第25話

 放課後の部活を終え、小毬は和美とのいつもの待ち合わせ場所である校門へとやってきていた。普段ならば待ち人来るまで、寄ってくる男を適当にあしらいながら時間を潰しているところである。


 だが、今日はその校門の先客がいた。


 勇一である。


「こっちの番号、教えたつもりはなかったんだけどな……とにかくもう、俺には一切関わらないで」


 電話をしていた勇一は、そう言って通話を切ると、「はあ~」とため息をつきながら空を仰いだ。その視線を追うようにして小毬も頭上を見上げると、六月の思いの外綺麗に晴れた空が視界いっぱいに広がる。


 それを見て、もうすぐ梅雨も終わりなんだなと小毬は思った。


「楠木君。こんなところで辛気臭いため息をついてると、他の人に迷惑じゃないかな~?」


 視線を戻し、勇一に話しかける。


 小毬の姿を認めた勇一は、「げっ」と嫌そうな顔をした。


「……ずるい人だ」


「……わー出会い頭になかなか酷いこと言われたんですけど~」


 ぷっくり小毬が頬を膨らませる。リスのようなその仕草は非常に愛らしいが、勇一は白けた目を向けてくるだけだった。


「君に言われたくはない」


「ま、それもそうなんだけどぉ~」


 小毬は唇を尖らせてみせた。


「で。楠木君は、そんなところで昔の女とお話し中?」


 勇一がまだ手にしているスマホを目に留め問いかける。


「いや。昔の女からストーカーされ中」


「なあに、それ?」


「いつの間にか仕事用の携帯番号知られてて。たまにかかってくるんだよね……片っ端から着拒してるけど」


「そ」


 小毬は軽く肩を竦めてみせると、少し距離を置いて勇一の隣に立った。


 そんな小毬に、勇一は辟易とした表情で問いかけた。


「……なんでそこ?」


「男避け~。ほら、わたしって悪い虫が寄ってきやすい体質じゃない? だから外を出歩く時には虫よけスプレーができればほしい感じっていうか~」


 小毬の隣に立つ勇一を見て、声をかけようと寄ってきた男子が舌打ちしながら遠ざかっていく。


 それだけじゃない。隣り合って立つという美男美女といった組み合わせは人目を惹くものらしく、男も女も小毬と勇一を横目にしながら校門を抜けていく。中には、勇一を見て不愉快そうに眉を寄せる男子もいる。小毬を見る女子の中にも、そういう反応を見せる者がいる。


 こういった、快不快を濃く含む視線を向けられることに二人はもう慣れている。慣れているからといって、不愉快に感じないというわけでは決してないが。


「俺、君のこと割と嫌いなんだけど」


「わあ、奇遇。わたしも楠木君のことはあんま好きじゃないもん」


 小毬からしてみれば、勇一に対して感じるは同族嫌悪めいた感情である。それはおそらく勇一の側にしてみても同じことだろう。


 小毬もまた、女子からはあまりいい顔をされず、一方で男子からは多くの人気を集めているクチだ。勇一よりはよほど上手くやっているが、同性間で所属していると言うことのできるコミュニティを持っていなかった。


 勇一と異なる点をしいてあげるとするならば、無闇に色んな男と奔放な関係を結んだりしないところだろうか。まあそれも、小毬からしてみればそこらの有象無象など、和美と比べるべくもない存在だからにすぎないのだが。


