第2話 ネリネ会OGの依頼
じりじりと太陽がアスファルトを焼いている。
できるだけ木陰を渡り歩きながら、俺は海岸を目指していた。
何人かの帰宅途中の生徒が羨ましそうに私服の俺を見ている。
通学路から外れて山道に入り、そのまま奥へと向かうと狭い海岸に出た。
「笠鳥先輩、来ましたよー」
俺を呼び出した笠鳥先輩は学校から借りたのかグラウンド整備のトンボで海岸のゴミを集めていた。元々この海岸は謎の用務員Xの手で整備されているからゴミらしいゴミは見当たらないのだが、念のためだろう。
笠鳥先輩は俺の呼びかけに応えて片手をあげ、トンボを置いて歩いてきた。
俺は海岸入口の木陰で笠鳥先輩を待つ。直射日光が当たる海岸に出たくない。
「来たか、榎舟。夏休みの遊びの予定を立てるから、補講の予定を教えろ」
俺の隣に来た笠鳥先輩は木陰に置いていたミネラルウォーターで喉を潤し始める。
「なんと、補講はありません!」
まぁ、優秀な成績ってわけでもないんだけど。
笠鳥先輩は「何言ってんだこいつ」と言わんばかりの表情で肩をすくめた。
「おいおい榎舟君や、現実逃避はよくないぜ。安心しろって、お前が補講を受けている間はそんなに遊ばないでおいてやるから」
「結局遊ぶんじゃないですか。というか、本当に補講はないんですよ。学年平均点だったので」
「マジか。七掛に感謝しとけよ。学校の購買でアイスでも買って持って行け」
「あぁ、はい」
出掛けのやり取りを思い出して、あいまいな返事になってしまった。
「学校の購買っていつまで空いてるんですかね」
「お盆以外はやってるぞ。教員や補講とか自習とか部活動の生徒が利用するからな。在自高校は山の中にある分、物資は購買でしか手に入らないってわけだ。予約すれば冷蔵庫を貸してくれるから部活動で弁当を持ってきた生徒が利用したりもするな」
上手いことやってるな。保冷してもらった弁当を受け取ったついでの飲み物需要狙いかな。
「補講がないなら夏休みの予定も立てやすいな。さて、どうするか。とりあえず海岸の掃除を進めるから手伝え。A、C世界分の整備は俺にはできないからよ」
「めちゃくちゃ暑いんですけど」
「なんなら服のまま海に浸かってこい。少しは涼しくなるぜ。まぁ、購買でアイスを買う予定なら勧めないが」
「汗だくとどっちがましなんでしょうね」
嫌々ながら、自分も使う海岸なので掃除に参加する。
貝殻の破片などを回収しつつ、笠鳥先輩に声をかける。
「ここに来る前に戸枯先輩と屋邊先輩に会ったんですけど、あの二人って仲が悪いんですか?」
笠鳥先輩はトンボでの整備を終えて木陰から網を持ってくる。
「あの二人な。どうもよく分からねぇ。前は普通に話したりもしてたんだけど」
笠鳥先輩から網の片端を渡され、海に入る。クラゲ避けの網らしく、毎年の事なのか海岸の端にポールが建てられていた。
ポールに網を固定し、笠鳥先輩から投げ渡された浮きを網の各所に取り付けてクラゲが入ってこないようにする。素人仕事だから効果のほどは分からないが、やっておいて損はないだろう。
「榎舟が来る少し前に古宇田って女子が寮にいてな」
古宇田先輩か。名前だけは度々目にする。
元ネリネ会所属のおそらくはC世界とBかD世界の遍在者だ。三依先輩や七掛と仲が良かったらしいことも聞いている。
俺の部屋に飾ってあるネリネの造花には古宇田先輩の物もある。
「戸枯と屋邊がぎこちなくなったのは古宇田の卒寮あたりからなんだよ。戸枯は蓮っ葉というか姉さん肌なところがあるから、あんなにあからさまにどぎまぎしてんのはみんな不思議に思ってんだけどな」
確かに、戸枯先輩は女子側で笠鳥先輩のようにイベントの進行を担当していることが多い。思うところがあったら相手に直接ぶつけて妥協点を探すのに遠慮しないタイプに見える。
「屋邊の方はのんびりしてるように見えて結構頭がいいしさ。あいつ、学年トップクラスの成績だぜ」
「ノートを見てそんな気はしてました」
仲葉先輩と一、二を争っているとも風の噂で聞いている。ふがいないA世界の後輩ですみません。
笠鳥先輩はラップを張った木箱を海面につけて海中を覗き込み、ゴミやクラゲがいないかを探し始める。
俺も虫取り網を持って同様に海中を覗く。
「古宇田の卒寮前は屋邊も男子パジャマパーティーに参加してたんだけどな。縁山の時はニャムさんと寺で一夜を明かしてたっぽい」
つまり、古宇田先輩の卒寮前後で何かがあった?
