第23話 自己分析

 結局、その夜は幸祐や飛鳥からの連絡は入らなかった。翌日、もやもやとした心配を抱えつつ、佳弥は学校で授業を受けた。おかげで余程不機嫌に見えるのか、先生と目が合っても当てられないというささやかなラッキーは生じたが、心は晴れるものではない。


 放課後に、佳弥はゴアを誘って中庭に出た。小春日和で、日向にいれば外でも暖かい。日の当たるベンチに腰かけて、佳弥は洒落た紙袋を取り出した。


「アンポンタレ殿が、ゴアと食べろってさ。クリスマスだから。」


「うわ、高そう。旨そう。これ、絶対自分では買わないやつだね。眼福です。」


箱を開いて、ゴアは両手を合わせた。一粒一粒、ショコラティエが芸を凝らしたであろう褐色の宝石が整然と箱の中に納まっていた。確かに、自分でこれを買うことは無いだろう。チョコは好きだが、板チョコで十分美味しいと佳弥は思っている。かといって、この美しいチョコレートの粒を否定することはしない。世の多くの人からの称賛を受けるべき、素晴らしい作品だと思う。


 佳弥もゴアと同じように、両手を合わせた。何という訳もなく、ありがたいものを見ると手を合わせてしまうのである。


「ただ旨いというより、傑作だなあ…」


パクっとチョコレートを口に含んで、ゴアがため息をついた。佳弥も、うん、と頷く。美味しい、まずい、普通という三択でカテゴライズしては失礼にあたる味わいである。


 美味しいなあ、としみじみ感じ入って、佳弥は少し不安になった。こんな高そうなチョコレートを買って、魔のせいで散財したはずの幸祐の懐は大丈夫なのだろうか。ツボ押しバイトを休まされていたから、副収入も減ったはず。正月を迎えることはできるのか。年末恒例の、ホームレスへの無料炊き出しに参加する羽目に陥ったりはしないのか。何だか気の毒になって、美味しいチョコレートがちょっぴり塩辛い気がする。


「佳弥、何で眉間にしわ寄せてるの。」


 ゴアに言われて、おっと、と佳弥は平静を取り繕った。


「余りに美味しいので、考え事をしてござった。」


「何だ、そりゃ。まあ、市川さんにはよくよくお礼を言っといてよ。この度は結構なお品をありがとうございました、美味しかったですって。あと、心愛ちゃんって呼ぶなと。」


それを聞いて、佳弥はクスクスと忍び笑いを漏らした。ゴアが凛々しい片眉を吊り上げる。


「何がおかしい。」


「そう言うだろうと思って、その件は解決しておいた。ただし、修正後は、ゴアちゃん、だけどね。」


ちゃんは残るのか、とゴアは冬の乾いた空を見上げた。残るんだ、と佳弥は応じた。二人揃って、ため息をつく。


 チョコレートは一気に食べてしまうのが惜しいので、もう一粒ずつ食べて、残りは明日ということにした。箱を綺麗に元通りにして、紙袋に戻す。 


 部活に向かうゴアを見送って、佳弥は陽だまりの中でぼんやりとした。冬の日は短い。あと数時間で夕暮れがやってくるだろう。


 昨日の出来事は、何だか現実感が乏しい。そもそも、何故佳弥を目の敵にするのか、理由が分からない。私は無実だ、と世界の片隅で叫んでみたいところである。


「とりあえず、順序だてて考えてみようではないか。」


佳弥は一人で呟いた。


 まず、佳弥はマーラ・ルブラに一方的に認知されている。何故ならば、佳弥は彼らの仕事の邪魔をした、ということになっているからだ。おそらくは、仕事がはかどらない原因を紐解くうちに、佳弥に行き当たったのだろう。次に、マーラ・ルブラは顧客の要望に応える仕事をしている。つまり、佳弥はその顧客の要望を満たすのを阻害しているということになる。


 では、顧客の要望とは何か。佳弥の最近の行動で邪魔されうるような、何かのはず。


 佳弥の行動は、単純である。朝起きる。学校に行く。放課後は予習と復習をする。帰ったらご飯を食べて風呂に入って寝る。休日は、健康維持のためのウォーキングをして、図書館で本を借り、たまに、好物の煮豆を作る。余った時間は、家事の手伝いをする。小説や漫画を読む。以上。


