第3話 屋邊先輩の人物評
七掛の部屋の扉をノックする。
「アイス食わない?」
呼びかけると、扉がわずかに開いて七掛がぬっと顔だけ出した。
俺が手に持っているビニール袋を見て、小さく頷いた七掛は扉を開ける。冷房を利かせているのか、七掛の部屋から冷気が流れてくる。
汗を流すためにシャワーを浴びてきた身としては少し肌寒く感じないこともない。
部屋の中に入り、テーブルの上にアイスを置く。在自高校の購買で売っていたカップアイスの中から選んできたキャラメル味。古宇田さん曰く、七掛の好物らしい。
七掛の反応をちらりと窺う。こいつ、表情が変わらねぇ。いや、少し目を細めている。
「キャラメル味、好き」
「そっか、よかったよ」
蓋を開けてプラスチックのスプーンでアイスを掬い上げる。
テーブルの端に置かれている紙束はネリネ会開催までの段取りが書かれた例の紙束だろうか。裏返されていて分からないが、あの厚みは覚えがある。
「……なんで七掛が俺の3Dにこだわるのか分からないけどさ。俺はもう作品を人に見せる気がないんだよ。フリー素材探しなら手伝うから、それで手を打ってくれ」
「世界ごとに同じ会場を用意できるか不安」
「多世界通信が可能になれば他世界から会場にアクセスできるだろ」
七掛がこんな単純な方法を見落とすとは思えない。どうしても俺の3Dを使いたいらしい。
七掛が口ごもる。
別に喧嘩をしに来たつもりはない。
俺は本題を切り出すべく口を開いた。
「古宇田さんに会った――って、今、何か言いかけたか?」
俺とほぼ同時に口を開いた七掛が声を発することのないまま硬直していた。
会場3Dの話を続けるつもりなら言い分は聞こうと思っていたのだが、七掛は口を閉ざした後、首を横に振った。出ばなをくじかれたのもあるだろうが、古宇田さんと会ったという俺の話が気になるらしい。
「笠鳥先輩と海岸の整備をしているときに声をかけられたんだ。B世界の『ES―D7』を確保したらしい」
「では、A―B世界間通信が可能になる?」
「あぁ、それなんだが、交換条件を出された」
「交換条件?」
よほど意外だったのか、七掛は不思議そうに首をかしげた。
「どんな?」
「屋邊先輩と戸枯先輩の関係修復だ」
元の関係を知らない俺からすると何の事だかわからなかったのだが、七掛には思い当たることがあるらしい。
「理解した」
「仲違いの経緯は知ってるのか?」
「当然」
「おお」
「知らない」
「――知らんのかい」
この流れでボケを挟んでくるとは思わなかったよ。
「でも、目指すところは分かった」
「そうか。ちなみに、経緯の方は古宇田さんから聞いてるから、情報共有しておこう」
当時の事は知らないが、古宇田さんからの話によると、仲違いのきっかけは古宇田さんの卒寮だった。
慣例通りにパジャマパーティーをすることになったが、ちょうど冬休みであったため体育館で男女合同パーティーが企画されたらしい。
「そういえば、そうだった。学校指定ジャージで参加」
当時――といっても半年前――を思い出したらしい七掛は体育館にいたメンバーを振り返ったようだ。
「屋邊先輩は、いなかった、はず」
「だろうな。戸枯先輩に追い払われたみたいなんだ」
「追い払われた?」
その場にいた古宇田さん曰く、戸枯先輩は屋邊先輩にこう言い放っている。
『去る者を追わず来るものを拒まずを気取るのは勝手。だけど屋邊、あんたのはただ他人を軽視しているだけだよ。空気は読めても理解していない奴にいま傍に寄られると殴りたくなるから向こうに行って』
一字一句間違っていないというと嘘になるらしいが、古宇田さん曰く語気の強さも含めてほぼ再現しているらしい。
かなりきつい言葉だけど、戸枯先輩なら言いかねない。だが、何の理由もなく放つ言葉でもない。
この辺り、同じ寮生として付き合いが長いだろう七掛から見るとどうなのか。
意見を求めると、七掛は黙々とアイスを食べながら戸枯先輩の言葉の解釈に努めているようだった。
「……遍在者には避けられない永遠の別れがある」
「あるな。経験済みだ」
三依先輩の顔を思い出しながら同意する。
もっとも、それを永遠の別れにしないためにネリネ会が発足し、俺もまた活動しているわけだが。
「おそらく、戸枯先輩は屋邊先輩が別れに対する悲壮感を共有していないと判断した」
「だから、八つ当たりしないように遠ざけた?」
「たぶん」
俺と同じ解釈か。
問題は戸枯先輩の判断が正しいかどうかだ。
「七掛から見て、屋邊先輩はどうだ?」
「接点がない。よく分からない。男子の方が参考になるはず」
「そうはいっても、戸枯先輩に言われて考え方が変わっているかもしれないんだよな」
そもそも、俺はまだ三か月程度の付き合いだ。
……振り返ってみると、屋邊先輩ってニャムさん以外といるところをほとんど見ないな。
「屋邊先輩って誰と仲がいいんだろう?」
「……ニャムさん?」
七掛から見ても屋邊先輩の交友関係は謎か。
なんだか、どちらかが相手に謝って終わりという話ではなさそうな気がしてきた。
しかし、仲直りさせないとB世界の『ES―D7』が手に入らない。古宇田さんは元ネリネ会の会員らしいから、仲直りが成功しなくても譲ってくれる気はするけれど、それは甘えだろう。
「他の人の意見を聞いてみるしかないかな」
「それがいい」
七掛が同意した直後、部屋の扉が叩かれた。間をおかず、廊下から声が聞こえてくる。
「榎舟君、ここにいるんだろー。お姉さんと気持ちいいことしようぜ!」
「――鬼原井先輩、誤解を招く表現はやめてください! ベースの練習ですよね!?」
慌てて扉の向こうに言い返す。
ほら、七掛が動揺のあまりアイスをこぼしたじゃん!
