悪役

よしや

悪役

 今さら善人ぶるつもりは毛頭ない。

 覚悟なんてとっくに決めている。

 だから……最期まで傍で見ていて頂戴。




「ソフィア、君との婚約を解消する」


 自ら破滅への一歩を踏み出した元婚約者を見て、自然と唇の端が上がってる。


 ―――私、綺麗に笑えているかしら?


 私の表情を見て恐れおののく殿下。

 傲岸不遜を気取っているだけで実際は気の小さい彼の事だ、逃げ出したいのを必死でこらえて愛する者の前で私と対峙しているのだろう。

 もしも全てが嘘だと言うなら、もっと他の手段なんていくらでもとれたと言うのに……。


「君との婚約を解消して、僕はこのマリアと結婚する」


 私とは正反対のまるで聖女の様な姿の彼女の肩を抱き、なけなしの勇気を振り絞ってまでお決まりのセリフを言う姿は―――本当に、滑稽で。

 わずかに残っていた私の罪悪感は彼自身によって消し飛ばされた。


 笑いをこらえるために私はふうとため息を付く。……そして私よりも彼女を選んだことに少なからず腹が立った。

 愛情は疾うに尽き同情のみで傍に身を置いていたと言うのに、それすら裏切るなんて許せない。


「殿下、ご存知でしたか?王位継承権は私にもあることを」

「は?何を言っている?」

「……そのくらいはせめてお勉強なさって欲しかったのですが……さようなら、殿下。残念です」


 手を上げて周囲に合図を送ると彼はあっという間に兵に囲まれる。

 おそらく最期まで理解できなかったのであろう。

 抵抗することすらせずに首を切られる様を、私はひと時も閉じることなく瞳に焼き付けた。

 滴る血をしばらく眺めていたがただの肉塊と成り果てた元婚約者に興味が無くなり、片づけるよう命じる。


 彼の父親―――国王達も別の手の者たちによって殺されたとの知らせが入った。

 クーデターがこんなにも簡単に成功してしまうなんて、この国はそんなに傾いていたのかと我ながら驚く。

 たった一人の小娘が一夜にして国の頭首となることを、演劇でも見るかのようにこの国はきっと容易く受け入れてしまうのだろう。


 叫び声をあげることもしないマリアの方を見やると両手を口で押え、涙をボロボロこぼしながらカタカタと震えていた。

 ……この期に及んではかなげな女性を演じるのが上手だこと。

 細い腕をつかんで無理やり立たせ、引っ張りながら私は歩き始めた。蹌踉めきながらも抵抗せずについてくるマリア。


「ソフィア様、どこへ?」

「部屋に戻るわ、何をするか想像がつくでしょう?」


 声を掛けた兵士にマリアの腕を引っ張りながら意味ありげに笑ってみせると、兵士は顔を青ざめさせながらひどく怯えた顔をした。

 きっと彼の脳裏では血にまみれた凄惨な光景が広がっているに違いない。それでも止めるほどの勇気を兵士は持ち合わせてはいない様だった。


 私はマリアを部屋に入れ、かちゃりと後ろ手に鍵を閉めた。

 マリアは逃げるように長椅子の方へ駆け寄る。長椅子には幼少時から私に仕えている侍女に用意させた男物の服が掛けられていて、マリアはそれを手に取った。

 ハスキーボイスをさらに低い男性の声に変え、マリア……だった男は地毛と違う色のかつらを取り服を脱ぎ始めた。


「はあ、やれやれ、やっとこの姿から解放される」

「ちょっと、ここで着替えないで」

「仕方ないじゃないですか。俺がマリアだってばれるわけにはいかないんでしょう?」


 私は向きを変えて、彼の着替えから目をそらすために窓の外を見た。女装して誑かせなどと命じてはいない。

 婚約者だった王子に情けを掛けてしまわない様にと彼が自ら汚れ役を買って出たのだ。果たして、企みは成功した。

 直前まで迷っていた私を見事に悪役に仕立て上げたのは、彼の演技と王子の選択によるものだ。


「今だから聞くけど……殿下が男と気づいていながらもあなたに惚れていたらどうするつもりだったの?」

「俺の能力を疑うんですか?」

「疑うわけでは無いけれど……はあぁ、私は女装した貴方に勝てなかったと言う事よね。複雑だわ」

