2.ベンチに腰掛ける余裕もなく
入学式は思ったよりあっさり終わった。きっと本当ならもっと感動とかこれからの大学生活への期待と不安がたっぷり詰まった感動ものだったのかもしれないが胸焼けするような出来事に引っ越しそうそう当たった僕には日常に過ぎなかった。
「文也、今晩の飯、一緒に行かねえか?」
声をかけて来たのは高校が同じで同じK大、同じ学部に進んだ中村久志だった。
久志とは高校で出会い、3年間クラスが一緒だったこともありいつも一緒にいた。大学もたまたまだが同じ学部を受験し合格することができまた4年間一緒というのは地元から出てきてまだ慣れない生活の毎日の文也にとってはありがたい事だった。もっともそれは久志も同じで田舎者2人仲良く場所を移動する。
「こっちに来てから連絡したのに忙しかったのか?今日まで会えなかったけど」
「まぁ色々片付けもあったしちょっと訳あり物件だったみたいでさ。大変だったんだよ」
「大丈夫かそれ、うちのマンションまだ空きあったはずだけど」
「大丈夫だよ。慣れたし、それにお前のところ家賃が予算オーバーだし」
「そっか、一度どんなとこか遊びに行かせてよ。俺のところにも遊びに来なよ」
話しながら歩いていると後ろから文也の名前を呼ぶ声がする。
「おーいそこの田舎少年2人!ふみやー」
振り返ると小柄な中学生と間違われてもおかしくない大きさの少女が走って追いかけてくる。
「大学生にもなって廊下を走るなよ。しかもでかい声で恥ずかしいだろ」
「だったら勝手に先に行くなよ。探したんだぞ」
「しょうがないだろ。お前見えないし」
「てぃ!!」
思いっきりスネを蹴られ悶える文也を無視して久志が話を変える。
「やぁ水野さん。また3人一緒だね」
そう呼ばれた少女は文也を無視して話し始める。
「中村君は相変わらずイケメンだねー。都会に出ても負けてないなぁ。横で痛がっている男と違って」
「千尋は都会に出ると小ささがより増すなぁ」
もう片方のスネを蹴られそうになりとっさに後ろに下がって交わす。すぐ手、ではなく足が出る癖は昔から変わってない。
「ちっ」
「とりあえず、水野さんの声で俺ら目立っちゃってるみたいだし外に出ない?」
久志の提案に乗って3人は建物を出て敷地見学も兼ねてフラフラすることにした。
「千尋はどこに部屋借りたんだっけ?」
「私は大学から自転車で15分ぐらいのとこかな。あんたのところとそんなに変わらないんじゃないかな。中村君は?」
「俺はここから2駅ほどのところかな。結構、町中で便利だよ。食べるところにも困らないし。そうそうさっき文也にも言ってたんだけど3人で晩飯行かない?」
「いくいく!」
まるで休みの日に父親にデパートに連れて行って貰える子供のように身を乗り出して答えてくる千尋を見て少しホッとした自分がいることに気がつく。
「なんか元気ないね?文也」
すぐに千尋がそれに気がついたようで慌てて表情を隠す。
「そんなことないさ。まぁお前らと違ってちょっと厄介な物件でさ」
「まぁまぁその話は晩飯のネタに取っておくとして学食覗いてみようぜ」
相変わらず細身の体に似合わず久志は食いしん坊だ。地元でも大食いチャレンジなるものを数々完食してお店を泣かせてきたのだがこのお腹を満足させる食堂メニューは果たしてあるのだろうか。
食堂にはお昼が近いこともありたくさんの学生で混み合っていた。といっても席には十分な空きがあり適当に見つけて座ることにする。
「なにか買って来るけど何がいい?」
「私、Bランチ」
「俺はAランチ大盛り」
財布を取り出し食券機の前に並ぶ。それにしてもかなりの列だ。そういえばあの2人が定食を頼んだら自分の分を持つ手が無いではないかその事に気が付き助けを呼ぼうかと考えるがこの列を並び直すのは面倒だ。どうしようかと考えているうちに文也の番が来る。
A大盛り、B普通、C普通と押しお金を入れる。ガラガラと言う音と共にお釣りと食券が吐き出される。
さてどうやって取りに来てもらおうか。そんなことを悩んでいることを知ってか知らずかトレーに並べられていく。
「頭に乗せるのはどうかな?悩める青年」
後ろからいいアイデアが飛んでくる。
「そうですね!それがっ・・・て無理だろ!やってみろよ!」
「お任せあれ!」
「えっ・・・」
すると後ろからCランチが奪い取られ彼女の頭の上に載っかる。
そのまま彼女は何食わぬ顔で自分のCランチ大盛りを手に持って2人が待つ席へ運んでいく。
慌てて文也は2人に頼まれた料理の乗ったトレーを両手に持って彼女を追いかける。
席で待つ2人の方も驚きを隠せない。見ず知らずの女性が頭に料理を乗せて向かってくるのだ。しかもその彼女を追いかけて自分たちの頼んだ料理がやってくる。ところが彼女の行動に驚いているのはどうやら初々しい文也達と同じ新入生らしき者達ばかりでどうやらこれは大学の日常らしく周りは全く気にしていない。恐るべし大学だ。
「おまたせー」
そう言ってCランチを2人の前に置いた後、振り返り文也に話しかけてくる。
「君、伊藤文也くんだろ?」
