第13話 最高のバンド
「――乾杯!」
天岩戸作戦の成功を祝し、ブルーローズの卒寮に伴うパジャマパーティーが笠鳥先輩の音頭で開始されたようだ。
ようだ、というのは、会場である会議室の騒ぎが漏れ聞こえてくるからである。
俺は七掛と共に研究員たちが利用している食堂に呼び出されていた。
AとB、CとDの研究員が互いを始めて観測して難しい顔をしている。
俺と七掛を同時に観測できる唯一の研究員、B世界の因場間さんが眉間にしわを寄せて俺たちを睨んだ。
「……で、これはなんだ?」
「秘密兵器です」
「私たちの至宝」
これと、言われているのは当然のごとく、今まで存在をひた隠しにしてきた遍在ノートパソコンと二機の『ES―D7』だ。
研究員たちからすれば垂涎の品だろう。
「一般人から遍在者になる際に身に着けていたものが遍在するのは知られた事実だが、ノートパソコンとはな」
因場間さんはB世界の人間であるため、遍在ノートパソコンは見えていない。
「庭がやけに騒がしいと思えば、とんでもない玩具で遊んでやがって……なんで報告しなかった?」
ことの発端は昼過ぎの事。
天岩戸作戦で寮生を引っ張り出した俺たちだが、研究員まで騒ぎを聞きつけて出てきてしまった。
遍在ノートパソコンや『ES―D7』に度肝を抜かれた研究員たちは演奏が終わるや否や下手人である俺と七掛を証拠品とともに押収したわけだ。
一般生たちには何が何だかわからなかっただろう。彼らの目には遠方のバンドメンバーと通話回線を利用して演奏しているように見えていたはずだ。
寮生を間接的にでも知っている研究員でなければ気付かなかった。
まさか、この人たちが自分の研究を切り上げて様子を見に来るとはなぁ。
「このデスクトップパソコンもだ。どうなってんだ?」
B世界の『ES―D7』と繋がれたモニターに映っているA世界の研究員、功刀さんを気にしつつ、因場間さんが俺に尋ねてくる。
「量子もつれを起こしている量子コンピューターです」
「量子もつれ?」
量子もつれの意味が分からないわけではなく、意味が分かっているからこそ驚愕して問い返す因場間さん。
功刀さんは眼鏡を拭きながら何か考えをまとめている。
因場間さんは胡散臭そうに『ES―D7』を見るが、モニターにA世界の功刀さんが映っている現状では否定材料がなく、まずは信じることにしたらしい。
「来歴は?」
「俺が一般人だった頃から使っているのがA世界の『ES―D7』です。これのコントロールパネルにB世界の『ES―D7』が表示されていることが発覚して、探し出しました」
「うーん」
因場間さんがちらちらと『ES―D7』を見る。
俺は釘を刺すべく、口を開いた。
「遍在ノートパソコンは七掛の個人的な所有物であり、『ES―D7』は俺の個人所有です。引き渡しには応じませんし、分解などもさせません」
因場間さんが腕を組んで重苦しいため息を吐いた。
「ここは国立の施設だが――」
「国家権力を使うつもりなら、こちらも相応の対応をします」
「……相応の対応とは?」
「まるで、俺が相応の対応を取らざる得ない事態が起きると言いたそうな問ですね」
睨み合っていると、不意に功刀さんが口を挟んだ。
「因場間さん」
「うおっ」
驚いたように因場間さんがモニターに映っている功刀さんを見て、申し訳なさそうに頭を掻く。
「あぁ、すみません。まだ慣れないもんで」
功刀さんをモニター越しに見た因場間さんの第一声が「女性だったのか」だからな。事務的な話し方をする人だし、俺が通訳しているのもあって誤解するのは無理もない。仕事上必要な情報でもないし。
功刀さんは眼鏡をかけ直しながら、俺を見た。
「榎舟君はあれでもかなりの資産を有しています。使いようによっては、サクラソウの存在理由などの国家機密を全世界規模で暴露するネット広告も打てるでしょう。そうですね、逢魔さん?」
ばれてる。
「なぜ、俺が逢魔だと?」
「初めてお会いした際、名刺の受け取り方が礼儀に乗っ取っていました。高校生でいきなりあの対応はなかなか取れないでしょう。加えて、寮生には無条件に支給されるパソコンがあるにもかかわらず、実家から自分のパソコンを郵送させていた。それで少し気になりましてね。あなたのご両親に尋ねました」
「それじゃあ、かなり早い段階で知ってたんですね」
もしかすると、七掛よりも早く俺の正体に行きついていたのだろう。
因場間さんが俺を見る。
「逢魔? どっかで聞いたな。……そういえば、前に寮生の誰かが探していたか。なるほど、この量子コンピューターがらみだな。ずいぶん前から動いてたんだな、お前ら」
研究員をそっちのけで世界間に風穴を開けていたと知り、因場間さんが複雑そうな顔をする。
D世界の研究員、初瀬さんが遍在ノートパソコンを通じて俺に話しかけてきた。
「おおよその話は察したがねぇ。個人所有物を買い取るでもなく押収する権利はないはずだ。別段、罪を犯したわけでも、その証拠物件というわけでもない。あくまでも研究資料としての価値しか認められない。わたしら研究員としては提供してもらいたいが、そうもいかない事情があるからこそ、これまでひた隠しにしてきた。そうだろう?」
「はい。その通りです」
「うむ、ならば、諦める他はないだろうね。非常に残念だが」
「その件ですが、皆さんに一つ相談があります」
