいたときには身体に凄まじいGがかかるのを感じていた。

 グヘッと情けない音を俺とトノヤがたてながら必死に耐えていると、突如ロケットに設置されていたモニターがつき、男の映像が流れ出した。その男の声にはどこか聞き覚えがあったが、疲労とGによる負担から思い出すことはかなわない。這いつくばる俺らを見ながらその男はおもむろに語りだした。

 「なるほどこれは珍しいパターンだ今度の子供は#双子__・__#というわけか。私が知っているなかでは君たちで三番目だね。こいつはめでたいことだ。

 おっと話が違っていたね。君たちにはまずこういうべきだった。

 「おめでとう」と

 いや君たちは実によく頑張った。生きるために走り続けた君たちのことを僕は心の底から尊敬するよ。最後まで諦めなかった君たちは勇敢な生命だ。まさしく本物と呼ぶべき存在だ。生きる価値ある生命というわけだ。当然君たち二人に私は本物の資格、本物の生を与えよう。しかし君たちには忘れてほしくないことがある。窓から外を見たまえ」

 その言葉と同時に身体にかかるGは弱くなり、身動きがとれるようになる。そのまま言われた通りに窓から外を見ると、

 「何だよ、コレ」

 ゾワッと鳥肌が立つのを感じる。

 何故ならばそこにあった景色は、景色と呼ぶことさえ憚られるようなものであったからだ。

 そこに写っていたのは

 ヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒト…

 ヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒ……

 トヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒ………

 トヒトヒトヒトヒトヒトヒト…………

 ヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒト………

 ヒトヒトヒトヒトヒト…………………

 気味が悪くなるほどの圧倒的人数。諦めずに走ってきた残りの奴等が、選ばれずにここで朽ちていく彼らが、力及ばず果てていく人々がこれほどまでにいたということを俺は知らなかった。

 さっきまで俺とトノヤが競いながら走っていた草原の青々とした緑色は見えず、そこにある色彩は肌色のみ。誰もが窓に顔を近づけている俺らのことを見ており、彼らの顔には一様に悲壮感が浮かんでいる。

 ロケットは速度を落とすことなく加速を続け、崩れていく世界の上に立つ彼らの顔は点のようになっていき、一人一人を識別することはもうできない。

 「ガンバれよ」

 そんな中不意に聞こえた声は澄んでいて、トノヤが言ったのかと思って隣をみるとあいつも不思議そうな顔をしながらキョロキョロ周りを見ている。

 「ガンバって、生きろよ」

 もう一度聞こえた澄んだ声はスッと耳から脳へと届き、その声の主が誰なのか分かってしまった。

 「マジかよ、お前らなのかよ」

 震えながらでる声はきっとエールの送り手には届かないのだろう。彼らとの距離はあまりに離れていて、本来ならばこんな風に届くことの方が奇蹟なのだから。

 「死ぬ寸前なんだから、自分の心配しろよ」

 崩れ行く地面の上に立つ無数の点の、死の際に立つ彼らからの精一杯のエールは心に染み込んで、胸の中が温かさを覚えていく。

 「分かってくれたかな。彼らは君たちのことを応援しているんだよ。自分から本物の資格を奪った云わば自分を殺した人間にもかかわらずだよ。彼らの中の悲壮感を君たちも見たはずだ。彼らは何も悔しくないわけでも、悲しくないわけでもない。それでもその気持ち以上のエールを君たちに託したんだ。せめて自分達の分まで生きてほしいと一抹の願いを託したんだ。その事を忘れないでほしい」

 いつの間にかついたモニターからは再びパーカー擬きの声が聞こえてくる。

 「君たちが次に世界に降り立つのは27648000秒だ。限りある休息の時間を有効に使ってくれ。君たちには期待しているよ」

 そういってまたプツリという音と共にモニターは暗くなり、ロケットの中は沈黙に包まれる。

 さっきとは違うモニターには27647850秒の表示が写る。

 時折聞こえる鼻をすする音も数時間ほど続いてからはもう聞こえない。

 俺とトノヤは目元をぬぐったあと顔を見合わせ、決意を新たに引き締める。

 生きてやろう。あいつらの分まで

 生きてやろう。心臓が止まるまで

 生きてやろう。決して諦めることなく

 俺らの命には3億9999万9998人の思いがのっている。その事は絶対に忘れない。

 モニターの表示は27635621になっている。0になるその時を待ちわびながら、俺らは次の戦いのために身体を休めるべく、静かな眠りの中へ落ちて行くのだった。

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