第23話

 そして。


 時間は過ぎてしまうもので、やってきましたその日の週末。


「……私ほんと何してんだろう」


「そりゃあ、待ち合わせしてるんじゃないの?」


 休日ということもあり、学生でごった返している権堂駅の駅前で、私はそわそわとする気持ちを抱えていた。


 隣にいるのは小毬ちゃん。今日もふわふわなフェアリールックで、妖精さんみたいな愛らしさを振りまいている。かわいい。抱き締めたい。


 抱き締めた。


「あのさあ」


 私の腕に包まれながら、小毬ちゃんが呆れたような声を上げる。


「カズミーに、ぎゅーってされるのは嫌いじゃないけど、でも、わたしで不安を紛らわせようとするのはどうかと思うんだ~」


「バレてる!?」


「そりゃあバレますよ。もう、長い付き合いですし?」


 言われてみれば、それもそうだと納得する。小毬ちゃんとは、そろそろ十年近い付き合いだ。何を考えているかなんて、彼女からはお見通しなのだろう。


「ちゃんと友達らしく振る舞えるかどうか不安なんでしょ?」


「……小毬ちゃんて私の心が読めるみたいね」


「いや今のはノブどんに聞いた」


「情報漏洩」


 あと未だにノブのことノブどんって呼んでるのね。


 かわいそうだからやめてあげて。


「ま、でも薄々は察してたけどね。これまで『付き合って付き合って~』って尻尾振ってた男と『友達』なんて関係になっちゃったら、戸惑うだろうなって」


「だって、それは……」


 あの時のイケメンを思い出す。


 あの時のやつは、やたらと寂し気で、きっと求めてるものは『恋人』ではないだろうなって、そんなことを思ってしまったのだ。


 だからつい、『友達』って言葉がとっさに出てきた。口にしてみたら意外としっくり来る気がした。


 でも。


「早まっちゃった……かなぁ」


「かもねぇ」


「否定はしてくれないんだ?」


「うん。でも、早まったのが逆に良かったかもしれないなぁ、とは思うかなぁ」


「なにそれ。どういうこと?」


 ムッとしてそう問いかけるけど、小毬ちゃんは「わたしからは言えな~い」なんて言って笑う。


「ま、深いことは考えずに、今日一日楽しんでみればいいんじゃない? 楠木君もやってきたところだし、さ」


 ほら、と小毬ちゃんが指さした方向にいるのは、こちらへと歩み寄ってくる美形が一匹。


 近づいてくるにつれて、「わぁぁぁぁ」とか「すっごぉぉぉぉい」とか「きゃぁぁぁぁぁっ」とか、女の黄色い悲鳴も聞こえるようになってくる。


 そんな、女の視線を惹きつけてやまない美形の正体は――。


「おーい! 芳野さん、おーまーたーせ!」


「うっわ」


 満面の笑顔で子犬の尻尾よろしく手を振って駆け寄ってくるイケメンその人であった。


 * * *


「いやー、ごめんねほんと。待たせちゃった? ってか、けっこう早くから待ってくれてたんじゃない?」


 合流してすぐに移動を開始したところで、イケメンがさっそくとばかりに口を開いた。


「待ってないし」


「え? でもさ、俺も待ち合わせの五分ぐらい前には着いてたよね?」


「あんたを待ってたわけじゃないから。たまたまあそこで私と小毬ちゃんがおしゃべりしてるところに、あんたがやってきただけだから」


「つれないなぁ」


 なんて言って、イケメンが拗ねたように唇を尖らせる。女子か。


 だけど、そんな表情さえも絵になる辺り、さすがはイケメンといったところだろうか。生まれ持ったデザインですでに勝利を獲得している。


 そして彼の服装はというと、ジーパンにTシャツにカーディガンを羽織っているだけのラフなもの。いくらでも似たようなファッションはあるというのに、中身のデザインだけですさまじくお洒落に見えるのだからずるいと思う。世界は理不尽に満ちている。


「ったく……これだからイケメンは」


 つい、そんな悪態が口をついて出る。女の子らしい服装が似合わない170センチ超え女子としては、何を着ても様になるというのはやはり妬ましいものがあった。


 そんな感じで言葉を交わしながら向かった先は、権堂駅から二駅ほど行った先にあるスポーツセンターだ。バスケやテニス、ボウリング、卓球、バドミントン等々……様々なスポーツをすることができる複合型運動施設である。


 ここにしたのは、私の希望だ。体を動かすことは嫌いじゃないし、自分の見た目じゃ女の子らしくウィンドウショッピングというのも気が進まない。女の子女の子した雰囲気というやつは、どうにも興味よりも苦手意識が勝ってしまうのだ。


「さて。それじゃ、何にする?」


 受付を終えたところで、私は小毬ちゃんとイケメンに向き直る。


 すると、小毬ちゃんがすぐに右手を上げて言った。


「ボウリング」


「え、地味じゃない? テニスとか卓球とかの方が思い切り体動かせて楽しいと私思うんだけ――」


「ボウリング」


 いつになく、頑なな態度で小毬ちゃんがそう主張する。


「ボウリング。わたし、それ以外、認めるつもりないから」


 * * *


 ガッコーン! と、なかなかに勢いよくレーンの上をボールが転がっていく。


 そして、ボールはそのまま吸い込まれるようにして……ガコンッ、とガーターへと落ちた。


「あああああああっ!?」


 小毬ちゃんが、愛され系ふんわりガールらしからぬ悲鳴を上げる。


「なんで!? どうしてなの! どうしてちゃんと真っ直ぐ進んでくれないの!? なんなのふざけてるのナメてるのバカにしてるの!?」


 それから、憤懣やるかたないという勢いで、そんなことを口走っていた。


「ま、まあまあ落ち着きなって小毬ちゃん」


 私はそう言って小毬ちゃんを宥めるけれども……。


「これが落ち着いていられるわけないでしょ!」


 と、だいぶ彼女は荒れているようであった。


 まあ……それも正直仕方がないことかもしれない。現在、小毬ちゃんのスコアは半ばを過ぎてようやく三本。ほとんどすべてがガーターに吸い込まれているという有様なのだから。