「こう言えば七掛ちゃんと良い雰囲気でも居留守をつかわれないと思って」
「別にいい雰囲気にはならないですし、居留守なんて使いませんし、そもそも俺が七掛にアイスを持っていくのを笠鳥先輩あたりから聞いた末での犯行でしょう?」
「素晴らしい推理力じゃのぉー。ほら、さっさと出てこーい。一緒にエロい音出すぞー」
「ベースの低音にエロスを感じる変態はあんただけだ! 俺は違う!」
あぁもう、完全に鬼原井先輩のペースだよ。ベースをやってるだけあって雰囲気作りが上手いな、ちくしょう!
七掛にティッシュを渡してこぼしたアイスを拭くのを手伝い、俺は立ち上がった。
「というわけで、ちょっとベースの練習をしてくる」
「行ってらっしゃい」
「行ってきまーす」
七掛に見送られて部屋を出る。
冷房の効いた部屋の中とは違って廊下の段階で湿気を感じた。それでも、建物の中は空調が効いている分ましだ。
サクラソウを出ると騒がしい虫の音が四方八方から聞こえてきた。土砂降りのような虫の音と共に夏の熱気が体を包む。
「山の中なのに暑いねー」
シャツの襟をつかんで服の中に空気を送り込みながら、鬼原井先輩が笑う。
「今日も海岸でやるんですか?」
「そう、海岸でヤるよー」
「……イントネーションおかしくなかったですか?」
「榎舟君も結構上達してきたし、そろそろ別の曲もいいと思うんだよね」
「あんた、いま話逸らしたろ」
この三か月、鬼原井先輩とのベース練習は続いている。
毎週日曜日は必ず、他にも鬼原井先輩に呼び出されるのでベースに触れない日の方が少ないくらいだった。
海岸に到着し、潮風に当たりながら鬼原井先輩はベースの弦を弾く。
「今日はどの曲にしよっかなー」
「明るい曲でお願いします」
「明るい曲ね」
あれでもない、これでもないと、鬼原井先輩はワンフレーズずつ弾き始める。
ちょうどいい機会だから鬼原井先輩にも聞いておこうか。
「戸枯先輩と屋邊先輩についてどう思います?」
「うーん? どうって、きっかけさえあれば仲直りできるんじゃない?」
鬼原井先輩も不仲には気付いてるのか。背後の事情を知っているのかはわからないけど。
「まぁ、屋邊っちはあれだ。諦め癖? 妥協かなぁ。そういうところがあるよね。元バスケ部だったらしいけど、在自に来てからは帰宅部でしょ。遍在者って時点でインターハイとか出らんないけど、何もやめなくてもいいじゃんねぇ」
「鬼原井先輩、割と詳しいですね?」
「前に体育館でパジャマパーティーした時に男子組が少しバスケをしたんだけど、その時に話してたよ。後はまぁ、見てればなんとなくね。遍在者には諦めちゃう子って多いんだよ。寮生とも近いうちに永遠の別れが来るんだからって自棄になって、きちんとした関係を築けない。まぁ、サクラソウの研究者連中がこの点では極まってる感あるけどさ」
俺への課題曲が決まったのか、通しで引き始める鬼原井先輩を見る。
「なんだかんだで、人のことをよく見てるんですね?」
「おっと後輩君、お姉さんの意外な一面にドキッとしたね?」
「いえ、まったく」
「見る目がないなぁ」
鬼原井先輩は楽しそうに笑う。
別にドキッとはしないけど、有益な話ではあった。
鬼原井先輩による屋邊先輩評が正しいのなら、関係を築いたうえで別れを嘆く戸枯先輩がきつい物言いをするのも頷ける。
「あの二人を仲直りさせたいとしても、余計なことはしなくていいと思うけどね。強いて言うなら、夏休みのイベントに連れ出しまくるくらいかなぁ」
鬼原井先輩は時間が解決するとみているのか。
守勢に回っている屋邊先輩を連れ出さないと解決しない問題だと思うんだけど。
それに、あまり時間をかけたくないのが本音だ。せっかく『ES―D7』が見つかったのだから。
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