第4話 花火大会
夏休みでも早朝の会議は欠かさず行われる。
「榎舟君、すこしお時間よろしいですか?」
会議終了と同時に声をかけてきたのはA世界の研究員功刀さんだった。
会議の進行役を務めていた俺と七掛の所へ歩いてきた功刀さんは青いクリアファイルを差し出した。
受け取って中を見る。単語の羅列と概要と書かれた文章がコピーされた紙が数枚入っていた。コピー用紙がなかったのかルーズリーフにコピーされており、かなり見づらい。ルーズリーフのルーズって大雑把って意味じゃないぞ。
「これは?」
「そこに書かれた内容の論文が他世界に存在していないかを確認してください」
「分かりました」
羅列された単語は検索用、概要は論文内容の要約といったところか。
「それでは、私はこれで」
功刀さんは用は済んだばかりにさっさと背を向けて会議室を出て行った。
クリアファイルの中身をぱらぱらとめくりつつ、隣の七掛に声をかける。
「仕事が入った。化学系の論文だな。水性蛍光塗料の化学合成っぽい。他にもいくつか」
「宿題が終わったら始める。いい?」
「そうしよう。この論文探しは時間がとられそうだし」
日本語以外の言語でも探さないといけないから、下手をすると一日仕事だ。七掛がいてくれるから今日中には終わると思うけど。
会議室を出ていこうとしたとき、笠鳥先輩が部屋中に響く音量で手を打ち鳴らして注目を集めた。
「諸君、今日は夏祭りである!」
「もうそんな時期かぁ」
「盆踊る下界の民を見下ろす良き日だな」
「デバガメする人ー」
最後の発言は鬼原井先輩である。デバガメって死語だと思ってたわ。
なお、夏祭りに寮生は参加できない。どの世界からも人が集まる祭り会場なんて、遍在者が身動きできる場所ではないからだ。単純に人口比率が倍になっているのだから当然である。
むしろ、祭りがある日は寮から出られない。
「そう、下界の民を見下ろすしかできない我々だが、しかし、今年は違うのだ。見よ!」
「何時の間にプロジェクターの準備なんかしてたんだよ」
笠鳥先輩の合図で会議室のホワイトボードに映し出されたのは夏祭りのポスター。笠鳥先輩は映像の一部を指さした。
「今年、我々は見下ろす側から見上げる側へと転換するのだ! なぜなら――」
「花火か」
戸枯先輩が笠鳥先輩のセリフを華麗に盗み、会議室の面々を見回す。
「B校舎屋上を開放してもらえないか、校長に掛け合ってみるよ」
「メイメイに任せた」
事前の準備をかって出た戸枯先輩にみんなが拍手する中、笠鳥先輩は肩を落としてプロジェクターを片付け始めた。
「……俺たち男子組はお菓子類の準備するわ」
笠鳥先輩の片づけを手伝いながら玉山先輩が請け負うと、集合時間などを話し合って解散となった。
各々の部屋へ勉強やら仕事やらを片付けるために散っていく中、俺は七掛と一緒に俺の部屋に向かう。
「七掛は朝食を摂った?」
「まだ」
「食パンあるからトーストでいい?」
「ベーコンエッグも欲しい」
「オッケー」
サラダは昨日の夕食に七掛がマッシュポテトを作り置きしていたはずだ。
確かヨーグルトもあったし、バランスのいいメニューになる。
などと考えていると、前を歩いていた笠鳥先輩が怪訝な顔で振り返った。
「なぁ、さっきから聞こえてたんだが、榎舟の部屋にB世界の食品があるのか?」
「ありますよ」
……あれ、なんであるんだっけ?
そうだ。二年生になってからほぼ七掛と一緒にいるからだ。主に勉強と遍在者の義務関連にネリネ会の活動で時間を取られるから、いつの間にか一緒に食べるようになっていた。
むしろ、A世界の食品がない?