「うぅ……」


 へなへなと小毬ちゃんが床に崩れ落ちる。


「他の競技だと瞬発力や反射神経で敵わないわたしでも、ボウリングなら勝機があると思ったのに……」


「そ、そんなこと考えてたの……?」


「そりゃあ、考えるよ。わたし、あんま運動得意じゃないしさ……全然相手にならなかったら、カズミーだって楽しめないでしょ」


 まあ、今だって相手になってないんだけどさ……と小毬ちゃんが唇を尖らせる。


 そんな風に気落ちする小毬ちゃんを、私は見ていたくなくて。


「そ、そんなことないよ!」


 なんてことを口走っていた。


「相手になるとか、ならないとか、全然そんなの関係ないんだよ! 私はね、小毬ちゃんと一緒に遊んでるなら、何やってたっていつも楽しい――」


 ちょうどそのタイミングで……ガッコーン! と、ボールがピンを薙ぎ倒す快音が鳴り響く。


「やりぃ! またストライク!」


 そして続く、イケメンの歓声。


「ねぇねぇ、今の見てた、芳野さん!? すっげー綺麗に決まったと思わない!?」


 満面の笑顔でイケメンがこちらに戻ってくるけど、私と小毬ちゃんはつい、白い目を彼に向けてしまう。


「…………」


「…………」


「え、なに、なんなの?」


「…………」


「…………」


「だから、なんなの!? 二人してその目は!?」


 * * *


「むぅぅぅぅ、もう知らない!」


 三ゲーム終えたところで『八点』という前代未聞の数字を出した小毬ちゃんは、拗ねて早々にフードコートに引っ込んでしまった。


 さすがの私もフォローや慰めの言葉がとっさに出てこなくて、「い、行ってらっしゃい」と引き攣った声で彼女を送り出す。


「まさか、あんなにボウリングができないとは」


 小毬ちゃんの立ち去ったあと、私は思わず呟いていた。


 衝撃的なできなさだった。さすがに二桁スコアは越えるだろうと思っていたけれど、現実はその二桁にすら届かない。


「バンパー出そうか?」とも途中で提案したけれど、小毬ちゃんは意地になってそれを拒否。その結果が、発展なんていう数字になってしまったわけで。


「ここにしたのはマズったかなぁ……」


 私は少し、後悔しつつあるのであった。


「俺はけっこう楽しかったけどね」


「あんたそりゃあ……」


 バンバンストライク出しまくってりゃ楽しいに決まっている。


 三ゲームを終えたところでのイケメンの最終スコアは二百八十を超えていた。一方で私は百六十とちょっとぐらいなので、イケメンがどれだけ隔絶した腕前を持っているかがよく分かる。


「ほんと、どこであんな技術身に着けたんだよ」


「あー、それは……」


 イケメンが気まずそうに頬を掻く。


 こいつが言いにくそうにするということは……つまりそういうことなのだろう。昔そういう女とも付き合いがあった、なんてことを想像するのは容易だった。


 そしてそのことを正直に口にするべきかどうか、イケメンはそんな風に悩んでいるのだろう。


「いいよ、別に。言わなくて」


 だから私はそう告げた。


「無理に詮索とか、するつもりないから。言いたければ言えばいいし、無理なら無理でそれでいい」


「芳野さん……?」


「少なくとも、私はもう、こういうことであんたを非難するとか、見下すとか、そういうことはしないから」


 だって、と言葉を続ける。


「友達、だもんな。私たち」


「友達……そっか、なったんだよな、俺たち。友達に」


「そ、そうだな。私達、友達に――」


 改めて言葉にしようとして、でも……なんだかそれが途中で恥ずかしくなった。


 だから、口であれこれ言うのはやめにする。


 その代わり、私は、ノブと組手したことを思い出していた。


「よし」


 そして私は心を決める。


「1on1、やろうよ」


「1on1?」


「うん」


 イケメンは、最初はきょとん、と首を傾げていた。


 だけど、次第にその顔に理解の色が広がっていく。それからとてもいい笑顔で、「うん、やろうか!」と朗らかに言った。


 だって、最初に私達が言葉を交わすことになったきっかけは、授業でやったバスケなのだ。だからきっと、コートの上でドリブルをしながら向かい合っていれば、言葉にしなくても会話ができる。


 ノブとずっと、そうしてきたように。


 体でぶつかり合うことが、心を触れ合わせることなんだって、私はずっと昔から知っているんだ。


「俺、結構上手いよ?」


「吼えてろ。こちとら現役運動部だ」


「現役のプライドへし折ることになるけど、ごめんね?」


「あんたこそ、経験者のプライドを粉々にしてやるよ」


 それから一時間以上に渡って、私達はコートの上で語り合うのだった。


 言葉を使わずに。体と心で――。

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