「そういえば、ニャムさんが来たのも古宇田の卒寮後だったな」
ニャムさんねぇ。
屋邊先輩といつも一緒にいるB世界の猫を思い出す。赤茶色の雌猫で、特に変わったところは思い当たらない。
結局、二人がぎこちない理由を知っているのは本人たちだけか。
いや、もしかしたらもう一人いる――古宇田先輩だ。
でも、古宇田先輩は卒寮生とのことだから、暗黙の了解で寮生とは関われない。聞きに行くのは無理な話だ。
あくまでも本人たちの問題だし、部外者の俺がしゃしゃり出て解決しようとは思わないけど、原因が分からないといつ地雷を踏み抜くか気が気じゃないな。
諦めるしかないか、と考えていると、山道の方から女性の声が聞こえてきた。
「――笠鳥!」
笠鳥先輩の名前を呼ぶ声に聴き覚えがない。
寮生ではないのならB世界の住人か。笠鳥先輩の社交性なら遍在先のD世界住人と交流があってもおかしくないけど、俺はD世界を観測できないから除外できる。
名前を呼ばれた笠鳥先輩は顔を上げると意外そうな顔をした。
「古宇田か。卒寮生が声をかけるのはマナー違反だぜ。らしくないな」
古宇田さん?
慌てて顔を上げて山道を確認する。
海岸に降りてきた制服姿の女性。長い髪をポニーテールにして矢羽模様のリボンでまとめている。弓道とかやってそう。
海岸の砂浜が照り返す太陽光をものともせずこちらへ歩いてくる古宇田さんを見て、笠鳥先輩も海岸へ上がった。
「古宇田が考えなしにルール破りするとも思えんし、なんか緊急事態か?」
「緊急といえば緊急ね。そっちの男子は? ここにいるってことは寮生みたいだけど」
この海岸はサクラソウの寮生がほぼ独占利用している。そんな海岸の整備をしているのだから寮生だと判断したらしい。
俺は古宇田さんに頭を下げる。
「三学期の暮からサクラソウに住んでる榎舟です」
「そっか。誰が卒寮した?」
寮をサクラソウと呼んだ俺のイントネーションで、俺が入寮後に卒寮者が出たことに気付いたらしく、古宇田さんは少しさみしそうな顔で尋ねてきた。
「三よ――縁山先輩です」
「三依ちゃんか……参ったわね。ということは七掛ちゃんだけ取り残されてるのよね。大丈夫かしら、あの子」
心配そうにため息を吐いた古宇田さんに、俺は言葉を選んで声をかける。
この人はネリネ会の元メンバーだ。しかも、B世界住人。加えて、わざわざルールを無視してまで声をかけてくる理由がある。もしかして――
「七掛とは同じ二年生同士、仲良くしてますよ。おそろいの造花を部屋に飾っているくらいに」
ネリネ会のメンバーの証である造花の話を持ち出すと、古宇田さんが反応を示した。
古宇田さんが何か言うより先に、笠鳥先輩が口笛を吹く。
「よく一緒にいると思ったらそんなに仲良くなってたのか。まぁ、七掛ちゃんには珍しく懐いてるもんな」
「遍在者の義務の件もありますからね。古宇田さん、今の七掛が心配なら少しお話しますか?」
「……そうね。用事も榎舟君に伝えた方が良さそう。笠鳥、ちょっと榎舟君を借りていくわね」
「ちゃんと返せよ。まだ海岸の整備が終わってないんだ」
「分かったわ」
古宇田さんに連れられて海岸から山道へ入り、適当な木陰の下に座る。
古宇田さんは何から切り出すべきかで少し悩んでいる様子だったので、俺から先に話を切り出した。
「もしかして、ネットの広告を見ましたか?」
「……本当にネリネ会の所属みたいね」
「はい。縁山先輩が卒寮した日に七掛と話してネリネ会に入会しました。A世界の『ES―D7』の所有者が俺です」
「量子コンピューターっていうのは事実なの?」
発売時の触れ込みを知っているのか。調べたのかな。
「確証があるわけではないですが、俺が逢魔だって言ったら判断材料になりますか?」
「……七掛ちゃんが懐くわけね。量子コンピューターかどうかはこの際、重要ではないわね。重要なのはA、B世界間通信が行える事実があること」
「その通りです」
「話は分かったわ。この写真を見て」
古宇田さんは鞄からスマホを取り出すと手早く操作して一枚の画像を見せてきた。
俺の部屋で今も現役バリバリに働いている量子コンピューター『ES―D7』とほぼ同じ形のものが表示されている。
「『ES―Dシリーズ』ですね。……見つけたんですか?」
「サクラソウ時代にため込んでいた貯金で探偵を雇ったのよ。販売会社が借りていた倉庫から始めて山梨のとある会社の事務所にあったものを探し出したわ」
すごいな。遍在者の俺や七掛では探偵への依頼ができずに困っていたのだ。
「これは『ES―D7』ですか? それとも『ES―Dシリーズ』の別のナンバー?」
「『ES―D7』で間違いないわ。元ネリネ会員の大学生に預けてある。本題はここから」
「本題?」
引き取り交渉でかかった費用を補填してほしい、とかだろうか。元々買い取るつもりだったから構わないけど。
しかし、古宇田さんが提示した交渉条件は俺の予想とはまるで違っていた。
「――戸枯と屋邊君を仲直りさせてほしいの」
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