第5話

「わあ~、プリン・ア・ラ・モード!」


 幸せそうな小毬ちゃんの声が、私の鼓膜をくすぐった。


 ここは、律明高校からほど近い場所にある、権東駅。その付近。


 フルーツパーラー『まちのくだもの屋さん』店内。


 そこを、私と小毬ちゃんは訪れていた。


「生クリームだ! マスクメロンだ! いちごにバナナにマンゴーだー!」


「はいはい、嬉しいのは分かったからそんなはしゃがないの……」


 ちびちびとトロピカルジュースのストローに口をつけながら、そう言って私は窘める。


 これでもかとフルーツを添えられたプリン・ア・ラ・モードを前にして嬌声を上げる小毬ちゃんの姿は、その容姿も相まって微笑ましい。律明高校の、ややガーリーなデザインのセーラーも見事に似合っている。


 愛され系女子の理想的な姿が、私の隣に鎮座ましましているのであった。部活上がりの汗臭いジャージ姿の私とは雲泥の差である。


「あーんもう幸せ! やっぱ乳脂肪分って最高だよね。果糖ってこれ以上ない幸福だよね。卵とカラメルと果物のカルテットって口の中で最も美しいハーモニーを奏でるよねえ!」


「もう、落ちついて食べなさいっての。あと卵とカラメルと果物の三重奏ならカルテットじゃなくてトリオだろ」


 大丈夫かよ、吹奏楽部のフルート担当。


「これが落ちついていられるかー! ああー、うー、甘いものがわたしの獣欲と肉欲を刺激して別腹さんがフルスロットル……」


「アホたれたこと言ってんじゃないの。あ、もー、口の端っこに生クリームついてるし……相変わらず甘味相手には見境ないんだから……」


 呆れ交じりにそう言いながら、小毬ちゃんの唇から頬まで白く染め上げている生クリームを指先で拭う。


「あ、もったいないっ」


 その指をナプキンで拭う間なく、小毬ちゃんがパクついてきた。


「ぎゃああー、指を舐めるな指を!」


「ん、あむ」


「丹念に舌でねぶるのもやめい!」


 などという言葉も虚しく、小毬ちゃんは私のひとしきり蹂躙し尽くすと、


「どうも御馳走様でした」


 と言って丁寧に頭を下げてくるのだった。


「ぷ、くく……」


 すると、テーブルを挟んで反対側。そこに座る男から笑い声が上がった。イケメンである。


「二人ってほんと仲がいいんだなあ。ねえ、俺も芳野さんの指舐めていい?」


「…………」


 銀のフォークを無言で掴む。


 その先端を向けるよりも前に、イケメンが「わあ、降参!」と言って両手を掲げた。


「二度と同じような妄言を口にするな」


「妄言じゃないよ、本心だよ!」


「なおのこと悪いわ。そもそも、人の指舐めたいとか言うな、気持ち悪い」


「ええ~、そんな、もったいない」


「もったいないって何がだよ」


「だって俺、自画自賛になるけど、キスとかけっこう上手い方だと思うしさあ」


「……宇宙一どうでもいい情報をありがとう黙れ」


 ほんと、いちいち疲れるやつ……。


 付き合ってもいない女に脳みその沸いたようなことを言うこのイケメンは、結局武道場からずっとくっついて歩いてきたのである。ストーカーか。


 しかも私が小毬ちゃんと合流した後に、「駅前のフルーツパーラーに行こうよ。俺が奢るからさ」などと言い、甘党の小毬ちゃんがそれに見事に一本釣りされ……。


 結果、こうして放課後の時間を過ごすこととなってしまったのであった。


「っていうか芳野さんも何か食べればいいのに。ジュースだけだとお腹空かない?」


「空く。でも私、金あんまないし。ここ、ジュースですら五百円するし」


「奢るんだけどなあ」


「あんたに奢られる理由もないし。そもそも甘いものとかそんな好きでもないし」


 ブスっとした声でそう返しながら、頬肘をついてそっぽを向く。


「つれないなあ、芳野さん。俺としては、気になる相手に男の甲斐性的なものを示したいってだけなんだけどな」


「そんなの、他にたくさんいるあんたの彼女にでもすればいいじゃないか」


「これからはたった一人の芳野さんに示したいなって思ってるわけですよ、これが」


「わぁー、めーわくぅ……」


 辟易とする私にイケメンはにっこり笑いかけると、メニューをそっと差し出してきた。


「ほんと、遠慮しなくていいって。どうせ俺、将来は親父の会社継ぐことになるしさ。学校で優秀な成績残してる分、小遣いも多めにもらえてるんだ。それこそ、五千円もする特大パフェを奢るぐらいなら全然余裕がある程度には」


