第17話
イケメンの言う『喫茶店』はすぐ近くにあった。
というか、そこはバス停のベンチだった。屋根はあるけど野ざらしで、雨宿りは確かにできるものの『喫茶店』などという洒落たものでは決してなかった。
なのにイケメンは、気取った口調で、
「お席へご案内いたします、お客様」
などと言い私をベンチに座らせると、今度はまじめ腐った調子で、
「ドリンクのご注文はお決まりでしょうか、お客様」
と聞いてきた。
聞いてくるイケメンに、私は「なんでもいい」と素っ気なく答えた。
「はい。これどーぞ」
自販機から戻ってきたイケメンから缶ジュースを受け取る。
「ありがと」
プルタブを開いて、口に含んだ。
「ブッ」
そして次の瞬間、口の中に広がった衝撃的な味わいに、思わずむせて吹き出していた。
「ごほっ、げほっ……な、なんなのよこれは!?」
あまりの不味さに……いや、不味いなんてもんじゃない。
エグい。そう、これはエグい味だ。鼻腔と味蕾と喉に対して同時多発的テロとでも言える暴力的テイスト。多分、これをまともに飲めるやつはドのつくマゾヒストぐらいしかいないだろう。
「あ、そんなにやばかった!?」
「やばいなんてもんじゃないから……これは、これ、なんだろ、青臭くて、苦くて……嫌な感じに香ばしい……?」
これは、例えるならば、そう。
「野菜ジュースと中華スープをごった煮にしました的な、そんな味と言えばいいというか……」
「……うわ、その表現で俺まで気分悪くなってきたんですけど」
「買ってきたのはお前だろうがこのスカタン」
「うわー、リアルにスカタンとか言う人初めて見た」
スカタンの言葉を流しつつ、ラベルを確認。そこにあった商品名はなんと。
「信州青汁餃子ジュース……?」
「そ! いや、それ見た瞬間、なんかビビッと来たんだよね!」
「これ見てビビッくるってどんな感性してんだよお前……明らかに地雷原じゃねえかってか待て、『濃縮還元青汁使用』って書いてあるぞ……追い打ちか……」
「いやー、ほら。青汁は体によさそうだし、餃子ってニンニク効いてるから元気出そうじゃん。芳野さんもこれ飲めば一瞬で回復するかなーって」
「むしろ萎えるから。しおしおだから……って、おいマジか」
ラベルを読み進めていくにつれ、新たな衝撃が私を襲った。
「製造会社、これ、長野じゃなくて群馬じゃん……もう信州じゃないじゃん……」
「たまにあるよね~。地元の銘菓が実は地元で作られてないみたいなやつ」
ラベルではっきり『信州』と書かれているせいか、頑張ってブランド感を出そうとした姿勢がもはや痛々しい。こんな風に利用されて信州だっていい迷惑だ。
「おまけに、イケメン」
「ん、なに?」
「お前の手元にあるのは、なぜ普通の缶コーヒーなんだろうな……」
イケメンが口にしているのは、宇宙人の出てくるCMで有名な缶コーヒー。
それを飲みながら平然とイケメンは言い放った。
「俺、青汁嫌いなんだよね~」
「自分が嫌いなもんを人に飲ませようとすんな!」
「ひで~。それ、二百二十円もしたのに~」
「しかも地味に高いな!」
「濃縮還元青汁だからね。っていうか、うん、その感じ、やっぱいいね!」
と、不意にイケメンが私に向けてグッと親指を立ててくる。
「え? は?」
「その、キレッキレに突っ込み入れまくってくる感じ。うん、やっぱ芳野さんはそうでないとね」
「はあ!?」
「元気になってくれたみたいでよかったって言ってるんだよ」
そう言われて私は気づく。さっきまで落ち込んでいたのに、いつの間にか気持ちが回復していることに。
「変なもの飲まされて元気になるって、やっぱ芳野さんって面白い感性してるよね」
「一瞬お前を見直してやってもいいと思った私の気持ちを返せ」
……だからといって、感謝なんてしてやらないんだけど。
そんな内心をごまかすように、飲みかけの缶をベンチの上に置く。多分、私がこれ以上中身を飲むことはないだろう。
「で、血の繋がってるほうの父親、だっけ?」
「え……?」
……イケメンが次に放った言葉も、私にとっては飲み込みにくい内容だった。
