第7話  BBQ

 縮尺が千分の一だから、中心はこの辺か。

 マウスのスクロールホイールでカメラ視点を引いて全体像を俯瞰する。オッケー。いいバランスだ。

 ショートカットキーでカメラ位置を規定の場所に戻してから、オブジェクトの一つをクリックして編集モードに移行する。


「片面設定にしてっと。テクスチャは……七番だな」


 事前に用意しておいたテクスチャをオブジェクトの片面にだけ貼り付け、裏側からは透過するように設定する。

 反射率などの緒設定を加えてレンダーモードに移行する。

 いまだに半信半疑ながら、量子コンピューターという触れ込みの愛機はどんな高スペックパソコンをも引き離す高速処理で俺が作った花火の3Dを処理した。


「アニメーション開始」


 あの日、校舎の屋上で見た花火が画面の中で展開される。花火が開く度に薄く靄がかかったように見せて、煙の停滞も再現してある。

 我ながら上出来だ。後は、いくつかの証言の元で再構築した各世界分の花火をグループ分けして、非表示設定を駆使すれば、みんながそれぞれ見ていた花火の景色を再現できるという寸法である。

 なお、D世界分の花火を俺は観測できなかったため、組み込んでいない。

 画面上で展開される花火のアニメーションを眺めながら、コーヒーを啜る。花火大会の後からずっとコツコツ作っていただけあって感慨もひとしおだ。

 ただし、音はない。


「見た目がどんなに綺麗に作れても無音だと臨場感が出ないんだよなぁ」


 フリー素材で花火の音が転がってないか検索する。いくつか見つけたのでダウンロードし、音響ソフトに放り込んで反響や左右の強弱設定を弄り回す。

 花火の開くタイミングと音を鳴らすタイミングをほんの少しずらして、音の伝達速度を加味した距離感を演出。

 いいじゃん。完璧じゃね。

 ん? 雑音が入った? あ、ノックの音か。

 作業を中断して、部屋の扉を振り返って声をかける。


「開いてるんで、どうぞー」


 俺の声に応えて扉を開けたのは笠鳥先輩だった。

 A世界を観測できない笠鳥先輩は俺が机に向き合っているのを見て、暇かどうかの判断が付かなかったのか質問してくる。


「勉強中か?」

「いえ、趣味に走っていたところです」

「なら足を止めて回れ右してほしいんだが、良いか?」

「どこに行けばいいんですか?」

「A校の校長か教頭に、今日の夕方以降、校庭でバーベキューしてもいいか聞いてきてほしいんだわ」


 そういえば、バーベキュー大会って今日だっけ。


「C校でやる予定でしたよね。どうかしたんですか?」

「突然、テニス部の交流会が入ったとかで使用禁止になったんだわ。連絡するのが遅れてたらしい」

「そういうことですか」


 笠鳥先輩はA世界を観測できず、遍在者の存在を知っているとはいえ一般人でしかない校長や教頭との直接交渉が出来ない。だから俺にお鉢が回ってきたらしい。

 俺はパソコンの電源を落として立ち上がる。


「行ってきます」

「頼んだ。俺は食材の確認とかしておく。庭にいるから、話がまとまったら教えてくれ」


 笠鳥先輩に見送られて、サクラソウを出た俺はA世界在自高校の校舎へ向かう。

 夏休みとはいえ部活動でそれなりに賑やかな校庭を横目に見ていると、日陰で休んでいたクラスメイトと目があった。


「榎舟、なにしてんの?」


 ラケットを横に置いてスポーツドリンクを飲んでいたクラスメイトに声を掛けられて、俺は校庭を囲むフェンス越しに答える。


「野暮用で校長に会いに行く」

「ってことは校舎か。金渡すから、購買でミントアイス買ってきてくんね?」

「配達料は?」

「百円」

「よし、受けた。金を出せ」

「きゃーカツアゲされるー」


 笑いながら棒読みで悲鳴を上げたクラスメイトから金を受け取り、俺は再び校舎へ向かって歩き出す。

 校舎の中は校庭とは違って静かだった。今日は合唱部や吹奏楽部の練習がないらしい。

 一階にある校長室を訪問すると、先客がいた。


「榎舟君、実にタイミングのいいことだ」


 校長が柔和な笑みで歓迎してくれたものの、先客は怪訝そうに俺と校長を見比べている。

 校長が俺を手で示し、紹介する。


「サクラ荘の生徒、二年の榎舟君だ。榎舟君、彼らは生徒会だが、分かるかね?」

「顔だけなら見知っていますけど」


 先客こと生徒会の会長たちと無言で頭を下げ合う。お互い、校長がなんでこんなに喜んでいるのか分からない。

 俺は校長に向き直る。


「相談があってきたんですが、取り込み中なら出直します」

「あぁ、待ってくれ。君の力を借りたい」

「俺の力、ですか?」


 遍在者の存在を知っているとはいえ、一般人の生徒会がいる今、話を持ち出すとも思えない。内心不思議に思っていると、校長が生徒会長に目くばせした。


「留学生を受け入れることになったのだが、フランス語がよく分からなくてね。英語でやり取りしているが、誤解がないようにフランス語も併記してほしいと先方からの注文が入ったんだ。しかし、フランス語が得意な教師が出産のために休暇中でね。榎舟君、サクラ荘の寮生ならフランス語もできるんじゃないかい?」

