第9話 青春の先へ
「おーい、七掛、いるかー?」
コンコンコン、とノックする。
部屋にいるのは分かっている。さっきまでVRで会っていたのだから。
七掛も観念したらしく、扉をわずかにあけて俺の反応をうかがうようにそろりそろりと真っ赤な顔をのぞかせた。
「いきなり落ちるのはどうかと思うぞ。何かあったのかと思った」
「……ないことも、ない」
「だとしても、返事も聞かずに落ちるなよ」
苦笑しつつ、俺はホワイトデーのチョコを差し出す。
「昨日渡しそびれたチョコだ。ベルギー直輸入。ヘーゼルナッツ入り」
美味しさは保障する。ホワイトデーに備えて味見がてらに頼んだことがあるからだ。
七掛はチョコを見て硬直した。
「……個別ではもらえないと思っていた」
「個別でもらったら個別で返すさ。昨日は騒いでいたから渡すタイミングなかったけどな」
半分は本当。元々少し反応を見てみようと思っていたけど、昨日の内に渡すつもりではあった。
恐る恐るチョコに両手を伸ばした七掛の手が触れるタイミングで、話を戻す。
「デートの続きもしような?」
ぴたり、と七掛の手が止まった。しかし、七掛の手はすでにチョコを受け取るべく形作られており、両手の人差し指と親指がチョコに触れている。
チョコを受け取ったらデートの続き、かといって、受け取らないと先の準告白を自分で反故にすることになる。
「ほら、早く。俺は部屋に戻って再ログインするからさ」
「い、いじわる」
「ついさっき自覚した」
というか、こうしてチョコを渡しに来た時点であの準告白に対する答えみたいなものなんだけど気付いていないのかな。
言葉にしないといけないことでもあるので、VRデートの最終番にでも伝えよう。ムードは大事。
「どうした? 受け取らないなら捨てるしかないんだけど?」
「捨てるくらいならあなたが食べればいい」
「いや、それはむなしいだろ」
受け取ってもらえなかったホワイトデーチョコとか苦すぎるわ。
七掛が覚悟を決めたようにチョコレートを掴む。
「受け取る。続きもする。まだ、あの3Dを全部見ていない。ファンにはあるまじき行動だった。反省する」
「そこを反省しなくても」
苦笑して、チョコから手を離した瞬間だった。
「――え?」
目の前から七掛の姿が掻き消えた。
蜃気楼か何かのように、初めからそこに存在しなかったかのように、目の前から七掛がいなくなる。
七掛が遮っていた部屋の中へ視線が通る。家具がない。サクラソウの各部屋に共通のベッドとテーブルしか――いや、唯一、残っているモノがある。
七掛の部屋の中央、各部屋共通のテーブルの上にぽつんと希望の明かりを灯している、C―D遍在ノートパソコン。
「このタイミングかよ!」
腕に巻いていた通信ケーブルに視線を落とす。腕に巻いたままきちんとそこに残っていた。同時に、部屋着が現代アートみたいな奇天烈なことになっている。裾を軽く引っ張ると、A、B、Cで異なる世界にあるはずが連動して布地が引っ張られた。
ほぼ間違いないとは思うけど……。
俺はすぐに戸枯先輩の部屋の扉をノックする。
「戸枯先輩、緊急です。出てきてください」
緊急、の言葉に反応したのか、すぐに扉が開かれる。相変わらず部屋では露出多目の戸枯先輩が俺を見て怪訝な顔をした。
「どうなってんの、その服?」
「ニャムさんはいますか?」
「ニャム? テーブル前のクッションに寝てるよ」
戸枯先輩が半身になって部屋の奥が見えるようにしてくれる。テーブルの前にニャムさんはおろかクッションすら見えない。
やっぱり、間違いない。
「それで、緊急ってなに?」
「俺がA―C遍在になりました」
「……隣の七掛ちゃんが見えてない?」
問われて、俺は左右を見る。もちろん、七掛の姿は見えない。
隣にいるってことは、考えることは同じだったか。
