第18話

「それが、私……」


「芳野さんの名前は一度も口にしてないはずだけど?」


「そして、男の子がお前……」


「あくまで俺じゃなくて『ある男の子の話』として提供しております、楠木勇一ですどーぞよろしく~」


「その男の子共々巣に帰れ」


 ぴしゃりと言い放つと、「つれないんだからも~芳野さんったら~」とイケメンが苦笑する。


「ま、そんな男の子はけっこう、分かっちゃうわけですよ」


 だけど、話を止めるつもりはないのか、そんな風に言葉を続けた。


「理不尽な親に振り回されて疲れちゃう感じとか」


「……っ」


 胸が、軋む。


「大人の都合を押し付けられて、言葉を飲み込むしかなかったりとか」


 体がそれを覚えてる。


「……ふとした瞬間に、怖くて寂しくて切なくて虚しくてたまらなくなったりとか、さ」


 それは、ある、女の子の話。


「……私の知ってる女の子は」


「うん」


「お母さんを、守れなかったの。ぶたれて、怒鳴られて、帰ってくるたびに苦しめられて、それでもまだ働いて働いてお金を稼いで、なのに全部、奪われっ、て……」


 その女の子は、守れなかった。部屋の片隅で怯えて、波が過ぎ去るのをずっと待っていた。


 でもある日、同じように母がぶたれているのを見て、怖くて、家を飛び出して――とある柔道家のおじさんに出会って助けられた。


「あの時は、守れなくて。今でも、守れる気がしなくて、やっぱり怖くて」


「そっか」


 優しい相槌に、思わず涙が零れそうになる。


「その女の子はさ、頑張ってて、すごいよ。男の子は頑張れなかったから」


「がんばれ……なかった?」


「うん」


 イケメンは、ふっと寂しげに笑って言った。


「結局、友達を作ることはできなかったからね」


 そういや、どっかの男の子も言ってたな。


 部活でハブられているって。だから、幽霊部員なんだって。


「そっか。……そっかあ、すごいんだな、その男の子は」


「すごいって?」


「だって、さ」


 気づけば思ったことを素直に口に出していた。


「友達がいなかったら、きっと、とても耐えられやしなかったはずだから」


 思い浮かべるのは小毬ちゃんだった。彼女の優しさとか、明るさとか、時々意地悪だったりするところに何度助けられただろうか。


 だからこそ、『男の子』にそんな相手がいなかったのが痛ましくて。


「ところでさ。こんな話、知ってる?」


 そう、私は切り出していた。


「どんな話?」


「あるところに女の子がいてさ」


「あるところに、巨大戦艦がいて?」


「女の子だから」


 そこだけは意地でも訂正する。


「で、その女の子は、ある日一輪の花を見つけたわけですよ」


「ある、美しい花をね」


「そこまでは言ってない」


 こまけー、と言ってイケメンが笑う。


「その花があまりに寂しそうだったので、女の子は仕方なく、いやもうほんと哀れすぎて、情けの心をかけてやろうと思って花に向かって言いました」


「蜜を吸わせてくださいって?」


「そんなことは言わない」


「恋人になってくださいって?」


「口が裂けても言わない」


「連帯保証人に――なってくださいって?」


「悪魔に魂を売ったとしても言わない」


「じゃあ、なんて言ったんだよ」


 むっとした顔でイケメンが言う。


「そりゃ、もちろん、決まってるじゃん。ほら、あれだよあれ。花が欲しくてたまらなかったもの」


「――あ」


 そこまで言うと、イケメンもどうやら気づいたらしい。


 私達は、互いに目と目を合わせて、同時に口を開いた。


「「友達に、なってください」」


 気づけば、イケメンの頬を一筋の雫が伝っている。


「……お前さ、なんてかさ、何泣いてんだよ情けねーな男が」


「それ、セクハラ、じゃね?」


「そっちこそ、さんざんセクハラまがいのことしまくってきたくせに」


「ま、ね。てか、そういう芳野さんこそさ」


 泣き顔で、だけどニッと笑って、イケメンが次のように指摘した。


「涙、出てね?」


「なっ」


 慌てて目じりに手をやると、指先にしっとりとしたものがつく。


「ち、ちが、これはっ」


「違わないでしょ。泣いてんでしょ」


「バカ言え! これは、あれだ――信州青汁餃子ジュースだよ!」


「なんでだよ! 色からして違うだろ!」


「濾過されたんだよ! 常識だろ!」


「されるか! ってか、そのごまかし方はさすがに無理があると思わざるを得ない!」


 言いながら、イケメンが私に向かって指さして笑ってきやがった。


 その顔は、なんともムカつく表情ではあったが――だけどもう、ダブらなかった。


 怖くも、苦しくも、ならなかったんだ。



 * * *


 そして。


 勇一は、泣き笑いな笑顔を浮かべる和美を見て思うのだった。


 ああ、これでいいんだって。


 ようやく、こっちを向いてくれたって。


 和美の言う『あいつ』の正体が分かった。最初、『あいつ』が誰なのか分からなかった時、なんだか胸がもやもやして、そんな経験は初めてだった。


 あの日、医務室で自分に説教を下す和美に、きっと無意識に勇一は母親を重ねてしまっていた。親がいたら、母がいれば、こうして叱ってくれることもあったかもしれない、なんてことをあの時思ったりなんかした。


 だから、正体不明の『あいつ』という言葉に不安なんてものを覚えてしまっていたのかもしれない。


 本当の母親は、どこの誰とも知れない『誰か』についていってしまったから。『ごめんね』なんていう、責任逃れの言葉だけを残して。


(だから……)


 勇一は思うのだ。


(これでいいはずだよな。芳野さんはこっちをようやく見てくれて、これで俺と芳野さんは晴れて『友達』になるわけで)


 でも、本当に望んでいたものはそれなんだっけ?


 そんな疑問が、芽生えて、弾ける。そこに欺瞞がありはしないか、心の底では首を傾げる誰かがいる。


(でも……でもさ)


 いやいや、と勇一は首を振る。


(ようやく、仲良くなれそうなんだから。だからダメだろ、これ以上は。受け入れてもらえそうなんだから。芳野さんが、これでやっと向き合ってくれるようになるんだから……)


 だから気持ちには蓋をするのだ。


 これを開いて晒してしまえば、きっと和美は距離を置く。


 それが想像できるから、この気持ちはなかったことにするしかない。


 和美が好きだと言っていた口で、本当は何を求めていたのかなんて。


(俺は――)


 己自身に言い聞かせ、封じることしか勇一にはできない。


(俺は――■■なんて、別に求めちゃいないんだ)


 諦めることには、どうせ慣れている。つもり、なのだから。

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