第8話 告白
部屋の扉に鍵を掛け、窓も閉めた。
これで、邪魔は入らない。
遅ればせながら開催したホワイトデーの翌日、今日は七掛とのVRデートの日である。
ログイン時間は合わせてあるが、七掛の事だからおそらく――
俺はVRヘッドセットを装着し、コントローラーを握る。
事前に設定しておいたパスワードを入力してデート用マップに入った。
視界に広がるのはアーチ状の入り口を開けた海沿いの洞窟。海を染める夕焼けが水面に反射して洞窟の壁面や天井を赤く染めている。
アーチの幅は四十メートル。かなりの広さだが、洞窟という閉鎖空間に入る際に圧迫感を与えないように設定したものだ。
周囲を見ると、すでに七掛が待っていた。
「デートを始める前に尋ねたいんだが、ラグはどうだ?」
「ない。通信状態は良好」
いま、七掛の部屋にはB世界の『ES―D7』が置かれており、七掛とは量子もつれを利用した通信でこのVR空間で落ち合っている。
ネリネ会VRの試運転も兼ねているため、不具合があったらまとめておき、後日修正をかける手はずになっていた。
俺は七掛にその場でくるりとまわってもらう。
アバターのメッシュに破綻はなし。
今日の七掛のアバターは姿かたちが七掛本人にかなり近く設定してある。不気味の谷に嵌らないようデフォルメされてはいるが、七掛を知る人から見れば誰かは容易に判別がつくだろう。クマまで再現してあった。
服は事前に七掛に言われて製作してあるデータをそのまま利用しているらしく、淡い色で統一されたブラウスとワイドパンツという出で立ちだった。
少しだけ色を弄ってあるようだが、デザインはほぼそのまま。元々、ファッション雑誌を渡されてそれをもとに起こしたデータだから、下手に手を加えない方がいいと七掛も判断したのだろう。
「部屋着は見慣れているのにそういうカジュアルスタイルの外行き服は見覚えないって変な話だよな」
「似合う?」
「おう、可愛い」
「うん」
満足そうに頷く七掛の後ろを見る。洞窟へ続く砂浜に足跡のエフェクトが乗っていた。
「洞窟の外を散歩してきたろ?」
「見ておきたかった」
「別に手は抜いてないぞ?」
細部までこだわる派だからな。
俺は洞窟の方へと足を向ける。
「それじゃあ、デートと行くか。まだ中は見てないよな?」
「見ていない。楽しみ」
デート用の3Dマップなんて初めて作ったから気に入ってもらえるかはわからないけど。
洞窟の中は奥へと延びていく。入り口は天然のモノに近く壁面が荒くなっているが、奥へ行くほど人の手が入って滑らかな壁面となる。海から流れ込む海水が川のようになってアーチ通路の中ほどに水路を作り、時折、客を乗せたゴンドラが俺たちの横を抜けていく。
入り口から取り込んでいた夕焼けの光が届かなくなるにつれて電飾の明かりが足元を照らしはじめ、奥から賑やかな声が反響してくる。
洞窟を進んだ先に広がっていたのは広大な空間だ。
暖色の光に照らし出された空間はドーム状で、二層構造の歓楽街となっている。雑多な雰囲気ながらも賑やかで、複雑な迷路状の歓楽街だ。
「こっちだ」
七掛を先導して、ゴンドラが通る水路の上にかかる橋を渡る。
「石作り?」
「欄干の上部分は木製にしてある」
まぁ、テクスチャの問題でしかないともいえるけど。
周囲にはガヤとして配置したNPCが歩いているのだが、七掛は気にするそぶりもなくアバターをしゃがませて欄干の根元を見る。
「おぉ」
「何に感動してんだ?」
「部品ごとの継ぎ目がちゃんと書かれている」
「当たり前だろ」
何言ってたんだ。
橋を渡りきって滑り止めの溝が刻まれた坂道を上る。歓楽街の二層目の中でもひときわ高い場所に位置する喫茶店が目的地だ。
「周りの店も内装がある?」
「作ってあるぞ。注文とかはできないけどな」
店の内装パターンは汎用が七つ、これから行く喫茶店のような固有の内装が三つある。七掛の服装に合わせて選ぼうと思っていた。
他にも、バーのような空間やゴンドラを待つための休息所なども配置してある。
「少しファンタジー感のある非日常がいい感じだろ?」
「歓楽街なのに少し落ち着いた雰囲気。ムーディー」
「二層目に来ると賑やかさが少し落ち着くからな。一層目の環境音が弱くなるように設定してあるんだ」
目的の喫茶店に入り、歓楽街を見下ろせるバルコニー席に座る。
メニュー表を手に取ると、画面の右端に一覧が現れた。飲み物タブからコーヒーを選択して注文ボタンを押す。
店員NPCが運んできたコーヒーが二つと七掛が注文したらしいパンケーキがテーブルに置かれた。