「七掛に伝えてください。C―D遍在ノートパソコンを持って俺の部屋に来てほしい。A―C遍在通信ケーブルでの通信と完成系ネリネ会の試運転も兼ねてさっきの続きをする、と」
「分かった」
戸枯先輩が頷いて、一言一句違えずに復唱する。戸枯先輩の視線の先に七掛がいるのだろう。俺には見えないが。
わかってはいたけど、寂しいな。
それでも、寂しさで終わらせない。
俺は戸枯先輩の部屋を後にして、自室へ足早に向かう。
両腕に巻いてあるA―C遍在通信ケーブルを外し、一本は部屋の戸棚の上に置く。研究員たちへ渡すためのモノだからだ。
もう一方の通信ケーブルをA世界の『ES―D7』に接続していると、部屋に偏在ノートパソコンがやってきた。
……浮いてる。D世界遍在の七掛が持っているから、七掛を観測できない俺には浮いているように見えるだけなんだけど、こんな風に見えるのか。
テーブルの上にノートパソコンが置かれた。透明人間が操作するようにノートパソコンが開かれ、起動するとすぐにテキストエディターが開き、文字が打ち込まれる。
『準備をどうぞ』
俺は通信ケーブルのもう片方の端子をノートパソコンに繋ぎ、コントローラパネルを呼び出す。
接続機器一覧に、浮かび上がるように新たな機器が表示される。
――ES―D7、接続は完了した。
愛機のコントローラパネルにもノートパソコンが表示されているのを確認する。
ノートパソコンのテキストエディタに書き込む。
『準備完了。ログインする。あの喫茶店で落ち合おう』
『分かった』
七掛からの返信の後で、ノートパソコンの画面が切り替わる。
ノートパソコンの画面がネリネ会VRのログイン画面になるのを横目に見て、俺はVRヘッドセットを着けた。
中断した時と同じ、洞窟の中の歓楽街、二層の喫茶店。
ただのノートパソコンでは量子コンピュター並みの速度は出ないためか、七掛はまだ来ていなかった。
……まだかな。
七掛がまた逃げたりとか、流石にしないか。
なんだか妙にドキドキする。
……え、まだ?
もしかして、きちんとAC世界遍在通信ケーブルになっていなかったのか?
ケーブルが断線しているとか?
少し焦り始めたとき、画面に変化があった。
バルコニーの手すり近くに七掛のアバターが現れる。
七掛は周囲を見回してラグなどを確認すると、俺に向き直った。
「見えている?」
「見えてる。聞こえてる?」
「聞こえている」
小さな声で確認の応酬。
だが、確認の結果は計り知れない偉大さ。
コントローラーで感情モーションを選択、拳を突き上げる。画面の向こうで、七掛がVサインのモーションしていた。
「大成功!」
声を揃えて喜ぶ。ハイタッチのモーションでも入れておけばよかった。
俺たちは世界に穴を開けた。一と〇しか通せない程度の小さな穴。
この小さな穴こそがネリネ会の悲願。
俺はコントローラーを操作して、喫茶店の出口を指さす。
「達成感に浸りたいかもしれないけど、デートの続きをしようか」
七掛が素直についてくる。
喫茶店を出て、裏手の坂道を下りていく。壁面の中に作られた通路は歓楽街を半周して一層に到着し、さらに下っていく。
視線が歓楽街を見上げる形になり、七掛は興味深そうに歓楽街の明かりとそれが照らすドーム天井を見上げて、緩く曲がっていく坂道の先に目を向けた。
「地下?」
「どちらかというと地下通路かな」
坂道を下りきると同時に、正面に直線通路が出現する。
この直線通路は三人が並んで歩ける程度の幅のアーチ通路になっている。
ゴンドラで海から乗り込める歓楽街の一層よりもさらに下にあることから、海の下を通っている通路だ。
七掛のアバターがしきりにきょろきょろと通路を見回した。
「凄い……」
言葉が見つからずについ単純な言葉を呟いて呆気にとられた七掛が通路の壁面に体を向ける。
七掛の正面の壁は透明で、その向こうを魚が泳いでいる。