「あいつの心なんて欲しがらないでくださいよ。欲しがるなら俺の……ぶっ」

「化粧もさっさと落としなさい」


 言い終わる前に彼が脱ぎ終えた服を顔に目掛けて投げつけた。

 このマリアの服は後で鶏の血で汚さなければ。

 それからクーデターの後始末、戴冠式、各国への手配。

 普段から国王が行っていた仕事すらまだ着手はしていないと言うのに、覚悟の上とは言えやることの多いこと、多いこと。


「気を抜かないで頂戴、終わりではないのよ。ここから始まるの」

「ご一緒しますよ、女王陛下。最期のその時まで」


 マリアの格好から完全に男に戻った彼は、私の隣に立って窓の外を眺めた。

 見とれるほどでもないが割と整った横顔は、島国であるこの国のほぼ中央に存在する火山を睨みつけている。

 シャンデリアの細かな飾りがわずかに揺れ、シャラシャラと音を奏でた。思わず二人で顔を見合わせる。


「今、少し揺れたわね」

「予言の時は近い…ですかね」



 女王になった私は前国王が傾けた国政を立て直すため、手始めに税金を上げる。

 それに乗じて自分の懐に入れてしまった領主は処刑を命じ、新たな領主を任命した。

 王族殺害によって簒奪した玉座なので悪人に情けと時間を掛ける必要もなく、思う存分に権力を振るうことが出来た。

 民を思い、税率を下げるように直訴してきた賢明な領主には巨大な船の建造を命じる。


「どうしてそのような……」

「あら、貴方もお隣の領主のようになりたいのかしら?」

「いえ、滅相もございません」


 そうよ、それでいいのと耳元でささやく。

 自分の持てる美貌という名の武器を最大限に使い、脅しと甘言で人々を従える。

 命じた理由も他言を禁じた上で話せば、民思いの領主は皆納得した。民衆からの不満は彼らが受け止めてくれるだろう。


 思うがままに駒が動いていく。

 何も知らない、純真で無垢だった子供の時よりも多くのものを手に入れながら。

 幼い頃は宝石やドレスに心をときめかせ、婚約者である王子の支えになるように教育され、約束された幸せを何一つ疑う事もせずに笑顔を振りまいてきた。


 それが崩れ去ってしまったのは彼に出会ってからだ。

 身分にそぐわぬ言動や斜に構えたような考え方に、出会った当初は眉をひそめたものだった。

 密かに国の上層部でささやかれる予言の情報を持って来たのも彼だ。


 一年、即位してから一年間だけ、どんなに恨みを買っても死なずに済めばいい。

 傍で見ていてくれる彼さえいれば、国中を敵に回してたとえ最後に彼に裏切られたとしても、私は全てを受け入れよう。

 予言が嘘だったとしても私を含めた悪人が一掃されるのはきっと国の為になる。


 時間が経つにつれ私が何をしようとしているのかを理解し協力を申し出てくれる者も現れたが、丁重にお断りする。

 悪役は少ない方が良い、私が成し遂げられなかった時のことだけをその者に頼んだ。


 それとは別に彼に頼りきりの私を危惧し引き離そうとする者もあらわれた。善意からなのだろうが、彼がいなくなっては意味が無いのに。

 その者は処刑を命じる前にいつの間にかいなくなっていた。


 密かに行っていた他国との手紙のやり取りは内通を疑われた。時間が無いのに、邪魔をするものが多い。

 私を躍起になって引きずりおろそうとする者たちは、罪をでっち上げ次々と処刑していく。

 彼らも私の民であるのに。悪人だけを処刑していたはずが段々と悪の定義が分からなくなり、感覚が麻痺していく。

 暫く眠っていたはずの罪悪感が、むくりと起き上がって私の心を蝕んでいった。


「そんなにお辛いなら、処刑の場面なんて見なければいいのに」

「ひぐっ、王子の時は全然平気だったのよ。きっと殺した者の腕が良かったのね」

「思い出さないでくださいよ、あんな奴の事なんか」


 むすっとした顔で泣きじゃくる私の背を撫で子供のようにあやす。

 王子が婚約破棄を申し付けるより前に気持ちは彼に傾いていたのだから、私は立派な悪役だ。

 耳元で愛の言葉を囁くでもなければ、贈り物をされたわけでもない。


