第8話  サクラソウ

 新橋先輩の告白に端を発する問題は落着したけれど、春休みを挟んでから偽恋人関係を終わらせることになっているので、俺は試験明けで気の抜けた授業を受け終えた放課後、C校舎を訪れていた。

 おおよそ、三日に一回程度のペースで迎えに行くつもりで、実際にそうしている。けれど、三依先輩のいる教室まで迎えに行ったのは最初の一回きりだ。

 あまり何度も訪問するのは嘘がばれそうで怖い。三依先輩のクラスメイトから質問攻めにされかねない。


 まぁ、明日は終業式だから、こうして迎えに来ることもなくなるかな。

 そう思うと少しさみしい気もするけれど、三依先輩とはこれからもサクラ荘で生活するし、感傷的な気分になるのもおかしいか。

 校舎を出て正門に向かっていくC世界の生徒たちを眺めつつ、三依先輩を待つ。俺が迎えに来ることは朝に伝えてあるからすぐに来るだろうと思いつつ、日当たりのいい場所で寒風をやり過ごす。


「……遅いな」


 待っているうちに校舎を出ていく生徒がまばらになっていた。

 咲き始めた梅の木を眺めて暇をつぶすのも飽きた。こんな時、スマホで連絡が取れない遍在者は面倒くさい。政府がサクラ荘に押し込めたくなるのも分かる。

 手に息を吹きかけて温めつつ、いっそのこと教室まで迎えに行こうかと思案していると校舎の三階の窓から見覚えのある顔が身を乗り出した。


「やっぱり、三依の年下彼氏君! そんなとこで何してんの?」


 赤穂先輩だ。


「三依先輩を迎えに来たんですけど、待ちぼうけ食らってます」


 三階の赤穂先輩に言い返すと、怪訝な顔を返された。


「三依なら、早退したって聞いたよ? サクラ荘に戻ってない?」

「え?」


 朝は元気だったけど、季節の変わり目だし体調を崩すのはおかしな話ではない。

 C世界のスマホがないから俺には連絡が回ってこないのも当然だ。


「すぐに戻ってみます。ありがとうございました」

「いいって、いいって、早く行ってやれー」


 最後に「寒い!」と北風に抗議して、赤穂先輩は校舎に引っ込んだ。

 俺はC校舎に背を向けて、足早にサクラ荘への道を行く。思えば、この道を一人で帰るのは初めてだ。行きは一人でも帰りは三依先輩が一緒だから。

 普段は二人で話しているから目が届かない場所へと視線が向く。B校舎とC校舎の間にあるこの道はあまり広くはない。利用するのはサクラ荘の住人かその住人に用事がある者だけだから人通りも少ない。

 しかし、のんびり歩くには寒すぎた。

 道の片隅に咲くイカリソウの花を横目に、サクラ荘へと走る。

 長くもない道だけあって、すぐにサクラ荘が見えてきた。


 ――静かだ。

 春休みを控え、浮ついた空気が漂っていた朝までのサクラ荘とは別物に見えて、思わず表札を確認する。

 外界とを仕切るような高い壁、開け放たれた門の横にはもう見慣れたサクラ荘の文字がある。

 敷地に入り、男子側の縁側へ目を向ける。

 いない。屋邊先輩もニャムさんも。


「――榎舟君」


 反対側から掛けられた落ち着いた声に振り返る。

 女子側の庭先で仲葉先輩がこちらを見ていた。


「お帰りなさい。それから、話があります」


 いつものおっとりした雰囲気ではない。静かに、言い聞かせるような口調に息をのむ。


「縁山さんが、一般人に戻りました」

「……どういうことですか?」

「遍在者ではなくなりました。つまり、今日卒寮します」

「そんな突然!?」


 今日の出来事だろう? いくらなんでも早すぎる。

 仲葉先輩はサクラ荘を仰いだ。


「遍在者であることが入寮条件。一般人に戻ったらただちに卒寮する規則になってます。そして、暗黙の了解として遍在者との接触も明日から禁止です」

「な、なんでですか? 卒寮は規則なのはわかりましたけど、遍在者との接触も禁止って誰が言い出したんです?」

「サクラソウに入寮した先輩たちが連綿と受け継いできたものです。理由は今の榎舟君の状態ですよ」


 状態?

