第6話  遍在者レクリエーション

 サクラ荘の自室で勉強していると、三依先輩がやってきた。


「どうかしたんですか?」

「どうかしたも何も、外国語の勉強。とりあえずはフランス語からだね」


 さっさと部屋に入ってきた三依先輩は中を見回して感心したように「ほぉ」と呟いた。


「ちゃんと綺麗に使ってるじゃん」

「まだ越してきて二日なのに散らかっていたら、そっちの方がすごいですよ」

「たまにいるよ。引っ越し荷物をしまうのが面倒臭くなって適当に転がしてるやつ」


 いるのか……。

 ちょっと呆気にとられた俺に、三依先輩が悪戯っぽく笑った。

 俺は机に広げていた歴史の教科書を片付け、三依先輩が持ってきてくれたフランス語の教科書を受け取る。


「英語も覚束ないのにフランス語ですか」

「割と簡単な方よ。ちなみに、発音は無視していい」

「いいんですか?」


 それって学ぶ意味があるのか?


「論文を読めさえすればいいからね。音読するわけでもないし。まぁ、発音も覚えておけばど忘れした単語も音で思い出せるけど」


 ネットで検索するのが主になるだろうし、綴りさえ覚えておけばいいってことか。

 発音は後回しにしよう。三学期の期末試験が終わるまでは脳のリソースに余裕がない。


「三依先輩は何カ国語できるんですか?」

「辞書を片手に読むだけなら、仏、独、露、中、もちろん英語も。といっても、論文は英語で発表されるのが主だけどね」


 英語含めて五か国語かよ。どんな頭してるんだ。

 三依先輩が手をひらひらさせて俺の不安を笑い飛ばした。


「そんな自信のなさそうな顔をするなってば。あたしも教えるし、笠鳥ですら四か国語出来るようになるほど、ここは語学学習のノウハウがあるんだよ。それに、今なら七掛ちゃんもいる」


 七掛さんは確かに教えるのが上手だった。勉強会ではお世話になった。

 うじうじしていても仕方がないと、フランス語の教科書を開く。主語を覚えるところから始まるのは英語と同じか。

 ノートに書き写しながら覚えていると、三依先輩は持ってきたスマホを弄りだした。


「あたしたちって基本的に出生世界のスマホしかもってないでしょ?」

「そうですね」

「だから、互いに連絡取れないんだよね。在自高校の敷地からほとんど出られないからあまり意識しないけどさ」


 ほぼ全員、このサクラ荘にいるわけだし、用事があれば部屋に訪ねればいい。スマホを使うとしたら、家族や遍在者になる前の友人に連絡を取るときくらいだ。

 でも、なんで今その話をするんだろう。

 疑問に思っていると、三依先輩は俺の前でスマホを左右に振った。


「彼氏のメアドも登録してないスマホってどうなの?」

「あぁ、言われてみれば、不自然ですね」


 俺はスマホを取り出して、メアドを表示して差し出す。世界が違うから通信できないし、見て手打ちするしかない。

 しかし、三依先輩は肩をすくめた。


「あたしは出生Cで遍在Bなの。相真君、出生がA世界でしょ? 手にスマホを持ってると思うけど、あたしには見えないんだよ」

「……遍在者同士だと、こうなるんですね」

「慣れないとよくやらかすよ。あたしも二年前はよくやったもんだ。ちなみに、君は今回が二回目のやらかしだね」


 二回目?

 心当たりを思い出すべく振り返る俺を見て、若干懐かしむように目を細めて三依先輩は俺にメアドを読み上げるように言ってくる。

 互いのメアドを読み上げて、互いに登録する。送っても相手に届かないメアドを眺めていると、三依先輩がフランス語の教科書を閉じた。


「ちょっと散歩しようか」

「夜の学校に忍び込むんですか?」

「やらないよ。なんていうか、初心者遍在者君にあたしたちが行ける場所をレクチャーしてやろうって先輩心」

「もしかして、威厳云々っていうのを根に持ってます?」

「うるさいぞ」


 図星だったらしくむっとした表情の三依先輩に謝りつつ、立ち上がる。その表情だけで先輩の威厳が消えていることは指摘しないでおいた。

 スマホで確認した時刻はすでに午後十九時。当然ながら外は暗く、二月半ばの冷たい風が吹いていた。


「まずは寺かな」

「この山の中にあるんですか?」

「そう。いつも屋邊君と一緒に縁側でまったりしてる猫がいるでしょ。あの猫、ニャムさんって言うんだけど、これから行く寺を縄張りにしていた近所のボス猫でね。どういうわけだか屋邊君にだけ懐いてサクラ荘に出入りするようになったわけ」

