第5話  台風襲来

 夏の風物詩とは何か。

 ある人は海と答え、山と答える。

 サクラソウ住人には殊更ありがたがるものではない。なにせ、年中山の中だし、近場に海がある。

 またある人は花火、祭りと答える。

 これはこの間見物した。

 さて、条件を付けたそう。


「……台風」

「ヒントに頼らない姿勢は素晴らしいと思うよ。でもな、七掛、人が話す機会を奪うのはいかがなものだろう?」


 とにかく、誰しも避けて通れない夏の風物詩がやってきた。

 今回はなかなかの勢力らしく、テレビでは細身ながらパッチリお目々の台風十三号が沖縄観光を終えて北上中だと伝えている。

 サクラソウの面々は台風に備えてあわただしく動いていた。俺と七掛も同様である。


「研究員連中の窓は?」

「ブルーローズの三人が閉める」

「仲葉先輩たちか。温室はどうするんだろ」


 日日草や百日草が管理されている温室は女子陣地側の裏庭にある。普段管理しているのは仲葉先輩だから任せていいんだとは思うけど、力仕事が必要なら頼ってほしい所だ。


「補強されている。大丈夫」

「そんなもんか」


 まぁ、いつごろからの風習かわからないけれど卒寮生に花を贈るのはそれなりに歴史があるような口ぶりだったし、台風を経験するのも一度や二度ではないだろう。

 頭上から足音が聞こえて、俺は天井を見上げる。


「笠鳥先輩たち、大丈夫かな。風が強くなってきたけど」


 笠鳥先輩たちは現在、屋根の上に上がって板を打ち付けている。それというのも、ここ資料室の天井に雨漏りが発見されたからだ。

 台風が到来するまでに雨漏り箇所の応急処置をして、本格的な工事は台風が過ぎた後になるらしい。ついでに壁を塗り替えるとか何とか言っていた。


 俺は外国語の論文がコピーされたファイルを重ねて持ち上げる。

 サクラソウ住人用の外国語教材やら過去の会議録やら、なぜか存在する校歌ならぬ荘歌の楽譜、さらには奥に隠されていた麻雀卓など資料室には雑多なものが置かれている。

 これらをすべて会議室などに避難させるのが俺と七掛、屋邊先輩と戸枯先輩の役割だ。


「……」

「……」


 相変わらずぎこちない先輩二人が黙々と資料を運んでいく。

 実は仲がいいんじゃないかってくらい、言葉を交わさずに互いの邪魔をしない動きだ。

 資料室に先輩二人を残し、俺は七掛と一緒に廊下を出て会議室の扉を開ける。


「麻雀卓は先輩二人に任せる?」

「それがよさそうだな。共同作業してもらわないことには仲直りどころじゃなさそうだ」


 花火から数日経つのに進展がなさ過ぎて、古宇田さんに報告できてない。

 窓を覆う雨戸がガタガタと鳴っている。風が強くなってきたらしい。

 俺たちが会議室に資料を置いて廊下に出るのと、玄関の扉が開いたのは同時だった。


「おう、榎舟に七掛も。屋根の応急処置は終わったぞ。やっつけ仕事だから強風に持ってかれるかもしれねぇけど」


 玄関から入ってきた笠鳥先輩がそう報告して、資料室を指さし、俺に無言で尋ねてくる。

 資料室にいる屋邊先輩と戸枯先輩の事が気になるらしい。

 俺は黙って首を横に振った。

 笠鳥先輩は苦笑して、一緒に作業していた玉山先輩や鴨居先輩と共に男子陣地へ歩いていった。


 資料室をそっと覗きこむ。

 部屋の対角線に位置取った屋邊先輩と戸枯先輩は麻雀卓からも距離を取っている。あれが夏の大三角か。

 外からちょっかいをかけないことには関係が改善しないと改めて思う。

 俺は二人に声をかける。


「麻雀卓は会議室に運び込むわけにもいかないですよね」

「……そうね。雨漏りの受け皿代わりに置いておこうかな」

「詳しくないですけど、この卓、結構いい品ですよ?」

「そうなの?」


 戸枯先輩が怪しむように麻雀卓を見る。

 流石に象牙の牌ではないけれど、卓そのものは木製で重厚感のあるものだ。木目がはっきりと浮いた四脚のこの卓は多分、数万円はするだろう。そもそも、木製の時点で雨漏りの受け皿にするのはまずい。