髪の毛が味噌汁臭いです・・・名も知らぬ先輩・・・・。
ビチャビチャのトレーに注意しながら残った味噌汁味の昼飯を腹に入れながら彼女の話を聞く。
「いやーお母さんから話は聞いてたんだよね。臣吾くんに写真も見せてもらってたし。探してたんだけどこんなところで会うとはね」
目の前の味噌汁女はどうやら同じアパートに住む未知の生物シリーズの1人のようだ。
「話に入って悪いんですけど名前聞いてもいいですか?先輩・・・?でいいんですよね?」
呆然と固まる千尋と違い果敢に挑んでくる久志。流石イケメン。味噌汁にも動じない。
「ごめんね。私は坂本真琴、3年で学部は工学部。彼と同じアパートに住んでるの。と言っても忙しくて帰れて無いから会うのは今日が初めて何だけどね。君たち2人は?文也くんのことは聞いてるけど」
「俺は中村久志です。こっちは水野千尋。2人ともこいつと同じ高校で大学も一緒なんです」
「そっかよろしくね!」
挨拶を済ませた後、彼女は自分のこぼれていない味噌汁でご飯を流し込み嵐のように去っていった。
「すごい人と住んでるんだな。大丈夫かお前」
彼女が去った後、さっそく心配される。無理もない初対面があれなのだ。
「まぁ確かにすごかったがまだマシだ。あれは」
「あれよりすごいのがいるのかよ!」
「私、今度見学に行きたい!」
「動物園かよ。俺のアパートは」
しかし味噌汁が無いと喉が詰まりそうだ。この昼飯。今度会ったら奪ってやろう。食べ物の恨みは怖いんだぞ。
「ところで授業で使うあれ買った?」
それからの話は授業の履修や購入しておくべきもの、アルバイトなど大学生らしい話を続けながら順調とは言えないスタートを切った文也だった。
夕食を3人で済ませアパートに戻ると食堂から声が聞こえる。時計を見ると既に11時前を指しておりお母さんは近くの自宅に帰っているはずだ。文也も今日は夕食が要らないことは昼間に連絡済なのでまた和美さん辺りがビールでも飲んでそのまま寝てしまったのだろうと思い中を覗く。
すると見知らぬ細身の男性が冷蔵庫から作り置きの料理を取り出しているところだった。
住人だろうと思ったものの念の為声をかける。
「すみません。どうかしましたか?」
突然声をかけられたことにビクッと体を震わせ恐る恐る男性はこちらを見る。
メガネをかけた気の弱そうな男が文也を不審な目で見る。
「2階にこの前引っ越してきたものです。電気がついてたのでお母さんがまだ居るのかと思って」
その言葉に安心したのか握りしめていた瓶ビールとラップがかけられた料理をテーブルに置きこちらに近づいてくる。
「失礼しました。私は1階に住む小林三郎と申します。普段は高校の教師をしています。ちなみに安心して下さい。私、ロリコンのなのでJKとかJDとかの年増には興味ありませんから。援交とかも無いですので」
あぁこいつもか・・・・
謎の安心感を覚えつつも自分の人生選択に不安と不動産屋への憎悪を心に秘めながら自己紹介をする。
「伊藤文也です。大学進学したのでつい最近引っ越して来ました。よろしくおねがいします」
「あぁK大の子だね。例の」
意味深な言い方をする。
「済まないね。驚かせて。仕事が遅くなった日はいつもお母さんが冷蔵庫に私の分をビールと一緒に入れて置いてくれるんだよ。たまに酔った和美に食い散らかされることはあるけど今日は無事で良かった」
君も1杯どうだい?と誘われたが未成年なのでもう少ししたら付き合いますとだけ言ってお茶を貰う。
「大学は楽しいかい?」
「まだ始まったばっかりなのでなんとも。ここよりはまともそうとしか言いようが無いですね」
「ここほど楽しいところは無いさ。私達と違ってちょっと変な人も多いが私もすぐ慣れた。君も慣れるさ」
「慣れたくないです。てか小林さんも変わってますから!」
「変わってたら教師なんて務まらないだろ。至って私は普通だよ。真琴ちゃんや和美の方がよっぽど変わってるよ。その点、僕は実にまともだ。臣吾なんかは私をロリコンと呼ぶがこれは歴史や人間の成長などを勉強していれば何ら間違いではなくむしろ私を変態呼ばわりするものたちのほうが淘汰されるべき存在であり・・・」
話が止まらない・・・この時点でかなり変わっていると思うが本人には自覚が無いらしい。
「ところでこのアパートって何人住んでるんですか?まだ全員とお会いして無くて」
終わりが見えなさそうなので話題を変える。
「確か君を入れて9人かな。ほとんど一人暮らしだし。9人だと野球ができるな。いや対戦相手がいないから無理か・・・」
文也を入れてということはあとこんなのが4人もいるのか・・・ぞっとするな。
そろそろ部屋に戻ろうかと空のコップを洗って棚に置き。小林に挨拶をして食堂を出る。
別れ際、小林に言われたことはその日の文也の頭の中をかき混ぜ続けた。
「君はきっとエースになれるよ。ひと目見て分かった」
その意味はわかるときが来るのだろうか。文也はまだ知らない・・・
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