種に成りて

 こどもがほしい、と言われた。

 養子縁組でも組む? と首を傾げて問うてみたら彼女は儚く笑い、緩やかに首を横に振った。

 そうじゃないの。こどもを、産みたいの。

 知っていた。彼女はこどもが好きなのだ。私はたいして興味もなかったが、街中で泣く子に手を振ったり、微笑みかけてあやしたりする姿を何度も見たことがあった。

「お見合いの話をいただいたわ。だから、もう」

 いつかは来るとわかっていた日だ。それが、たまたま今日だった。ただそれだけのこと。

 学生時代からの長い付き合いだった。黒いセーラー服はもう脱いだ。互いにスーツを纏うようになった私たちは、もう幼子ではない。男を知らない箱庭の人形遊びは無邪気で、永遠になってしまえばいいと願っていた。けれど、人の世に永遠などない。

 この体を踏み躙り、潰して、そのまま樽に詰め込んでしまって欲しいと思った。そうしてできた深紅の液体があなたの喉を潤すことがあってくれるのなら、それは例えようもなく幸せなことだろう。

 あなたの体に取り込まれた私は、いつかあなたの望むものになれるかもしれないじゃないか。十月とつき十日とおか、そのはらに育まれ、その後もその腕に抱かれ、愛を注がれ、慈しまれるじゃないか。それは、今世では叶うわけのない望みだ。彼女を愛するがゆえに別れなければならない私には、それを夢想することしかできない。そして、それだけが私に許されたこと。

 でも、その隣で、あなたの選びとった人が私を飲むのかもしれないと考えて、一気に苦い唾液が上がってきた。私を、その人が抱くのかもしれないと思うともう駄目だ。私を構成するものに、彼女以外の不純物が混じることは許せない。私を消費していいのは、私の生涯ただ一人。彼女だけだ。

 目の前の彼女の悲しげな顔を見る。今ここで、私を殺してと叫んだらどんな表情をするだろうか。きっと、嫌よ、とただ静かに言うのだろう。私の胸中で煮えたぎる想いを知っても。

「いいよ。別れようか」

 私を心配するかのように顔を近付けてきた彼女に答えを返す。笑って言えているかな。薄く涙の張った彼女の瞳を鏡代わりにして確かめる。うん、上手に笑えている。

 伝票を抜き取って、鞄を肩にかけて。背筋を伸ばして歩こう。振り向かない。振り向いてはいけない。二度とあなたを想ったりしない。

 嘘を吐き出しながら呑む赤ワインは、きっと酷い味だろうなとひとりごつ。私の涙であり、血であり、欲望である安い一瓶を胸に抱いて帰る。

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