第8話
「……って弟が朝っぱらからウザくってさあ。困っちゃうよね」
その日。朝練を終え、ホームルームを待つまでの間、私は朝の出来事を小毬ちゃんに語っていた。
「相変わらずタツミンのこと好きだねえ、カズミーは」
「ええー、そんなことないない! あんなやつじゃがいも顔だしバカだし鈍いし頭悪いしなによりウザいし!」
「でも実はなんだかんだ目をかけてるよねー。宿題見てやったって話が一週間ぐらい前だっけ? 毎週土日は一緒に道場で練習してるし、月に一回ぐらいは映画観に行ったりもしてなかったっけ?」
「だって勉強は大事だろ。それにあいつはバカで要領悪いから、誰かが見てやったほうが効率いいし、サンドバッグとしては優秀だし、映画はたまたま趣味がけっこう合うだけだし」
「そういうのを、仲の良い兄弟っていうと思うんだよねえ、わたしは」
「……うー」
まあ、自分でも、弟と仲が悪いとは思っていない。
むしろ、どちらかというと関係は良好なほうだと思っている。
ただ、そういうことを自分で認めるのも、人に言われるのも、なんだか自分がブラコンっぽい感じがして恥ずかしいのだ。
……今度道場で竜美をシメとこうそうしよう。
「へえ、芳野さん弟いるんだ」
そんな話をしていると、一体どこから現れたのだろう。イケメンが会話に割り込んできた。
「失せろイケメン。頼むから」
「うーん、芳野さんの頼み事となると、引きうけないわけにはいかないよね。だが断る」
「凄まじい速度で手のひら返しやがって。手首から先が千切れ飛んでるぞ」
「男の子的にはロケットパンチって昔からの憧れなので光栄だよ」
「女の私にそのロマンは分からん。出直してこい」
「へえ~、出直してきたら、相手してくれるんだ? 俺のこと、構ってくれるんだぁ?」
「……べっつに」
イケメンの返しにふてくされそっぽを向くと、小毬ちゃんが「これは見事に一本取られちゃったねえ」と面白そうに呟いた。
「別に、取られてないし」
そう返す私の声は不機嫌の色を帯びていた。
「第一、あんたのこと構ってくれる女なんてそれこそ星の数ほどいるじゃない」
視線を巡らせると、教室内にいる女子のほとんど全員が、チラチラとこちらの様子をうかがっているのが分かる。その視線が向かっている先は私ではなくそこのイケメンだ。
憧れの王子様こと楠木勇一が、なんでこんなところにいるのだろう。どうにかして声をかけられないかな。できればお近づきになりたいな。彼のいい人になりたいな。ああ、こっちを見てくれないかな。話しかけてくれないかな。――彼が私のことを見初めてくれたりしないだろうか。
そんなシンデレラストーリーを、きっと彼女達は脳内で思い描いている。
私にだって分かるのだ。それぐらいに、楠木勇一には華があるということを。
「昨日、言ったでしょ。俺のほうが、芳野さん以外の女の子に構ってる余裕なんかもうないんだって」
「なんで私なのさ」
ぶすっとした声でそう、問うと、イケメンが不意に腰をかがめて、私の髪に触れてくる。
それから、やけに不意打ち気味に、いたずらっぽい笑みを浮かべたかと思うと、
「その理由を、芳野さんに言って聞かせて、納得してくれたら俺の気持ちを受け取ってくれるのかな?」
などと囁きかけてきた。
……顔が近い息が近いっていうか笑顔から放たれるキラキラオーラがなんとかシウム光線のごとく降り注いでくるので失明しそうなんですが。
小毬ちゃんなどは、「うわあ……わあああ、王子様のガチ告白だぁ」などと、自分がされたわけでもないのにうっとり頬を染めている。いや、小毬ちゃんだけじゃない。今やクラスの女子ほとんど全員が、妬みと憧憬と恥じらいの入り混じった熱い視線をこちらに向けていて、それがやたら居心地悪くて背中が痒くなってくる。
なので、そのあまりに近すぎる顔を鷲掴みにして、強引に押しのけてやることにした。
「いだいいだいいだい!? 待って芳野さん、その愛情表現は嬉しいけれど愛が重すぎて俺の顔が潰れちゃうよ!?」
「誰が愛情表現かっ!」
悲鳴とともに繰り出された世迷い言に激しくイラッとした私は、掴む場所を顔面から襟首に変更し訓練された動きで足を払う。
そのまま背中から床に叩きつけられたイケメンを見下ろして、私は冷たく吐き捨てた。
「ぶん投げるぞ、お前」
「もう投げられたよ!?」