こちらもデータに問題はないようだ。
コマンド指定でコーヒーを飲む動作を行う。コーヒーカップの中を見れば、水位が少し下がっている。こちらも問題ないな。
「この先もデートは続けるつもりだけどその前に聞いておきたい。なんでデートに誘ったんだ?」
あらためて尋ねる。
俺をデートに誘った時、七掛は内緒の話があると言っていた。
個人的にかなり気になっていたのだ。
七掛はパンケーキから顔を上げて俺をじっと見つめた。
そんなにじっと見つめられてもアバターでしかない以上、表情コマンドを操作しない限り無表情でしかない。七掛のアバターも同様に無表情だった。
「……お礼を言いたい」
「お礼?」
聞き返すと、七掛はバルコニーの外を見る。一層の水路をゴンドラが奥へと進んでいくのが見えた。
「私はあなたに二回救われている。その感謝をしたい。あなたに私を助けた自覚はないとしても」
「自覚はないな」
サクラソウに来てから一年以上。ほとんどの時間を七掛と過ごしているが、勉強などで助けられた覚えはあっても助けた記憶はない。
「昔、中学一年の夏までの四年間、私は剣道場に通っていた」
中学一年となる偏在者になる前の話。つまりはB世界での出来事だ。
俺が関係しているとすれば、逢魔としての俺か。
「七掛が剣道をやっていたって話は去年の花見で聞いたな。一年の夏ってことは遍在者になる前に道場を辞めたのか」
「そう。道場には私の他にも十六人の門下生がいて、中には私と同い年の男の子もいた。女の子は私を含めて四人」
実家の近所に会った柔道場も似たような男女比だったな。通学路にあったから前を通るくらいだったけど。
「道場に通っている門下生はお世辞にも練習熱心ではなかった。基本練習を疎かにしてばかりだった」
「道場主が注意したりは?」
「中学三年生や高校生の指導が優先で中学一年以下は基本練習を終えた後に指導。基本練習を早く終わらせた者に、他の門下生が終えるまで事実上の個人指導を行う」
「あぁ、部活の指導なんかもそうだよな」
運動部なんかに顕著だ。テニス部なんてコートを使える人数が限られるから基礎体力のあるやつが課題を早く終わらせてコートを使っていた。
「問題は体力作りの道場十周などの数をごまかして指導を受ける者が多かったこと」
「道場主にそれを報告しなかったのか?」
中学生くらいだと陰口みたいで嫌だと報告しなかったりするかもしれないけど、七掛なら本人に忠告して改善しなかったら普通に報告しそう。
そう思って聞いてみると、七掛が頷いた。
「注意しても態度が変わらなかったから、直接報告した」
「それで、変わらなかったのか?」
「なお悪い。私が道場を辞めた切っ掛けでもある」
「どういうことだ?」
「個人指導を受けられる分、彼らの方が道場内での成績は良かった。だから、指導者は『結果を出しているのだから、彼らは自分に必要なことを理解してそれを優先するほど要領がいいということ』だと、因果が逆転した論理で不問に付した」
「うわぁ」
思わず呆れと嫌悪がない交ぜになった声が出た。
そんな道場主が指導しているなら、まともな神経の奴は辞めるだろ。ズルをしてまわりを出し抜くことをよしとする道場で一体何の道を学ぶのか。
少なくとも、忍耐力などは身につかないだろうな。
でも、今の話に俺がどう関係するんだ?
「道場を辞めたこと自体はどうでもいい。剣道を辞めた私は勉強に集中して、そのまま中学三年になり、高校の推薦枠を狙っていた。成績は学年トップ、問題なども起こしていない」
七掛大先生なら学年トップも不思議じゃないな。周りに教えて成績の底上げとかしてそう。
「でも、推薦枠を貰えなかった。選考に漏れた」
「え、なんで?」
「担任には中学一年で剣道を辞めたことを指摘された。『やりきることは評価されるが途中で投げ出すのはマイナス評価』だと言われた。詳しい事情まで話しても『先方は興味を示さない』とも言われた」
「あぁ、なるほど」
中学で部活が強制入部だったりするのと同じ理由ね。
「数日後、偶然、推薦枠を貰えた人の立ち話を聞いた」
……話が続くのか。
なんだか嫌な予感がひしひしとする。
「推薦枠を貰ったのは道場で基本練習を疎かにしていた門下生だった。『成績が少し足りなかったけど、学年主任が道場のOBで、高校の方にもOBがいるから推薦してもらえた』と話していた。事実かは分からないけれど」
裏口とまでは言わないけど、縁故採用かよ。
七掛のアバターに変化はない。もしかして、この話をするから表情を悟られないようにVRを選んだのか?