 言って、メニューの一角をイケメンが指差すが、残念だったな。私はぶっちゃけ甘いものがあまり得意ではないのだ。


 当然、特大パフェとやらには微塵も興味を惹かれない。


「だいたいな」


 と、私はジュースをちゅーっと吸いながら、刺々しい声で言ってやる。


「あんたのその態度が気に食わないんだよ」


「俺の? 態度? どれが?」


「奢ってやるっていう、さも上から目線みたいな態度のことを言ってんだよ。モノで釣れば気を引けるだろうって? 何か買ってやったら、少しは意識するだろうって? ねーからそんなもん。どんだけ舐めた考えしてんだっつーの」


 施されたいわけではないのだ。


 それも、こんな男から。


 私のそんな態度に、「そんなあ」とイケメンが悲し気な表情を作る。


「別に俺は、そういうつもりで奢るなんて言ってるわけじゃないよ? ただ、ほら、これぐらいの甲斐性はありますよ~、っていうのをやりたいだけで」


「だからあんた、そういうところだって」


「そういう……どこ?」


「分かってねえのかよ!」


 きょとんと首を傾げるイケメンに、私は思わず突っ込んでしまう。


 すると、隣で「んまんま」とスイーツを堪能していた小毬ちゃんが口を挟んできた。


「まー、しっかたないよ。カズミーのこういうところはさ」


「……何よ、こういうとこって」


「えー? いやほらぁ、わたしとか楠木君とかって、貢がれ慣れてる的な? だからそれが欲しいものなら受け取っちゃうし、いらなかったり面倒そうだったりする人からの貢ぎ物をかわす術は心得てる的な?」


 したり顔で説明する小毬ちゃん。ドヤ顔してるが、唇の横にあなたクリームがついたままですよ?


「だけどカズミーは、ほら、男の子に貢がれた経験とかがないからどうすればいいか分からないわけでしょ?」


「ああ、なるほど!」


「だからいきなり貢がれると、どう対応すればいいか分からないと。まあつまりはそういうこと!」


 小毬ちゃんの説明に、イケメンが「なるほどなるほど!」と深くうなずいて納得している。


 ……いや、まあ、否定はしないけど。だけどこうして納得されるのはなんとなく釈然としないものを感じてしまうな……。


「あとほら、カズミーって男に対して無駄にプライド高いから、何か物をあげたりするとかはむしろ距離を置かれたりするんじゃないかな~ってむぐぐぐぐっ」


「そのうるさい口を閉じなさいやめて」


 まだしゃべり続ける小毬ちゃんの口を、手に取った紙ナプキンで強引に塞ぐ。ついでに唇の端についてクリームも拭ってやる。


 それからイケメンに私は向き直った。


「とにかくさ。奢るとか、そういうのはほんとに迷惑――」


「じゃあ~、そういうことならあたしがご馳走になっちゃおっかな~」


 その甘ったるい言葉が割り込んできたのは唐突だった。


 声のしたほうに目を向けると、そこにはいくつか歳上と思しき派手な見た目の女性がいた。胸が大きくて、顔がきれいで、線の細い絵に描いたような美人だ。


 彼女はあっけに取られる私をよそに、イケメンの隣に腰を下ろすと、全身を擦り寄せるようにしてイケメンの腕をギュッと抱く。


「ミクさん……」


「はーい、ユウちゃんのミクちゃんでーっす。っていうか、ユウちゃん偶然~。こんなところで会うなんて、すっごい運命的じゃない?」


 言いながら、突然現れた女性はイケメンに対して過剰にベタベタと接する。


 きっと、多分……彼女はイケメンの、たくさんいる不特定の恋人達の一人、なのだろう。そういう女性がこいつにはたくさんいることは知っていたし、今さらそのことを非難するつもりもない。


 だけど、こうして目の前で公然とイチャつかれるのは、はっきり言って不愉快ではあった。


「帰る」


 財布から取り出した五百円玉を机の上に置き立ち上がる。


 そんな私を『ミクさん』とやらはちらりと一瞥し、口を開いた。


「っていうかあ~……まーたユウちゃんってば新しい女作ってんの~? こんな慣れてなさそうな子にまで手を出すとかきっちくぅ~」


「は!?」


「最近全然会ってくれないと思ったら、こんなダサい女の相手してたんだぁ。少しぐらいは連絡入れてくれたっていいのに、ユウちゃんつめた~い」


 ダサくて悪かったな! どうせ部活帰りのジャージ姿ですよ、こちとら!