「誰の物かはわかりませんし、卒寮生の残した物かもしれないですけど、それでも誰かの思い出の品だとしたら無下には扱えませんよ」

「まぁ、榎舟君の言うことももっともかな。でも、どうするの? 榎舟君の部屋に運ぶ?」

「いえ、置く場所ないので」


 折り畳み式ってわけでもなさそうだし。天板を被せれば普通に机としても使えるようだけど、四人で囲むのが前提だけあって場所を取る。

 黙々と古い資料を段ボール詰めしている屋邊先輩を見る。


「屋邊先輩の部屋ってスペースありますか?」

「ないことはないね。ただ、ニャムさんが爪を立てるだろうから。特にあの脚の装飾はいい感じだと思うんだよね」


 屋邊先輩の指摘通り、麻雀卓の脚に施されている彫刻はいい感じに爪を研げそうだった。

 屋邊先輩の部屋はダメだな。


「七掛、女子側に麻雀卓の所有者がいないか聞いてみて。俺は男子側を聞き込みがてら、納屋の鍵を借りてくる。戸枯先輩、屋邊先輩、申し訳ないんですけど、麻雀卓を廊下に出しておいてください。納屋に運ぶなら雨が降る前に片付けたいので」

「えっちょっと」


 戸枯先輩の抗議の声は無視して、七掛と共に動き出す。


「やや強引」


 男女陣地側で別れる直前、七掛がぼそっと抗議してきた。


「論理的には正しいだろ」


 少し強引でもいい加減に進展がほしい。

 男子側に聞き込んでみたところ、玉山先輩が麻雀卓の持ち主を知っていた。


 なんでも、四年前にサクラソウに居た雀王なる人物の品らしい。当時、B世界に存在した麻雀部の元へD、B世界遍在の雀王が道場破りを仕掛け、借金のかたに半ば分捕ったとのこと。

 麻雀部の存在を疎んだB世界の教師と生徒会が寮生を通じて雀王を担ぎ出したらしいが、その後の文化祭で雀王はしれっとサクラソウの門前で辻麻雀を始め、その年のB世界出店売り上げ一位に輝き、教師と生徒会の頭痛の種になったとかならなかったとか。

 なにしてんすか、先輩。


 ちなみに雀王はD世界の出生であったため、B世界の麻雀卓を持ち出せず「いつか然るべき者がこの卓を継ぐだろう」とよく分からない言葉を残して置いて行ったようだ。

 叱るべき者たちに頭を抱えさせておいてよく言うよ。


「納屋に放り込んでおけばいいんじゃね?」

「了解です」


 現在の寮生で麻雀が分かるのは仲葉先輩だけという無駄知識も入手してから、俺は玉山先輩と別れた。

 というか、仲葉先輩は意外な技能があるな。

 管理室で納屋の鍵を入手し、玄関を見ると屋邊先輩たちが麻雀卓を運んできたところだった。


「持ち主はわかったかい?」


 屋邊先輩に問われて、俺は玉山先輩の話を伝える。


「雀王って人の物らしいです」

「雀王?」


 知らない様子の戸枯先輩とは異なり、屋邊先輩は心当たりがあるのか「あの人か」と呟いた。


「戸枯さんの部屋の前の住人だね。雀王、泡金久美」


 女性だったのか。


「詳しくは知らないけれどね」


 屋邊先輩がそういうのと、戸枯先輩がため息交じりにつぶやいたのは同時だった。


「泡金先輩かぁ」


 屋邊先輩が意外そうに戸枯先輩を見る。屋邊先輩の話では入れ違いで入寮した戸枯先輩が雀王を知っているのは予想外だったのだろう。

 戸枯先輩は屋邊先輩の視線にわずかに怯んだ様子を見せた後、視線を逸らしつつ口を開く。


「泡金先輩についてはB世界の在自高校では伝説になってるからね。同じサクラソウの寮生ってことでいくらか聞かれたことがあったの」

「なるほど、大変だ」

「本当にね。転入してしばらくは教師から警戒されてたよ」


 本心から同情する屋邊先輩に戸枯先輩も苦笑気味に応じる。

 パタパタと足音を立てながら七掛がやってきた。


「雨が降り始めている」

「もう降り始めたのか。七掛、麻雀卓が濡れないように傘を差しかけて。俺は先に行って納屋の鍵を開けてくる。先輩たち、後は頼みます」

「はいはい」


 力仕事を押し付ける形になって申し訳ないけど、先輩たちに麻雀卓を任せて、俺は玄関から外に出た。

 途端に吹き付ける風に服の裾がまくられ、ぱらぱらと降る大粒の雨粒が肌を打った。

 空を覆う雲が強風に流されて波打って見える。閉ざされたサクラソウの門もギシギシと不快な音を立てていた。


 俺は納屋へと走り、扉を上げる。吹き込んだ風が舞い上げた埃に顔をしかめる。

 納屋は雑然と物が置かれていた。整理が行き届いているとは言い難い。麻雀卓の置き場所を確保するには段ボールをいくつか動かす必要がありそうだ。

 入り口に近い段ボール箱を奥へと運んで重ねていると、屋邊先輩たちが麻雀卓を運んできた。


「入るかな?」

「入り口を開けておいたので多分入るかと」


 屋邊先輩と戸枯先輩が共同作業してる。どうしても互いの位置を確認しながらでなければ運べないし、ぎこちないだけで嫌いあっているわけでもないからか、微妙な空気をまといながらも相手を配慮しつつ運び込む。