「へぇ」


 そういえば、あの猫は俺のことを邪魔者でも見るような目で見ていた。ボス猫らしい気位があるのか。

 サクラ荘を出て、南へ向かう。在自山の起伏に合わせて下っていくと、わき道にそれる階段があった。欠けたりもしていない真新しい階段だ。


「何年か前にこの階段を設置したらしいよ。最初は坂道だったけど、自転車通学の学生が寄り道するからって階段になったらしい」

「自転車除けなんですか」


 お寺という一種厳粛な場が学生相手に階段を設置するというのは庶民的というか、なんというか。


「元々あまり流行ってなかったらしいけどね。もっと南の方に墓地併設のお寺があって、そっちの方が地元民に馴染み深いらしいよ」


 三依先輩が指差す麓の方には暗い森が広がるばかりだ。遠くには町の明かりが煌めいて、夜景というには寂しいながら冬の澄んだ空気には美しく見える。

 階段を上っていくと、小さな寺があった。どちらかというと、お堂と表現した方がふさわしい小さな寺だ。


「はい、賽銭箱に五円玉を入れなさい」

「せっかく来たんですからお参りするつもりではありましたけど」

「いい心がけだけど、今回は必ず五円玉ね」


 やけにこだわるな。

 言われた通りに五円玉を財布から取り出す。投げ入れる直前、ふと目の前の賽銭箱はA世界の物なのか不安になって手を止めた。


「このお堂、全世界共通なんですか?」

「いいところに気付いたね。全世界共通だよ。在自高校とその周辺は政府レベルで環境を整えてるからね。もっとも、賽銭泥棒とかが賽銭箱をずらすかもしれないから、疑いを持っておくのはいいことだ」


 人の動きまでは日本政府も制御できない。当然といえば当然か。

 それにしても、目に見えているものですら存在を認識しながら別の世界では疑う必要があるなんて。


「あ、そうか。A世界の五円玉をぶつければ、少なくともA世界に存在するかの判断はつくのか」

「そうそう、その調子」


 ぱちぱちと拍手して褒めてくる三依先輩を無視して五円玉を賽銭箱に放る。その瞬間、三依先輩が手を差し出して五円玉を掴み取るそぶりをした。

 しかし、五円玉は三依先輩の手をすり抜けて賽銭箱へと吸い込まれていく。当たった時の軌道から、少なくともA世界にあることは確定できた。


「三依先輩、これって遍在者の通過儀礼だったりします?」

「お、気付いた?」


 悪戯が成功した子供のような笑い方をする三依先輩。

 A世界の五円玉が三依先輩の手を透過したのは、三依先輩がA世界に存在しないからだ。物を投げても当らない。それどころか相手の動作を見ない限り反応もできない。遍在者同士のやり取りや付き合い方を実地で学ぶのがこの散歩の正体らしい。


「外国語を教える先輩がこの儀式をやる。それが暗黙の了解でさ。それに、ここへ五円玉を入れる理由はそのうち分かる」

「御縁がありますようにって願掛けでしょう? 定番ですよね」

「なんだ、知ってたんだ。定番になるくらい、重みがあるってことだよ。あたしたちにとってはなおさらね。さ、次行こうか」


 なおさら、の意味を知りたかったけれど、聞いても答えてくれなさそうなので黙ってついていく。

 階段を下りて、そのままさらに山を下りる。


「街灯が少なくなってきましたね」


 在自高校周辺は部活で帰りが遅くなる学生に配慮した街灯が多く設置されていたけれど、この辺りは通学路からも外れているためか街灯が少ない。

 道の先、山の麓へ目を凝らすけれど街の明かりも見えなかった。


「この時間にこの辺りに来るのはサクラソウの寮生くらいだからね。あ、自衛用にスタンガンが玄関に置いてあるから、自由に持って行っていいよ。防犯ベルを鳴らしても誰も来ないからさ」