「あぁ、そういうことですか。話したりはできないですけど、読み書きだけならある程度はできますよ」


 生徒会長が疑いなまなざしを向けてくる。とはいえ、校長の紹介である以上は信用するしかないと判断したのか、翻訳が必要な紙を渡してくれた。

 学校案内のパンフレットだ。他にも、県の内外の観光名所などを案内する予定らしく、日本語で説明が書かれている。


「これくらいなら辞書を片手に翻訳できます」

「おぉ、では頼もうかな」

「幾らですか?」

「え……」

「いえ、こういった翻訳作業を無料で受けるなとサクラソウの先輩方から釘を刺されているんです。これくらいの分量なら四千円から受けますけど」


 サクラソウの寮生は遊び呆けているように見えて、実際は多忙だ。遍在者の義務を消化するのもグループ作業で半日かかったりもする。加えて、こういった翻訳作業を含む雑用まで引き受けていると確実にしわ寄せがくるし、他の寮生がとばっちりを受けかねない。

 そんなわけで、無料では受けるなと厳命されている。


「分かった。即金で払おう」

「ありがとうございます。明日、生徒会室に直接持っていけばいいですか?」

「そうしてくれ」


 校長から四千円をきっちり頂き、渋い顔をしている生徒会長から紙を貰い受ける。

 校長からの依頼じゃなければ倍額は要求してたんだけどな。まぁ、バイトだと思えばいいか。

 生徒会メンバーが校長室を出ていくのを見送って、俺は改めて校長に訪問理由を告げた。


「校長、今の翻訳ですけど、本来の相場から言って大分安いです」

「そうなのか」

「えぇ。ところで、今日の放課後、サクラソウの寮生に校庭を貸してくれませんか。バーベキューをしますので」

「……交渉上手だ。分かった。午後六時からならば大丈夫だ。片付けはしっかりするように」

「ありがとうございます」


 よし、用事は終わり。

 校長室を辞して、同階にある購買へ向かう。部活動の生徒がいるとはいえ利用客は平時に比べて激減する夏休みだけあって、人はほとんどいなかった。

 陳列棚が並ぶ中、奥にある業務用冷蔵庫からミントアイスを取り出す。

 レジでさっさと会計を済ませ、溶ける前に届けるべく早足で校庭に向かう。


「おーい、買ってきてやったぜ」

「よっしゃ。新鮮なアイスだ!」


 新鮮なアイスってなんだ。

 お釣りから百円をいただいておさらばする。

 今日の稼ぎは四千百円である。外出もいいもんだな。

 サクラソウに帰りつくと、庭にバーベキュー用のコンロを磨いている笠鳥先輩がいた。


「榎舟、お帰り。どうだったよ?」

「午後六時からの使用許可をもらいました」

「よくやった。今日はいい肉が入ってるぜ。野菜も万願寺唐辛子を始めとした京野菜、より取り見取りだ。キノコもあるぜよ」

「豪勢ですね」

「ちなみに、今日はC校舎が風下だ。焼くぜ、煽るぜ、食欲の炎!」


 すでに燃え上っている笠鳥先輩。女子側の庭で花壇に水をやっていた仲葉先輩がほほえましそうに眺めている。


「元気ですねぇ」

「ですねぇ」


 仲葉先輩に同意しつつ、俺は仕事を片付けるべく自室へ向かう。

 部屋の中に七掛がいた。


「おかえりなさい」

「ただいま」


 いつのまにか平然と上がり込むようになってるな。鍵を掛けていかなかった俺も悪いけど。

 七掛が俺の手元を見た。


「なにか、持ってる?」

「あぁ、Aの生徒会から頼まれた留学生向けのパンフレット。翻訳作業を受けてきた。四千円で」

「臨時収入おめでとう」

「ありがとう。そんなわけでちょちょいとやっとくわ。というか、七掛は何か用事?」

「遊びに来た」

「そっか。できるだけ早めに片付ける」


 机の上にパンフレットとフランス語の辞書を並べて作業を開始する。

 七掛は暇つぶしに持ち込んだプログラミングの本を読み始めた。


「そのプログラミングの本って、もしかしてネリネ会の会場作りというか、VRゲーム作りのために読んでいるのか?」


 三依先輩の部屋にもプログラミングの本があったのを思い出して尋ねると、七掛は小さく頷いた。


「それもある」

「違う意味もあるのか」

「普通にゲームを作りたい。3Dの旅ゲーム。あちこちの遺跡を探索して謎解きをして、文明崩壊の理由にたどり着く。文明の崩壊理由にメッセージ性を持たせる。そんなゲーム」

