第27話

「じゃあ帰ろっか」


「……あ、ああ」


 イケメンに促され歩き出す。


 なんだか妙な緊張を覚えていた。おかしいな。二人でラーメン食った時は、こんな気持ちにならなかったはずなのに。


 私はイケメンの隣を、少しだけ距離を空けて歩くことにした。人が一人と半分ぐらい入る距離だ。


「そんな離れなくてもいいのに」


「……っさいな。色々あんだよ」


 ぷいっと顔を背け言葉を返す。


 こちとら、今しがた部活を終えてきたあとである。通学カバンとは別に持ってきた部活用のバッグには、乙女のスメルをふんだんに取り込んだ、白い布と黒い帯の塊も入っている。すぐ隣を歩けば、多分一瞬でめちゃくちゃにおう。しかも今この季節はもうすぐ七月になるところ。ただでさえにおいやすい上に、今ならもれなく発酵臭までついてくる。いくら女っぽくない私でも、そういうのを気にしてしまう時はあるのだ。


 だが、イケメンはこの手の機微に疎いのか、「色々ってなに?」と首を傾げ聞いてきた。


「別に、お前に説明するようなことじゃないから」


 というか、この手のデリケートなことを説明できるほど、私は見た目ほどには図太くないんだよ。


 そんな風に罵りたくもなるが、この口撃をすると自分のライフも削ることは明白なのでさすがにそこまではできなかった。


 幸いにも、イケメンは「ふーん」と言ったきりそれ以上は突っ込んでこなかった。


 代わりに体をほぐすように、「んーっ」と伸びをする。


「しっかしあっついなあ……燻製の気持ちがよく分かるよ」


「ま、もうすぐ七月だしな」


「こんな暑い中、部活お疲れ様」


 そう言ってイケメンが涼やかな笑顔を向けてくる。そんな彼の額にも、暑さのためか汗が一筋垂れていた。


「……」


 一瞬だけ。本当に、一瞬だけだ。


 心臓が変な跳ね方をした気がする。漫画的な擬音を与えるとするならば、『トゥクン』みたいな跳ね方だ。


 それは今まで私が体験したことのない感覚で、せり上がってくる何かのせいで喉がなんだか詰まってしまう。


「芳野さん?」


 黙り込んだ私を不自然に思ったのか、イケメンが呼びかけてくる。


「へぁ!? あ、な、なんだいきなり!?」


「あ、いや。部活お疲れ様ってだけなんだけど……変な反応して、どうか、した?」


「……あ、や。別に、好きでやってることだしな」


 なんとか絞り出した声は、妙に切ない響きを伴っているような感じがして気持ち悪かった。


「そっかあ……やっぱ俺も、バスケ続けられてたらよかったな」


「一応、部に所属してるんじゃなかったのか?」


「幽霊、だけどね。行けば白い目がお出迎え、だけどね」


「……あ、そか。すまん」


 イケメンの前で、部活の話はあまりしないほうがいいのかもしれない。


 私は何不自由なく、部活に打ち込めている。だけどイケメンはそうではない。イケメンの振る舞いにも問題はあったのかもしれないけれど、それでもこいつは普通に部活に精を出すだけのことを手に入れることのなかった人間なのだから。


 だけどイケメンは、そんな私の考えを読んだかのように首を振って言う。


「芳野さんは、別にこんなことで気遣わなくてもいいんだよ。俺は俺で、受け入れてもらえないだけのことをしてきたし。そこでどうせ無理なんだって諦めたのだって、俺なんだし」


「そうは言ってもな……」


「それよりも俺は、芳野さんの話を聞いてみたいよ。俺が部活にいい思い出あまり持てなかった分、さ」


 そうやって話題を変えたのはイケメンなりの気遣いなのだろう。


 その気遣いをありがたく受け取って、私も舌のギアを上げた。


「話すことっつってもなあ……うーん」


 適当に、部内の笑い話をいくつか話す。


 合宿でさんざん先輩にしごかれたあとに飲んだコーヒー牛乳の話とか、畳の張替えが自分達でやるから割と手間だとか、昔はさんざん投げちらかした男がやたらでかくなってて投げにくくてウザいとか。


 柔道やってる男は摩擦ですね毛がなくなるという話をしたら、「マジかよ、美肌効果すげー!」と妙に興奮していた。


「……まあ、すね毛はなくなって肌はつるつるになるな」


「俺も柔道始めよっかなあ」


「その代わりスネが青かったり黒かったりするのでまだら模様な肌に変身するぞ」


「やっぱやめよ……」


 足を刈りに行くので青あざは絶えない。


 スネとスネがぶつかりあって、時々かかとで蹴り飛ばされる。つま先から腿の付け根まで、割と柔道は生傷の絶えない競技であった。


「ま、あんたが本気で始めたくなったら私に言いなよ。うちの道場紹介するから」


「芳野さん家って道場開いてるんだ?」


「ああ。私の今の親父が、師範やってるんだ」


 説明すると、イケメンは目を丸くしていた。


「そうなんだ。じゃあ、芳野さんが柔道を始めたのもお父さんがやってたからなんだね」


「あー、いや……それは」


 わずかに口ごもる。


 今でこそ、好きで柔道をやっている。相手を投げ飛ばす時の、あの、ふわっと重力から解放される瞬間が好きだ。襟や袖を奪い合う時の感覚が好きだ。技が上手く決まった時に畳が快音を鳴らすのが好きだ。