 麻雀卓はどうにか納屋に収めることができた。埃をかぶらないようにブルーシートをかぶせて完了である。大事に扱わないと伝説の雀士が殴り込みに来そうだから、アフターケアもばっちりだ。


「終わった、終わった。早く戻ろう。埃被ったし、お風呂入りたい」


 短パンについた埃を払いながら戸枯先輩は我先にと納屋を出る。


「そういえば、ニャムさんを見ませんね」


 この台風の中を出歩いているのだろうか。

 そう思った直後、納屋の屋根からニャムさんが降り立った。

 不機嫌に俺を一瞥したニャムさんは屋邊先輩を促すように短く鳴くと、戸枯先輩が開けたサクラソウの玄関へ駆け込んだ。


「おやおや」


 のんびり呟いた屋邊先輩がニャムさんの後を追いかける。

 直後、女子陣地側が騒がしくなった。ニャムさんが屋邊先輩から逃げ出したらしい。お風呂に入れられるのが嫌だったのだろう。


「七掛はニャムさん捕獲に動かなくていいのか?」

「前に花瓶を倒された。ニャムさんが確保されるまで部屋の扉を開けたくない」

「あぁ、それは確かに困るな」


 ネリネ会の会員の証であり、歴代の卒寮生たちに託されたネリネの造花、それが飾られた花瓶を倒されるのはいい気分じゃない。

 納屋の鍵を閉めて、強くなった雨脚に急かされるようにサクラソウへと駆けこむ。


 女子陣地の入り口で右往左往している屋邊先輩がいた。

 女子陣地では戸枯先輩がニャムさん逮捕に全力を尽くしており、仲葉先輩がニコニコしながらも一切手を出さずに様子を見守り、鬼原井先輩が「猫ふんじゃった」をベースで演奏しているし、招田先輩は状況が分からずに首をかしげている。

 ニャムさんがいるB世界が観測できない仲葉先輩や招田先輩はともかく、鬼原井先輩は加勢すればいいのに。

 騒ぎを聞きつけた笠鳥先輩たちがチョコ菓子片手に見物にやってきた。


「戸枯選手の渾身のブロック! しかし、ニャムさんひらりと躱す!」

「さすがは在自のボス猫。二足歩行とは機動力が違う!」

「対する戸枯選手、夏の蒸し暑さで体力はじり貧。汗ばむシャツからも追いつめられているのが分かります」


 男子三羽烏が息の合った実況を始めた。他が実況している間にお菓子をつまむ余裕すら見せている。

 戸枯先輩がニャムさんから視線を外さずに笠鳥先輩たちに叫ぶ。


「おい、男子、加われ!」


 加勢を要請された笠鳥先輩たちは顔を見合わせることすらなく、あらかじめ打ち合わせでもしていたようにすらすらと、


「えーそんなこと言われても、女子陣地じゃねぇ」

「俺たちってピュアボーイだしぃ」

「みんなに噂とかされたら恥ずかしぃー」


 サクラソウの中なのに誰が噂するんだろ。

 鬼原井先輩が「猫ふんじゃった」のテンポを上げ始めた。あの人も加勢する気ゼロだ。

 かくいう俺も成り行きを見守る。


「ちょっと、誰でもいいから手伝って!」


 壁すらも足場に縦横無尽な逃げ方を見せつけるニャムさんに手を焼いて、戸枯先輩が再度の救援要請。

 笠鳥先輩が屋邊先輩の背中を叩いた。


「ニャムさん係の出番だ。ゴーゴー」

「えっと……お邪魔します」


 律儀に頭を下げて女子陣地に入った屋邊先輩は無造作にニャムさんとの距離を詰めた。

 ニャムさんが警戒するように姿勢を低くした直後、屋邊先輩が右足に体重を掛ける。

 動きを見たニャムさんが屋邊先輩の左を抜けようとした瞬間、屋邊先輩は左足を大きく引いて重心を落とし、左手を下から救い上げるように動かした。

 左腕に掴まるまいとニャムさんが緊急停止した瞬間、屋邊先輩の右手が閃く。

 次の瞬間、ニャムさんは首の後ろを優しく摘ままれていた。


「確保、と。お騒がせしました」

「おぉー」


 あまりに鮮やかな手際に、寮生一同拍手を送る。

 観念したように屋邊先輩の腕の中に納まるニャムさんを見て、戸枯先輩だけが複雑そうにため息を吐いた。



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