「何を言う。柔道には手技、腰技、足技、真捨身技、横捨身技、それぞれ合わせて六十八種の投げ技があるんだぞ」
「まさか……全部食らわせるなんて言わないよね?」
微かに声を震わせながら、イケメンが頬に冷や汗を垂らす。
そんなイケメンに、私は柔らかく微笑みかけた。
「安心しろ。別に、そんなこと言わないから」
「ああ、よかっ……」
「投げ技の後には固め技三十二種地獄が待っている、と言うだけだし?」
「よくなかった!?」
「どうせならすべての柔道技を体験してもらおうじゃないか……それにどうせ、タラシ野郎なあんたのことだ。寝技はお手の物だろう?」
「お、俺が得意なのは畳じゃなくてベッドで行う競技のほうだから!?」
イケメンの軽薄な物言いに、私の額のあたりで何かがプツンと切れた。
「へえ~、そうかそうか……まずは体のどの部位から破壊されたい? リクエストぐらいは聞いてやる」
「そんな物騒なリクエストしないから!?」
「ならとっとと自分の巣に帰れ! 二度とこの教室の敷居をまたぐなー!」
怒声を浴びせてイケメンを教室から叩き出す。
「ったく……これだからイケメンは」
ため息交じりにそう呟いたところで、何やら妙な視線を感じた。
ふと見れば、クラスの女子達が非難の目を自分に向けているようだ。「ひどい」とか「王子様が……」とか「お可哀そうに……」とかそれぞれ口にしている。いや、悪いのは私のほうなのか、そうなのか。
(可哀想なのは私のほうだよっ)
と、内心思う。
(めんどくさい奴に絡まれて、こっちはけっこうストレスなんだよ! ああいうチャラチャラした男なんて願い下げだし! 誰か代わりにもらってくれ!)
胸の内でそんなことを言ったところで、彼女達には届かないのだろうが。本当なら、『王子様』のほうから声をかけられるなんて、女子にとっては名誉以外の何物でもないのだから。
一方で男共は、私にぐっと親指を立ててきて、
「「「巨大戦艦、よくやった!」」」
などとすっげー嬉しそうな顔で言ってきたから、そいつらもとりあえず投げ飛ばしておいてやった。
* * *
だがイケメンは投げ飛ばしても懲りなかった。
その日の放課後。武道場で岩下先輩を相手にさばきの練習をしている、ちょうどその時のことだった。
なんの前触れもなく武道場の扉が開いたかと思うと、あろうことかイケメンが顔を覗かせやがったのである。
「マジかよ……」
武道場は柔道部の根城である。どんな間違え方をしようと、部員以外が顔を見せることなどありえない。
だからイケメンは、何かしらの目的を持ってこの場所へやってきたに違いなくて。
そしてその目的とやらがどんなものなのか、だいたい予想できてしまっていて……。
そんな私の内心を知ってか知らずか、イケメンはきょろきょろと武道場内を見回したかと思うと、極上の笑顔と共に私に向かって手を振ってきやがった。
「あ、いたいた。よっしのさーん!」
あんにゃろう……。
私は思わずその場で頭を抱え込みたくなる衝動に駆られるが、その一方で女子部員達は「きゃーっ」と黄色い声を上げまくっている。「王子キター!」とか「やだ、わたし汗臭かったらどうしよう」とか「こっちにも手を振ってー!」とか「あー、王子に夜の四方固めかけてあげたいわー」とかなんとか。ってか最後のセリフ言ったの岩下先輩かよ……くっそ……。
そうやって女子部員達が色めき立ち始めると、今度は男子部員達がやたら雄々しく筋トレやら打ち込みやらをやり始める。
「うおおお、男なら、根性ー!」
「男なら、気合い入れろ気合いィィィィ!!」
「雄雄雄雄雄ッッス!」
掛け声から、ナヨい王子に対抗して男らしさアピールをしたいのが痛いほどに伝わってくるが、悲しいかな、女子部員の目はもやし系王子が独占してしまっている。だけどあんたらみたいな暑苦しいバカ、私は結構嫌いじゃないよ。私はな。
「何、部活の邪魔しに来てんだよ、お前……」
何はともあれ、このままでは活動の邪魔になる。そう思った私はイケメン邪魔クソ野郎を武道場の隅まで引っ張っていき、尋問することにした。
「芳野さんに寝技を教えてもらいに来ました!」
「ああん?」
「……というのは冗談で。芳野さんが部活やってるところ、見てみたくなったからさ。来ちゃった☆」
来ちゃった☆ じゃねーよ!
