第10話 終わりなき空へ
定期演奏会やコンクールを終え、奏はいつものように練習室へ足を運んだ。一番乗りで着くと、早速ピアノへと指を滑らせ、山田に教わった通りの練習方法を実践していく。
声が以前よりも少しだけ出るようになっていると彼女が実感していると、練習室の扉が開いた。
奏が振り返る間もなく、彼は背中から彼女を抱きしめていた。
「……奏、少し充電させて」
彼の言葉に静かに頷いて応えると、彼女の肩に自分の顔を寄せる和也がいた。
「……どうかしたの?」
「んー、ちょっと煮詰まってて」
新しい曲の事だろう。和也も奏と歳は変わらないのだから、プレッシャーを感じていても仕方のない事なのだ。
奏は和也のさらさらした黒髪を撫でていた。
「私に出来る事ある?」
water(s)の楽曲は、miyaがほぼ一人で提供していると言っても過言ではないのだ。
彼女の言葉に和也は頷くと、歌うように促していた。
奏は和也に寄り添って座ると、口ずさんでいく。それは、彼女のすきなwater(s)の今までの曲だった。
優しい歌声に包まれながら、和也は自然と瞳を閉じていた。
奏はそんな和也を愛おしそうに見つめている。
私の歌で……少しでも和也の気持ちが晴れるといいなぁ……。
そんな事を考えていると、奏もまた慣れない日々の疲れからか眠りに落ちているのだった。
「……奏?」
和也が目を覚ますと、彼女は彼の肩にもたれ掛かりながら眠っていた。彼女の長い髪に、白い肌に視線を移すと、和也はそっと頬に触れていた。
柔らかな感触に、彼女の寝顔に、笑みを溢すと、iPadに手を伸ばしていた。彼は曲が思いついたのだろう。iPadの画面に触れる手はスムーズだった。
ギターの温かな音色に、奏は瞳をゆっくりと開けると、和也が彼女に気づき微笑んでいた。
「お疲れ、奏のおかげで曲が出来たよ」
そう言って無邪気に笑う和也に、彼女は嬉しそうな表情を浮かべている。
「お疲れさま……」
奏の笑顔に、思わず手を伸ばしている和也がいるのだった。
「今回は五人で合作の歌詞にしない?」
和也の提案にメンバーが応えると、彼の作った曲に乗せる詞を考えていく。年内の期限まで、二ヶ月を切っていた。
いつもの喫茶店に集まっていた五人は、今まで意見を出し合った歌詞を繋ぎ合わせている。
彼らは飲み物で口を潤しながら、iPadや携帯電話と睨めっこを繰り返していた。
奏は難しく考えてしまう自分の気持ちを変えるように、マスターにピアノの使用許可を得ると、彼の作りたての曲を弾き始めた。
「マスター。またあの子達、来てるんだね」
「はい。すっかり常連さんですよ」
「いいねー。昔を思い出すよ」
「そうですね……」
マスターと年配の常連客はカウンター越しに話をしている為、店内奥の席にいる彼らにその声は聞こえていなかったが、彼女の音色は客の反応で明らかだった。
明るくて、優しい音色。
初めてwater(s)の曲を聴いた時を想い出す。
想い出。
明日へ繋がる物語。
何処までも続く空。
終わりのない空へ……。
奏は歌詞を想い浮かべながら弾いていた。
最後の一音が止むと、数名の客が拍手をしている。彼女は照れくさそうに微笑みながらも、お辞儀をして応えていた。
そんな彼女の姿を和也が誇らし気に見つめていると、圭介が尋ねていた。
「和也と奏って、付き合ってるの?」
「……うん」
顔色を変えずに応える彼の隣で、奏は頬をピンク色に染めて頷いていた。初々しい彼女の反応に、尋ねた圭介達の方が顔を赤らめそうになっている。
「お似合いだな」
「あぁー、やっぱりかぁー。和也、良かったな」
大翔に続き、明宏も頷いていた。
奏は和也と顔を見合わせると、笑って応えている。
「ありがとう」
先程までの張り詰めた空気から一転し、穏やかな雰囲気のまま、歌詞作りが進んでいく。
「なぁー、これはどう?」
「"終わりなき空へ"かぁー」
「卒業シーズン出し、いいかもな」
歌詞を書いた紙を見ながら、五人は意見交換をしている。年の差はあるが、奏も自分の意見を発言するように努めていた。
「いいね! "終わりなき空へ"」
五人の意見が一致すると作詞が決まり、アレンジを残すだけとなった。
「アレンジはいつも通り僕達だけでやるけど、ある程度の駄目出しはプロになるんだから覚悟だな」
「でも、駄目出し貰うつもりはないでしょ?」
圭介の言葉にはっきりと和也が意見すると、彼らは笑みを浮かべている。
「勿論!」
「water(s)の根本は変わらないよ」
無色透明で変幻自在。
でも何者にも囚われない。
そんな音楽を作り続ける。
唯一無二の存在になれるように……。
彼らはこれから立つスタートラインを目前に、改めてそう感じているのだった。
和也と奏は大学の練習室へ向かっていた。"終わりなき空へ"のアレンジを仕上げる為だ。
「体育とかの授業で大学構内には来るけど、制服だとやっぱり目立つね」
「だよなー。でも、ちゃんと圭介が許可取ってるから大丈夫だよ」
和也はそう言って、奏の右手を握って歩いていく。
……まだ人前で手を繋ぐのは緊張する。
奏は握られた手から、頬が熱くなってくるのを感じていた。外は寒い為、余計に熱さを感じていたのだろう。手袋をせずに直に繋いだ彼の手もまた、温かくなっているのだった。
「二人ともお疲れ」
「お疲れさまー」
「お疲れー」
圭介の声に奏と和也が応えると、早速最終調整が始まっていく。
「誰でも歌える……歌いやすい曲がイメージだから、テンポはこのままでいいか?」
そう言って明宏がドラムを叩いてみせると、四人とも納得した表情を浮かべ、頷いている。
みんなで音を合わせるこの瞬間がすき。
akiのドラム、hiroのベース、keiのギター、miyaのギターやキーボードが音楽がすきだと……。
私に教えてくれる気がするから。
奏はマイクスタンドの前に立つと、彼らの音をいつものように背中に受けながら歌っていく。彼女の声は高く、澄んだ音色を漂わせていた。
今回の曲のベースはメジャーキーを使用し、基本的だが彼女の声だけは違う。
誰にでも歌えるが、彼女にしか出せない色がある。
それがwater(s)の音だ。
「出来た……」
和也の声に五人は視線を巡らせると、肩を抱き合い喜んでいた。
初めての事に挑戦した高揚感からか、奏はジャンプしそうな勢いで、嬉しそうな表情を浮かべているのだった。
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