第4話

「うぇーい芳野さんうぇーい!」


 イケメンのウザいノリがさく裂したのはその日の放課後。小毬ちゃん(かわいい)と一緒に教室を後にしようと、机を立ち上がったその時であった。


「私この後部活だけど。吹奏楽部もそうだったよね?」


「だよだよ~。終わったらドーナツ食べに行こ!」


「うぇーい芳野さんうぇーい!」


「えー、ドーナツぅ……そういうのは私みたいなガタイいい女には似合わないんだよなあ……牛丼じゃダメ?」


「やだ、太る」


「うぇーい芳野さんうぇーい!」


「いや太るて……ドーナツとか、炭水化物と砂糖じゃん。しかも油じゃん。体脂肪率上昇待ったなしじゃん」


「お肉のためにデブになるのは自分を許せないけど、甘いものを食べるためにデブになるならわたしはわたしのことを許す!」


「どういう理屈よそれ……」


「うぇーい芳野さんうぇーい!」


 小毬ちゃんとそう言葉を交わす間も、公称『学園のアイドル』様は自己主張に余念がない。


 もっとも、巨大戦艦とあだ名される私にとっては、『学園のアイドル』も『王子様』も『イケメン』も縁遠い存在だ。そういうキラキラ成分は、汗臭い武道場で一本背負いと共に空の彼方へと投げ捨てている。


 私は、「とりあえず行こっか」と小毬ちゃんに声をかけ廊下を歩き出した。


「おーい芳野さーん? え、まさかの無視? 完全シカト? もー、つれないんだから~」


「…………」


「そんなつれない君、か~ら~の~?」


 なんもねえから!


 小毬ちゃんの手を掴み、私は歩く速度を上げる。


「あ、ちょっとカズミー早いんですけどー」


「……ごめん、小毬ちゃん」


「いやいいけど。っていうか、お気の毒だけど、さ。ほんとにいいの、カズミー?」


 気遣わしげな小毬ちゃんの言葉に、私は「いいもなにも……」と言葉を濁すことしかできなかった。


 * * *


「たああ――っ」


 相手の懐に一歩飛び込むと同時、相手に背を向ける。


 引き手はがっちりと袖口を掴み、吊り手側は肘を畳みつつ相手の脇を抱きかかえるようにして挟み込む。


 摩擦に軸足の裏が焦げるのを心地よく感じつつ、浮いた体をそのまま腰で跳ねあげ――投げる。


 ダァン! と畳に背中が叩きつけられる音が武道場に響く。一本背負いが決まったのだ。


「いつつ……」


「ふう」


 額の汗を胴着の袖で拭いつつ、息を吐く。


 そんな私に、未だ畳にへたり込む相手役が恨みがましい目を向けてきて言った。


「一本背負いて……芳野、今日荒れてんなあ」


「あ、いや……つい」


「ついでするもんじゃないでしょあんな大技……まあそれを見事に決められた側が何を言っても負け惜しみなんだけど」


 言いつつ、「よいしょっと」という一言と共に起き上がった相手役――岩下先輩は、半身に身構え軽く身を沈めた。


「さて、じゃ、続けよか乱取り」


「ウス」


 左半身で私も身構え、伸びてくる相手の手を捌きつつ次の一本を狙う。が、先輩は私よりも小柄だが下半身がしっかりとしている。ありていに言えばケツがでかい。なかなか浮かない。さっき一本背負いを決められたのは多分まぐれ当たりもでかい。


 結局それ以降はなかなか攻めきれず、どころか復讐の大外刈りまで食らったところで部活は終了時間を迎えた。


「やー、さっきのよかったよ芳野。あれが出せるなら、大会でも上行けるね!」


 掃除を終え部室で着替えている最中、岩下先輩がそう言いながら背中をバシンバシン叩いてくる。けっこう痛い。


「はあ……ですかね」


「あれ、思ったより反応悪いね芳野。……なんか悩み事?」


 曖昧な態度を訝しく思ったのか、岩下先輩がそう問いかけてきた。丸くふっくらした頬と体型が愛嬌を感じさせるこの先輩は、なかなか後輩の面倒見もいいのである。


「いえ、悩みってほどでもないんですけど……」


「うーん、そっか。まあいざとなったら相談でも愚痴でもなんでも言ってきな! 話聞くぐらいしかあたしにはできないかもしれないけど、さ!」


 などと言いながら背中をバッチィィィィン! と今度は平手で叩いてくる。


 びっくりして、思わず「ひぅっ」と声を上げてしまった。


 叩かれたところが、じんじんと痺れるような痛みを訴えている。


「な……い、いきなり何するんですか!?」


 恨みがましい目を向けると、先輩はちょっとドヤ顔をして。


「ん、元気が出たようで何よりである」


 などとうんうんうなずいていた。


「なんつー……体育会系な元気注入法」


「芳野みたいなタイプには、分かりやすいでしょ」


 ……参ったなあ、否定できない。


「それに、うちの柔道部のモットーは、『悩むな動け、凹むな笑え、心折れるな前を向け!』だしね!」


「……そんなのありましたっけ?」


「あたしが今作った!」


「捏造じゃないですか……」


 しかも無駄に語呂がいいし。


「ま、あたしは気づいてしまったのさ。体育会系な脳みそ筋肉バカ女が悩んだり考えたりしたところで意味なんてないってことに。だから芳野も、悩んだところでいいことないぞ。頭使うな、筋肉使え! これも我が柔道部のモットーね!」


「めちゃくちゃ頭悪そうなモットーっすね……あと先輩、さりげなく私まで『バカ』にカテゴライズして仲間に引き入れようとするのやめてくれません? これでも、前の学年テストだと学年で二十番以内に入ってるので」


「成績いいとかあんたバカか!?」


 バカじゃないから成績いいんです。


「うちはそういう方針なんですよ……赤点取ったり宿題サボったりしたら誇張でなく最低で二時間コースだったので」


 説教がである。


 ついでに説教のあとはつきっきりでのお勉強コースが最低で三時間。さすがに、嫌でも勉強をするようになると思う。


「あーもーやだー! 勉強やだー! テストやぁだぁ! 学校来たくなーい! あ、部活は別腹で!」


「まったく……」


 頭を抱えてのたうち回る先輩に、私は思わず笑みを漏らす。こうやって分かりやすくバカなことされると、悩んだりするのもバカバカしく思えてくるから不思議なものだと思った。


 そんな風に談笑しながらも着替えを終え、先輩と連れだって武道場を後にしたところでだ。


「お、やっほーやっほー! 芳野さんみっけ! なんつって! ばっちりしっかりここで芳野さん出てくるの待ってたんだけどね!」


 ……イケメンクソ野郎が、相変わらずの爽やか風を吹かせてそこで待っていた。


「……芳野? ちょっと今度詳しい話を聞かせなさい。あ、『先輩命令には絶対服従』って、これ我が道場部のモットーね」


「自分に都合よくモットーを捏造すんな……じゃなくて、しないでくださいよほんと……」


 一度は薄らいだ、しかし一瞬でぶり返した悩みに頭痛を覚え、私は重苦しいため息をつくのであった。

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