第12話  感性が毒されてる

 文化祭を明日に控え、今日は丸一日が準備時間として割り当てられていた。

 だから、サクラソウの寮生は待機である。


「大人しくしていられるか!」


 ノリノリのギタリスト笠鳥先輩が庭に出るなりギターを鳴らしだす。


 時刻は昼。昼食を食べるために準備の手を休めているだろう各世界の在自校生たちの興味を引くには十分な一撃が秋空に響き渡った。

 いそいそと七掛が戸枯先輩と一緒にドラムセットを運びだし、俺は機材を外に出す。

 快晴の青空を見上げて雨の気配がないのを確認。


 ついでに背後のサクラソウを振り返る。

 いまだに静まったサクラソウだったが、笠鳥先輩のギターの影響でわずかに浮き足立っている。

 もともと、寮生はお祭り好きだ。参加できない文化祭には毎年忸怩たる思いを抱えていたという。

 問題は遍在者になって日が浅く、サクラソウの空気に染まりきっていないだろう由岐中ちゃんの動きだが――出てこないのなら、演奏で引きずり出すしかない。

 みんなが盛り上がっていれば出てくるだろう。天岩戸作戦だ。


 電源ケーブルを持ってくる。赤い奴は女子陣地側に置いて、黒い奴は男子陣地側。それぞれ、繋ぐ機材が違う。

 ドラムを並べた戸枯先輩が持ってきてくれたアンプにケーブルを繋いでいると、七掛がサクラソウから出てきた。


「七掛ちゃん?」


 戸枯先輩が意外そうに七掛を見て、その腕に何かを抱えているのに気付いて首をかしげる。

 七掛はネリネ会の秘密兵器、遍在ノートパソコンを持ってきていた。C、D世界に遍在するこのノートパソコンはA、B世界に遍在している戸枯先輩からは観測できない。

 七掛は無言で外付けカメラを接続して操作を始める。

 俺は七掛に遍在ノートパソコンの設定を任せて、二機の『ES―D7』を部屋から運び出すために自室へ向かう。

 A世界の『ES―D7』を運び出していると、庭が一気に騒がしくなった。


「七掛ちゃん、これどうなってるの!?」

「極秘」


 事前の打ち合わせ通り、ネリネ会やその活動実績そのものは秘密にするらしい。

 俺が愛機を持って庭に出ると、遍在ノートパソコンを囲んでいた戸枯先輩、笠鳥先輩、が俺を振り返った。

 七掛と交流が深い俺が場違いにパソコン筐体を持って出てきたため、ノートパソコンについても知っていると悟ったらしい。


「榎舟、このノーパソのこと知ってたのか!?」

「知っていましたよ。とりあえず、それを使えば笠鳥先輩のD世界ギターの音と俺のC世界ベースの音をお互いの世界にも流せるって寸法です」


 俺が抱えているA世界の『ES―D7』を真剣な目で見つめて、戸枯先輩が口を開く。


「まさか、それも?」

「似たようなものです。もう一機と合わせないと意味がないので、準備が終わるまで待っててください」


 外に出してある幅広の机の上に愛機を置いて、電源ケーブルを繋ぎ、起動しておく。


「触ったらだめですよ。ロストテクノロジーなオーパーツなので」

「ロマンあふれるなぁ。俺には見えねぇけど」


 笠鳥先輩が『ES―D7』の置いてある辺りを凝視して呟く。

 遍在ノートパソコンと違って世界が違えば観測できないため、これが見えるのは俺と戸枯先輩だけだ。七掛にだって見えていない。


 もう一機の『ES―D7』を持って庭に出てみると、笠鳥先輩のギターがB、C、D世界に響いていた。

 七掛が遍在ノートパソコンの設定が反映されているかを確かめるために笠鳥先輩に演奏してもらっているらしい。


 俺は笠鳥先輩の演奏を聴きながら二機の『ES―D7』が量子もつれを起こしているか、コントロールパネルで調べて設定を始める。

 遍在ノートパソコンと二機の『ES―D7』を持ち出したのは、各世界の一般人へ音を届けるためだ。

 もっとも、これだけ機材をそろえてもなお、CとD世界に戸枯先輩のドラムは届かないのだけど。


 これらの機材の導入により、AとB世界ではフルメンバーでの演奏が届き、CとD世界では俺のベースと笠鳥先輩のギターが届くようになっている。サクラソウメンバーであれば全員がフルメンバーでの演奏を聴く事が出来る。