 思わず自分の手を見てみるけれど、別に体に不調があるわけでもない。

 何のことかわからないでいると、仲葉先輩は寂しそうに微笑んだ。


「区切りですよ。けじめといってもいいですね。卒寮を機会にしないと心に一区切りつけられないんです。寮生も、卒寮生も」

「そんな……」


 言い返そうと口を開きかけたけれど、結局言い返せなかった。

 仲葉先輩の言うとおりだ。卒寮を機会にしないと、俺はきっと、遍在者でなくなるまで三依先輩と関わろうとする。

 でも、俺は出生A世界で、三依先輩は出生C世界。そもそも、住む世界が違う。

 遍在者でなくなった時、もう会えなくなる。

 そして、遍在者から一般人に戻る瞬間は唐突なのだ。別れの挨拶すらできないほどに。


「榎舟君、初めてのことで辛いと思いますけど、まだやることがあります。こっちに来てください」


 気持ちを整理したい俺に有無を言わせずに、仲葉先輩は庭の隅へと歩き出す。

 女子側の建物の端、三依先輩の部屋のある角を曲がると、そこには小さなビニールハウスがあった。

 こんなものがあったのか。

 中に入ると、外が冬だと分からなくなるくらいに暖かい。

 左右にずらりと並ぶ鉢植えには二種類の花が植えられていた。


「日日草と百日草?」

「よく分かりましたね。その通り、ここでは一年中日日草と百日草が花を咲かせています。今日という日に備えて開花時期を調整してあるんです。そこの棚にある剪定ばさみを取ってください。C世界と書いてある棚から一つ」


 言われた通りに剪定ばさみを取る。デザインに差異はないけれど、持ち手にこの鋏が存在している世界が書かれていた。


「卒寮生にはここの花を贈る習わしなんです。卒寮生と同じ世界で出生した遍在者からは日日草を、別の世界で出生した遍在者からは百日草を、それぞれ贈ります。榎舟君の場合、百日草の方ですね。凛ちゃんなら日日草」

