第二章 違う世界で共有するモノ
第1話 信じる者が報われる可能性は無きにしも非ず
神よ!
どうして我に試練を与え給うのか!?
「一学期の期末試験の答案返すぞー」
先生の宣言を聞き、俺は両手を合わせる。
「神様仏様お助けください」
「その台詞って罰当たりだよな」
「誰でもいいから助けてっていうのはある意味、潔い」
うるさいぞ、前後の男子。
「榎舟他、男子二名、お前らだけは正面から渡してやる。参拝しに来い」
「先生は神になったつもりですか!?」
「誰が採点してると思ってんだ」
呼ばれたので素直に席を立ち、教卓の前へ。
めっちゃ注目されてる。
三依先輩が卒寮して以降、勉強漬けの一学期がこの答案を受け取るだけで終わるのだ。そう思えば気が楽になる――というのは錯覚だ。
「先生、俺は補習ですか?」
「いや、お前は人間だ」
「そんなベタなボケは求めてないんですが」
「ほれ、受け取れ。学年平均点だ」
「神は
「仏様がないがしろにされてるぞ」
「悟りは自分で開くものじゃないですか」
仏教は他力ではなく自力なのだ。
……他力もあったな。
受け取った答案には五十七点と書かれている。七掛様々だ。お供えしなきゃ。
俺が席に戻る間に答案を受け取った他の男子二名は膝から崩れ落ちていた。
先生が呆れ顔で二名の旋毛を見下ろす。
「お前ら、榎舟に学力を吸われてるんじゃないか?」
「そいつらは
へいへーい。脳ミソの中身が虫食い算め!
「こいつ、自分が安全圏だと知った途端に……!」
「榎舟、二学期の中間前にでたらめな単語を耳元でささやいてやるからな」
そんなこんなで期末試験の結果が出て、夏休みへの秒読み開始。
教室は少し浮ついた空気に包まれていた。バイトの予定と遊びの予定をすり合わせるクラスメイトを横目に、俺はサクラソウへ帰るべく鞄を掴む。
「榎舟は夏休みの間もサクラ荘にいるのか?」
赤点男子に声をかけられ、頷きを返す。
遍在者である俺は基本的にサクラソウがある在自山を出られない。下界でクラスメイトと遊ぶことはできないのだ。
「サクラ荘の寮生ってみんな榎舟と同じでずっと寮にこもってるんだろ。まるで世捨て人だよな」
「その世捨て人すらも捨てられない俗世の事柄、それが勉強なのだよ。汝、信仰を忘れるなかれ」
「世捨て人じゃねぇな。あれだ。修験道の――なんだっけ?」
「山伏か?」
「そう、それ」
「それじゃ、山伏らしく修行に明け暮れてくるわ」
「おう、天狗によろしくな。八艘跳びできるようになったら見せてくれ」
「できるか、そんなこと」
くだらない会話を切り上げて、クラスメイトに夏休み明けの再会を約束し、俺は教室を出た。
世捨て人ね。むしろ、みんなより多くの世界に関わっているのは皮肉かな。
世捨て人の世は世界ではなく世間だから間違ってないけど。
靴を履きかえて学校の裏門を出る。校庭で練習する野球部がカーンといい音を立ててボールを高く打ち上げた。続いて聞こえる「ファール」の声。
B世界側の校庭ではハンドボール部が練習している。ルールはよく知らない。
校庭の練習風景をなんとなく眺めながら歩いていくと、すぐにサクラソウに到着した。
玄関の靴箱を見た限り、まだ帰ってきている寮生は少ないようだ。七掛と俺以外は三年生になったから忙しいのかもしれない。
自室の鍵を開けて中に入り、鞄から答案用紙を出してファイルに収める。
七掛が帰ってきたらテストの見直しを一緒にしよう。
堅苦しい制服を私服に着替えてパソコンを起動する。
「どれどれ、B世界の『ES―D7』は――っと、相変わらず接続されてるな」
三依先輩が卒寮してからはや三か月。
俺が持つ量子コンピューター『ES―D7』と量子縺れ状態にあるらしいB世界の量子コンピューター『ES―D7』はいまだ所在が判明していない。
俺の『ES―D7』の由来は、数量限定生産のジョークグッズだ。少なくとも、周囲からは量子コンピューターという触れ込みが単なるジョークだと思われていた。
しかし、調べてみるとこの『ES―Dシリーズ』の制作会社は不明な点が多い。
東北のベンチャー企業らしく、社員数はたった三名。『ES―Dシリーズ』の前にA、B、Cのシリーズが存在し、これらはカタログ以上のスペックだと一部界隈では噂になっていたらしい。
しかし、『ES―Dシリーズ』の発売後、半年で企業は解散している。仮想通貨に手を出して大儲けし、一生分を稼いだから解散したとの噂が流れている。
俺の目の前に量子コンピューターの疑いがある『ES―D7』が存在する以上、計算力がモノを言う仮想通貨で大儲けしたという噂は真実味がある。
ともあれ、開発者や関係者の足取りは掴めない。どうやら、B世界でも同様のようだが、C世界ではベンチャー企業そのものが存在せず、D世界では同名の企業があったもののネットゲームを細々と開発しているだけらしい。
つまり、『ES―Dシリーズ』はA世界とB世界にしか存在しない。各世界の『ES―Dシリーズ』を集めて量子ネットワークを構築するのは不可能だろう。
