第30話
待ち合わせは権堂駅を出てすぐのロータリー。奇しくも、前に一度イケメンに『遊び』に誘われた時と同じ待ち合わせ場所だ。
あの時はイケメンがけっこうな高熱を出していて散々なことになったけれど、今日はそういうトラブルもなく、無事合流することができた。
「具合は? 大丈夫か?」
念の為聞いてみると、イケメンはニヤニヤ笑って、
「心配してくれるんだ?」
と切り返してきた。
「心配はしてない」
「照れるなよ~」
「めんどくさい感じになるのが嫌なだけ」
「とか言って、さり気なく芳野さんって優しいとこあるよね」
「はいはい。ほんとに熱はなさそうね」
「なんなら、おでこくっつけて確かめてみる?」
「頭から地面に突っ込みたいなら、手伝ってあげてもいいけど?」
「俺がおでこをくっつけたいのは、そこじゃないんだよなー」
そう言ってイケメンが私の額をじっと見つめてくる。
「……」
その視線が鬱陶しかったので、私はイケメンを置いてさっさと歩き出した。
「ちょっと、待ってよ~」
後ろからイケメンが追いかけてきた。
「悪かったって。冗談だよ、冗談。芳野さんの反応が可愛くって」
「どーだか。もっと可愛い女なんていくらでも知ってるでしょ、あんたは」
「そうだね」
私の言葉にイケメンはうなずいた。
やっぱりな、と私は思う。色んな女とよろしくやってきたこいつのことだ。『いい女』なんてたくさん知ってるに決まっている。
「まあでも、可愛い女と可愛がりたい女はけっこう違ったりもするけどね」
「はあ?」
そういうもんかね。
「それに俺にとっては、芳野さんが一番可愛くて可愛がりたい女の子筆頭だし」
「お世辞ならいらないよ」
「お世辞じゃないってば。あ、あと、一番からかい甲斐のある女の子でもあるかな」
「……私にとっては、あんたが一番うっとうしくて厄介な男だよ」
「やったね。芳野さんの一番になっちゃった」
「めんどくさいな、お前」
「そうやってめんどくさそうな顔する芳野さんも可愛い」
「……非常にめんどくさいな、お前」
今の会話でなんだかどっと疲れてしまう私なのであった。
* * *
イケメンに案内された店は、権堂駅から歩いて二十分ぐらいのところの、裏通りにある店だった。
たくさんの人が行き交う表通りとは打って変わって、裏通りは全体的に落ち着いた、というかやや寂れた印象が強い。そんな町並みの中、その洋食屋はポツンとそこに佇んでいた。
ウッド調の外観のその店内に入ると、内装も上品で落ち着きがある。天井も特徴的な木組みをしていて、そこからぶら下がる間接照明がやんわり店内を照らし出していた。鼓膜を柔らかく叩くのは、店内に流れる静かなジャズのBGM。
飲食店といえば牛丼のチェーン店かファミレスぐらいしか利用しない私からしてみれば、その大人っぽい雰囲気にはやや気後れしてしまう。
「うわあ……大人っぽい」
呟く声も微妙に上ずる。
席につき、水を一口飲んだところでようやく落ち着きを取り戻した。
「こんな店、よく知ってるな」
「父さんに一度だけ連れてこられたことがあってさ。それで、けっこう気に入ってるんだよね」
「そうなのか」
それは少し意外ではあった。
イケメンの口ぶりでは、部屋だけ与えられてあとは放置されているものだと思っていた。だから、もう会うことすらほとんどないものだと。
そんな私の考えを見透かすかのように、少し自嘲的にイケメンが笑う。
「年に何回かは父さんと顔を合わせる機会だってあるよ」
「……ま、そうだよな」
「正月と盆ぐらいは、たまにはね」
それだと年にたった二回じゃないか。
しかも、今のイケメンの口ぶりだと正月や盆だからって必ずしも会えるとは限らない感じだ。なんて言葉を返せばいいのか分からなくて、私は一瞬言葉に詰まる。
けれど、イケメンはイケメンで微妙な空気を引きずる気持ちはないのか、水の入ったグラスを掲げた。
「芳野さん。テスト、おつかれ!」
「……ん、ああ。おつかれさん」
カチンとグラスの縁を軽くぶつける。中身を口にすると、冷えた水が喉を下っていくのが心地よかった。
イケメンもうまそうに、水を一気に飲み干している。
「あー、ようやく勉強から解放された」
空になったグラスをテーブルに戻しながらイケメンがそうこぼす。
「えー、そうとも限らないんじゃない? 点数次第じゃ夏休みは補習漬けだし」
「うわー芳野さんそういうこと言う? 言っちゃう? 俺が古文苦手だって知っててそういう現実突きつけちゃう?」
「あいにく古文は得意科目だ。八十点は毎回固い」
「あー、芳野さん文系得意そう。俺も理系はけっこう点取れるんだけどなー」