「花言葉、ですか?」

「榎舟君、結構詳しいんですね」


 日日草の花言葉は『生涯の友情』だ。出生世界が同じなら、一般人に戻った時にも同じ世界で生きていける。

 一方、百日草の花言葉は『別れた友を思う』、俺のように出生世界が異なる場合、一般人に戻れば二度と会えなくなる。

 この花を贈るのは、永遠の別れと、それでもなお、友情が続くことを願う意味。

 この風習を考えた卒寮生はよほどのロマンチストだ。

 共感している俺も大概か。


「さぁ、切りましょう。一本でいいですよ」


 俺は温室に並ぶ鉢植えを見回す。

 今まで、何人がこの花を贈り、贈られてきたんだろう。

 これから先、確実に俺もこの花を贈られる。

 オレンジ色の百日草を切り、仲葉先輩と共に温室を出る。

 花を持ったままサクラ荘の玄関をくぐると、靴箱の上の花瓶に変化があった。今まで空だったその花瓶に密集した紫色の花が飾られている。

 シオンだ。秋に咲く花のはずだけど、これは造花だった。


「三依先輩が飾ったんですかね?」

「たぶん、そうですね。私には何も見えないもの」


 仲葉先輩はC世界を観測できないから、この造花も見れないのか。

 けれど、仲葉先輩は花瓶に何が飾ってあるのかは知っているらしく、口を開いた。


「ここにシオンの花を飾るのも卒寮生の風習です。さぁ、百日草をその花瓶へ」


 仲葉先輩は俺を促しつつ、先に自らが切ってきた百日草を花瓶へ刺した。俺も百日草を花瓶に差し込む。見栄えが良くなった花瓶も、その花の意味を知ると物悲しい。


「君を忘れない、でしたっけ?」

「シオンの花言葉なら、そうですよ。もっとも、この場合は君たちを忘れない、と解釈すべきですけど。独り占めはダメですよ?」


 元気づけるように俺の背中に手を当てて仲葉先輩は花瓶を見つめる。顔を覗き込まないその優しさに感謝して、俺はその場を後にし、部屋へと向かった。


 自室に入り、学生鞄を隅に転がして、パソコンの電源を点ける。

 起動するパソコンを横目にコートを脱ぎ、ベッドの上に放った。

 量子コンピューターというバカな触れ込みのジョークグッズとは思えないほど、一瞬で立ち上がったパソコン画面に3Dモデリングソフトが表示される。

 パソコンと繋がったプロジェクターが壁や天井に俺の作品を映し出す。

 遮光カーテンを閉めれば、部屋は異空間になった。


 天から伸びて樹冠を広げる複数の大樹。空色の半透明な原野とその地下を泳ぐ毛のある魚。

 現実逃避にはうってつけだ。

 自嘲しながら、俺はベッドに寝転がる。放り投げたコートを下敷きにして、天井を仰いだ。


 越してきてから、不思議に思っていたことがある。

 サクラ荘の寮生は、寮生同士の関わりを重視しすぎているような気がしていた。

 引っ越し初日の蕎麦に始まり、勉強会や、バレンタインデー、俺の歓迎会。イベントを絶対に見逃さない気構えすら感じた。

 当たり前の話だったのだ。

 いつ、ここでの生活が終わるか分からない。明日、仲の良かった寮生と別れることになるかもしれない。

 だから、思い出作りの機会を絶対に逃さない。

 寮生はここをサクラソウと呼ぶ。


「あぁ、サクラ荘じゃない。サクラソウだよ」


 花言葉『青春の喜びと悲しみ』なんて、遍在者にぴったりじゃないか。

 ため息をついてまぶたを閉じたとき、扉がノックされた。

 体を起こしてパソコン画面を操作しようとマウスに手を伸ばしたのと、扉が遠慮がちに開かれるのは同時だった。

 扉を開けた人物と目が合う。目の下にクマのある不健康そうな少女は俺が部屋中に展開した3D作品にその目を見張った。


「七掛か」


 なら、別にいいか。口止めさえしておけば、むやみに話す奴でもない。七掛があの騒動を知っているとも思えないし。

 このタイミングで俺の返事も聞かずに扉を開けたのも、三依先輩の件で俺が落ち込んでいるだろうと考えてのことだろうし、怒る気にもならない。

 とりあえず、口止めしておこう。

 部屋を見回していた七掛が俺を見る。


「七掛、ここで見たものは」

「――あなた、逢魔?」


 七掛が口にしたその名前に、俺は口を閉ざした。

 普段は眠そうに半開きの七掛の目に生気と確信の光が宿っている。

 俺は七掛から視線を外し、マウスを操作してプロジェクターとの接続を切った。部屋に現実が舞い戻る。

 冷や水をぶっかけられたような頭で思考を巡らせつつベッドに腰を下ろし、七掛をにらむ。


「何の話だ?」

「さっきの3Dは逢魔の作風。それも、私の知らない……おそらくは逢魔の未発表作品。あなたが入寮した翌朝に来たときにも見た」


 やっぱりあの朝、見られてたのか。A世界の出生でも遍在でもない七掛には分からないはずだから深く警戒していなかった。

 A世界を観測できる寮生か卒寮生から噂でも聞いていたのか。いや、それなら作風を知っているのはおかしい。世界観でのデータ移動ができない以上、七掛は逢魔作品を閲覧できないはずだ。

 どうなってる。七掛が何か嘘を吐いている? それとも、A世界を観測する別の手段を持っている?

 七掛がどこまで知っていて、どこまで確証を持っているのか分からないとこれ以上返答のしようがない。

 そもそも、土足で趣味に踏み込まれるのは――うざい。

 七掛が部屋に入ってくる。一直線に俺へと歩いてきて、目の前に立った。


「榎舟相真、そうま、アルファベットで頭文字を抜けば、逢魔(おうま)になる?」


 完全に俺が逢魔だと確信してる。

 舌打ちすると、図星を吐かれたが故の不機嫌だと勘違いしたのか、七掛が踏み込んでくる。


「逢魔に会ったらどうしても聞きたいことがあった」

「聞きたいこと?」

「なぜ、ブログを事実上閉鎖したのか」

「……はぁ?」


 何言ってんだ、こいつ。


「本気でそれ聞いてんのか? 脳外科行ってこい。頭の大事なネジが二、三本抜けてるぞ?」


 俺は七掛の横から手を伸ばし、マウスを操作してネットにつなぐ。

 俺の、逢魔の3D作品公開用のブログを開く。これを見るのもかれこれ一年ぶりか。

 管理ページを開くと、見せつけるような赤い文字で新着コメント三万と書かれていた。切りがいいのは上限に引っかかって新着履歴から漏れているからだろう。


「ほらよ、これが答えだ」


 画面を指さす。

 新着コメントという触れ込みの罵詈雑言。事実無根の同人ゴロ疑惑や時系列を無視した剽窃パクリ指摘。見る目のない馬鹿の乱痴気騒ぎだ。便乗している愉快犯も多いだろうけど。

 相手にされていないことすら理解できずにまだ騒いでいるらしい。


「趣味でストレスを抱えるのは馬鹿らしいだろ。だから閉鎖した。作品を作ったら必ず人に見せなきゃいけないなんて決まりもないからな」


 これで満足か?

 七掛は画面を一瞥すらしなかった。


「そう……。よかった。ねぇ、さっきの作品を見せ――」

「うざいぞ。話を理解できなかったか? 俺の趣味にこれ以上土足で踏み入るな」


 初めて七掛が怯んだ。

 俺は立ち上がり、部屋の扉を指さした。


「もう他人に作品を見せる気なんか失せたんだよ。出てけ」


 実力行使も辞さない構えで命令すると、七掛は躊躇うようにプロジェクターを見て、捨てられた犬のような目でこちらを見上げてきた。

 真正面から睨み返すと、おどおどと猫背になって部屋を出ていった。

 ……いろいろ最悪だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る