第11話  努力の意義

 登校、授業、下校!

 課題、義務、終了!


「バンド練習!」


 本番まで後五日。


 朝礼、授業、放課後!

 論文検索、発見報告!


「ベース練習!」


 本番まで後――


 とかやっている内に残り二日となり、すっかり学内の雰囲気が文化祭ムードに染まっていた。


 俺が観測できるA、B、Cの三つの校舎が飾り立てられ、校庭に出店が作られ、簡易の舞台で狂言部とかいう今まで存在を知られていなかった日陰の部活が『附子』と『饅頭怖い』を混ぜたアレンジを演じている。……割と面白い。


「明日は榎舟以外、全員で最後の準備な。泊まり込むなら昼までに申請を出せよ」


 担任がそう告げて、実行委員に申請書を渡している。

 俺はさっさと鞄を持ち上げた。

 お隣女子が机の上に上半身寝そべらせながら俺を見上げた。


「えのー、面白いこと言って?」

「俺、バンドやるわ」

「ははっ、ウケるんですけど。カスタネット?」

「使わねぇよ!?」


 というか、さらっと笑い話扱いされてるけどマジなんだよ?


「最近、慌ててサクラソウに帰っていくじゃん。バンド練習してんの?」

「そう、してんの」

「そっかー。えのはバットマンに進化したかぁ」

「バンドマンな。蝙蝠じゃねぇーから。俺の事より、作業始まるけど手伝わなくていいのか?」


 教室を見回すと看板作成に取り掛かっているクラスメイトの姿がある。

 お隣女子はぐてっと机に寝そべったまま欠伸する。


「私は当日の客寄せだから。チラシはコピったし、自分の分の準備は終わってるんだよねぇ。そもそも、えのも手伝わないじゃん」

「それについては申し訳ないと思いつつ、俺はそろそろ帰りたいと壁掛け時計に視線を向けるわけだ」

「申し訳ないと思ってる人の言動かね。まぁ、事情があるんでしょ。サクラソウの生徒は外出禁止とか? 教師連中も何も言わないし、察するところはあるよ。フォローはしてあげるから、バンド練習行っておいで」

