第7話  ご愁傷様っす

 期末試験は終わった。二重の意味で。


「自己採点の結果は?」


 三依先輩に訊ねられて、俺は目を逸らした。


「全教科、赤点を免れました」

「上出来だよ」


 試験結果としては不出来だと思います。

 頑張ったとは思うけれど、五十点を超えていないと教えてくれた三依先輩や七掛、ノートを貸してくれた仲葉先輩と屋邊先輩に申し訳ない。

 サクラ荘に到着して、いつも通り縁側にいる屋邊先輩を見つけた俺は鞄を開いてノートを取り出す。


「屋邊先輩にノート返してきます。仲葉先輩ももう帰ってますかね」

「帰ってるんじゃないかな。あたしも付き合うよ。女子陣地に入るのに相真君だけなのはまずいからね」


 女性陣は男子陣地にずかずか入ってくるのに、なんか理不尽。

 まぁ、文句は言うまい。


 玄関をくぐって、屋邊先輩の元に向かう。屋邊先輩の傍らで日向ぼっこしていたニャムさんがうるさそうにこちらを見上げた。

 ニャムさんを刺激しないように若干遠回りする。流石はボスだけあって眼光が鋭い。

 ニャムさんの反応で気付いたのか、うつらうつらと舟をこいでいた屋邊先輩が顔を上げた。


「やあ、榎舟君。試験はどうだった?」

「すみません。赤点はぎりぎり免れましたが……」

「なら、四十点以上か。短い期間で頑張ったね」

「ありがとうございます。ノートをお返します」


 まとめたノートを差し出すと、屋邊先輩は受け取ったノートを縁側に置く。ニャムさんがノートを見ているのに気が付くと、ノートの束を二つに分けて同じ高さになるように並べた。

 何をしているんだろうと思っていると、二つ並べられたノートの上にニャムさんが乗っかり、丸くなる。

 ニャムさん用の台を作ってたのか。

 ほほえましそうに目を細めてニャムさんを見ていた屋邊先輩はそのままの目で俺を見上げてくる。


「今回は練習みたいなものだと割り切って二年の一学期に備えておけばいいと思うよ」

「そうします。今度は準備期間も多いですし」

「外国語の勉強もあるだろうけど、頑張って」


 ……意外と準備期間短いんじゃね?

 油断しないようにしようと改めて心に決めつつ、三依先輩に連れられて女子陣地へと足を踏み入れる。

 廊下は綺麗に掃き掃除されている。甘い香りがするなんてこともない。廊下の奥の窓が開いているから冷たい風が吹き込んできていた。換気しているのだろう。

 そういえば、屋邊先輩はこの寒空に縁側にいたけれど、寒くないのだろうか。


「屋邊君は湯たんぽを抱えて縁側にいるから、ああ見えて寒くないんだってさ」


 俺が屋邊先輩を振り返ったからか、三依先輩が教えてくれた。


「そうまでして縁側に出たいんですかね?」

「A世界の遍在者はマイペースが多いってジンクスがあるね。B世界が社交的、C世界が姉御肌、兄貴肌、D世界が不運」

「なんですか、最後の不穏なジンクス」

「血液型占いみたいなものだから、あまり信用するのもどうかと思うけどね。A世界っていっても相真君みたいなのがいるし、B世界だと七掛ちゃんって例外があるから。あたしだって別に姉御肌じゃないし」


 うーん。三依先輩に関しては、面倒見がいい方だと思う。捉えようによっては姉御肌だ。

 ずらりと並んだ扉に掛けられたネームプレートから仲葉先輩の物を見つけた。扉の向こうからはブルーローズメンバーの話し声が聞こえてくる。


「あたしがノックするよ」


 三依先輩が扉を叩くと仲葉先輩の返事が聞こえた。


「はーい、カギは開いてますよー」

「相真君がノートを返したいって言うから連れてきた。入っていい?」

「大丈夫で――」


 仲葉先輩が言いかけたのと、扉が内側から開け放たれるのは同時だった。

 顔を出したのは鬼原井先輩だ。


「後輩君キター! さぁ、中に入るがいい。お姉さんたちが可愛がってあげるぞ」

「メンバー集まって新曲の打ち合わせとかですか?」

「まさかのスルー。放置プレイは好きくないぞ」


 あきれ顔の三依先輩とそっくりな顔をした招田先輩が部屋の中からやってきて鬼原井先輩の首に後ろから腕を回して確保した。


「落ち着け」


 そういえば、招田先輩も三依先輩と同じ出生C世界だ。やっぱり姉御肌というか、問題児の子守役というか。鬼原井先輩はB世界だし、世界ごとの性格分析って割と当てはまってるな。