「物騒ですね」

「変質者が出たって話は聞かないけどね。用心に越したことはないよ」


 三依先輩がコートのポケットからスタンガンを取り出して見せびらかす。


「使い方は分かる?」

「分からないです」

「じゃあ、サクラソウに帰ったら説明するよ。ここだと暗いしさ」


 お堂から歩いて五分ほど、サクラ荘から十分に満たない距離だろうか。在自山を下山した先には浜辺があった。

 真っ暗な黒い海が打ち寄せる海岸だ。一応整備されているようだけど、二月の中旬に当たる今の時期、それも夜の海にやってくる物好きはいないらしく周囲に人影はない。

 浜辺自体も狭く、レジャー施設としては活用できそうもない。


「ここよりも南西にもっとマシな海岸があるから、普通の学生はそっちを使うんだ。この海岸は在自山から降りてこないとたどり着けないから、まず人はいない。夏になったらサクラソウのみんなでバーベキュー大会とか、花火とかして遊ぶ場所だよ」

「プライベートビーチみたいな感じですか?」

「似たようなものだね。元々は海沿いのホテルが所有していたらしいんだけど、在自高校の設立で学生が大挙してやってきたからホテルの客が減っちゃって、ホテルがどこかに移転してこうなったって」

「誰が整備してるんですか?」

「在自高校で雇ってる用務員さんらしいよ。誰も見たことがない謎の用務員X。しかも、どの世界でも同じことをしている用務員さんがいるみたい」


 なんだ、その都市伝説みたいな用務員。

 波打ち際を歩こうかと思ったけれど、海風が冷たすぎるため早々に引き上げる。


「これから山登りですか」

「今何時?」

「えっと、十九時半ですね」


 この浜辺からサクラ荘までの距離は割と近いけれど、帰りは上り坂だ。二十時を回るのは間違いない。


「そういえば、コンビニとかもないですね」

「ふもとの町へ行けばあるよ。我々はあの地を下界と呼んでいる」


 三依先輩がしたり顔で遠く夜景を手で示した。


「下界の方が輝いて見えるんですが?」

「あたしたちより青春してるのかもね。負けてらんないよ」


 輝かしい青春の一ページか。けれど、下界の人々はこの夜景を見られない。

 案外、傍観者視点も悪くないかもしれない。


「お腹すいちゃった。早く帰ろう」

「そうですね。夕飯、何にしようかな」

「自炊系男子?」

「レシピ見ながらですけどね」

「いいなぁ。B世界の食材持ち込むから一緒に食べない? あたし、エビピラフがいいな」

「作るのは俺ですか?」

「あたしは作れないから」


 本気で丸投げする気らしい。けれど、食材があるのなら作れないわけでもないんだろうな。


「食べられるものができるといいですね。あと、食材だけだと料理できないのでB世界の調理器具と食器もお願いします」

「オッケー。相真君も余所の部屋行きセットを用意しておくと便利だよ」


 この夕飯の誘いも遍在者へのレクチャーだったのか……。

 悪戯成功を喜ぶようにくっくっと小さく笑う三依先輩を見て、俺は心に決める。

 新入りがやってきたら必ず同じことをしてやろう。

 こうして、伝統は連綿と受け継がれていくのだ。



 サクラ荘の自室に戻ってみると、部屋の扉に持たれてプログラミングの本を読んでいる七掛さんがいた。


「……おかえり」

「ただいま。そうか、外国語の教材――もしかして、待ってた?」


 届けに来てくれると約束していたのに部屋で待っていなかったのは俺の落ち度だ。

 しかし、七掛さんは「心配いらない」と首を横に振った。


「遍在者レクリエーション、どうだった?」


 あ、三依先輩から通達済みか。


「三依先輩に連れまわされて、お堂や海岸に行ったよ。これから、三依先輩にエビピラフを作ることになってる」

「そう。私も食べたい」