 っていうか、手を出すもなにも、その男に迷惑してるのはこっちなんですけど!?


 声もなく憤慨する私に、彼女はさらに言葉を続けた。


「どこまでやってるか知らないけどぉ~、あんたみたいないかにもイモい女にはユウちゃんはおすすめできないなあ。知ってる? この男ったら隣に女がいないと寝れない体質らしくってぇ~、色んな女囲いまくりでも~大変。あんたみたいにいかにも純なコだと、どーせ遊ばれるだけで終わっちゃうよ~?」


 嘲りを含んだ猫なで声。


 それで紡がれる言葉は、私のことを案じる素振りで、その実排除しにかかっている。


 別にそれは構わない。そもそも私はイケメンに手を出されているわけでもなければ、やつに相手してほしいわけでもない。全部この女の勘違いなのだから、向けられる言葉にだってなんの意味もない。


 だけどこうして毒を含んだ言葉を向けられては、あまりいい気分ではなかった。


「あんたねえ……」


「ミクさん。いい加減にして」


 言い返そうと口を開いたその時、それまで黙っていたイケメンが割り込んでくる。


「え? なに、ユウちゃん。怖い顔して」


「俺、ミクさんとはもう会わないから」


「は?」


「ううん。もう俺、決めたから。ミクさんとも、他の人とも、もう会わないって」


 そしてイケメンがスマホを二台取り出した。


「こっちが父親との連絡用。もう片方が、ミクさんを含めた、女の子の連絡先が入っているプライベート用」


 一つずつ指差しながらそう言うと、イケメンはおもむろにプライベート用と称したスマホを手に取り――それを思い切り床に叩き付けた。


 ガンッ、という音が響き、床に落ちたスマホをイケメンが今度は足で踏みつける。ゴリゴリという耳障りな破砕音。


「なっ――」


 これには一同、思わず絶句する。私も先程までの怒りなんて綺麗サッパリ吹き飛んで、目の前の突然の事態に目を丸くした。


 そんな中、イケメンだけは平然とした様子でミクさんとやらに向き直ると、


「そういうわけだから、お引取りしてもらえないかな。俺は今、芳野さんを口説き落とすのに忙しいんだ――もう、他の女の子に構っている余裕なんてない」


「~~~さいってい!」


 ミクさんはそう吐き捨て、荒々しい足取りで立ち去っていく。そんな彼女の背中を、イケメンは憂いを含んだ目で見送りながら、「今までありがとう」とポツリと呟いていた。


「あ、あんた……その、よかったの?」


 色々追いついていけなくて、そんな曖昧な言葉で問いかけてしまう。


「ん? よかったって、何が?」


「その、スマホとか、今の人とか……」


「ああ、うん。大丈夫だよ。プライベート用のスマホはちゃんと自分で料金を払ってたし、女性関係は……いつかはちゃんとしないとなって、前から思ってたからさ」


 基盤のむき出しになったスマホの残骸。それを拾い集めながらイケメンが答える。


「この人にいてほしいと思ったのは、芳野さんが初めてだったから。だから、これからは末永くよろしくね」


「あはっ、末永くよろしくだって。カズミーおもし……おめでとー」


「さり気なくよろしくとか言ってんじゃねえよ。あと全然めでたくないから」


 小毬ちゃんも面白がるな。


 あーもー……ほんっと、調子のいいやつ。


「言っとくけど……私、あんたとよろしくやってくつもりなんてないからね」


「そっか、残念。あ、連絡先交換しよ?」


「聞けよ」


「大丈夫。こっちのスマホには親父の連絡先しか入ってないからさ」


「そういう問題じゃなくてな」


 全然話が通じていない。なんだこの面倒くさい絡み方は。

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