 最後に部屋の中からやってきた仲葉先輩は鬼原井先輩と招田先輩の格闘を視界にも入れずに俺からノートを受け取ってくれた。


「今、新曲が形になってきたところなんですよ。楽しみにしていてくださいね」

「三人で作ってるんですか?」

「ほとんど凛ちゃんが作ってるんですよ。サクラソウに来る前に動画投稿したオリジナル曲がラジオの連続ドラマのOPに採用されたりして、正真正銘のプロですから」


 やっぱりプロだったのか。

 納得しつつ、これ以上邪魔しては悪いからと部屋を後にする。新曲が楽しみだから、あまり時間を取らせたくないし。


「相真君、これで用事は済んだ?」

「えぇ、ノートを返すだけですから」

「なら、フランス語の勉強を本格的に始めようか。部屋に荷物を置いてくるからちょっと来て」


 三依先輩の部屋にお呼ばれ。まぁ、部屋の前で待機だろう。

 三依先輩の部屋は女子陣地の最奥に位置していた。いわゆる角部屋だ。

 コートのポケットから鍵を取り出した三依先輩が扉を開ける。


「中に入って」

「いいんですか?」

「散らかってるわけでもないし、見せちゃまずいものもないからね。パソコンは触られると困るけど」


 パソコンか。ポエムでも入ってるのかな?

 冗談はさておき、三依先輩の了解をもらったので中に入る。入ってすぐ右側にラッコが時計を抱えている置物があった。可愛いな、これ。

 左側は簡易キッチンだ。部屋の間取りは男子側と変わらない。

 リビング部分も整理が行き届いていて、部屋奥の本棚にはずらりと漫画が並んでいる。少年漫画が半分以上を占めていた。けれど、日本語版と外国語版が両方そろっている。漫画を読みながら勉強していたのだろうか。

 床にはシンプルな無地の赤いラグマットが敷かれていて、グレーの大きなクッションが二つ転がっている。

 部屋の隅には奥行きの広い机があり、タワー型のデスクトップパソコンが置かれていた。プログラム関連の書籍が広げられているのは、ゲームか何かを作っていたのか。

 窓のすぐそばには白い磁器の花瓶があり、布で精巧に作られた造花が三本刺してある。一瞬ヒガンバナかと思ったけれど、縁起が悪いのを思い出して観察しなおす。


「ネリネですか?」

「よくわかったね」


 壁にコートをかけた三依先輩が驚いたように振り向いた。


「卒寮生から代々受け継いだものなんだよ。一本取って、花弁の裏を見てみなよ」


 促されるまま、花瓶から造花を一本取り上げる。見れば見るほどよく出来ている。花の付け根、ガクのふくらみ方もよく観察されている。こういった造形が得意な人が作ったんだろう。