「……食材が足りないんじゃ?」

「抜かりない」

「――そうだよ、抜かりないよ」


 後ろから聞こえてきた声に振りかえれば、三依先輩が荷物を持って廊下を歩いてくるのが見えた。


「きちんと全員分あるから」

「全員分?」


 疑問に思ったのも束の間、廊下のあちこちの扉が開き、寮生が次々と廊下に顔を出した。


「レクリエーション終わった?」

「終わったっぽいね」

「いつも通り、各自が作った料理を持って会議室集合な」


 全員が一品から二品の料理を持って会議室へと向かっていく。

 笠鳥先輩がすれ違いざま肩を叩いてきた。


「新人歓迎会、やらないわけがないっしょ? 早く作ってこいよ、主役」

「え、あ、はい」


 俺、状況に流される。

 そういえば、今日は勉強会をしてなかった。これがあるからか。


「ほら、早く調理を始めないと、みんなが待ちくたびれるよ」

「はい、すぐに作りますよ」

「手伝う」

「ありがとう、七掛さん」


 ネットのレシピ見ながらだとどうしても作業スピードがね。


「呼び捨てでいい」

「そう? じゃあ、俺のことも呼び捨てでいいよ」

「うん」

「彼氏を取られかねないので急遽あたしも手伝うことにしよう」

「三依先輩は料理ができないって言ってましたから、戦力外通告です」

「いや、あれはサプライズを成功させるための方便っていうかね?」


 料理できない子扱いされたくないのかあたふたと弁明を始める三依先輩に七掛が首をかしげる。


「冷凍のエビピラフ?」


 なぜ冷凍縛りなんだろう。


「食材を持ってくるって話だったけど?」

「縁山先輩はお湯を注ぐか解凍するかしか、料理のレパートリーがない」

「ちょっ七掛ちゃん、やめて! 先輩の威厳が!?」

「砂上の楼閣。守っても仕方ない。定礎からやり直すべき」

「なんか当たり強くない!?」


 わいわい言い合いながらの料理というのも楽しいものだった。

 結局、三依先輩はエビの殻をむく作業のみ任され、ワタ抜きは七掛がやった。

 完成したエビピラフを皿に盛りつけて、俺たちは会議室に向かう。


 俺が三依先輩と散歩をしている間に準備したらしく、会議室のホワイトボードには『新寮生歓迎』の文字と紙の造花が飾り付けられていた。

 会議机の配置も変えられ、島を中央に据えた簡単なパーティー会場になっている。仲葉先輩たちが持ち込んだ料理が島の机に置かれており、自由にとって食べるバイキング形式になっているらしい。

 エビピラフを机に置くと、ホワイトボードの前に立った笠鳥先輩がクラッカーを鳴らした。


「よっしゃ、歓迎会開始だ。明日は休みだから徹夜出来るぞ!」

「試験のことはいったん忘れて歓迎会だ、おらー」


 笠鳥先輩に同調するように屋邊先輩を除く男子勢がはしゃぎだす。

 すでに夜だが、サクラ荘は在自高校の敷地ど真ん中に位置しているため周辺に民家はない。もっと言えば、人里まで行くには山を下らないといけないから、ここで騒いでも苦情が来る心配はない。

 むしろ、高校生を集めるから山の中に建てたという可能性すら……いや、考えるのはよそう。

 エビピラフを小皿に盛ってきた七掛が俺の隣に座った。


「いいパラパラ感」

「おほめに預かり光栄です」


 ネットでレシピを公開した人に感謝。

 基本的に自炊する寮生ばかりだからか、各自が用意した料理はどれも美味しい。笠鳥先輩が作ったシーザーサラダを食べていると会議室の扉が開かれて仲葉先輩たちが出ていくのが見えた。

 会議室を出ていく直前に鬼原井先輩と目があう。


「すぐに戻るよ」


 そう言ってウインクしていく鬼原井先輩は、言葉通りすぐに会議室に戻ってきた。その手にはベースがある。一緒に戻ってきた招田先輩はギター、仲葉先輩はドラムスティックを持ってきていた。


