第5話 猿
「姫様、おはようございます。」
目を開けると侍女のトゥバが私を覗き込んでいる。
既に窓は開け放たれ、外の少し冷たい空気が入り込んでくる。外は曇り空のようで朝日はなくどことなく暗く、午後には到着するバラミール領での視察が唯の視察では終わらない雰囲気を醸し出していた。
「もう少し、ちょっと待て。妾はまだ眠い。昨日は興奮して眠れなかったのじゃ。」
「よかったですね。アスラン様と話せて。」
「その通りじゃ。でも、領土を取り戻せなかったら伯爵の地位からの降格か剥奪だからなんとしてでも領地を取り戻さないとボラと結婚させられてしまうわ。」
「そうですね。何としてでも取り戻すようチャクル将軍には頑張って頂かないと。さ、お早く、既に朝食の準備は出来ていますよ。」
「今起きる。」
今日着る服に着替え一階のキッチンへ向かう。
キッチンは既にこの宿の宿泊している兵士で溢れ、喧騒に包まれている。
アスランのいるテーブルまで歩いていくと、邪魔な胸が揺れる。痛い。こんなモノ無ければ肩が痛くなることもないのに。
すでに席に着いているアスランと目が合う。合う?何故かアスランは少し下の方を、私の胸を凝視しているようだ。
微妙な表情だ。
呆れてるのか興味を示しているのか。
巨乳好きかロリ好きか、判断に迷うところだ。
「おはようございます。アスラン様。」
最高の笑顔で挨拶する。どうしても緊張してしまう。その所為か様をつけて呼んでしまう。将軍は呼び捨てなのに・・・
「おはよう、殿下。」
なぜ、殿下と呼ぶのかしら。名前で呼んで欲しいのに声には出せない。今までこんなことはなかったのに。
昨日の夜のことが恥ずかしくてなかなか会話を切り出せない。
別に恥ずかしい事をした訳ではなくただ会話を交わしただけなのに、目が見れない。会話で誤解が生じてないのかが気になる。特にボラの
目から疑惑が伺えた。いや、嫉妬?嫉妬だと良いな。
え、もう食事も終わらせて行っちゃうの?
待ってて欲しいのに。
も、もしかして嫌われた?
ボラが好きだと思われたのかな。
確かに、ボラの長所を言った。ボラが最高のギフトを持っていると言った。
それは単に事実を言っただけで褒めたわけではない。
ただ、褒めたと取れなくもない。
婚約者候補に対する称賛だと解釈するのなら好きな人の惚気だと解釈できなくもない。
しかし、それは勘違いだ。
私は、ボラのことなどなんとも思ってない。私が好きなのは・・・・
口に出して言えない。
勇気がない。
早く食べて馬車に行かなきゃ。
彼は馬車にいるはずだから。
馬車は、王族仕様の外観も豪華で、中も豪華。税を尽くした、基、贅を尽くした豪華絢爛な造りだ。さらに、少々のバケモノの攻撃では破壊できないくらい頑丈に作られている。
フレームが金属でできていて外壁にも金属が使われている。
金属と言えばこの国でも鉄が最も多く使われている。チタンや固い合金などは前時代の遺物として遺跡から産出されることがある。
その為移動速度は遅く馬も通常以上に必要になる。
しかし、安全には変えられない。
ドアを開けると既にアスランは馬車に乗り込んでいた。
「バラミール領へは今日の夕方くらいに到着するのですか。」
意を決して会話の端緒を開いた。
「はい、殿下。何もなければ夕方位には到着する予定だな。何かあって夜になればどこかで野宿し、夜が明けてからバラミール領の城壁内へ侵入を試みるらしいな。」
「そうですか。緊張しますね。」
彼は私が姫だというのにあまり敬語は使わない。そのくせ、店の人などには敬語を使って話す。基準は年齢だろう。
好感が持てる。が私を蔑んでいるとも解釈できる。それとも、私を友達みたいに思っているという事かも。それなら嬉しいが・・
「俺は戦えないから祈るしかないんだけどな。」
彼は少し寂しそうに話す。
本来であればギフトがうまく定着して心のまま戦えていただろうに。
親の仇が打てたかもしれないのに。
どれほど無念な事だろう。
でも、彼が哀れだとは言いたくない。
彼は常に明るく振る舞い、弱い部分を、落ち込んだ様子を周囲に見せない。弱みを曝さない。
だから、哀れだとは言うまい。
だからこそ彼は気高く美しい。
だからこそ、そんな彼を私は好きになったのかもしれない。
馬車は、道中バケモノとの遭遇も少なく、予定よりも早い午後三時頃には旧バラミール領城壁前に到着した。
ドアが開き将軍が馬車に乗り込んできた。
「アスラン、中は静かだ。門も開け放たれていて猿どもは既にいないようだ。外にいても危ない、このまま城壁内へと侵入するぞ。」
「はい。お願いします。」
エクレム・チャクル将軍はアスランと短い会話を交わして馬車を出ていった。
馬車の周りは騒がしくなり、エクレムの号令とともに隊列が城壁の中への侵入を開始した。
辺りは未だ午後三時だと言うのに既に暗く、ただ不安だけを膨張させていくようだ。
先頭の兵士が門を潜り、次々と中へ入っていく。
城壁内は静かだ。もう誰もいないようだ。
馬車が門付近の広場に停車した
アスランが外に出る。
私もアスランに続いて馬車の外に出る。
馬車はもしもの時に備え出口に向きを変え、御者はそのまま降りずに何時でも発車できる態勢をとっている。