 結局、C、Dのドラムは電子音を流すことに決まった。招田先輩が作ったDTMのドラムパートだけを流す形だ。


「さて、お昼時だけあってギャラリーも集まってきたね」


 ドラムの位置調整を済ませた戸枯先輩がにやりと笑う。


 サクラソウの門前、庭を覗く事が出来る門の両脇には各世界の警備員が立っており、その向こうには各世界の在自校生の姿があった。

 おそらく、高くて見えない塀の向こうにもそれなりの人数がいるだろう。

 大半が購買で買ってきたらしいパンなどの軽食を携えている。


 そして、塀の内側には会議室からわざわざ椅子を持ち出してきたブルーローズのメンバーが座っていた。サクラソウの現役寮生にだけ許された塀の内側のそれはまさに特等席。

 三人は研究員連中からの事情聴取などを経て、昨日、卒寮する予定だった。

 しかし、文化祭の準備で女子寮の空き部屋に資材が詰め込まれていたとのことで、資材が捌ける今日まではサクラソウの寮生として在籍できている。

 仲葉先輩はニコニコと、鬼原井先輩はニヤニヤと、招田先輩だけは妥協を許さない音響監督のような真剣な顔で俺たちを見ている。


 俺は椅子に座ってA、B、C、三世界分のベースを抱える。無茶苦茶に重い。練習中も筋トレかってくらい抱えていたから、力の入れ方は分かるけど。

 世界ごとに機種は違うが弦の位置が同じベースを選んでいる。弾くのに結構な体力を使うけれど、こればかりは偏在者の宿命だ。

 エア・ベースじゃ様にならないし。

 でもね、めっちゃ重いの。軽い奴を選んだけど三世界で総重量十キログラム超えてんだよ。


「そんじゃあまぁ、文化祭前日の話題をかっさらうか」


 笠鳥先輩が勇ましいセリフを口にして、ギターの弦を上から順番に鳴らして七掛に合図を送る。

 三拍の間を挟んで、笠鳥先輩が一曲目に入った。


 響き渡るフィードバック奏法のノイズ交じりの音。瞬時に聴衆の意識を引き込む笠鳥先輩の一撃の余韻が切れる前に、戸枯先輩のオープンハイハットの一打が入り、俺もベースを弾き始める。

 一音一音をくっきりと。ベースが何を弾いているかを印象付けるように強く。


 イントロが終わり、笠鳥先輩のギターが再度入るタイミングで裏方に回り、戸枯先輩のスネアに合わせて休符を挟む。

 笠鳥先輩の歌声にサクラソウの門から覗くC世界の生徒たちが一様に微妙な顔をした。招田先輩の声で知っている曲を性別も違う素人の笠鳥先輩が歌っているため違和感を覚えたのだろう。

 俺からは見えないが、ブルーローズフルメンバーを知っているD世界の生徒はさらに強い違和感があるはずだ。


 しかし、招田先輩を知らないA、B世界の生徒にそんな違和感は存在しない。元々ノリのいい曲だけあって体が動いている生徒もいる。

 下手なわけではない。ブルーローズと比べて劣るだけ。

 組んで一週間に満たない即席バンドが越えられる壁ではない。

 サクラソウに来てからドラムに触れてない戸枯先輩はもちろん、笠鳥先輩だってこの曲を弾き始めて一週間も経っていないのだ。ここまで弾きこなしているだけで十分すぎる腕だ。

 これ以上を望むのは酷だなんて、一般生が知るはずもない。

 ないのだから――


 Aメロが終わってサビに入ると同時にスラップベースで生徒の意識を奪い取る。

 左手がベースのネックを動き回る。鬼原井先輩から教え込まれた指運びで正確に、素早く、少しだけノイジーに。


 このバンドメンバーで唯一俺だけは、ブルーローズの曲を半年以上弾いてきた。

 他ならぬ、ブルーローズの鬼原井先輩の指導のもとで、だ。

 実力は劣るだろう。

 それでも根っこは同じだ。

 劣化コピーでしかないかどうかは、とりあえず聞いてみろ。


 サビの最後にベースのネック上で左手を上から下へ弦の上を滑らせるグリッサンドで音を繋げてBメロに入る。


 C世界の生徒が足でリズムを取っていた。

 門の横の警備員までもこちらを見ている。あんたらはこっちに意識取られちゃだめだろう。

 だが、それだけ巻き込んだということだ。


 Bメロ、Cメロと続いてオオサビ。

 心臓を揺するような低音のベースラインが求められる。熱の入ったメロディに合わせて強くなるドラムに負けない、それでも表に出すぎない、足元から押し上げるような音が。

 駆け上がるようなギターメロディに引きずられないように、戸枯先輩のバスドラムの音に合わせて単音を引く。


 ブルーローズは鬼原井先輩をベーシストに据えているだけあって、目を引くベースラインが多い。

 笠鳥先輩と戸枯先輩が協議の上でこの曲を頭に持ってきたのも、言い出しっぺでオオトリを飾ることになる俺を印象付けるためでもあるのだろう。


 埋もれがちなベーシストを印象付ける事が出来るこのベースラインは……非常に遺憾ながら、非常に! 遺憾! ながら!

 ――エロい。


 笠鳥先輩が歌い終わった直後に、ベースで和音を奏でる。

 足元から押し上げていた低音で唐突にアッパーカットを入れるような、意識を引く和音の直後にギターの陰に隠れるように単音を切れよく弾く。

 聴衆の視線を感じる。唐突に目立ったベースを値踏みするような視線にぞっとする。


 それでも、ニヤニヤ見ている鬼原井先輩の視線をみれば、俺が正しいことは証明できる。

 何度も練習した指運びだ。もう指が覚えている。


 グリッサンドで低音から高音へ滑らかに繋ぎ、最後のフレーズを弾き終える。


 空白と余韻が同時に押し寄せる。

 聴衆の反応よりもブルーローズの三人が気になって視線を向けた。

 仲葉先輩と招田先輩が顔を見合わせている。

 鬼原井先輩が俺にVサインを向けている。


「エモイですねぇ」

「エモイね」

「エロイね!」


 俺は頭痛を覚えて額を押さえた。

 エモイって手があったか。

 何が『――エロい』だよ、くそが。


 肩を叩かれて顔を上げる。笠鳥先輩が同情でもしてくれたのかと思ったが、違った。

 笠鳥先輩がサクラソウを顎で示している。

 振り返ると、玄関から由岐中ちゃんが椅子を持って出てくるところだった。いつの間にか、玄関の横に玉山先輩や鴨居先輩もいる。

 庭に寮生が揃ったことになる。

 笠鳥先輩が俺に笑顔を向けた。


「作戦成功だな。続けるか?」

「もちろんですよ」


 戸枯先輩が拍子を取り始める。

 そして、二曲目が始まった――

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