「私は分からなくなった。勉強して、努力して、結果で上回っても『要領のいい』人間に敵わないなら、努力することに何の意味があるのか」
「うーん」
努力しても良い結果が得られるとは限らない。残念ながら、それが世界だ。
憎まれっ子世にはばかる。残念ながら、それが社会だ。
誰かが見ていてくれるだなんて慰めにもならない。ただひたすらに徒労感だけが積み上がる。
それでも、努力をする理由。
多分、答えはない。
七掛のアバターが席を立ち、バルコニーの手すりから歓楽街を見回した。
「やる気を失ってネットサーフィンをしていた時、偶然、逢魔のブログを見つけた」
そこで俺が出てくるのか。
「――目を奪われた」
七掛のアバターが両手を広げる。それはこの3D空間に身を投げるようでもあり、礼讃するようでもあった。
「同い年の中学生がこれほどの作品を作り出している。そこには才能はもちろん、研鑽があり、何よりも費やした時間がある。すべての作品に目を通して、有料販売されている物もすべて買って、同人誌即売会にも足を運んだ」
「あの同人誌は俺の手が入ってないけどな」
「もしかしたら本人に会えるかもと思ったけれど、同人誌が別人のまとめた物なのは知っていた」
「ちなみに、どれくらいの規模だったんだ?」
「在自の体育館くらいの大きさの広場で身動きとれないくらいの混雑。開催時間は午後二時から午後七時までの五時間」
「けっこうな客入りだな」
俺があずかり知らぬB世界でそんなことになっているとは。
七掛が話を続ける。
「私は逢魔の作品を見て決意した。結果を比べられる努力ではなく、すべてが自己完結する独りよがりな努力をしよう、と」
極端な方向に振れてない?
でも、一つの答えではあるのか。
「それが、俺への感謝?」
「一つ目の感謝」
「そうか。なんというか、感謝されても反応に困るな」
俺が3Dを作っていたのは単純に楽しかったからだ。それこそ、自己完結する独りよがりな努力だと思う。誰かのためではなく、純粋に自分のためにしていたことで、感謝されてもね。
そう、努力だなんて思ったことがなかったけど、時間を費やし続けていた。
だからこそ、あのパクリ騒動で中学時代の思い出全てが泥まみれだ。
「あのパクリ騒動はすぐに事実無根だと思った。それでも、逢魔はブログを事実上閉鎖した」
「したな。今でも閉鎖中だ」
公開できるような作品がいくつか手元にあるが、公開したいとは思わない。
七掛のアバターが手を下ろし、バルコニーの手すりに両手を乗せた。
「また分からなくなった。努力した結果で悪意を向けられるなんて思ってもみなかった。そんな時、私は遍在者になった」
「ネリネ会にはすぐに入ったのか?」
実現するかもわからない同窓会を開こうと努力することが、当時の七掛の心理状態でできるのか。
七掛は小さく頷いた。
「不正や悪意の介在する余地のない閉鎖的な環境での努力であれば、報われるかもしれないと思った」
「秘密組織のネリネ会での活動はある意味、都合がよかったわけだ」
「そう」
七掛は同意して、俺を振り返った。
「そして、あなたがサクラソウに来てくれた」
「二度目の感謝っていうのはそれ?」
「違う。嬉しかったけれど、感謝は別。あなたがネリネ会に入ってくれたことも嬉しかったけれど、感謝したのは文化祭の時」
「……努力の意義をくれるって言ってたな。発言の意図はそれか」
ネリネ会で努力していた七掛だったが、彼女の努力とは関係のない事、遍在者のジレンマの発生という理不尽でネリネ会の存在意義も、七掛が努力した意味も無に帰すところだった。
結果的に、七掛の努力を無駄にしないように動いた俺に感謝をしているって話らしい。
ただ、分からないところもある。
「一ついいか?」
「なに?」
「俺がバンド練習をしていた時、七掛は反対の立場だっただろう?」
生き急いでいる、とか。
七掛のアバターが動きを止めた。
由岐中ちゃんが部屋に訪ねたのかと思ったが、離席すると言ってこないところを見るとどうやら違うらしい。
「何か言いにくいことだったか?」
無理に聞き出すつもりはないんだけど。
七掛のアバターが首を横に振るモーション。
「あなたが私をどう思っているのか、分からないけれど、私は――触れられなくなるのが嫌だと思った」
七掛が言い切った直後、目の前から七掛のアバターが消失した。
システムメッセージで七掛がログアウトしたとの報告が流れる。
……あいつ、耐え切れなくなった逃げたな。
まぁ、さっきのは実質、告白みたいなものだったけどさ。
俺はヘッドセットを外して、昨日渡していなかったホワイトデーチョコを手に取った。
「うん。俺はサディストらしい」
七掛のお部屋訪問、決定である。
言い逃げは許しません。
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