 佳弥は自分で自分を顧みて、年金生活者のように落ち着きすぎている気がしてきた。若々しさに欠ける。煮豆だし。マカロンとかにすべきだったか。お菓子は作れないことはないんだけど、マカロンは好きじゃないから、と何故か自分に必死に言い訳をする。それはそれとして、他者に迷惑を掛けるような要素は無い。


 あとは、ツボ押しのバイトしかない。信憑性に乏しいシンハオの自己申告を信じるとしたら、佳弥の功績はポイ捨てが一件減ったとか食べ残しが二件減ったとか、ありやなしやの切ない効果しかない。マーラ・ルブラが全国にポイ捨てをどんどん増やそうというくだらないことを画策しているならいざ知らず、佳弥を狙い撃ちにしたくなるほどのものがあるとは思えない。ポイ捨てを増やしたいとしても、佳弥にかまけていないで、自分でポイ捨てをする方が遥かに手っ取り早い。


 それに、ツボ押しはここ一週間を除けば常に幸祐と組んで実行している。佳弥のツボ押しでポイ捨てや食べ残しが減ったのが気に食わないのなら、幸祐もろとも狙うはずではないのか。


 いや待て、幸祐が狙われていないという保証はない。カラスの巣の時は一緒にいたし。昨日はたまたまいなかったから標的にされなかっただけかもしれない。


 不確定要素が多すぎる、と佳弥はかぶりを振った。といって、幸祐と二人でぶらぶら歩いて、二人揃って狙われるかどうかを試すというのも気が進まない。わざわざ危ない橋を渡るのは愚かだ。


 では逆に、何が判明すると、対策を立てられるだろうか。


 それはやはり、佳弥の行動のうち何が彼らの仕事の邪魔になっているか、に尽きる。そして、それを知るには、彼らの仕事、顧客の要望を明らかにする必要がある。しかし、昨日の飛鳥の口ぶりからすると、少なくとも飛鳥はマーラ・ルブラの具体的な仕事内容までは把握していないことが窺われる。飛鳥が知らないことを、果たしてシンハオの事務所が掴んでいるだろうか。


 そこまでをぽかぽかと陽に照らされながら考え、佳弥はポケットから振動を察知した。スマホを確認すると、飛鳥ではなく幸祐だった。


「飛鳥さんからは音沙汰無し。この件について確認したいから、十八時半から一緒にシンハオに行かないか?とな。」


 ふむ、と佳弥は頷いて、了解、と送信した。ついでに、飛鳥にもメッセージを送ってみる。


「無事ですか。連絡お待ちしています。」


こんなところかな、と佳弥はメッセージを送信した。幸祐への返事に限らず、基本的に、佳弥のメールやラインはあっさりしている。その上、すぐに途切れる。これには返事しなくても良かろう、との判断が早いのである。


 はぁあ、とため息をついたところに、ジャージ姿のゴアがやってきた。部活で学校の外周をひとっ走りしてきたらしく、鼻と頬が赤い。


「まだここにいたんだ。そんなふうに日向ぼっこして難しい顔してると、老けて見えるよ。」


「うるさいやい。」


最も気にしているところを指摘されて、佳弥は不機嫌そうに唸る。


「ピーターパンの冒頭じゃないけど、楽しいことを考えないと、空飛べないよ?そうだ、冬休みになったら、冬季限定スイーツ食べに行こうよ。熱々のフォンダンショコラにとろとろの焼きバナナ添えたのがめっちゃ旨いんだって。」


「うーん。」


「老後の資金は、社会人になってから考えなさいって。それとも何、悩みでもあるの?恋の悩みとか。」


「私にそれがあるように見えるかい。」


全然、とゴアは快活に笑った。そこまでストレートに否定されると年頃の乙女としては少し物悲しい気もするが、実際その手の悩みは無いので、佳弥はふむと頷くに留める。


「私は悪の組織から命を狙われているのだよ、ワトソン君。」


「何だ、そりゃ。」


ゴアはぽんっと佳弥の肩を叩いた。


「だとしたら、やり返せばいいのよ。悪の組織に潜入して、爆弾でも仕掛けて。爆弾が物騒なら、監視カメラとか盗聴器とか。悪事を暴くのは君の得意技だろう、ホームズ。」


「なーるほどね。」


「じゃ、フォンダンショコラは決まりね。また明日にでも、決行日を決めようぜー。」


 ゴアは手を振ると、颯爽と体育館に向けて駆けて行った。フォンダンショコラ、と佳弥は少し夢想する。美味しそうだ。そして、響きが若々しい。バイト代も貯まってきたし、それで心が若くなるならその投資は悪くないかもしれない。

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