第9話 即興曲

「奏、ちょっといいか?」

「うん」

一年のクラスに度々、和也は顔を出していた。

一学年一クラスしかない為、奏と和也の仲の良さは周知の事実になっている。

「今日はスギさんが来てくれるらしいから、呼びに来るまで教室で待っててくれるか?」

「うん、待ってるね」

二人が話をしていると、クラスメイトが側を通り過ぎ教室に入っていく。彼女の肩が当たらないように、和也は自分の方へ奏を引き寄せながら、話を続けていた。

「じゃあ、また後でな」

「うん……」

そう言って奏の頭を撫でると、和也は自分の教室へと戻っていく。

和也と付き合うようになってから、何も変わらないって思ってたけど、そんな事ない……。

距離感が今までよりも近い事に頬が赤くなりそうになるのを抑え、友人の元へ戻る奏の姿があるのだった。


「奏、次は体育だから行くよー」

「うん! 綾ちゃん、今行くー」

奏はジャージが入った手提げ袋を持つと、クラスメイトと共に大学構内にある体育館へと向かった。

体育館では、男女別にバスケットボールの試合が行われている。

「綾ちゃんは、佐藤チームを応援中?」

「それは勿論!」

女子の方が若干人数が多い為、綾子と奏は試合を観戦中なのだ。

「綾子、佐藤がシュート決めてるじゃん!」

同じく見学中の友人の言葉に、綾子は嬉しそうにしている。

「あっ、酒井も決めたよ」

綾子は照れ臭くなったのだろう。佐藤のチームメイトの応援もしている。そんな彼女の姿を奏が可愛いらしいと感じていると、観戦組が試合をする事になった。奏は背が高い為、ジャンプボールを決めると試合が始まった。

「さすが上原、手足長!」

「体育祭でも思ったけど、意外と運動神経良いんだよなー」

クラスメイトがパスの練習をしながら話をしていると、綾子と奏がシュートを決めた。

「ナイスシュート!」

「やったね! 奏!」

「うん!」

二人は、チームメイトにピースサインをして喜び合っている。

「奏と宮前先輩って付き合ってるのかな?」

「思った! 今日も先輩来てたしねー」

「ねぇー、お似合いだよね」

クラスメイトが小さな声で噂話をしていると、彼女達たちの番になり入れ替わった。

一クラス四十人しかいない事もあって、文化祭や体育祭等の行事を通して、まとまりのあるクラスになっていた。綾子と佐藤のように、付き合っている者もいるようだ。

「お疲れさまー」

「お疲れー」

制服姿に着替えた綾子は佐藤と話ながら、奏達の前を歩いている。

「奏!」

彼女が振り返ると、バンドメンバーの二人が立っていた。

「kei、aki!」

「やり直しー」

「うっ……。圭介くん、明宏くん」

明宏に指摘された為、奏は言い直していた。

「構内で会うの初めてだな。体育だったのか?」

「うん、そうだよー」

三人が話をしていると、圭介達と待ち合わせをしていた大翔が駆け寄って来た。

「奏じゃん! 制服姿見ると高校生なんだって実感するなー」

「大翔くん、これからみんなでお昼なの?」

「そうだよ。スギさんに午後会うから打ち合わせ兼ねてな」

大翔が軽く奏の頭を撫でると、側にいたクラスメイトが声をかけていた。

「何? 奏の知り合い?」

「うん、えーっと……」

「奏の音楽仲間だよー」

圭介の声に彼女は頷いて応えていた。

「じゃあ、また後でなー」

「うん!」

奏は手を振り三人と別れると、クラスメイトから質問攻めにあっていた。彼らは背が高く、タイプは違うが一目を惹くルックスをしていたのだ。高校生の彼女達からしたら、私服姿の大学生が大人に見える部分も少なからずあったからだろう。

奏は後ろを振り返ると、三人の少し大人に感じる背中を眺めているのだった。


和也が奏の手を引いて、黒いワンボックスカーに乗り込むと、圭介、大翔、明宏の大学生三人と運転席には杉本が待っていた。

「すみません、遅くなりました」

「お疲れさま。じゃあ、全員揃ったから社に向かうねー」

杉本は遅れた事に気にする様子はなく、車を走らせた。後部座席に座る五人が仲良さそうに話をしていると、曲の話題になっている。音楽の話をする彼らは、いつも楽しそうだ。

「俺もあのCMの曲すきだなー」

「ねぇー! いいよねー」

「どんなのだっけ?」

「確かねー……」

大翔の疑問に答えたのは、奏の歌声だった。

ずっと聴いていたくなるようなメロディーラインに、杉本は背後から聞こえる歌声を聴き入っていた。たった数小節分の歌でも、彼女が歌えば耳に残るのだろう。和也は奏の声にインスピレーションが湧いたのか、iPadにメロディーを入力していく。その音に乗せて彼女はまた歌っていた。歌うと言ってもラーラーラーと鼻歌のようなものだったが、和也の作る曲に合う、音階だった。