「なんか、彼氏彼女の歯ブラシが増えているみたいなノリになってないか、お前ら」
「……そんなことはない、はずです」
七掛専用のクッションなら持ち込まれていたりするが。
「まぁ、仲がいいに越したことはないか」
勝手に納得して、笠鳥先輩は玉山先輩や鴨居先輩を朝食に誘って自分の部屋に入っていった。
なんとなく気まずくなり、七掛を見る。七掛は何を考えているのか、俯いていた。
「朝は別々にとるか?」
「一緒に食べる」
「そか」
気にしないなら別にいいや。
俺の部屋に入り、冷房の電源を入れる。
「私が作る。ファイルの中身、共有よろしく」
「頼んだ。任せろ」
キッチンは七掛に任せて、俺は国から支給されているB世界のパソコンに功刀さんから渡されたファイルの中身を入力する。
俺はD世界を観測できないため、D世界での論文探しは七掛に任せきりになる。七掛は俺がB世界に上げたファイルの内容を見ながらD世界での論文探しができるという寸法だった。
ファイルの中身をあらかた入力し終えた頃、七掛が作り終えた朝食を持ってくる。
カリカリのトーストにバターを塗る。
「今日の花火の件だけどさ」
「なに?」
「チャンスだと思うんだ」
B世界における『ES―D7』を手に入れるための交換条件、屋邊先輩と戸枯先輩の仲直り。
夏のイベントに連れ出して一緒の時間を過ごさせれば仲直りもできるだろう、と鬼原井先輩も言っていた。
「と、いうわけで、笠鳥先輩に話を通しておく。いきなり二人きりにしても溝が深まるだけだと思うから、上手いこと会話の機会を作れるように協力してもらおう。七掛は女子側の説得をしてくれ。鬼原井先輩に声をかければ多分、協力してくれる」
昨日の夜に俺から相談を持ちかけているから話を通しやすいだろう。
あとは自然と会話ができるように話題をあらかじめ決めておけばいい。
トーストを齧っていた七掛は一度頷いてから口を開いた。
「問題が一つ」
「なんだ?」
「屋邊先輩が花火見物に参加するかどうか」
……そこからか。
思い返せば、会議室でも屋邊先輩はひと言も声を発していない。戸枯先輩はB世界の校長に話を通すと言っていたくらいだから参加するだろうけど、戸枯先輩が整えた会場に屋邊先輩が顔を出せるのか?
「逃がさないように確保しないと」
「動くとしたら、お昼。祭り前で人通りが少なく、祭り後に追いかけても人波に遮られる場所――つまり、お堂」
七掛の読みはおそらく正しい。
屋邊先輩がいつも連れているニャムさんは近所のボス猫で、元はお堂をねぐらにしていたと聞いている。
祭りそのものは山のふもとの方で行われるが、花火見物の客が山の中腹まで登ってくる可能性が高く、中腹にあるお堂への道は人垣で封鎖される。
加えて、お堂そのものは周囲を高い木で囲われているため花火客が寄り付かない安全地帯だ。
「注意しておくよ」
※
お昼がやってきた。
時計の針が十二時を指す少し前に部屋を出た俺は、縁側が定位置のはずの屋邊先輩が玄関で靴を履いているのを見つけて声をかける。
「お出かけですか?」
「うん? 榎舟君か。A校舎の食堂で何かを食べようと思ってね」
あらかじめ用意していたらしい言い訳を笑顔で告げる屋邊先輩に、俺も笑顔で返す。
「それなら俺の部屋で一緒に食べましょうよ。ちょっと論文関係で調査が間に合わなくて、花火大会に出られなくなりそうなんです。助けてほしいなーって」
「あぁ、うん」
俺が昼食に誘うのは予想外だったのか、屋邊先輩は戸惑うように視線を泳がせる。
「分かった。手伝うよ」
「ありがとうございます」
屋邊先輩、確保。
「ちなみにお昼は七掛特製ソーキそばです」
屋邊先輩を部屋に招き、論文探しの役割を分担する。
「確かに分量が多いね。功刀さん、トリプルの榎舟君に回せば説明の手間が省けると思って押し付けたんだろう」
「探すときのコツってありますかね?」
「功刀さんが抽出した検索ワードより、実験に使う設備とか、引用している論文から絞っていくのも手だね」
屋邊先輩はそう言って手早く検索ワードを打ち込んでいくつかの論文を引き当てていく。
「そもそもが、他の世界に論文が存在していないことを確認するわけだから、探せと言われた論文の結論よりもどういった論拠を並べているかで捜索した方がいい。AからDどの世界であっても同じ物理法則に従っている以上、その論拠は変わらないからね。引用されている論文に関しては各世界で違う企業が発表している場合があるけど、サクラソウのデータベースで検索が掛けられるから、そこから探すといいよ」
「理屈は分かるんですけど、それって論文の内容というか、述べられている理論を理解できないと実行できない捜索方法じゃないですかね?」
「……できないの?」
困ったような顔で言われると凹む。
「うーん、今は難しくても慣れていけばわかるようになるんじゃないかなぁ」
「がんばります」
屋邊先輩に効率のいい方法を教わりつつ、論文を検索していく。