「ありがとうな」

「今度、学食で日替わりデザートをおごればフォローしてあげるよ」

「無条件じゃないんだ。文化祭が終わったらな」

「やった」


 にやりと笑ったお隣女子に見送られて教室を出る。


 廊下も作業中の生徒で一杯だ。早くもチラシを配っているところもある。

 かき氷を始めとした氷菓を出すというクラスのチラシを受け取って眺めながら早足でサクラソウに帰宅する。

 今朝の会議では論文探しを言い渡されてないので、今日は一日ベース練習に打ち込める。

 かなり様になってきたし音合わせもしているから、もう当日まで完成度を高めていくだけだ。

 笠鳥先輩と戸枯先輩が上手で助かった。


「あれ?」


 自室の前に小柄な人影が立っているのを見つけて足を止める。


「七掛、どうした?」


 声をかけると、七掛はクマの浮いた陰鬱な目を向けてきた。

 ブルーローズが一般人に戻ってからというもの、俺や笠鳥先輩、戸枯先輩を除くサクラソウの住人は極力他者とのかかわりを避けている。

 いまだにどうしたらいいのかわからない状態のようで、七掛もその一人のはずだ。


 帰ってから因場間さんにでも論文探しを言い渡されたのかと思ったが、手元には何も持っていない。手の形からも俺が観測できないD世界の荷物を持っているようにも見えない。


 七掛が俺の部屋の扉を人差し指でつついた。中で話そう、と言いたいらしい。

 鍵を開けて中に入る。

 七掛は置きっぱなしの専用クッションを抱えるとB世界『ES―D7』の前に腰を下ろした。


「それで、どうしたんだ?」


 表情からして、遍在者のジレンマに自分の中で折り合いをつけたわけではなさそうだ。

 七掛はしばらく言葉を探すように視線を彷徨わせていた。


「……怖くないの?」

「怖い? なにが?」


 唐突な問いの意味が分からずに聞き返すと、七掛はもどかしそうにクッションを抱く腕に力を込めた。


「こんなに毎日三人で練習してたら、一般人に戻る」


 七掛の指摘は、俺たちの懸念事項の一つだった。

 練習しないと上手くならないけれど、練習しすぎて文化祭前に一般人に戻ってしまう可能性もある。

 だが、練習しないわけにもいかない。


「一般人に戻ったら寂しいだろうな」

「だったら――」

「かかわりを避けて生活する方が寂しいだろ?」


 言い返すと、七掛は口を閉ざした。


「……あなたたちは生き急いでいる」

「生き急いでいるとは、また言いえて妙だな」


 遍在者としての生を急いでいるとは言える。

 いつ遍在者でなくなるかも分からない焦燥感がある。

 でも、その焦燥感の源が何かを知っている。

 俺は『ES―D7』に目を向けた。


「パクリ騒動の結果、俺の中学生活に純粋な良い思い出はなくなった。友達なんかいなかったしな」


 もう中学の三年間は取り戻せない。

 もしも中学時代に戻ったら、俺は逢魔としての活動と友達との交流の両立を図るために四苦八苦するだろう。

 中学時代を後悔しているわけではない。もっと上手い生き方があったと思うだけだ。


 その上手い生き方を実践する機会が今まさにやってきている。


「文化祭で演奏する機会なんて、もう一生訪れることがないと思う。たった一度の機会なら悔いを残したくない。それは、文化祭に限らず、遍在者としての生活もそうだ」


 一般人に戻るまでの遍在者としての生活をどう過ごすのかが、俺たちが解くべき命題だ。

 そして、答えはジレンマが浮き彫りになる前から決まっていたはずだ。


「悔いのない青春を過ごす。なぁ、七掛はネリネ会を託されて今ここにいるんだ。先輩たちが青春を過ごし、それを思い出話として笑って話せるネリネ会を開くためにここにいるんだろう? なら、俺たちが今のサクラソウを変えて青春に巻き込んでやる。消えかけたネリネ会の存在意義を取り戻してやる」


 七掛が俺を見つめて悔しそうに唇を引き結んだ。

 悔しがる理由が分からず、俺は七掛の言葉を待つ。

 ギターとドラムの音が鳴り始めた。俺が行く前に練習を始めているらしい。

 音色に急かされるように七掛が口を開いた。


「ネリネ会が実現しても、触れることはできない……」

「……まぁ、VRだからな」


 声を届けるだけですら、世界の壁は強固で分厚い。ほとんど偶然の産物でアリの一穴を開けてもなお、A―B、C―Dを繋げたに過ぎない。


「思い出を語るのなら、声だけで十分だ」

「……そう」


 絞り出すように七掛は呟いて、何かを思考から追い出すように首を振った。


「わがままでしかなかった。忘れて」

「お、おう」


 わがままと断じる気はなかったんだけど、現状、VR同窓会よりもさらに方法すらわからないからこれ以上話は続けられない。

 七掛はB世界の『ES―D7』を指さした。


「当日に音響を担当したい」

「音響?」


 DTMを鳴らすタイミングなどは俺と笠鳥先輩でやる予定だったんだけど。

 そもそも、七掛一人では四世界分の音響を担当できない。由岐中ちゃんが加われば別だろうけど。

 と、そこまで考えて、七掛がなぜ『ES―D7』を指さしたのかに思い至る。


「もしかして、遍在ノートパソコンと『ES―D7』を使って各世界分の音響を担当するのか?」

「加えて、ビデオ通話を利用してA―B、C―Dの音を届ける」

「……表舞台に出していいのか?」

「状況が変わった。ネリネ会の開催の可能性を示唆すれば、寮生の考えも前に向く。遍在ノートパソコンと『ES―D7』はいわば、起爆剤になる」


 起爆剤――になるだろうな。

 永遠の別れは避けられず、触れることもできないけれど、それでもいつかは同窓会で会えるのならば、思い出を作ることにしり込みしてはいられない。

 ここの寮生はそういう人たちで、そうあるべきだと俺は思う。


「私がネリネ会に所属したのは、今のあなたたちのためだから」

「……分かった。当日は頼んだ」

「任せて」


 七掛は堂々と請け負うと、クッションを置いて立ち上がった。


「練習、頑張って」

「おう、もう弾くだけなら失敗しなくなったよ」


 七掛が頷いて部屋を出ていく。

 俺は笠鳥先輩たちの練習に合流しようとベースが入ったケースに手を伸ばす。

 その時、七掛の小さな声が聞こえた。


「――あなたはいつも私に努力の意義をくれる」


 何の話だ。

 問い返そうとした時には、七掛は廊下に出ていて、扉が閉まる所だった。



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