そんな二人に合わせるように携帯電話やiPadで、各自のパート部分を構築していく。そんな彼らの姿に改めて、音楽がすきなバンドだと感じる杉本がいた。

会社に着く頃には、即興曲が一つ仕上がっていたのだ。


「皆、今日はここで各々レッスンして貰うから」

杉本が講師の紹介を終えると、一人ずつ別れて練習をする事になった。

奏はボイストレーニングを行うべく、前回も使ったピアノのある部屋にいた。

講師の山田は、ピアノの音階と同じ音が何処まで彼女が出せるかを確かめていく。あまりにすんなりと声を出す為、音の聞き分けテストを行うと、彼女は絶対音感の持ち主なのか、山田が弾いた音を全て言い当てていたのだ。

「hanaはピアノ専攻って聞いたけど、いつから習ってるの?」

「ピアノの個人レッスンは小学生からですね。それまでは音楽教室でエレクトーンを習ってました」

幼少期の頃から音に触れている為、彼女の耳は鍛えられていたのだ。

「発声練習はした事ある?」

「いえ、高校の授業で少し習ったくらいですね」

「他にはスポーツとかは?」

「中学までは剣道部でした」

腹式呼吸の基礎は出来ているが、今まで以上に声を出しやすく、枯れない喉にするよう山田は、彼女の現状からレッスン内容を組み立て直す事になるのだった。

奏は新しい事が楽しかったのだろう。レッスン中も彼女の瞳は、常に輝いているように山田の目には映っていた。



「好きなコードで弾いてみて」

和也がギターのコードを弾くと、それに合わせるように圭介の音が重なっていく。

CD販売をしたり、ネットに動画を上げているだけあって、思っていた以上に上手いうえに、魅せ方を知っていると講師の木村は感じていた。

パテーションで別れていただけの部屋の為、右隣りからはベースの音が聞こえてくる。

好きなコードと言われた為、和也と圭介が視線を合わせると、ピッチの早い曲を弾いていく。四つのコードを順番に弾いている事が大翔にも分かったのだろう。二人に合わせるようにベースの音が重なると、それに続くようにドラムの音が入ってくる。

「ーー佐々木さんが惹かれる訳だ……」

木村の声は誰にも聞こえていなかったが、楽しそうに弾く即興曲に、音楽好きなら胸が躍った事だろう。

弾き終わると、二人の癖を把握した木村は、的確なアドバイスを出していた。二人だけでなく、大翔も明宏もパテーションで姿は見えないが、指導をしっかりと受けているようだった。

「そしたら、keiがヴァイオリンで、miyaがピアノだったよね? パテーション退かすから四人の音が聴きたいな」

木村の指示通り、一つの空間になった場所で三人の講師を前に演奏する事となった。

「何にする?」

和也の言葉に圭介が応えた。

「微妙な編成だから、春夢かな。サクソフォンが生えるし」

「だよなー」

アップライトピアノの周囲に椅子を並べ、ヴァイオリン、チェロ、サクソフォンの順に座ると、和也の視線を合図に曲が始まった。

「……さすが音大生だな」

「あぁー。でもジャズとかクラシックじゃなく、敢えて自分達の楽曲をるのが若いねー」

「でも、バランスは良いな」

入口付近に並んでいた講師陣は、彼らの奏でる音楽を聴いていると、山田が奏を連れてそっとスタジオへと入って来た。

「ーー春夢……」

「曲のタイトル?」

「はい……」

木村の疑問に奏は彼らをまっすぐに見つめながら応えると、その場で口ずさんでいた。

彼女の声に反応するように、四人は曲調を調整していく。その音色の組み立ては、プロの演奏者として相応しいものだった。

「……やっぱりアドリブいいな」

「そうだな……」

木村の言葉に講師陣は概ね同意していた。

バンド内の関係性やその人のルーツみたいなものが見え隠れするからだ。とは言え、演奏者のwater(s)にとっては慣れ親しんだ楽器に、楽曲でも相当な気力を消耗したようだ。音で会話をする行為とはいえ、相手の癖や視線を読み解く事は、容易ではないのだ。

デタラメなようで、そうではないのがアドリブの醍醐味だろう。


緊張感から開放され、息を吐き出す四人に対し、途中からの参戦だった為か、楽しそうな笑みを浮かべる奏がいるのだった。そんなwater(s)の様子に、紅一点が一番ハートが強いと、講師陣が感じたのは言うまでもない。

これから三月までの五ヶ月間、週一で講師による個人レッスンが付く事になった。

五人の出逢いから約半年。

季節は暑さの残る秋から、冬へと移り変わろうとしていた。

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