「ちょっと話したよ。あの男と」
「あ、そ、そうなんだ……」
フラッシュバックする、あの男のにやけ面。一瞬で体を緊張が支配して、唇も上手く動かなくなる。
多分、私のそんな反応にはイケメンにだってバレている。
だって自分でだって分かるぐらい、顔色がさっと引いているから……。
「まあ、深く聞くつもりはないけどさ」
いつになくイケメンの言葉は淡々としていた。
「『血の繋がってるほう』なんて言い回しするから、色々あるんだろうなって思うよ」
「……あんたになんか分かるわけない」
「想像は、できるよね。離婚とか、再婚とか、そういうニュアンスを感じ取れちゃうし、さ」
「……関係ないでしょ」
「うん。そうだね。芳野さんの抱えてる問題だもんね」
なら、なぜこの話を続けるんだよ。
どうして、お前はそんなに平然とこの話を口にできるんだよ。
「関係、ないなら……首とか、口とか、ただの好奇心で突っ込んだり――」
「――ある、男の子の話をさせてもらってもいい?」
食い気味にイケメンが言葉を被せてくる。
「男の子の?」
「うん。あるところに、すっげーイケメンの男の子がいました。もうほんと、マジで神々しいのなんのって。やー、やっぱ持って生まれた容姿だけで圧倒的な人間って、いるよな!」
「……もうこの時点でナルシストすぎてウザいんだけど」
「だから、俺じゃなくて、ある男の子の話だよ」
自分が圧倒的な容姿だってことを言葉の裏で肯定しながら、イケメンは話を続けた。
* * *
男の子にはお父さんとお母さんがいました。いくつぐらいまでだっけな、小学校上がる直前ぐらいまですくすくと楽しく育ってたんだけど、ある日お母さんに『ごめんね』って謝られました。
ごめんね、ごめんね――って、もう何度も何度も。しつこいぐらいに謝ってきて、男の子は思わず「なんで?」って問い返しました。だけどお母さんは、一瞬唇を紡いで、目を泳がせて、最後にはやっぱり『ごめんね』しか言いませんでした。
その翌日。お母さんは家を飛び出しました。新しい恋人ができたそうです。パパのことはもう愛せなくなって、ほんとは男の子のことも連れていくつもりだったけど、新しい恋人に『ガキはいらない』って言われたから家に置いて行ったそうです。
お母さんにそっくりだった男の子は、お父さんに関心を持たれることなく育てられました。食事と服とその他生きるのに必要なものは与えられても、唯一感情だけは与えてもらえなくなりました。
男の子は寂しくなりました。誰かと一緒に遊んだり笑ったりしたくなって、だけど家にはそんな人がいないから。
だけど、だんだん育っていくうちに、男の子は寂しくなくなっていきました。
だって男の子は、とっても美しい顔をしていました。その美しさに惹かれて、たくさんの女の子が群がってきました。
キスをする体も、抱きしめる体も、ある程度大人になってからはまぐわう体にだって不自由しなくなりました。
だけど女の子達は、花に群がる蝶々でしかありませんでした。彼女達は決して友達になってはくれず、男の子はそれがやっぱり、寂しいことだと感じました。
でも、その頃にはもう、彼と友達になってくれる男の子はすっかりいなくなっていました。男の子は時に、他の男の子の蝶々を奪ってしまうこともあったからです。
ずっと、男の子の友達を作ることはできませんでした。その寂しさを埋めるように、男の子はもっとたくさんの蝶々に花の蜜を吸わせてあげることにしました。
彼はだんだん、自分を取り巻く蝶々達を疎ましく思うようになっていきました。
それでも、肌の寂しさはなくなりません。一人の夜は苦しくてたまりません。胸を締め付ける、誰かを求める痛みから逃れることはできません。
そんなある日、男の子はある一匹の蝶々を見つけました。
――その蝶々の名前は『巨大戦艦』。人を投げるのが得意な、なかなか蜜を吸いに来てくれない女の子です。
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