第10話  曖昧さの理由

 さて、訳も分からず鬼原井先輩愛用のB世界ベースを持たされて海に追いやられた俺なわけだが。


「叫べばいいの?」


 分かってない。俺だけ分かってない。みんなのことが分からなーい。

 仕方がないので最近やたらと硬くなってきた指先でベースを押さえつつ、鬼原井先輩から教わった曲を弾く。

 というか、俺はなんで海に送り出されたわけ?


 三依先輩の事を思い出す。

 もしかして、ここに戸枯先輩がやってくるのか?

 ……え、俺、戸枯先輩をベース道に引きずり込むなんて罪深いこと出来ないよ?

 まぁ、ベース道は関係ないのだろう。


 多分、俺がここに送り出されたのは、体育館で俺だけ分かっていない何かを戸枯先輩から聞き出せということなのだろう。戸枯先輩の話から何を考えるかも含めて、俺は先輩たちに送り出されたわけだ。

 何を聞き出せばいいかすら分からないのが困ったところ。

 悩みながらベースを奏でていると、浜辺に人が下りてくる気配があった。


「……待ち伏せかぁ」


 ベースの音で気付いていただろうけど、戸枯先輩は俺と目が合うなり苦笑して肩をすくめた。


「隣座るよ」

「どうぞ」


 戸枯先輩が俺の隣に腰を下ろし、ニャムさんを手放す。解放されたニャムさんは砂浜に足跡をつけると、俺たちの前に座って夜の海を眺めはじめた。

 戸枯先輩が足を延ばす。


「榎舟がいるのは予想外だったかな」

「先輩たちに送り出されまして」

「あはは、なるほど。榎舟が自発的に海に来られるとは思えなかったから、納得したよ。連中はまだ体育館?」

「いえ、サクラソウに戻って会議室で二次会をするそうです」


 体育館を一緒に出て、俺が体育館の鍵を閉めたので間違いないはずだ。

 戸枯先輩が俺の抱えている鬼原井先輩のベースを見る。


「何か弾いてよ。適当でいいよ」

「鬼原井先輩の前以外で演奏するのって初めてなんですけど」

「音を外したら笑ってあげるから安心しなよ」


 安心できねぇ。

 いや、渋い顔をされるよりは笑われた方がマシなのか。

 覚悟を決めてコードを押さえ、引き始める。

 戸枯先輩がいきなり渋い顔をした。


「なんでアニソン?」

「好きでしょ?」

「……なんでばれてる? 誰にも言ったことないんだけど」

「以前、俺の歓迎会でブルーローズがアニソンを演奏した時に戸枯先輩の脚がノリノリだったので」

「見てたのか。あぁ、オタバレする……」

「いいアニメですよね。背景のモブの3Dは手抜きでしたけど。テクスチャ張るだけじゃなくパラメーター弄れよ、と」

「その辺は分からないわ」


 俺にばれていると知った戸枯先輩は隠す気もなくなったのか、足先で拍子を刻む。


「鬼原井先輩から聞いたんですけど、戸枯先輩ってドラムやるんですよね?」

「アニメの影響で軽音楽部に入ってたんだよ。サクラソウに来る前だけどさ」

「上手なんですか?」

「詩乃と比べられると下手だよ」

「あの人のリズム感凄いですよね。強弱が絶妙できっちりノセてくる」

「そうそう。普段の話し方もおっとりしてるけど聞き取りやすいでしょ? あれ、滑舌もあるけど単語ごとに強弱がはっきりしてるからなんだよ」

「あぁ、言われてみれば」


 なんとなく落ち着く喋り方だと思っていたけどリズムがあるからなのかな?

 世間話だか噂話だかわからない雑談をしながら、ベースを弾き続ける。

 戸枯先輩は自分の膝に頬杖を突いて、ニャムさんの背中を眺めている。


「……心配かけたね」

「何のことです?」

「屋邊とのこと。色々動いてたでしょ。七掛ちゃんまで動くのは予想外だったし、そこまで心配されているなんて思わなかったから正直焦ったけど」


 戸枯先輩にもばれてたのか。


「七掛ちゃんから経緯を聞いたの?」

「いえ、古宇田先輩からです。笠鳥先輩とこの浜辺の整備をしていた時に声を掛けられました」

「そっか……。なら、経緯はほとんど聞いているわけね」


 戸枯先輩はニャムさんから視線を外して真っ暗な水平線に目を向けた。


「屋邊に言ったことに関しては後悔してないんだよ。あの時点での事実を指摘したつもり。屋邊は他人の存在を自覚もなく軽視していたし、思い出を作るつもりもなかった」

「別れに対する悲壮感を共有できない、ですか?」

「そう、それ。上手いこと言うね」

「七掛の受け売りです」


 正直に白状すると、戸枯先輩は愉快そうに笑ってから、ニャムさんを指さした。


「屋邊がニャムさんを拾ってきた時のあたしの気持ち、分かる?」

「あてつけかと思いました?」

「それもある。でも、あてつけならそれでもいいんだ。何に対してあたしが怒ったのかを理解していないとあてつけもできないからね。でも、屋邊は一足飛びで重要な存在で思い出を作れるけれど確実に別れがやってくるニャムさんを拾ってきたんだ。ある意味、あたしへのあてつけなんて眼中にもないわけ。だから余計に困っちゃったよ」


 得心がいった。

 屋邊先輩にとってニャムさんは四六時中一緒にいるある種の友達だ。けれど一般人になると同時に別れることになる相手でもある。


「ニャムさんを連れてきたことで、屋邊にとってサクラ荘はサクラソウになった。それを焚き付けちゃったのがあたしなわけでさ。後悔はしてないんだけど、屋邊にとって本当に幸せだったのかは分からないから、あんな曖昧な接し方になったんだ」

「なんだか、俺たちが動くまでもなく解決してたみたいですね」

「いや、背中を押してもらえたのは確かだよ。みんなが外堀を埋めてくれなかったらグダグダだと思うし」


 弾いていた曲が終わってしまい、さざ波だけの静かな夜に包まれる。

 俺は新しい曲を弾き始めながら、戸枯先輩に尋ねる。


「二人でバス停まで何を話してたんですか?」

「大したことじゃないよ。この夏休みの思い出話をしたくらいでさ」

「十分に大したことでは?」

「ふふっ大したことだったね」


 戸枯先輩は前言を翻して笑った。


「だから、榎舟と七掛ちゃんには感謝してるよ。あたしも、屋邊もね」

「伝えておきます」

「そうしてよ。あたしから直接言うのは恥ずかしいからさ」


 ニャムさんが欠伸をする。


「ニャムさん、帰る?」


 戸枯先輩が呼びかけると、ニャムさんは尻尾を揺らして立ち上がり、のそのそと歩いてきた。

 伸ばされた戸枯先輩の両手をニャムさんはひらりと避けて、サクラソウへ続く道へ歩き出す。

 苦笑した戸枯先輩が立ち上がって、空振った手を俺に向けた。


「さぁ、二次会に行こうか。あたしらはまだサクラソウの寮生なんだからさ」

「まだ夏休みは残ってますからね」

「そういうこと」


 戸枯先輩の手を握って立ち上がり、俺たちはニャムさんの先導の元、サクラソウへの帰路についた。

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