「……とか言いながら、またどうせ学年順位でトップ取るくせに」
これまで一位の座を譲ったことのないイケメンのことだ。勉強だって毎日欠かしていないようだし、私よりもはるかに高得点を取るに決まってる。
「もうテストの話はやめよやめよ! っていうか、まだご飯注文してないし」
これ以上テストの話を引きずっても頭の出来の差でみじめな思いをすると踏んだ私は、戦略的撤退を選択することとした。
「あ、それならオムライスおすすめだよ。あとはカルボナーラにカレードリアとかもここはうまい」
「へえ。洋食系は普段食わないからなあ、どれにしよう」
メニューを見ながら、イケメンの勧めに従ってオムライスを注文する。イケメンはカルボナーラを選んでいた。
食事が運ばれてからも、互いに交わす言葉は軽快だった。最近動画サイトでハマっているものだったり、社会の教師が絶対ヅラだって話だったり、教室にエアコンがないのマジありえないだったり、話すネタならいくらでもある。
案外、イケメンがけっこう映画を観に行くことも話の中で判明した。私も弟とよく映画館に足を運ぶから、最近のおすすめがなんだったかで会話も盛り上がる。
オムライスもおいしかった。きれいなラグビーボール型のオムレツがガーリックライスの上に乗っていて、ナイフで真ん中を切り裂くととろりとチーズと半熟卵が垂れてきて、それを絡めて食べるとすごく美味しい。今まで食べたオムライスの中で、多分一番美味しいとすら思った。美味しすぎて涙まで滲んで、イケメンに指を差されて笑われたりなんかもした。
ああ、なんだ、と私は思った。思いの外、『友達』の距離感で今話せている。ちゃんと、友達をできている。
そんな自分がなんだか意外で、だけど同時に心地よくもあった。無理のない距離感と、三十秒後には忘れていそうな話題で盛り上がれる掛け合いは、意味はないけど気楽で楽しい。
だからそれでいい。こうしてなあなあの距離で、肩肘張らずに気楽な言葉を投げあっていればいい。
それでいいはずなのに。
「……」
なのに、気づくと私は黙り込んでいた。
オムライスは皿の上からすっかりなくなっていて、あとから運ばれてきた食後のコーヒーもいつの間にか冷めていた。
冷めたコーヒーを口に含もうとして、でも。
「……はあ」
かちゃり、とカップをソーサーに戻す。
ちらりとイケメンのほうを見てみると、彼は彼でカップの取っ手を指先でいじりながら、神妙な顔つきになっていた。
「あのさ」
そして、意を決したようにイケメンが口を開く。
「最近、俺、少しずつ眠れるようになったんだ」
「そう……」
「芳野さんと『友達』になってから。芳野さんと過ごす時間が少しずつ増えるようになってから。一人きりでいても、五分、十分って、少しの時間だけど眠ることができるようになったんだ」
そう言って私を見つめるイケメンの目は、どこまでもどこまでも真剣だった。
「全部、芳野さんのおかげなんだ。芳野さんがいてくれたから、俺」
「いや。あんたが自分で頑張ったんだろ。私はそれ、関係ないだろ」
「ないわけないよ。だって俺、なんで最近眠れるようになってきたのか分かってるもん」
イケメンが何を言おうとしてるのか、なんとなく分かった気がした。
だけどその先を聞いたら、後戻りができなくなってしまう。何か答えなければならなくなってしまう。
でも、私には彼がしゃべるのを止めることができない。私にできたことは、彼が次の言葉を紡ごうと動かす唇を眺めていることだけだった。
「芳野さん。俺と、付き合ってよ」
「……」
「芳野さんのことが好きだから、俺と付き合ってほしいんだよ」
「…………」
重い沈黙。私はすぐに答えることができない。
「芳野さんを好きになったから。だから、俺は眠れるようになったんだ。だから俺は、君とこれから先一緒にいたいって思うんだ」
私を見つめるイケメンの瞳は、びっくりするぐらい純粋で真剣だった。こいつ、こんな顔もできたんだな、と。ヘラヘラとした不真面目な笑顔ばかり見慣れてきたから、こうやって真摯に見つめられるだけでも気圧されるようだ。
なにか言わなければと思った。なにを言えばいいのかと考えた。言うべき言葉が思いつかなかった。
ただ喉の奥が詰まって、拍動する心臓は痛いぐらいだった。
ふと、指の関節に痛みを覚えてテーブルの上に置いた自分の手に視線を下ろす。気づけば関節が白くなるぐらい、ぎゅっと強く拳を握りしめてしまっていた。
「あ……」
第一声は、そんな間抜けな、吐息ともつかない声だった。
「あ、いや……ごめん。無理だ」
どうにかそれだけを絞り出す。