他の世界で存在が確認できる論文はいい。けれど、確認できない論文は多言語で検索をかけていく必要があるせいでものすごい時間がかかる。
途中、七掛特製ソーキ蕎麦で休憩を挟み、夕方まで時間を使う。
最初は屋邊先輩を花火大会に出席させるための方便でしかなかったけれど、この論文は屋邊先輩なしでは絶対に間に合わなかった。
後で功刀さんに抗議しておこう。もっとも三依先輩がまだいたら間に合ったのかもしれない。
時間を気にし始める屋邊先輩に気付かないふりをして、作業を進めているうちに窓の外が暗くなっていく。
コンコン、と部屋の扉がノックされ、笠鳥先輩の声が聞こえてくる。
「花火を見に行くぞ!」
俺は七掛と視線を交わし、机の下で互いの健闘をたたえる。
ミッションコンプリート。続いて屋邊先輩と戸枯先輩の関係修復ミッションに移行する。
俺は残りわずかとなった仕事を片付け、立ち上がった。
「呼ばれましたし、行きましょうか」
「行く」
「……まぁ、行こうか」
今更逃げ出しても不自然極まりないからか、屋邊先輩はあっさりとあきらめて立ち上がった。
サクラソウの玄関にはすでに寮生が勢ぞろいしていた。B校舎の屋上を利用する許可は下りているそうで、戸枯先輩は片手に屋上の扉を開けるための鍵を持っている。
屋邊先輩を見た戸枯先輩は一瞬怯んだような顔をしたものの、すぐに平静に戻って先頭を歩きだした。
「後三十分くらいで花火が打ちあがるらしいから、急ぐよ」
先頭を戸枯先輩が歩けば屋邊先輩は当然のように集団の殿を務めることになり、俺と七掛もなんとなく屋邊先輩と並んで歩く。
「花火大会って市営ですよね。他世界で同じ花火が打ちあがるんですか?」
「いや、花火師がそれぞれ作るから全く別だろうね。風向きの影響もあるし、同じような花火でも開き方は違うはずだよ」
屋邊先輩の説明を聞いて少しテンションあがってきた。
「つまり、遍在者は二倍以上の花火を楽しめると」
「空が派手に見えるよ。榎舟君は三倍の花火が打ちあがるから、密度が濃すぎで見にくくなるかもしれないけどね」
あ、その可能性を失念していた。
B世界の校舎は無人だった。夏休みとはいえ時刻はすでに午後六時を回っている。通常、五時には部活動の生徒も帰宅を促されるから、校内が無人になるのも当然だった。
教員もいないらしく、守衛さんに挨拶して屋上へ向かう。
夜の校舎は静けさに包まれていて、生徒の話し声で溢れていた昼間とはまるで違う新鮮な雰囲気だった。
戸枯先輩がカギを開けて屋上に出る。
「扉は開けておくようにってさ」
「了解」
ぞろぞろと屋上に出ながら、俺は扉を振り返る。
今、戸枯先輩が持っていた鍵だけで扉が開いたよな?
まぁ、B世界の住人でなければそもそもこの校舎には入らないからB世界の扉だけ施錠しておけばいいのかもしれないけど。
そこそこ広い屋上。いつもなら女子と男子で微妙にスペースを分けるところだが今回は違う。
笠鳥先輩が座れば玉山先輩と鴨居先輩が左右を固める。すると、絶妙な距離を離して鬼原井先輩が座り、その隣に仲葉先輩と招田先輩が座る。
収まりの悪い笠鳥先輩たちと鬼原井先輩たちの間の空隙に違和感を覚えたらしい戸枯先輩が考える素振りをした。しかし、意図を知るはずもない戸枯先輩は結局、空隙を埋めるように腰を下ろす。
花火が打ちあがる方角に対してコの字になるように座るなら、戸枯先輩の隣に座るのが誰か。
事前の打ち合わせ通りに戸枯先輩の隣へ座った七掛の隣に俺が座ると、開いているのは戸枯先輩の隣のみ。
「屋邊、早く座れ。それで、この菓子を女子側に回してくれ」
自分が座る場所に気付いて怯む屋邊先輩の背中を押すように笠鳥先輩が絶妙なタイミングで声をかける。早く座らなければならない理由までつけるあたり、笠鳥先輩はなかなかのやり手である。
屋邊先輩はおっかなびっくり、戸枯先輩の隣に座る。
俺は笠鳥先輩から回されてきたスナック菓子を七掛に回す。七掛が流れるように戸枯先輩へと受け渡し、
「……ん」
「あぁ――はい」
戸枯先輩はスナック菓子を屋邊先輩に押し付けるように渡した。
会話がない。すごく事務的だ。
屋邊先輩からスナック菓子を渡された仲葉先輩が鬼原井先輩たちバンドメンバーと共有しながら空を見上げる。
「雨が降らなくてよかったですねぇ」
「今年は渇水らしいよ。台風接近中だから、その時の降雨量次第だけど」
招田先輩が芋ケンピを食べつつ世間話を振ると、鬼原井先輩が俺に目くばせした後、戸枯先輩に声をかけた。
「そういえば、メイメイの部屋の乾燥機が壊れてたよね。大丈夫?」
「雨が少なかったから部屋干しで何とかなってる。けど、台風が来るのかぁ。詩乃の部屋の乾燥機を借りられないかな?」
「構いませんよ。B世界の服であれば場所を取りませんから」
「ありがとう。助かるよ」
……鬼原井先輩、この会話でどうやって俺が屋邊先輩を巻き込めると思ったんですか?