「嫌いなのに、俺と芳野さんが仲良くするのは見逃してくれてるんだ?」


「楠木君のことは嫌いでも、わたしはカズミーのこと大好きだもん」


「お熱い友情だことで……」


 返す勇一の声には、羨む色が混じっている。


 そんな勇一に向けて、小毬がボソリと呟く。


「案外、楠木君には期待してもよさそうだなって思うからね~」


「は? 期待、って?」


 かけられた言葉が思いもよらぬものだったからだろう。問い返す勇一は、意外とでも言いたげな表情をしていた。


 だが、小毬はそんな疑問をはぐらかすかのように言葉を続けた。


「カズミーとの付き合いはもう長いからねえ……十年とか、もうそれぐらいになるかなぁ?」


 えへ、と勇一に向ける笑顔には、優越の色が混じっている。普段とは毛色の違ったその笑みは、宝物を自慢する子どものようでもあった。


「いや、別に羨ましいとか思っていないから」


 慌てた様子で勇一は言うが、口早なところに内心の動揺が見て取れる。


 その動揺の正体は、『羨ましい』だけなのだろうか。それとも――。


「あれ~、わたし、なんか言ったかな~?」


「そういう言い方する辺り、君も案外ずるい性格してる人だよね」


「そーお? わたしはこの会話、けっこう楽しいけどなあ~」


 小毬はもはや完全にからかう口調だ。媚びた声音で煽るたびに勇一の表情から余裕がなくなっていくのが、小毬には面白くてたまらない。


 大好きな親友を奪おうとしている相手なのだ。これぐらいのいたずらは大目に見てもらいたいものである。


 目を泳がせた末に、とうとう勇一は口にした。


「……芳野さんとは幼馴染なんだっけ?」


「そうだよ~。それがなにか? なにかあ?」


「………………昔の芳野さんって、どんな感じだったんだろうなあ」


 独り言の体裁で呟いたようだが、実質小毬に問いかけているも同じである。


「ずるい性格してる人」に対する勇一のそんな意地の張り方が面白くて、小毬はクスリと笑みを漏らした。


「そうだなあ。昔のわたしって、気弱で可憐な妖精みたいな女の子だったんだよねえ」


 懐かしげな口調で小毬が語り出す。


「自分で妖精とか言っちゃう辺り、痛々しいよね」


「もうやーめたっと」


「か~ら~の――はいごめんなさい」


 冷え切った視線を向けられ、勇一がその口を閉じる。


 和美に睨まれればむしろそんな反応さえも楽しげに受け止める勇一だったが、小毬に睨まれて喜ぶ趣味はないようであった。


「あっきれた~……まあ、話を戻すと。とにかく、そのころのわたしは気弱だったんだよねえ。体も、うんと小さかったし」


「気の弱い君とか、想像できないけどね」


「だから、まあ、小学生の頃はけっこういじめられてたんだなあ、これが」


 いきなりのカミングアウトに、勇一の唇が「えっ」の形で固まる。


 そんな勇一の反応に小毬は苦笑する。無理もない。今でこそ、世の中を上手く渡り歩くための媚び方を身に着けた。自分の心を守りながら人と接することができるようにもなった。だけど小毬とて、そうでなかった時代が確かにあるのだ。


「気弱っていうか、ひ弱だったのね、きっと。こづかれたり、からかわれたり、体育の時にボールをぶつけられたり。その頃は周りよりも一回り体が小さくて、やり返せないぐらいには気が小さかったから、されるがままっていうか。今だったらあらゆる手を使ってでも報復しちゃえるんだけどねえ」


 あくまで軽い調子で語るものの、小毬がこんな風に過去を客観的に見れるようになるにはそれ相応に苦労もあった。


 あのまま一人きりでい続けていたら、今でも小毬は弱いままだったかもしれない。


「報復て……ずるい上にこえー人だな」


 小毬の口ぶりに、苦笑しながら勇一が言った。


「怖くてけっこう。ま、その『こえー人』になれたのも、カズミーのおかげなわけですよ」


「へえ……」


「いじめられてたわたしを、大きな背中の後ろで守ってくれた、カズミーがいてくれたから今のわたしがあるのです」


 少し照れた口調で言いながら、小毬はその時のことを思い返す。


 今でもはっきりと思い出すことができる。まだ、自分の身を守る術を知らなかった小毬のことを、一人庇ってくれた頼りがいのある背中を。


 あの時、和美が言っていた言葉だって思い出すことができる。だって必死な声で叫んでた。「自分より弱いやつをいじめるやつなんて、卑怯者だ!」って。


 その卑怯者に追い立てられる小毬を守るために、たった一人立ち上がってくれた、体の大きい女の子。


 彼女はきっと知らないだろう。小毬がその時の和美を、どんなに強くてかっこいいと思ったかなんていうことを。


「つまり、その頃から芳野さんはかっこよかったってわけかー」


 小毬の話を聞いた勇一が、嬉しそうに目を細める。


「まあ、そういうことだね~」


「なんか、惚れ直したな?」


「へ?」


「うん。なんか、君の話聞いてたら芳野さんに惚れ直した。やっぱ、好きだなあ」


 しみじみ言いながら口元を綻ばせる勇一を見て、小毬もまた微笑んだ。


「楠木君がそういう人でよかったとは、わたしも思うなあ」


「へえーあっそう」


 興味なさげに勇一は相槌を打つが、それでも構わない。


 きっとこの男は、似たような理由で和美に憧れを覚えている。好きだ、という気持ちを抱いている。ならばそれだけで、小毬が勇一に『期待』を寄せる意味はある。


 付き合いの長い幼馴染では、むしろ、癒やしてやれないことだってあるのだから。歯痒いことに。

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