それでも、B世界の『ES―D7』が手に入ればA―B世界間の通信が可能になる。
なるんだけど……。
「――今日も連絡なしかぁ」
B世界で打ち出した広告で『ES―D7』の募集をかけているが、なかなか引っかからない。倉庫にでも仕舞われているのか。
購入者を突き止められれば直接交渉もできるんだろうけど。
三か月待っても無しのつぶてだし、いい加減別のアプローチを考えないといけないな。
背もたれに体重を預けて方法を考えていると、扉がノックされた。
「どうぞー」
「……おじゃまする」
入ってきたのはネリネ会の現会長、七掛だった。
相変わらず眠そうなクマの浮いた目で俺の表情をうかがった七掛は、今日も『ES―D7』が見つからなかったことを察したらしく首を横に振った。
もう三か月だ。流石に期待はしていなかったらしくすぐに立ち直った七掛は数枚の紙の束を持って俺の隣に座った。
「その紙は?」
ちらりと見たところ、テストの答案用紙ではなさそうだ。
「ネリネ会の開催までのプロセスをまとめた。『ES―D7』の件で方向性が明確になった」
「ちなみに、期末試験の結果は?」
「国語が九十七点。他は九十九か百点」
相変わらずとんでもないな。
「失点の原因は?」
「国語は出題者の性格を読み間違えた。他は漢字の間違い」
出題者の性格ってなんだよ。
「悪問死すべし、答えはない」
「ただの屍のようだっと」
「――くふふ」
「その笑い方、人前では避けろよ。笑うのを堪えているのが分かっているから俺は何とも思わないけど、知らない奴が見たら悪巧みしているようにしか見えないから」
七掛が持ってきたネリネ会こと同窓会開催までのプロセスは大まかに次の通り。
B世界における『ES―D7』の確保。A―B世界間の通信網を確立。
ネリネ会が受け継いできたC―D世界遍在ノートパソコンとA―B世界『ES―D7』との通信手段の模索。
これらが整えばビデオチャットなどでの疑似的な同窓会が可能となる。
ここまでは俺も知っている内容だったが、次の紙には初耳な内容が羅列されていた。
「おい、なんだこの、VR同窓会ってのは」
「その名の通り、多世界通信を利用したVR空間での同窓会」
しれっと答える七掛を睨む。
「それで、そのVR空間はどうするんだ?」
「……作ってほしい」
やはりそう来たか。
VR同窓会なんて銘打っているが、会場となる3D空間を用意しなくてはどうしようもない。真っ暗な空間にかつての寮生が操る3Dキャラクターだけが浮かんでいる同窓会なんて、ホラーが苦手な三依先輩にトラウマを植え付けるだけだ。
「私的利用の範疇だし、ネット上のフリー素材でいいだろ」
俺は紙束を机に置いて立ち上がる。
「ちょっと外の空気吸ってくる」
言い置いて部屋を出ようとしたとき、七掛が控えめに俺の袖をつかんできた。
「……喧嘩をしたいわけでは、ない」
「……わかってるよ」
威圧的にならないように注意しながら扉を閉めて、頭を掻く。
……俺、まるで成長してないな。
海岸で潮風にでも当たろう。
しかし、七掛もどうして俺の3Dにこだわるんだよ。冬のやり取りで鬼門だって分かってるだろうに。
いちいち腹を立てている俺の小物っぷりも我ながらどうかと思うけど。
「はぁ……」
「――大きなため息だね」
玄関を出た直後に声をかけられて、慌てて顔を上げる。
「屋邊先輩……」
学生鞄を左手に、右手にはなぜかニャムさんを抱えた屋邊先輩が立っていた。
「今、帰ってきたんですか。お帰りなさい。――あ、そっちもお帰りなさい」
屋邊先輩の後ろからサクラソウの門をくぐってきた戸枯先輩にも声をかける。
戸枯先輩は眺めていた単語帳から顔を上げて口を開きかけ、屋邊先輩に気付いて足を止めた。
「……えっと、ただいま」
戸枯先輩がぎこちなく、できるだけ屋邊先輩を視界に入れないように挨拶を返す。
屋邊先輩も俺の挨拶につられて振り返った先にいたのが戸枯先輩だと気付くと戸惑ったようにニャムさんの頭を撫でて誤魔化した。
「あぁ……おかえり」
何、この空気。
俺の溜息の原因なんかと比較できないくらい大きな問題が転がってる気がするんですけど。
「えっと、先輩たち、何かありました?」
恐る恐る尋ねてみると、屋邊先輩は苦笑した。
「いや、大したことじゃないんだ。気にしないで」
そう言って、玄関ではなく男子側の縁側へ直行する屋邊先輩。
戸枯先輩は単語帳を鞄にしまうと、屋邊先輩の動きを見てから玄関へ歩き出した。
「榎舟君、笠鳥が呼んでたよ。海岸に行っておいで」
「はい。ありがとうございます。行ってきます」
どの道行く予定だったけど。
玄関へ消えていく戸枯先輩の後姿から視線を逸らし、海岸へ足を向ける。
なんだったんだろう。
屋邊先輩が『大したことじゃない』といった時の戸枯先輩の表情が脳裏をよぎる。
悔しそうな、寂しそうな、後悔しているような、同情しているような……さまざまな感情が入り混じった――怒った顔だった。
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