俺が研究員たちに話を持ちかけると、意外そうな顔をした四人が俺を見た。
事前に相談してあったわけでもないため、七掛も何を言い出すのかと俺に目を向けている。
「これから話す計画が実現可能かを知りたいんです。皆さんの意見と過去に事例があれば教えてほしいんです」
「それは我々の研究にプラスになるのかな? 研究材料の提供を拒んでいることは理解しているのだろう?」
初瀬さんの問いに俺は頷きを返す。
「計画が成功すれば、研究材料を新たに生み出し、かつ、提供できると思います。この計画の成功目標は、A―C世界間遍在通信ケーブルの制作なので」
意図的にA―C世界に遍在する通信ケーブルを生み出す。
これが成功すれば、ネリネ会を開催する準備が整うのだ。
興味をひかれたらしい研究員たちが俺の話を聞く姿勢を見せる。
「面白そうだ。聞かせてもらおう」
「はい。まずは――」
※
研究員たちの説得を終えて、計画に関しての意見を貰った俺は七掛と共に会議室へ向かった。
まだ夕方だというのにパジャマパーティーの会場と化している会議室に入るなり、鬼原井先輩がとびかかってきた。
「愛弟子よ! よくぞやり遂げ――およ?」
俺と鬼原井先輩の間に素早く割り込んだ七掛に睨まれて、鬼原井先輩は一瞬戸惑った後、まぁいいか、とばかりに七掛に抱き着いた。
「そんなにお姉さんと別れるのが寂しいか! 大丈夫だよ、同じB世界出生だから、卒寮後も友愛を育もうぜい!」
「……うん」
七掛の頭を撫でまわしながら、鬼原井先輩が俺を見る。
「それで、どうしたの? 師弟のスキンシップを七掛ちゃんが理由もなく妨害するとは思えないから、何かあったんでしょ?」
「ちょっと独占欲が強まったようで」
睨んでくる七掛に苦笑する。
俺の計画を聞いた七掛は反対しなかった。ネリネ会を開催する手段として有効なのは認めているからだろう。研究員たちも仮説の立証材料を得る事が出来るため、この計画の成否にかかわらず得る物があると判断している。
妨害はない。
ただ、七掛は無視できない計画の副産物の影響で、板挟みになったようだ。
鬼原井先輩がニマニマしながら七掛を抱きしめる腕に力を込める。
「面白そうなことになってるじゃん。卒寮したくないなぁ」
鬼原井先輩が考えるような面白さではない――ないこともないのか。
まぁ、それよりも、今の主役に接待しないとね。
俺は鬼原井先輩に尋ねる。
「パソコン、持ってきますか?」
遍在ノートパソコンなどを持って来れば、鬼原井先輩たちが寮生と会話できるようになる。全員は無理だけど。
しかし、俺の提案に鬼原井先輩はノータイムで首を横に振った。
「必要ないよ。今はこれがけじめだしね。詩乃や凛もおなじでしょ?」
鬼原井先輩の言うとおり、仲葉先輩も招田先輩も首を横に振っている。
本人たちが必要ないというのなら、それでいいのだろう。ちょっと意外だけど。
代わりに、と招田先輩がギターを持ち上げて声をかけてきた。
「相真君、そこのメトロノームを動かしてくれない?」
「メトロノーム、ですか?」
会議机の上にぽつんと置いてあるメトロノームに目を向ける。
よく見れば、三世界分のメトロノームが同じ位置に置かれていた。
鬼原井先輩が七掛を開放してベースを取りに席へ戻る。
仲葉先輩がドラムスティックを持って席を立った。
「未発表のままの『都忘れ』を最後に演奏して、収録しようと思ったんですよ」
そう言って、仲葉先輩がハイハットを軽く叩いた。
雑談していた笠鳥先輩たちも静かになり、録音機材から離れる。
それぞれが別の世界にいるブルーローズが音を合わせるため、メトロノームを三世界同時に動かす必要があり、A、B、Cのトリプル偏在である俺を待っていたのか。
「相真だけは三人の演奏を最後に聞けるんだよ。役得だね」
鬼原井先輩が笑ってベースを持ち上げた。
俺はメトロノームの前に立ち、三人の準備が整ったのを確認して、手を伸ばす。
このメトロノームが刻むのはブルーローズ最後の曲の拍子。
いや、違うな。
「それじゃあ、行きますよ」
メトロノームの振り子を動かす。三拍の間を挟んで、ブルーローズの演奏が始まった。
未発表曲『都忘れ』は俺が鬼原井先輩に初めて教わった曲だ。
都忘れの花言葉は『しばしの別れ』。
俺がネリネ会の存在に気付いたきっかけでもあるその花言葉が意味するところを考えれば、きっとこの演奏は最後にならない。
三人は、遍在ノートパソコンや『ES―D7』を目の当たりにして、俺同様に気付いたのだろう。
いつか、再会できるかもしれない可能性に。
招田先輩の声が歌い上げる歌詞が原曲から少しだけ変わっていた。
もともとは、思い出の中でまた会えるという歌詞だった。
いまは未来での再会を約束する歌詞になっている。
七掛が俺の服の袖を掴んだ。
ネリネ会の存在意義が今、まさに目の前にある。七掛には鬼原井先輩のベースしか聞こえないだろうけど。
この歌詞を実現するための計画を知っている七掛がいま俺の袖を掴んだのなら、協力してくれるだろう。
演奏を終えて、招田先輩が呟いた。
「……チープな言葉を言いたくないけど、最高の仲間だ」
聞こえているはずがないのに、鬼原井先輩と仲葉先輩が答えるように頷いた。
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