「なんで……」
だがイケメンは、それだけじゃ納得できないようだった。
「無理って、なんでだよ。もう、芳野さんだけなんだって、俺には」
「だって、理由がないだろ」
「理由って!」
「あんたが私を好きになる理由がないだろ……」
最初は、『面白いから』付き合ってだった。
だけどその『面白い』が、いつ『好き』になったのか、どうして『好き』になったのかが分からない。だってこいつとお似合いの女なんて、これまでだっていくらでもいたに決まっているのだから。
「理由ならあるよ」
「まさか」
「ほんとだって」
イケメンがまっすぐ私を見つめる。
「芳野さんは、だって……強いよな」
そして告げられた理由ってやつは、なんだか意外なものだった。
「強いって……なにがだよ」
「もちろん人を投げるのがとても上手って意味もあるけど、でも一番は、意思とか。気持ちとか。そういう大事なものが強いよなって」
言葉を慎重に選ぶようにして、イケメンがゆっくりと理由を語る。
「前、遊んだ時に……1on1やった時に、やっぱり芳野さんはそういう人だよなって思ったんだ。ああやって最初のきっかけになったバスケすることでさ……芳野さんは、俺たちのきっかけをやり直してくれたよなって」
違うだろ。あれはそんなんじゃないんだよ。
やり直そうなんて思ってなかった。ただ、あの時は、私があんたと向き合うためにはそれが一番だって、ほんとにただそれだけだったんだ。
「他にも、色々……芳野さん見てると、放り出したりしないんだなとか、そういうこといつも思っててさ。俺は……俺は、簡単にダメなほうに流れちゃうから。楽なものに逃げて、向き合わないことで自分を守って、そうやっていつだって俺は面倒なことや嫌なことをごまかしてきたから」
「そんなのは、私だって何でもかんでも向き合えるわけじゃないんだよ」
「それに……もしも、芳野さんみたいだったら、俺は孤独じゃなかったのかなって」
ポツリとイケメンが発した言葉に、思わず私は息を飲む。
「母さんが芳野さんだったら……きっともっと俺のことを見てくれてたのかな、って」
まっすぐ私に向けられていたはずのイケメンの視線が、いつの間にか逸らされていた。
気まずそうに俯いている、その姿勢のまま、私の反応を確かめるかのように上目遣いでこちらの様子を伺っていた。
そんなイケメンの態度を見て、私は分かった。
こいつはきっと、私に望んでなんかいないんだ。恋人って役回りを。
こいつはだた、きっと、私を見て、その向こう側に幻想を見ていただけにすぎない。自分を選んでくれたはずの、自分と向き合ってくれたはずの、理想の母親ってやつを。
「…………」
「…………」
黙り込む私に、イケメンは何も言ってこない。目を合わせることもない。
冷めたコーヒーカップも、湯気を立てることはない。私達の間に流れるのは、気まずい空気と静かなジャズのBGMばかりだった。
「私は……」
やがて口を開いたのは私だった。
「私は……あんたの母親にはなれないよ」
「芳野さ――」
「あんたの母親になんて、なれやしないんだよ。誰も」
ほら。やっぱり私は強くなんかない。
こうやって、言ったらいけないって分かってる言葉を、それでも叩きつけずにはいられない。胸を喉をなでていく苦い感情を吐き出さずにはいられない。
「そんなつもりじゃ」
怯えた様子でイケメンが呟く。
そんな彼のらしくない態度が、さらに私を苛立たせた。
「勝手に私に母親なんてものの幻想を重ねて見たりとかしないで」
「そんなこと、俺は――」
「あんたが母親に求めてた理想の強さとか優しさとか包容力とか持ち合わせてなくてごめん。傷つけるって分かってて、こんなこと言うのもごめん」
そう言って私は席を立つ。
財布から千円札を二枚抜き出して、テーブルにおいた。
「私は……誰かの代わりに愛されて喜べるほど、強い女じゃないんだよ」
そう呟いて、その場を立ち去る。
イケメンは……最後まで、何も言わなかった。
* * *
店を出て家に向かって歩きながら、私は空を仰ぐ。
だけど目は何も移さない。手のひらで、両目を覆っていたから。
じわりと瞳が湿るのが分かる。ここへ来て、ようやく私は自分が何を思っていたのかを知った。
そうか、と私は思った。そうか、私は――イケメンに、あいつに、私自身のことを見ていてほしかったんだ。
あいつが見ていたのが、私じゃなかったから。私を通して別の人間を見ていたから、今、こんなに私は悲しいんだ。
切ないんだ……。
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