 撫でていた手が段々と下の方に下がってきたので、私は彼の足を思い切り踏んづけた。

 悲鳴を上げながら情けない顔をした彼にちょっとだけ嗜虐心が湧いたのは内緒にしておこう。


 ある日―――否、予言されていた通りの日に島の火山は噴火した。小規模な噴火がやがて大きなものへと変わっていき、国土である島が崩れ落ちて沈むと言う予言。


「国民は全て乗船し、他の国々へ出航しました」


 唯一残っていた彼が報告をしに私の部屋に来た。

 城はもぬけの殻となり、窓から見える港へと続く道も避難する民の人影は既に見えなくなった。

 今はまだ地面を揺らすだけの被害がやがて熱気や毒を含んだ風がここまで来るのだろう。

 手紙と金銭によって周辺の国には国民の受け入れを要請してあるので、小さな揉め事はあるかもしれないがどうにか生き延びてくれることを願う。


 事を始めた頃には彼が共に死んでくれることを望んでいたのだが―――


「貴方も逃げなさい。私はここに残るわ」

「そういうと思っていました。全く、もう見ている人間は俺を除いてだれ一人いないのに、どこまで悪役を貫くおつもりだ。あなたは国民を救った女王でしょう」

「いいえ、国を滅ぼした悪女なのよ。民から巻き上げた金で船を造っただけ。どこにも行き場所なんてないわ」


 どおんという轟音と共に揺れが酷くなっていく。

 別れが辛くなるからさっさと行ってほしいのに、顔を見たくないからそっぽを向いているのに、彼はとても深いため息をついたまま動こうとしない。


「もう一度言いますよ、今ここに居るのは陛下と俺の二人きり。『一緒に死んで』でも『一緒に生きて』でもどちらでもいいんで、一つ、熱烈な愛の告白を可愛くお願いします」

「さあ、とっととずらかるわよ!」

「あ、今の何か悪役っぽくていいですね」


 逃げるための船まで走っていたが、着ていたドレスが足に纏わりついて動きづらい。

 しびれを切らした彼が私を樽のように担いで走り出した。かなりの屈辱だ。


「ちょっと、どこ触ってんのよっ」

「すみませんっ責任は取りますから暴れないでくださいよっ」




 火山の噴火により国全体が海へと沈んだ×××国は世界から姿を消した。持ち出された記録により国の財政が破綻していたことから、予言を知った上流階級が贅を尽くしていた模様。

 最後の女王は在位わずか一年。

 国土そのものを断頭台とした悪役として歴史に名を刻み、彼女を題材とした物語や戯曲は多い。


 対岸の海辺の町にて女王によく似た女性の目撃情報が時折囁かれるが、定かではない。


「今日はいい魚が上がったよ。奥さん、夕飯にどうだい?」

「良いわね。そのお魚を二尾くださいな」

「あいっ毎度あり。もしかして×××国の出身かい?」

「ええ、分かるかしら?」

「少し訛りがあるねぇ。災難だったな……よしっ、もう一尾おまけしとくよ」


 国民の受け入れ具合は、こうしたやり取りでうまくいっているのだと感じることが出来る。能力のある領主だけが残ったのだから当然だ。

 海から見る風景の中に、私の故郷は跡形もない。それでも足を止めてみてしまうのは、必死で生きた一年を時々振り返りたくなるからだろう。何年経っても色あせない『悪役』としての記憶。


 最後の仕上げとして、女王の最期をより凄惨克つ悲劇的に描いた小説を発表することで世間の目を欺くのだと言って、新聞記者や編集者の道を経て彼は作家になった。

 そんなにうまくいくものかと思っていたら、自分が行っていた諜報活動を小説にしたものがベストセラーとなり、それにあいまって売り上げが伸びているのだと言う。


 私の方が年下だからどう考えても無理だろうけれど、約束通り最期まで傍で見ているつもりらしい。夫となった彼との間に子供はできなかったけれど、二人で生きているだけで充分だ。


 作家と言う職業柄、家の扉を開ければいつでも彼が待っている。城では決して口に出さなかった名前で呼んでくれる彼が。


「お帰り、ソフィア」

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