眠る君に誓いのキスを
『薔薇園に咲く薔薇を手折ってはなりません』
ですって。と指を血に濡らしながら彼女は言った。
看板に書かれた文字を軽やかに読み上げたその唇は、手折られたばかりの薔薇に寄せられている。鋭い棘に傷付けられた手には誇らしげに赤い薔薇が握られていた。なんで書いてあることを守らないのかしら、そう疑問に思って見つめているとふわりと彼女は笑う。
「美しい華がそこにあったのだもの。手折らずにいられて?」
錆臭い指が何気なく近付いてきて、私の髪に触れる。思わず目を閉じると耳元に柔らかに触れて離れていく。恐る恐る瞳を開けば彼女の手に薔薇は既に無く、髪に引っ掛かるような違和感があった。
「貴女もそうよ。私の華、だから私の物にしたい。それだけ。ほら、薔薇が良く似合う」
黒いスカートが北風を孕んで広がった。それに手を擦り付けて血を拭う。私が彼女と共にいるようになってからひと月が経つ。慣れ親しんだ制服のまま、ありふれた日々に背を向けたのだ。彼女は決して美しいと言える顔立ちではないのに、その言動がどこまでも美しい。困った人だと思うのに離れられない。まるで鎖で繋がれているかのように。自分が傷付くことは厭わないのに、私が怪我をするのは耐えられないと棘を剥がす女(ひと)。
「お腹が空かない?」
私の長い髪を丁寧に梳いて、そうっと編み込みながら彼女は言う。自問自答のようで、応えなんて待たないでごそごそとポケットを漁りだす。そこから出てきたのは、蛍光色のパッケージに包まれた飴玉だった。
「……? いつのだろう。これ、美味しいのかな」
爪で引っ掻くようにパッケージを破る。それを口に放り込んで、彼女は眉を寄せた。
「思ったよりおいしくない。美味しければ、貴女にあげようと思っていたのに」
吐き出してしまえばいいのに、勿体ないからかそうはしない。苦いのを我慢するように変な顔をしながら、私の髪を愛でている。一つ目の飴玉をなんとか口の中で溶かして、もう一つポケットから取り出す。
「これなら美味しいから、貴女にも少し分けてあげられる」
甘そうな蜜色をしたそれを口に放り込んで、うっとりと彼女は目を細くする。私の冷たい唇を、彼女の温かい唇が塞ぐ。ころん、と私の目のように硬い飴玉が狭い口に入ってくる。
「どう? おいしいでしょう?」
すぐにそれは舌で絡めとられて咥内からなくなってしまった。
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