「さすがにドラムセットを持ってくるのは無理ですからちょっと机を叩きますね」


 ホワイトボードの前に行く三人を見て、学校で聞いた噂を思い出す。

 曰く、『二年の先輩がサクラ荘の庭で一人、BGMもなしに黙々とドラムを正確に叩いている』と。

 A世界の一般生からは仲葉先輩がドラムを叩いている姿しか見えていなかっただけで、実際はベースの鬼原井先輩やギターの招田先輩がその場にいたのだろう。

 謎が一つ解けて納得していると、七掛が説明してくれた。


「あの三人はブルーローズ名義でバンド活動してる。全員がD世界遍在で動画も投稿してる」

「へぇ。でも、D世界で投稿してるなら俺は見れないな」


 A、B、C世界を観測できるから三人とも見えているけど。


「あれ、じゃあ三人が持ってる楽器がなんで俺に見えてるんだ?」

「仲葉先輩はA、D世界両方のドラムスティックを持ってる。他二人も同じ。重いからあまりやりたがらない」


 だから座って演奏するのか。

 椅子に座った三人が静まり返った会議室を見回し、仲葉先輩が合図した瞬間に演奏が始まった。


 ドラムとは勝手が違うだろうに仲葉先輩が会議机で刻む拍子は正確無比。机の天板と淵を叩き分けて音の違いを作り出している。

 横目で仲葉先輩を見ていた鬼原井先輩は、普段のお調子者らしさが鳴りを潜めていた。口元の笑みは冗談ではなく真剣さを楽しんでいる様子がうかがえた。

 鬼原井先輩がベースの弦を弾く。

 上手い。自然と体が動き出すようなメリハリのあるスラップベース。会議机を叩いている仲葉先輩はどうしても音の数が少なくなるから、フォローに回るつもりらしい。

 同時にギターを弾きだした招田先輩もすごかった。

 ひと言、綺麗というだけで表せる丸みを帯びた音。難しいテクニックを使っている様子もないのに印象深い音と旋律に引き込まれる。

 演奏が終わると誰からともなく拍手を送る。

 俺は隣の七掛に訪ねる。


「動画の再生数ってどれくらい?」

「まちまち。多いものだと二十万再生」

「これでも二十万なのか」

「PVを作れる人がいない。本人たちも外部に依頼するつもりがない。だから、画面は真っ暗」

「それが原因だな」


 もったいない、と思いはするけれど、本人たちがそれでいいなら俺が気にするだけ無駄だ。

 七掛が仲葉先輩たちから視線を外して俺を見た。観察するような、それでいて何かを期待するような妙なまなざし。


「えっと、なに?」


 そんなまなざしを向けられる心当たりがない。

 俺にPV製作を期待するわけではないだろう。仲葉先輩たちがブルーローズ名義で活動しているのはD世界であり、俺はD世界には遍在していないから動画を作ってもD世界に投稿できない。

 七掛は注意してみていないと分からないくらいわずかに眉をひそめた。当てが外れた、といったところか。


 何を当てにしていたのかを七掛から聞き出そうとするより早く、ブルーローズの次の曲が始まった。どこかで聞いたアニメのオープニング曲だ。

 アレンジが入っているけれど、原曲を大きく崩すこともない。それでも個性がきちんと出ているのはやはり、三人とも上手いからだろう。

 視界の端で戸枯先輩の足がリズムを刻んでいるのが見えた。会議机の下から覗く足先はノリノリだけど、戸枯先輩の表情はやや抑えめだ。

 隠れアニオタっぽい。

 料理を取って席を移動してきた三依先輩が俺の隣に座る。


「寮生活もいいもんでしょ? 少なくとも、この人数で夜中まで騒げる高校生はまずいないよ」

「そうですね。賑やかで、ちょっと新鮮なくらいです」


 サクラ荘に来る前まではあまり友達と遊びに行くこともなかった。カラオケなどにつきあったりはしたけれど、電車通学なのもあって混みはじめる前に帰るのが常だったからだ。

 こんな風に時間を気にせずに騒ぐのは初めてかもしれない。


「どう? やっていけそう?」

「やっていけそうです。勉強以外は、ですけど」

「素直だね。そのあたりもフォローするよ。同じ寮生、持ちつ持たれつってね」


 オレンジジュースが入った紙コップを傾け、三依先輩は不意に真剣な目をした。


「レクリエーションの最後に、ここがあたしたち遍在者にどう呼ばれているかを教えておこうか」

「ここって、サクラ荘のことですか?」

「イントネーションが違うの、気付かなかった?」


 イントネーション?

 思い返してみると、確かに寮生はサクラ荘と口にする時にイントネーションが違う。あまり気にしなかったけど。


「大したことじゃないよ。サクラ荘をサクラソウにもじってるだけ」

「なんでそんなことを?」


 もじる意味がどこにあるのかわからず素直に答えを求めるけれど、三依先輩は肩をすくめて言葉を濁した。


「ここで暮らしていればじきにわかるよ」


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