第28話
権堂駅でイケメンと別れ、私が家に帰宅した頃はもう日が落ちかけていた。
玄関の扉を開き靴を確認すると、父と弟はまだ帰っていないようだ。父は普段は会社勤めだし、弟の竜美はどっかで買い食いでもしているといったところだろうか。運動部の男子はとかく食い意地が張っていると相場が決まっているのだ。
だが、リビングからは、一人のはずの母の話し声が聞こえてきていた。
「……だからもういい加減にして。あたしとあなたは、もう関係ないじゃない」
「……? 母さん?」
いつになく硬い声だった。訝しく思って、そっとリビングを覗いてみる。
中では母さんが電話に向かって喋っていた。
「とにかく。二度とそういう用件で連絡してこないで。あたしにはもう今の生活があるんだからっ」
鋭く言い放ち通話を切ると、母さんは大きく肩で息をついていた。
「あの……ただいま」
「あら、なに。帰ってたのね、和美。おかえりなさい」
おずおずとその背中に声をかけると、何事もなかったかのように母さんがこちらを振り向いてみせた。
「なーにボヤボヤしてんのよ。ほら、とっとと手洗ってうがいでもしてきなさい」
「あ、うん……えっと」
いつもなら、子ども扱いするなと言い返しながらも洗面所に向かっているところだ。
だけど今の、いつも通り少し乱暴だけど優しさを感じられる母さんの振る舞いを見ては、問いかけずにはいられない。
「母さん。今の電話って……」
「あー」
一瞬、母さんが目を泳がせる。
「聞こえちゃったか」
「ごめん。途中からだけど」
「あー、いーのいーの。くっだらない男がまたぞろくっだらない内容でくっだらないこと言ってきただけだから」
「それって」
母さんの言う『くっだらない男』が誰なのか、私にはすぐに分かった。その男とのやり取りでどれくらい母さんが神経をすり減らすのかも。
瞬間、頭に血が上る。
「あいつ――まだ、懲りてなかったのかよ」
「和美」
「母さんにまた迷惑かけて……ずっと、ずっと!」
「和美!」
鋭い声を投げられ、私は思わず怯んだ。
母さんの体は私よりも小さい。けど、武道をやっているだけあって、その声は下手な男の恫喝よりも体の芯に響いた。
「あ……ごめん、母さん」
「謝らなくてもいいよ、和美。あんたが心配してくれてるのは分かってるからさ」
「でも……」
「でも、じゃないの。……世の中には子どもが心配なんかしなくていいことなんかたくさんあるんだからさ。な?」
「……うん」
渋々うなずく。
それから逃げるようにして洗面所へと向かった。
手を洗いながら、私は歯がゆさを噛みしめる。
心配なんかしなくていい。あんたが気にすることじゃない。そんなことを言われたって、それでも私は悔しいんだ。
悔しさや憤りぐらい覚えたっていいじゃないか。
強く噛んだ奥歯がみしりと軋んで、痛かった。
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