「面白そうだな。鋭意製作中か?」


 尋ねると、七掛は曖昧に笑って首を振った。

 作ったものを必ず見せなきゃいけないルールがあるわけでもないし、見せたくないなら別にはっきり言ってくれればいいんだけど。性格上無理か。

 触れてほしくなさそうなので会話を打ち切って、パンフレットの翻訳を進めていく。

 学校案内はともかく、観光名所に関する文章は長く、翻訳も一苦労だ。安土桃山時代ってフランスだと何が起きてるんだろ。


「アンリ三世の時代」

「なにした人?」

「ポーランドを統治した」

「フランス王だよな?」

「選挙で選ばれている」

「……世界史の勉強もしないとなぁ」


 王様を選挙で選ぶってなんだ。

 てきぱきと翻訳を進めているつもりだったが、時間はどんどん過ぎていき、いつの間かバーベキューの開始時間である六時が差し迫っていた。


「――榎舟やーい、バーベキューの時間だぜ。何してんだ?」

「翻訳作業中です」

「まじか。しゃーない。A世界の食材は屋邊に運んでもらうか。おーい、屋邊ー」


 扉を閉めながら屋邊先輩に声を掛けたらしく、声が聞こえてくる。

 最近イベントに連れまわしすぎてうざがられている可能性があるから、屋邊先輩が引き受けてくれるか少し不安だった。

 七掛が立ち上がる。


「戸枯先輩を手伝ってくる」

「行ってらっしゃい」

「行ってきます。早く来ないと肉がなくなる。なくならない?」

「なくならないだろうな」


 A、B、Cトリプル遍在の俺の場合、世界分の保険があるわけだからな。

 あと十分くらいで終わるから、無くなる前に参加できるだろうし。

 七掛も出かけてしまったため部屋は静かになった。

 スマホがバーベキュー開始の六時を知らせる。消し忘れていたアラームを止めて、作業に戻り、ほどなくして翻訳は終了した。


「……猫の声?」


 作業が終わって集中が途切れた途端に聞こえてきた猫の声に振り返る。

 サクラソウ周辺はボス猫ニャムさんの縄張りだけあって、あまり野良猫がうろつかない。在自高校の敷地を出れば別だが、サラクソウは高校の敷地のど真ん中だ。


 不思議に思いつつ、パンフレットの見直しをしている間も猫の鳴き声が止まない。ニャムさんがこんなに鳴くのは珍しい。

 嫌な予感がして、俺はパンフレットを机に置いて部屋を出た。

 縁側に屋邊先輩が座っている。その隣で、ニャムさんが屋邊先輩や庭を見回してせわしなく鳴いていた。

 俺が扉を開けた音に気付いた屋邊先輩が振り返る。


「お疲れ様。話は聞いているよ。翻訳作業が終わったなら行こうか」

「わざわざ待っててくれたんですか?」

「まぁね。食後に百物語を校庭のど真ん中でやろうと笠鳥が言い出したから、ろうそくを取りに来たついでに」

「校庭のど真ん中って後ろの空間が広すぎて気になりそうですもんね。ところで――」


 先ほどからずっと鳴いていたニャムさんが俺をじっと見つめている。何かを考え込むようなそのまなざしを見つめ返しつつ、俺は屋邊先輩に尋ねる。


「さっきからニャムさんが鳴いていましたけど、どうかしたんですか?」


 屋邊先輩が押し黙った。

 嫌な予感が雪のように積もっていく。音もなく静かに、背中を冷たくしていく。

 屋邊先輩は俺の視線を辿り、縁側の、ニャムさんの定位置を見た。


「……ニャムさんがどこで鳴いているって?」

「……その、いつもの場所で、俺が部屋にいる時からずっと。今は黙って俺を見てますけど」


 屋邊先輩がゆっくりとニャムさんに手を伸ばす。

 ニャムさんは一切反応を示さない。

 ニャムさんの頭に屋邊先輩の手が触れた――そう見えた直後、屋邊先輩の手はニャムさんの体をすり抜けて縁側に掌をつけた。


「……冷たいな」


 屋邊先輩がポツリとつぶやいた。

 A、B遍在の屋邊先輩が、B世界のニャムさんに干渉できなくなっている。

 屋邊先輩は遍在者ではなくなっていた。



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