 花弁の裏には製作者らしき名前が書かれている。


「古宇田?」


 卒寮生の名前だから聞いたことはないはずなんだけど、どこかで聞き覚えがある。

 そうだ、思い出した。七掛と仲が良かったっていう卒寮生だ。


「七掛ちゃんの部屋にも同じ造花があるよ」

「全員が持ってるわけじゃないんですか?」


 卒寮生から贈る伝統があるのかと思ったんだけど。


「あたしと七掛ちゃんだけだね。それより、本棚から好きな漫画を選んでよ。それを教材に簡単な言い回しと文法を教えるからさ」

「やっぱりそういう使い方なんですね」


 肩ひじを張らずに覚えられそうだから助かるけど。

 どうせならセリフが多い方が勉強になるかな、と推理小説のコミカライズ版を手に取る。


「渋いとこ行くね」

「原作を読んだことがあるので、とっつきやすいかなと」

「なるほどね。でも内容を知ってるとダレてきちゃうから、あたしのおすすめも持っていこうか。七掛ちゃんのお手製教材は相真君の部屋にある?」

「部屋の机の上ですね。学校に持って行っても勉強できなさそうですから」

「じゃあ、相真君の部屋で勉強――」


 三依先輩が本棚から料理漫画を手に取った時、部屋の扉がノックされた。

 三依先輩は扉を振り返って返事をする。


「どうぞ、開いてるよ」

「三依にお客が来てる。Cの二年だって」


 扉の向こうから聞こえた招田先輩の声に、三依先輩は手に持った料理漫画に視線を落とす。


「相真君がこれ持ってて」


 漫画を俺に託した三依先輩が扉を開け、俺を手招いた。

 あぁ、来客はサクラ荘の玄関にいるのか。


 俺は三依先輩を追いかけて部屋を出て、玄関の方を見る。三依先輩のクラスを訪ねた時には見なかった人だ。学年は同じでもクラスは違うのだろう。

 招田先輩が二のCではなくCの二年といったのはC世界の二年生って意味だったらしい。

 部屋の鍵をかけた三依先輩がサクラ荘の玄関に立つ人物を見つけてやや困り顔をして俺の耳に口を寄せた。


「赤穂さんだ。例の件で告白された娘」

「あぁ、あの人が」


 三依先輩とタイプが違う美人だ。髪に少しパーマをかけている。コートも学校指定の物ではなく明るめのカーキ色で飾りボタンもお洒落だ。

 男子受けよりもむしろ女子受けがよさそう。

 赤穂先輩が三依先輩と隣に立つ俺を見て、三依先輩の部屋の扉に視線を移す。何を考えているのか、何とかなく想像がつくけれど、恋人設定なのでその想像は否定しない。

 招田先輩が赤穂先輩に背を向ける。


「大丈夫?」


 加勢しようか、という言外の意味を込めた招田先輩の問いに、三依先輩は静かに頷いた。


「たぶんね。相真君も来て」

「当然ですね」


 俺が三依先輩と一緒に玄関へと歩き出すと、赤穂先輩の顔が険しくなった。


「こんにちは。縁山さん、でいいのよね?」

「あたしが縁山だけど、どんな要件?」


 三依先輩は単刀直入に訊ねた。

 赤穂先輩は腕を組み、顎を引く。


「縁山さんとその男子が付き合っているでしょう? それで、新橋君が縁山さんにフられた結果、私で妥協したって噂が流れてるのよ」


 そんな噂が流れてるの?

 妥協云々って時系列がおかしくないか。いや、付き合っているとほのめかしてはいるけれどいつから付き合っているかを明言してないから、周囲は時系列が分からないのか。

 面倒なことになってるなぁ。

 とはいえ、三依先輩に何の落ち度もないことだ。


「それをあたしたちに言ってどうするの?」


 三依先輩が真正面から切り返した。

 喧嘩になるのではとハラハラしたのも束の間、赤穂先輩は三依先輩を見据えて口を開いた。


「新橋君に告白されたか聞きたいの」


 意外な質問に三依先輩の表情が動く。やや不快そうなその顔でため息交じりに三依先輩は真実を告げた。


「されてないよ」


 今度は赤穂先輩がため息を吐いた。腕組みを解き、不愉快そうな顔で南西、C校舎を振り返る。


「わかった。ありがとう。つまり、縁山さんはスケープゴートにされたわけ?」


 えっと、それを知るためにサクラ荘まで来たのか?

