第14話
昼休みを迎え、私はすぐさま小毬ちゃんを伴い教室を飛び出した。
というのも、授業休みになるたびに、「『王子』の家に泊まり込んだんだって!?」とか「いつの間に進んでたの芳野さん!」とか「いいなあ、わたしも『王子』に抱かれた~い……で、どうだった?」などといった、女子たちの黄色い声に取り囲まれてしまうのである。
誰が広めたのか知らないが、なぜかその根も葉もない噂は学年どころか気づけば上級生である三年生にも、下級生である一年生にまで広まっていて……。
「あーもう鬱陶しい!」
そういった事情から、私は今、屋上へ続く階段の踊り場にいるのであった。
「えー、ほんとにここで食べるのぉー?」
この踊り場、あまり衛生的とは言えないというか、端的に言えばかなり埃っぽい。それだけでなく、窓の向こうに見える空もそろそろ曇り始めていて、ここはだいぶ薄暗くなっていた。
そのため小毬ちゃんが愛らしく唇を尖らせ、不満を口にするのも分かる。分かる……が。
「ごめん! 私、あの中で落ち着いてご飯食べられる自信さすがにないんだってば!」
私を対象にした噂話や邪推がこそこそ繰り広げられ、時折妬み混じりの視線が向けられる空間で弁当を食べるのは居心地が悪い。
そんな私の気持ちを汲んでくれたのだろう。小毬ちゃんは「しっかたないなあ」とため息をつくと。
「じゃあ、ハンカチ貸して」
と、こちらへ手を伸ばし要求してきた。
「え、ハンカチ?」
「うん。だってここ、埃っぽいもん。直接座りたくないなあ、わたし」
「…………ああ、うん、お尻の下に敷くのね」
女子的にエチケットな発想がとっさに頭に浮かばなかった。悪いな、脳筋女で。地べたも汗臭い柔道場でも、平気でスカートのまま座れますよ、どうせ。んで股をおっぴろげてがははとか思い切り笑っちゃいますよ。これもう女子じゃねえな。
ハンカチだって、そんながさつ女に使われるよりは小毬ちゃんの尻に敷かれるほうがよっぽど嬉しいことだろう。
私はポケットからハンカチを取り出すと、階段の段差になっているところへ広げ、「どうぞ、姫」と着座を促した。
「ありがとう、騎士様」
にっこり微笑み、小毬ちゃんがちょこんと膝頭を合わせて座る。
その隣に私も腰を下ろして弁当を広げた。
「で、なにかあったの、カズミー?」
「ぶぼっ」
「……こっち向いて吹き出さないでよ」
「うわーだってごめん小毬ちゃんが変なこと言うから!」
小毬ちゃんの顔にひっついた米粒をティッシュで拭いながら平謝りする。さすがにこれは我ながら酷い。女子としても人としても絵面的にヤバかった。
「はあ……ったくもう」
呆れ果てたのか、小毬ちゃんが重苦しいため息をつく。
そりゃ、不意に顔をこんな形で汚されたらため息を口にしたくもなるだろう。
でも――。
「わたしぐらいには、話してくれていいんじゃないかなあ……色々悩んでるんならさあ」
そのため息がかかっている場所は、私の想定とはどうやら違うみたいで。
「悩んでるって……別に、そんなこと一言も言ってないじゃん」
「言ってなくてもカズミーは分かりやすいの。なんなの、今朝の楠木君へのあの態度。三日前、わたしが帰ったあとになんかトラブったのなんて明らかじゃん」
「うぐ……」
思わず言葉に詰まる。
「たとえわたし相手でも話したくないなら、無理には聞かないけどさ。でも、言って楽になることならなんでも聞くから言ってほしいなって思うのも、迷惑かな?」
「迷惑なんかじゃないよ! 全然、そんなことない」
ぶんぶん手を振って、慌てて小毬ちゃんの言葉を否定する。
小毬ちゃんとは長い付き合いだ。当然、喧嘩したことも仲違いしたこともある。だけど、彼女のことを面倒だと思ったり、迷惑だと感じたことは一度もないんだ。
「……別に、さ。多分、聞いても面白くない話だと思うよ」
「うん」
「もしかしたら、小毬ちゃんだってあんまりいい気持ちにならないかもしれないし」
「そっか」
短く返事をする小毬ちゃんは、私が話を切り出すのを待っているようだった。
「……あのね。日曜日、風邪引いてて……そのまま、イケメンの部屋に連れ込まれて」
「そんなこと、楠木君も言ってたね」
「うん。だから、あんなふうに気まずい感じになっちゃって……」
そこまで口にしたところで、私はためらう。
小毬ちゃんに話したことは、事実だ。真実だ。
真実だけど、でも、全てなんかではなくて。
そんなふうに私が言葉をしまいこんだことを、小毬ちゃんは見抜いていた。
「それだけ?」
「……ううん」
「そっか」
静かにそれだけ口にして、小毬ちゃんは澄ました顔で弁当を口に運ぶ。それは彼女が態度で示してくれる、『話したければ話せばいいし、それが嫌なら無理に話さなくていいよ』といメッセージ。
そんな彼女の態度に背中を押され、気づけば私はすべてを口に出していた。
* * *
私が父親と血の繋がりがないことを、小毬ちゃんは知っている。
そしてそれは、私には他に血の繋がりのある父親がいることを示していることに他ならない。
その、繋がっているほうの父親が、まあ、最悪だった。
ほんとにもう、二度と会いたいと思えないぐらい。
「でも、会っちゃってさ」
その時は思いがけぬイケメンの顔に触れて、完全に油断していた時で。
「相変わらずのクソ野郎で。あのヘラヘラした顔で、なめたことばっか口にして」
しかもそいつは、誰が見ても分かるぐらいに整っている顔をしていて。
最悪なタイミングで、私の前に現れて。
あの手の男がよく浮かべる、軽薄な笑顔を貼り付けて。
そしてその笑顔を私は知っている。あの男が女を騙す時に浮かべる笑顔そのもので。
それが……それが。
「あいつとダブって見えちゃって」
ほんと、嫌になるぐらいそっくりだった。
イケメンも、クソ親父も、整っているとはいえ顔立ちそのものが似ているわけじゃない。
でも、笑顔の奥にある、女に対する軽々しい雰囲気が、まるっきり重なってしまったのだ、私の中で。
「だからなんか、今あいつの顔見れなくて。見たときにあんなクソ親父と被って見えたりしたらって思うと、それこそ怖くなっちゃって」
「……そっかあ」
「うん……」
「カズミー? 頑張って話してくれて、ありがとね」
よしよし、と小毬ちゃんが頭を撫でてくれる。
その手の温かさに少し救われた気持ちになる一方で、私はイケメンのことを考える。
私はあいつが苦手なはずだった。ヘラヘラした顔で寄ってくるあいつを、不愉快なやつだと思ってた。
でも、突き放してもあいつは相変わらずそばに寄ってきて。それがだんだん、不愉快なやつから、変なやつって思えるようになってきて。
「……やっぱり嫌いだ。あいつなんて」
ポツリとこぼした私の言葉は頼りない。
嫌いなのが誰なのかも、この時の私には分からなかった。
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