「どうだ、アスラン。何か先日と変わったことはないか。」
「死体がなくなっています。まさか弔ったとは思えないので食べたのでしょうか。」
「そうかもな。お前たちはここで待て。アスランは殿下をお守りしろよ。俺は直ぐに戻る。ちょっと近辺を調査してくる。敵がいないのを確かめたら領主館も調べてくるからちょっと時間がかかるかもな。姫、頑張れよ。」
「煩い、エクレム!」
それ本人に言っちゃいけないやつ!と突っ込みたかったが止めておいた。
いつもエクレム将軍は余計な事を言う。
「アスラン様、ここにいた猿のバケモノって普通の猿とどう違ったのですか?」
「大きさが人間くらいあったな。普通に人間の服を着て、人間のように二足歩行してていた。二足歩行のチンパンジーと言った感じだった。ただ、人間と違うのは顔が猿のままで、手の数が多かったり、頭が二つ在ったりと、進化というより奇形という印象だった。」
「奇形ですか。」
「ただ、我々と同じ言葉を話していたんだよね。その点に於いては進化していると言えるかもしれないな。」
奇形?進化?何かが進化を加速させた?奇形が進化につながった?DNAの塩基欠損によるRNAへの転写異常?DNAの複製異常?。核戦争でも起こったのだろうか。それとも、宇宙線の影響だろうか。
突如、兵士たちが向かった方向が騒がしくなった。
何かあったのだろうか。
「アスラン様、将軍たちが向かった方向が騒がしくなりましたが何か起こったのでしょうか。向こうは何があるのですか?」
「領主館だな。例の猿がいた場所だ。もしかして未だいたのか?」
兵士が数人こちらへ走って来ている。
「お、お逃げください、殿下ぁ。」
そう言った兵士の頭がヒューーッと言う風切り音を伴った突風の後、無くなっていた。
兵士は、まるで自分の頭がなくなったことに気づかないかのようにその場に立ち尽くし、ただ、首から噴水のように真っ赤な血をドクドクと吹き出していた。
僅かの間をおいて糸の切れたマリオネットのように膝を地面につけそのまま前のめりに倒れた。
何が起こったのか分からず周りを見回すと近くの家の屋根の上にまるで猛禽類のように羽を広げた猿が兵士の頭を足の指でつかみむしゃむしゃと齧りついている。
その猿に手はなく手は翼へと変わっている。羽根はなく羽根のように見えるのはムササビのような膜であり、それがあたかも鳥の羽の様に広がり翼を形成していた。
驚くことに、目がこめかみの上にも存在し、増加した視覚情報を処理するために脳が進化したのか、耳から上の頭頂までの膨らみがまるで人間のように高くなっていて容量の増加した脳を推察させる。
「逃げるな。じっとしていろよ、人間。」
猿が喋った。
不気味さと恐怖に体が総毛立つ。
まるでその言葉が合図だったかのように兵士が一斉に走ってきた。
後ろから猿が追い立てている。
チャクル将軍も馬に乗って逃げてくる。
「駄目だ、ギフトが通じないやつがいる。逃げるぞ、馬車に乗れ。」
そう言ったチャクル将軍の馬が突然倒れ、将軍が地面に投げ出されるが転がり受け身をとってクルっと起き上がる。
チャクル将軍が手を前にかざすと手から青い炎の塊が出現し猿どもに向かって飛んでいく。
炎の着地点では爆発が起こり近くにいた猿は爆散し、ばらばらになった身体を辺りに散らばらせる。
「こいつらには効くんだ、普通の奴には。だが、双頭の猿には誰のギフトも通じない。皆殺された。早く馬車に乗れ。」
私達は馬車まで急いだ。
『お前ら動くな。』
突然、大きな声があたりに響き渡る。
実際は大きくなかったのかもしれない。ただ大きくはっきりと頭に響く声。まるで、頭の中に直接話しかけてきたかのような声だった。
その声にまるで催眠術にでもかかったかのように抗うことが出来ず全ての人が動きを止めた。
屋根の上には双頭の猿がいた。
双頭の猿はゆっくり話し始める。
「この土地はもう我々の領地だ。侵略者は生かしておかない。数名はお前らの国に喧伝させるために生かしておいてやるが、殺せ。」
刹那、将軍が、隣に倒れていた兵士の弓を取り双頭の猿に矢を放つ。
矢は弧を描きながら双頭の猿の胸に刺さる。
そして、双頭の猿の身体を突き抜けた。
しかし、双頭の猿は何事もなかったかのように歩いて来た方向に帰って行く。
将軍を見ると予期していたかのように驚きもせず、既に別の襲い来る猿に向けてギフトを発動させていた。
矢は確かに猿の心臓を貫いた。
しかし、矢はどんなに勢いが強くても身体を突き抜けることはない。
矢はまるで何者にも当たらなかったかのように、まるで強力な銃弾の様に勢いを殺すこと無く進み続けた。
まるでロ○アの能力者だ。
ありえない。
この世界には悪魔の実でもあるのだろうかと思ってしまう。
「殿下、逃げるぞ。」
呆然とした私をアスランが手を取り馬車まで促そうとしていた。
「はい。ありが・・・」
私は全てを話すこと無く、アスランと血が吹き出る私の身体を少し上空から見つめていた。
そして意識がなくなった。
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