 別方向に不穏な気配を感じて、俺は男子陣地の縁側を見る。

 屋邊先輩に助けを求めようと口を開きかけ、思い出す。

 屋邊先輩はA、B遍在だからC世界の一般人である赤穂先輩が見えない。仲裁役は期待できない。


 うわぁ、もう知ーらね。新橋先輩、喧嘩を売る相手を間違えましたね。本人は喧嘩を売ってるつもりなんかないだろうけど。

 三依先輩が警戒を解いた様子で肩をすくめた。


「そう、スケープゴートだと思う。まぁ、心証は最悪だよね。こんな形で引っ張り出されてないがしろにされるような覚えはないもん」

「だよねー」


 赤穂先輩が新橋先輩への呆れ交じりに返して、コートのポケットからスマホを取り出した。


「今から新橋を図書室に呼び出すから、縁山さんも来てもらっていいかな? 私は告白の答えを保留にしてたんだけど、今の話を聞いて決めたから」


 あ、新橋先輩への君付けが取れた。赤穂先輩の心にかろうじて残っていた新橋先輩へのプラスの感情も取れた。


「別にいいよ。新橋には興味ないけど、一応の関係者として顛末を見届けたい」


 三依先輩もアウトオブ眼中を表明。


「オッケ、そっちの男子も来て。黙っててもいいからさ。君がいた方が新橋に効率的にダメージ負わせられるから」


 トラップカード、俺。新橋先輩の心にダイレクトダメージ。

 元を正せば新橋先輩がしでかしたことだ。きっちり償ってもらいましょう。俺が仲裁に乗り出すのも変だし、正直、擁護の余地がない。

 赤穂先輩がスマホでメールを送ると、新橋先輩はすぐに返事を送ってきた。


「今、麓のカラオケ屋だって。試験の打ち上げかな。自転車飛ばしてくるってさ」


 在自高校までの山登りの末、ただフラれる以上のイベントが待っていることなど、新橋先輩が知る由もない。

 極力、新橋先輩のことは考えないようにしよう。

 俺は三依先輩をみる。


「三依先輩、コートを取ってきた方がいいですよ。図書室までとはいえ、寒いですし」

「あぁ、そっか。相真君が貸してくれてもいいけど?」

「ダメですよ。俺だって寒いんですから」


 学校指定のコートは各世界分の一揃いしかないし。


「コートを取ってくる。赤穂さんはそこにいて。すぐ戻るから」


 廊下の奥へと走っていく三依先輩を見送って、俺も自室へ足早に向かう。

 借りた漫画を勉強机の上に置いて玄関に戻ると、三依先輩と赤穂先輩が楽しそうに互いのコートの話をしていた。

 もう仲良しかよ。


「あ、来たね」


 三依先輩が俺を見つけて、早く靴を履くように促してくる。

 この二人を敵に回してもろくなことにはならないと思うので、俺は素早く靴を履いてサクラ荘を出た。



 結果的に新橋先輩はこっぴどく振られた。

 試験明けで自己採点と復習や再試験に向けての勉強をする生徒でいつもより利用者が多い図書室。

 赤穂先輩を見つけて笑顔になった好青年風の新橋先輩は、すぐそばに立つ三依先輩を見て硬直し、さらに俺が同席しているのを見て状況を察したらしい。

 しかしながら、肩を落としつつも逃げずに赤穂先輩の元へ歩いてきた。その潔さだけは素直にほめたい。


「まず、告白の件だけど、縁山さんに告白してないんだよね?」


 きちんと事実関係の確認から入った赤穂先輩に新橋先輩が答えたところによると、おおよそ、三依先輩の予想通りだった。


 罰ゲームで好きな人の名前を言うことになった新橋先輩はその場のメンツをかんがみて本命を答えずに三依先輩の名前を出した。

 新橋先輩曰く、三依先輩は男子にも人気があるため説得力がある上、サクラ荘に住む関係上クラスメイトと麓で遊ぶこともなく交友関係が狭いため、本人の耳に入りにくそうだったから、だそうだ。

 新橋先輩の見立ては外れ、三依先輩は放課後に遊べないハンデを負いながらきちんと交友関係を広げていたため、噂は三依先輩の知るところとなった。

 噂が予想以上に早く拡散し、慌てた新橋先輩は本命こと赤穂先輩に告白。この事実が拡散すれば噂を広げたメンツが誤報として打ち消すだろうと考えた。

 そして、今の状況がある。

 赤穂先輩はあきれ顔で話を聞くと、口を開いた。


「本命をぼかして答えて、噂が広まったから慌てたって、行き当たりばったりすぎで情けない。告白に関してはもちろんお断り。それから、縁山さんに謝るべきじゃない?」

「すみませんでした」


 しおらしい態度の新橋先輩を興味なさそうに眺めていた三依先輩は表情をほとんど変えずに答えた。


「うん、気にしてないよ」


 むしろ、気にされない方がダメージ大きいのでは?

 そういえば、三依先輩は最初から新橋先輩その人はどうでもいいというスタンスだった。問題にしていたのはクラス内での立場の方だ。

 そのクラス内での立場に関してもここ数日は俺の存在により、新橋先輩は最初から脈なしだったという見方が定着している。

 だからこそ、赤穂先輩の耳に入ったのだから、新橋先輩は墓穴を堀りすぎて不発弾を掘り当てたようなものだ。


 この図書室にも三依先輩のクラスメイトが何人かいる。静かな場所だけあって、ここでの会話はいくらか聞こえているだろう位置だ。三依先輩の「気にしてない」発言はクラスメイトに聞かせるためでもあるのだろう。

 きっちり外堀埋めてますね。新橋先輩は掘るのが上手。三依先輩は埋めるのが上手。

 赤穂先輩は埃でも払うように新橋先輩を手振りで追い払う。


「言いたいことは言ったから、もう帰っていいよ。あ、メルアドは消したから」


 肩を落として図書室を出ていく新橋先輩の背中を見送るのは俺だけだった。


「それでさ、コートなんだけど安くて、三千円いかないの」

「なにそれ、お買い得じゃん。ネットで買える?」

「買えるよ」


 先ほどまでの一幕はなかったように、三依先輩と赤穂先輩はファッションのことで盛り上がり始める。

 新橋先輩、あなたの功績ですよ。そこだけは、感謝してもらえるといいですね。


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