 だけどそれを好きになるよりももっと前。柔道を始めようなんて、私はなんで思ったんだろう。


 その時の気持ちを詳細には覚えていない。だけど、きっとその頃の私にとって、大事な気持ちだったんじゃないかと思う。


 それでも、やっぱりなんで始めたのかなんてのはとっさに思い出すことができなくて。


「……まあ、そうかもな。親父が、やってたから」


「父親の背中に憧れたってわけだ」


 歯切れ悪く言う私に、羨ましそうに目を輝かせてイケメンが言う。


「そういうことになるだろうな」


「なんていうか、そういうのって、うん。かっこいいね!」


「は?」


「芳野さんも、芳野さんの師範なお父さんも、なんかかっこいい感じ!」


「そうか?」


「そうだよ。そういうお父さんがいるって、なんかいいよなあ」


 ……ああ。そういや、コイツ、親父にも放置されてるんだっけ。


 だからきっと、私と今の父親との関係に憧れみたいなものを覚えたりもするのかもしれない。


「なあ……」


「ん?」


「……いや」


 そのうち会いに来てみたらいいよ、とはさすがに言えなかった。照れくさかったし、私とイケメンは多分、そういう関係とかじゃない。


「なんだよ。何か言いかけてやめられると、凄い気になるんですけど」


「べっつにー? ま、柔道に興味あるならそのうちまた武道場に遊びに来いよ。今度はちゃんと歓迎するからさ、ノブが」


「ノブ? って、西郷君?」


「そそ。私の幼馴染でデカブツの柔道バカ。後輩へのシゴキが過酷だけど面倒見もやたらいいと、柔道部じゃ評判だ」


「……お手柔らかにお願いします?」


 でも、と私は願う。


 いつかコイツが、せめて父親とぐらいは糸を結び直せるように、と。


 だって、そうでないと、寂しすぎるだろ。子どもってやつは。


「ねえ、芳野さん」


「あん?」


「テスト終わったらさ。また遊ぼうよ」


「えー……どうしよっかなあ」


 その提案に反射で煮え切らない反応を返してしまったのは、多分私の本意ではない。ただ、ここで素直にうなずいてみせるのが妙に照れくさかっただけだ。


「うわ、すっごい嫌そうな顔」


「嫌っていうわけでもないけど……」


「嫌じゃないなら、どうかな? 夏だし、暑いし、蒸すしダルいし、テストが明けたら遊ぼうよ」


「その言い回し、ほんとに誘う気あるの?」


「だから、ほら、涼しいお店でのんびり二人でお茶でも飲んでさ。そうやったら、テストの疲れも癒せるんじゃないかなって思うんだよなあ」


「はあ~」


 イケメンの誘い文句に、思わず口からため息がついて出る。


「あんたと二人でお茶ってのも、それはそれで疲れそうだけど」


「ええ~、俺は癒されるんだけどなあ~」


「気乗りしないなあ~」


 そう言うと、イケメンががっくし肩を落とした。


「やっぱダメか~」


「ダメとは一言も言ってないけど?」


「え?」


「まあ、ほら。夏だし、暑いし、蒸すしダルいし? いい加減太陽にもうんざりしてきてるし……だから、静かで涼しいお店で冷えたドリンクを飲みたい気持ちは私にもあるし?」


「えっと……えっと、芳野さん、それって?」


「ま、テスト疲れのあんたを癒やすぐらいのことはしてあげなくもないし?」


 我ながら、かわいくない言い回しだ。


 だけどそんな私の、素直じゃない言い回しでも、イケメンの表情は嬉しそうに綻んだ。


「やった! ありがと、芳野さん!」


「……お礼を言われるようなことじゃないから」


「ううん、楽しみにしてる」


 言って、不意にイケメンが柔らかに笑う。


「すごいな。俺、今まで、テストって頑張らないといけないって思った。気を抜けない、手を抜いちゃいけない、一番にならなきゃならないって。なのに……こんなにテストを楽しみに思える日が来るなんて初めてだよ」


「お、おう?」


「これもすべて芳野さんのおかげだよ。ありがとね」


 そんな風に改めて言われると照れくさくてたまらない。


 こいつがどれだけ勉強をしているか、私も知っている。それこそ血を吐くような思いで、自分を追い詰めながらやってきたことだって聞いて知っている。


 だからこそ、楽しみだと言われたのはなんだか無性にくすぐったくて。


「……テストが明けたら、俺、今度こそ、さ」


「ん? なんか言ったか?」


「いや、なんでもないよ」


 そう言ってイケメンは、優しく笑って腕を伸ばしてくると、私の髪をくしゃりと撫でた。


「ひゃっ。いきなりなんなんだよ……」


「ははっ。ごめんごめん」


 謝りながらイケメンが髪から手を離す。


「びっくりしたよな。いきなり髪なんか触って」


「……知るか」


 ほんとだよ。不意打ちにも程がある。つーか、付き合ってもいない女の髪を軽々しく触るなよ。お前はやっぱりチャラ男なんだな。この天然タラシ野郎。そういうところが、なんかやっぱり引っ掛かるんだよ。


 ……離すなよな。バカ。

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