「や、来られても普通に迷惑っていうか邪魔なんだけど……つーかお前、自分の部活はいいわけ?」
そう問いかけると、イケメンが爽やかに苦笑いを浮かべる。
……というかコイツ、苦笑いまで絵になるな。爽やかなのに苦笑いとかマジで矛盾もいいところだろ。
「あー、部活かあ……中学まではバスケ部だったんだけどさー。どうせ人間関係上手く行かないって分かったから、高校では入ってないんだよね」
「人間関係って……どういうことよ」
「それは、ほら、向こうから声かけてきた女の子と仲良くしてたら、その子が部長の彼女だったりとか、そんなことが何度かありまして……。まあその頃は俺も来るもの拒まずだったから、おかげで男子の間では完全に孤立? って感じだったし。高校では同じようなトラブル繰り返したくないなーって」
「自業自得極まりないな」
対女限定の特大地雷タラシ野郎すぎる。
「あ、でも安心して芳野さん! 今は俺、来る芳野さん拒まず、他の女拒む、になってるから!」
「お前も安心してくれ。私も、チャラい男と軽薄な男と不誠実な男と楠木勇一は拒む仕様になってるから」
「その楠木勇一君は、一途で誠実で芳野さんラブな楠木勇一君にリニューアルしているみたいだよ?」
そういうこと言っちゃうところが軽薄なんだよ。
「とにかく帰れ。私は部活に戻るし、お前の相手なんかしてられないんだよ」
「相手してくれなくてもいいよ。俺は芳野さんのかっこいいところ、見学していきたいだけだから」
「お前な……」
「今はまだ、芳野さんは俺のこと受け入れてくれなくたっていい。でも、俺は芳野さんのことをもっと知りたいと思うから。だから芳野さんが部活をしているところ、見学したいと思うんだよ」
そう言うイケメンの表情は、怖いぐらいに真剣だった。
茶化す気配なんて微塵もない、本気の本気な目をしていた。
コイツもこんな顔をすることができたのか、と意外に思う。私が知っているコイツといえば、軽薄で、チャラチャラしていて、不特定多数の女と無責任に付き合ってきたという事実だけだったから。
そして同時に、卑怯だとも思った。こんな風に、こんな真剣で真っ直ぐな声と表情で訴えかけられてしまえば、突き放せなくなってしまうではないか。
「ったく……仕方ないなあ」
だから突き放すことを私はやめる。
「私なんかのどこがいいんだよ。どうせあんたには、都合よく相手してくれる、私よりも手軽で可愛くて小さくて女子力高い女なんていくらでもいるんだろう?」
だけど、信用することはしない。
どうせコイツだって、
「うん、いるよ」
「なら……」
「でも、それは芳野さんじゃなくていい理由になんかならないよ。俺が今仲良くなりたいと思う女の子は、芳野さんだけだから」
困る。
そんな風に言われたって、困ってしまう。こんな気持を真っ直ぐ向けられたことなんて、今まで一度もなかったから。
慣れないことをされたせいかもしれない。私の口が、思わず滑ってしまったのは。
「私にはないよ。
「あいつ? って、誰。芳野さんは、俺に今誰を重ねたの?」
「っ、違うなんでもない言い間違えただけだから」
早口にそう否定するけれど、イケメンは怪訝な表情を浮かべたまま崩さない。
それどころか、さらに追求しようと口を開きかけ――。
「楠木。見学なら、女子部よりも男子部の方がいいだろう?」
そこで、ノブに助けられた。
「は? あれ、えっと……誰、だっけ? 確か同じクラスの……」
「西郷だ。カズとは幼馴染で、同じ柔道部」
「あ、へぇ~……」
「それで、お前柔道に興味があるのか? なんなら体験もしていくといい。うちはいつでも新入部員募集中だ。きっとお前も好きになる」
そう言いながらノブがイケメンを引っ張っていく。
その途中、ノブがこちらを振り返ってぐっと立てた親指を向けてきたことで悟る。今、私はあいつに庇われたのだと。
……そっか。ノブも、あのこと知っているもんな。
おかげで、助かったよ。ありがとな、ノブ。
* * *
「あいつ……ねえ」
イケメンこと楠木勇一は、信隆に引きずられながら言葉を漏らす。呟くのは、芳野和美が漏らした『あいつ』という言葉だ。
「余計な詮索はするなよ」
「余計って……」
「人は誰しも、それぞれにそれぞれの事情を抱えているもんだ。カズに惚れているからといって、それをお前が掘り返す権利なんてないだろう?」
「それはそうかもしれないけど……」
信隆の言葉に、勇一は不満げに唇を尖らせる。が、男相手にはそんな拗ねた表情を作ったところで効果は薄い。
それに信隆の言うことももっともだった。勇一だって、事情も知らない相手に自分の過去を詮索されることには抵抗がある。
だからといって、想い人の抱えている事情とやらに無関心でいられるほど勇一だって大人ではない。むしろ、初めてといっていいぐらいに好きになった相手の抱えている事情だからこそ、無視できずにはいられない。
「あいつってなんなんだよ……」
和美の言った『あいつ』とやらが誰かは知らない。だけど、和美が『あいつ』とやらと自分とをあの時重ねたことぐらいは分かる。
だからこそ勇一は思うのだ。
「あいつなんかじゃなく、俺のことを見てくれよ……」
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