足元以外は左右も上も海の中。この通路は海底を通っているのだ。
今回はムード重視で奇をてらった魚は配置していない。日本列島周辺で釣れる魚を主体にしつつ、少し大きめの魚が泳いでいるように見せている。
「何種類、いるの?」
「大小や色はともかく、魚が二十五種類。他にクラゲ、ヒトデ、カニ、イセエビなんかもいる。NPC用の行動ルーチンを流用しているからランダムに動き回っているはずだし、全部見るなら数時間かかるんじゃないかな」
群れで泳いでいる魚は比較的見つけやすいけど、小さい魚やほぼ動かないように設定しているタコなどはかくれんぼが上手な絵本の眼鏡並みに見つからないだろう。
「鱗も再現している?」
「古宇田先輩に連絡を取ってレクチャーしてもらった分はテクスチャで再現した。オニカサゴのひれとかも」
こっそり連絡を取っておいた。今回のデートの件を話したらスケッチと捌き方が載っている自作ノートを貸してくれたのだ。
海洋生物学者かなってくらいスケッチが上手かった。作った料理のレシピと感想まで書かれていていろいろびっくりしたけど。
鱗だけでなく、ひれや鰓、頭の位置と骨格など、参考になったし勉強になった。
「その自作ノートは返した?」
「卒業式前に返してある」
「分かった」
B世界が見えなくなった俺の代わりに返そうとしてくれていたのだろう。
七掛を促して通路をゆっくり進む。
魚だけでなく、岩やサンゴ、海藻も作ってあるため、長い通路を進んでも飽きがこない。
七掛は近くを魚が通りがかるたびに足を止めてじっくり観察していた。魚の方が動いてくれるから、通路内だけに移動が制限されていても色々な角度を見る事が出来る。
一歩を大切に、この時間を大切に、通路を進んでいく。
それは、この通路を歩き切った時、このVRゲームが俺たちだけのモノではなくなるからだろう。
二人きりではなくなるからだろう。
通路の終わりに到着すると、七掛は名残惜しそうに、足を止める理由を探すように背後の通路を振り返った。
しかし、すぐに俺の後ろに続いて進みだす。
通路の終端は螺旋階段に繋がっている。
半径の狭い螺旋階段を上りきる頃には、歓楽街の二層の高さも超えている。
螺旋階段を上りきった先にあるのは展望台だ。螺旋階段は中心軸を傾けてあり、歓楽街の側面をなぞるように登って洞窟の上に出るよう設計してある。
夜の海を一望できる。在自山からみる夜の海とは異なる3Dの海は仄かに明るく、波は穏やかだ。歓楽街のざわめきが洞窟にこだましてわずかに聞こえてくる。遠い喧騒しか聞こえてこないことこそが、この場の静けさを物語っている。
「ここが終着地点だ。どうだった、今日のデート」
「堪能した」
デートを堪能したのか作品を堪能したのか。両方かな。
「七掛、俺の目には、俺の部屋に誰もいないように見えるんだけど、そっちは?」
「……同じく、誰もいない」
「二人きりなのか、一人きりなのか、混乱するな」
「ダブル遍在にはよくあること。慣れるべき」
「そうだな。努力するよ」
トリプルからダブルになり、ネリネ会の開催準備が整ったとはいえ、俺のサクラソウでの生活はまだ続くのだから。
空を見上げる。俺が作った月と星が輝く夜空は現実と少しだけ異なる配置でありながら、現実のそれと同じように俺たちを見下ろしている。
あの月も星も、遍在している。それも、かつてのトリプルだった俺よりも多くの世界、A、B、C、D、四つの世界に遍在しているデータだ。
「今はネットを介してしか話すこともできなくなったな」
「うん」
七掛が言葉少なに、しかし、ここにいることを示すように返事をしてくれる。
俺は七掛に向き直った。
「俺にとって、3D製作はあくまでも趣味だ。それは今も変わらない」
七掛が俺を見上げる。アバターは無表情だが、きっと残念そうな顔をしている。