いや、ウインクされても。
いやいや、役に立たないなぁみたいな呆れ顔はこちらがしたいんですけど。
「屋邊先輩っていつも縁側でニャムさんを撫でてますけど、雨の日ってどうしてるんですか? 見かけないですよね」
鬼原井先輩に任せているといつまでも会話が成立しそうにないので、俺から切り出す。
「部屋にニャムさんが訪ねてくることがあるけど、基本的には関わってないね。雨の日に部屋に来たときはお風呂場でニャムさんを洗うから嫌がっているんだと思うよ」
濡れるのが嫌いなら雨の中を屋邊先輩の元までやってこないだろうし、お風呂で洗われるのが嫌なのか?
ともかく、話題は引き出した。鬼原井先輩、事前の打ち合わせ通りに頼みます。
おぉーい、鬼原井先輩! かりんとうを齧ってる場合じゃないってば!
だめだ、この人。仲葉先輩、ヘルプ。
わぁ、にっこり笑って可愛いなぁ。……だから、違うって。
「――慧、詩乃、七掛ちゃんと打ち合わせしたでしょう。さっさと話題を振りなさい」
招田先輩がため息交じりに指摘してくれた。感謝だ。
招田先輩はC、D世界の遍在者であり、その発言は屋邊先輩と戸枯先輩には聞こえない。素晴らしいフォローだ。
指摘されて思い出したのか、鬼原井先輩は戸枯先輩を見る。
「ニャムといえば、雨の日にメイメイの部屋へ逃げ込んできたって騒いでいたことがあったね」
そう、その話題!
屋邊先輩との共通の話題を振られた戸枯先輩は「あぁ」と戸惑ったような返事をした。
不自然に間が開く前に俺も口を挟んで畳み掛ける。
「どうなったんですか? 屋邊先輩が迎えに行ったとか?」
「屋邊君は女子陣地には来ないからね。三依が捕まえて男子陣地に放ったよ」
「あの時の屋邊君はおろおろしてて可愛かったですよね?」
仲葉先輩が思い出してくすくす笑う。
戸枯先輩はちらりと屋邊先輩を見てから無言で空を見上げた。
「そろそろ花火が上がるかな」
あ、話題を打ち切った。
これ以上は攻めても不自然さが際立つだけだと諦めて、俺も空を見上げる。
すると、空に三条の煙が上り、夜空に大輪の花が咲いた。
中央は赤く新円の花火。左右は黄色と緑で構成された楕円の花火。
「開幕から三つも三尺玉とは豪快ですね」
「いや、二つ」
「一つ」
……ん?
俺には三つ上がったように見えた花火は戸枯先輩の眼からは二つ、七掛に至っては一つしか見えなかったらしい。
どうやら、俺が観測可能なA、B、Cの三世界で同時に花火が上がったものの、七掛が観測できるD世界では花火が上がらなかったようだ。
「遍在者といっても見えている景色は結構違うもんですね」
「榎舟君はトリプルだから、ここにいる誰とも違う景色を見ているわけだね」
屋邊先輩が言うように、俺は三世界を同時に見ているから、二世界しか見えていないみんなとは景色を共有していない。必然的に、俺が抱く感想も他のみんなとは少しずれたものになる。
「感想を言い合えないのはちょっともったいない感じがしますね」
録画もできないし、帰ったら3Dで作ってみようかな。
つらつらと考えていると、隣から微妙な空気が漂ってきた。
目を向けると、戸枯先輩と屋邊先輩が気まずそうにしつつ空を見上げ、打ちあがる花火を見ている。
そういえば、この二人はA、B世界遍在で共通しているから、見ている景色は同じだ。
俺の何気ない一言は二人が多少なりとも関係を見直す契機になった? うぬぼれかもしれないけど。
ともあれ、もったいないと少しでも思ったのだとしたらいい傾向なのだろう。
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