「だけど、趣味で続けようと思うし、近いうちにブログを更新する」
「え?」
驚いた声が聞こえる。
まぁ、驚くだろうとは思っていた。
「住む世界が違うけど、俺がブログを更新すれば七掛は俺が確かに存在し続けていると分かるだろうからさ」
「でも、作品をもう誰にも見せたくないって。それに、ブログにはまだ――」
「バカがいるし、炎上が収まることはないだろう。だが、どうでもいい」
俺は、海に向かって「毎日楽しいぞ、ざまぁみろ」って言えるような創作活動がしたい。足を引っ張る有象無象を無視して、楽しいことがしたい。
「それに、目の前に一人、俺の作品を理解できる人がいるんだ」
ファンを名乗るだけあって、七掛の審美眼は正しい。
一人でも理解できる人がいるのなら公開する意義がある。
「その点で、俺は七掛に感謝してる。ちょっとしつこかったけど」
「最後のは、その、ごめんなさい」
「謝るなよ。おかげで作品を見せてもいいと思ったんだ。七掛の熱意に押されたんだ。こっちが感謝しているくらいなんだからさ」
逢魔かどうかの鎌掛けを始め、いろいろと悪どい手も使われた。
いまとなっては感謝が半分、ちょっとした鬱陶しさが半分だ。
「でも、俺は3Dを仕事にはしない」
「……そう」
「やりたいことがあるんだ」
「やりたいこと?」
そう、3Dよりもやりたいこと。成し遂げたいこと。
「もう一度、七掛と顔を合わせたい。ネット越しではなく、世界間の壁を取り払って直接また話したい」
七掛のアバターが動きを止めた。
所詮はアバターなのだ。
表情に乏しい七掛でも目を見れば分かるはずなのに、アバターは無表情のままだ。
「――いつか必ず会いに行く」
保証が何もないから、これ以上は踏み込めないけれど。
「また会えたなら青春の先にあることをしよう」
ぼかして伝えると、七掛が息を飲む気配がした。
返答を待つ。
「――」
七掛が返答をしようとした瞬間だった。
部屋の扉が強くノックされる。
「えのちゃん先輩、七掛先輩、ここですか? なんかたくさん人が来たんですけど!?」
「由岐中さん、ちょっと落ち着きなよ。榎舟先輩、新寮生が三人いっぺんに来たらしいので通訳をお願いします」
後輩ズにより空気が霧散する。
俺はVR上で七掛と一緒に笑った。
「漫画かよ。この展開」
「あるあるネタ。まさか、私たちに起こるとは」
ひとしきり笑った後、ネリネ会からログアウトする。
部屋を出ると、由岐中ちゃんと茨目君が玄関を気にしながら待っていた。
玄関を見ると二人の高校生と二人の研究員がいた。なるほど、もう一人はB、D世界に遍在しているのか。
茨目君が俺の隣を見て目を丸くしている。
「七掛先輩、どうかしたんですか?」
七掛の答えを聞いたらしい茨目君が不思議そうな顔をしつつ俺を見る。
「あの、榎舟先輩、今の聞こえました?」
「聞こえてないな。俺、ダブルになったから」
「え、えのちゃん先輩が? じゃあ通訳は?」
「由岐中さん、ちょっと静かに。あの、榎舟先輩、七掛先輩から伝言です」
「伝言?」
「ホワイトデーみたいに遅れたら、こちらから行く、とのことです」
「……ははは、行き違いにならないようにしないとな」
ネリネ会の会長だけあって、七掛がただ待っているわけもないよな。
俺は茨目君の肩を押して玄関に向ける。
「ほら、通訳が必要なんだろ。茨目と俺がいれば遍在者相手に通訳ができる。行くぞ」
七掛と会えなくなっても、俺はまだ遍在者のままだ。
だから、サクラソウでの青春は終わらない。
俺は由岐中ちゃんと茨目と、おそらく隣にいるだろう七掛と一緒に玄関へ新寮生を出迎えに向かった。
――青春の先にある何かは、まだ先のお話だ。
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